いつも通りの”お仕事”
そして、日本・愛知県某所の私立神代学園への転入から一週間。戒斗は今までにないほど平凡な日々を過ごしていた。
正直言って理解出来ないような、よく分からない授業を受け、昼休みは屋上で過ごし、特に何もせず帰宅する。このごくありふれた生活が、彼にはとても新鮮で、特別なモノと感じていた。
とはいえ、このままの生活を続けてはいられない――彼の仕事はあくまでも”傭兵”であって、残念ながら、おおよそ普通の学生ではないのだから。
というわけで、彼は住処として借りているマンションを自宅兼事務所としているのだ。ドアの前とポストには”戦部傭兵事務所”と看板を張っておいてある。
そういった類の情報誌や新聞に広告を貼りまくったお陰か、そこそこの数の依頼は来ており、当面の生活資金には困らなさそうだ。
その”戦部傭兵事務所”――つまりは自宅で、学園から帰宅後、即制服ブレザーのジャケットを脱ぎ捨て、ソファで眠っていた戒斗を一本の電話が叩き起こした。時計を見れば、時刻は既に六時半を過ぎており、窓の外は既に薄暗くなってきている。
「……はい、戦部傭兵事務所ですが」
寝起きで頭が回らない状態で電話に出る戒斗。ただでさえボサボサの髪に寝癖が付いてとんでもない吹っ飛び方をしている。
受話器の向こうから聞こえてきたのは、若い、二十代前半ぐらいの、女の声だった。
「助けて、助けてくださいっ! 実は今、変な集団に追われていて……!」
受話器越しでも、彼女の切迫した状況は伝わってきた。
戒斗の眼は先程までの寝ぼけたソレから、一気に”傭兵”の鋭い眼光へと変わる。
「分かった。場所はどこだ? それと警察には」
「一応警察には連絡しましたが、逃げながらだし、しかもアイツら凄い大きなライフルとかで武装してるんです……! 名前は斉藤 薫。○○橋の下に、出来るだけ早く来てくださいっ!」
どうやら彼女――斉藤さんは、話を聞く限り、戒斗のマンションからそう遠くない場所で隠れているようだ。
「依頼を受けよう。すぐに向かう」
戒斗は電話を切り、着ていた制服を脱ぎ捨て、黒の皮パンにTシャツ、その上からロングコートを羽織り、滑り止めのフィンガーレスグローブを手に填める。一応身だしなみとして、最低限髪は整えた。左脇のショルダーホルスターにはいつも通りミネベア・シグを突っ込み、最後に、武器庫から取り出したドイツ製の突撃銃、HK416を片手に家を出た。
階段を使って駐車場まで降り、そこに停めてある戒斗の――厳密には彼の父、鉄雄が日本で乗り回していた愛車へと足を向ける。
サンセットオレンジのボディカラーが眩しいスポーツカー――日産・フェアレディZ。Z33と呼ばれるモデルの前期型。最高グレードであるVersion STへと、戒斗は乗り込む。HK416を助手席シートに立てかけ、エンジンを始動。V型六気筒、DOHCのVQ35DEエンジンが唸りを上げ、その振動がシート越しに戒斗まで伝わってくる。
数分間のエンジン暖気の後、サイドブレーキを解除。クラッチを繋ぎつつ、シフトノブを操作してギアを一速へと入れ、アクセルを踏む。エンジン回転数を示すタコメーターの指し示す位置が一気に上がり、ボンネット下のエンジンが生み出す駆動力が六速MTのトランスミッションを経由して後輪へと伝わり、フェアレディZはゆっくりと、その鋼鉄の身体を動かす。
駐車場から出たフェアレディZの針路を、依頼人の待つ場所へと取る。到着まで生きててくれればいいが……。
戒斗は焦燥を心の内に隠し、車を走らせた。
早く助けに来て――通話の切れた二つ折り携帯を両手で強く握りしめた若い女性、斉藤 薫は、自身に迫リ来る危険の足音に対する恐怖に震えながら、河川敷、掛かっている橋の下で戒斗の到着を待っていた。
普通の会社員として働き、特に周囲と何も問題を起こさずに平凡な日々を送っていた彼女は、つい数時間前まで自分が命を狙われる立場になるなど思っても居なかった。しかし、何故か今はこうして、死の恐怖に震えながら、こうして助けを待っている立場になってしまっている。
(やっぱり、アレを見ちゃったのが原因なのかなぁ)
彼女は数日前、残業を終えて退社しようとしたところ、忘れ物に気付き、自分の部署に戻る途中で、ある光景を目撃してしまっていた。それは、自分の上司とそのまた上司とが、なにやら怪しげな、厳つい顔の、スーツを着た男達と妙な取引をしているところだった。その時彼女は、男達が持っていたスーツケースの中身、拳銃やら白い粉末の入った袋やらがチラッと見えてしまっていたのだ。
その後、彼女はなんとか命からがら、その場から逃げおおせたものの、目撃者が居たことは既にバレていた。何らかの手段を講じ、その目撃者が薫だと特定したのであろう――でなければ、こんな平凡な自分を殺しに来る筈がない。
彼女の隠れ潜む橋に近づく、数人の大きな足音。
来ないでと願う薫だったが、その願い空しく。スーツ姿の男が何人も、河川敷に降りて来てしまう。
「居たぞ! こっちだ! クソッ、手こずらせやがって」
男が叫ぶと、続々と、黒いスーツにサングラスを着けた、同じような格好の男達が迫り、薫の周囲をを取り囲む。手には自動小銃やら短機関銃やらが握られている。
「恨むんじゃねえぞ、取引を見ちまったテメェが悪いんだからよ」
ヘヘヘ、と汚い笑いを浮かべつつ、先程、薫を一番初めに発見した男は、両手に持つ自動小銃――旧ソ連製の傑作、AK-47の中国コピー品である56式自動歩槍の銃口を、薫のこめかみに押し付ける。
(ああ、私死ぬのか)
あらゆる恐怖の感情をを通り越し、ただただ、そんなことだけを考えて死の瞬間を迎えようとしていた薫。そっと目を瞑り、その瞬間を待つが、彼女の聞こえてくるのは命を刈り取る銃声ではなく、スポーツカーの大きなエグゾースト・ノートと、自分を取り囲むスーツの男達の困惑した声だけだった。
恐る恐る薫は目を開けると、河川敷近くの道路に止まった一台のオレンジ色のスポーツカーの中から降りてくる、一人の若い男の姿が見えた。
「誰だテメェは!? おとなしくすっこんでろこのタコ!」
今まさに、薫を撃とうとしていた男は56式の銃口の向く先を、たった今悠々と降りてきた男に変え、声を荒げ罵声を放つ。
「ギリギリ間に合ったか。待たせたな斉藤さんよ」
そう言い放つ男――戦部 戒斗は、助手席から取ったHK416のチャージング・ハンドルを引き、5.56mm弾を薬室に送り込んだ。
「舐めやがって! 野郎ぶっ殺してやる!!」
スーツの男は戒斗目掛けて容赦なく発砲。7.62mm弾は僅かに彼の頬を掠め、空を切る。
「一応正当防衛成立か? ま、んなこたどうでもいいか」
戒斗はセレクターを単発に合わせ、撃ってきた男の太腿に、フルメタル・ジャケット弾をプレゼントする。舞い散る自身の血でリボンを掛け、デコレーションを施されたその男は、撃たれた箇所を抑えて倒れ込む。
「この野郎ッ!」
回りの男達も一斉に発砲。戒斗は地を蹴って、一気に橋の基部まで走り、遮蔽物にして銃撃を耐える。鉛弾が基部のコンクリートや近くの土を抉り飛ばしていく。
一方の薫は、ただただ自分に当たらないことを祈って、その場に伏せているしかなかった。
「ッ! クソッ、斉藤さんこっちへ、早く!」
戒斗は手招きしつつ、連発でHK416を乱射。敵の視線を自分に釘付けにして、薫に極力、銃撃が向かないようにする。
「はっ、はいぃ」
怯えながらも戒斗の元へ向かう薫。何度か弾が近くを掠めたが、なんとか無事に彼の元へと辿り着くことが出来た。
「理由は後だ、とりあえずアンタはそこへ隠れててくれ!」
空になった弾倉を交換し、ボルトストップを解放して初弾を薬室に送り込むと、戒斗は斜め前方にある橋の基部の出っ張り、つまりは次の遮蔽物に向かって走ろうとする。
「野郎……ッ!」
しかし先程太腿を撃ち抜いた男が、震える手で自身の所持していた自動拳銃を発砲。弾は薫のすぐ真横に命中し、コンクリートを抉る。
「キャッ」
「しぶとい野郎だこと……!」
戒斗は走りつつ、単発で三発、撃ってきた男の脳天を狙って発砲。一発が命中し、頭蓋が抉り飛んだ。貫通した5.56mm弾が後頭部に穿った風穴から、鮮血と脳漿を垂れ流すその身体は、痙攣しながら地に伏せ、その周りにはどす黒い血だまりが形成された。
「ひッ……!」
「今時チャイニーズ・トカレフとは。結構アレな連中に目を付けられたかも分からんね」
あまりにグロテスクな光景に吐き気を覚える薫と対照的に、特に感慨も覚えず、ただ軽口を放つ戒斗。
「この程度の連中、トーシロにだって相手できるさ」
レシーバー上部のビカティニー・レールに取り付けた、四倍ズームのACOG光学サイトで狙いを付け、一人、二人と確実にその生命活動を停止させていく。
「ッ野郎おおおおおおお!!」
生き残った数人の男達は何を血迷ったか、銃を投げ捨て、粗末な短刀、所謂ドスを両手に握り締め、腰だめに構えて突っ込んできた。
「折角だ。良いことを教えてやろう」
数は四人。一番手前の奴を連発で始末。
「生き残るコツ。その四割は運だ」
弾が底を着いた。戒斗は立ち上がりながら、素早くHK416を投げ捨て、左脇のショルダーホルスターからミネベア・シグを抜き放ち、二人目の男に銃口を合わせ、両脚と右肩に三発放つ。スライドが激しく前後すると共に、9mmルガー弾の真鍮製空薬莢が宙を舞い、コルダイト火薬の爆ぜた反動が戒斗を襲う。
「しかし、真っ先に死ぬのはヤケを起こした奴からと、相場が決まってんだよ」
残りの二人の脚と肩を撃ち抜いて無力化。丁度最後の敵が倒れ込んだところで弾切れとなり、スライドが後退したまま止まった。
戒斗はフッ、と銃口から微かに出る白煙を吹き飛ばし、弾倉交換したミネベア・シグをホルスターに収め、投げ捨てたHK416を拾うと、薫の元へと歩み寄る。
「これで依頼は完了でいいか? 報酬の振込先は追って、アンタのとこに連絡するから。悪いが弾代は別途、経費ってことで頼む。後は警察に電話するなりなんなりご自由に。一応これ渡しておくから、警察には全部俺がやったって伝えてくれや」
戒斗は言いながら、懐から取り出した自分の名刺を薫の手に握らせる。
「あ、ありがとうございます……」
「それじゃ、今後とも『戦部傭兵事務所』をご贔屓に。困ったことがあったらいつでも、そこに書いてある番号に連絡して貰って構わないぜ」
あまりの光景に腰を抜かした薫は、立ち上がれず、仕方なくその場でお辞儀をする。それを背に戒斗は車に戻り、走り去っていった。
「凄い、人だったな……」
まずは警察へ連絡しないと。そう思い、薫は古典的な二つ折り携帯を開いた。
あのまま家に帰る予定だったが、そういえば家に食材が何一つなかったことを思い出した戒斗は行き先を変更。急遽、近くにあるスーパーへと向かった。
駐車場にフェアレディZを止め、入口へと向かう。そのまま入ろうかと思ったが、何やら人だかりが出来ているのに気付いた。気になった戒斗はそこを覗いてみることに。
「だから、アンタも協力しなさいっての!」
「離してくださいって言ってるじゃないですか!大体私は貴方達の行動に興味もなにもありませんし、協力する義理もありませんっ!」
どうやら最近話題になっていた、銃再規制を訴えるくだらない、お気楽なデモ団体に誰か絡まれているようだ。しかもその人物は――
「あー、その、琴音? もしかして俺、助けに入った方がいいのか?」
最近再開した幼馴染、折鶴 琴音その人であった。
彼女は戒斗を見るなり「助けろ」と視線で強く訴えてきたので、仕方なく間に割って入ることにする。
「あーはいはい。アンタらもその辺にしといてくれないかね? こちとらこの娘と、これからデートの約束があるんでね」
とりあえず、五十代ぐらいの婆の手から琴音の腕を解放してやる。
「何よアンタッ! アタシ達はねぇ、あくまでも平和のために――」
なんだか面倒くさそうな連中に関わっちまったなぁ。戒斗は心の底から辟易し、大きく溜息を吐き出す。
相手はよく分からん法被やらハチマキやら、痛々しいメッセージらしきモノが書かれた垂れ幕で身を固めた四~六十代ぐらいのジジババ連中で、その顔から既に面倒と言うか、ちょっとおかしな雰囲気を醸し出している。
「はいはい。これ以上この娘に絡むと俺の権限使ってサツに突きだしちゃいますよ。こんだけ証人居るんだから構わんだろ」
片手で傭兵手帳――”傭兵”の資格を持つ者に与えられる、所謂警察手帳的な奴を婆の眼前に手ヒラヒラさせ、言ってやった。
「アンタ傭兵ね!? アンタらのせいでねぇ、どんだけこの国の平和が――」
あまりに鬱陶しいのでそれ以上は聞き流すことにする。こういう輩は、マトモに話しを聞くだけ時間の無駄だと相場が決まっている。
「あーもう面倒だな。放っとけ放っとけ。琴音、もう行くぞ」
琴音の腕を掴み、半ば強引にその場を離れようとする。
「ちょっと待ちなさいよォ!」
先程琴音を掴んでいた婆が掴みかかってくる。適当にいなしてやったら、もう一人の爺が戒斗に殴りかかってきた。
「待てって言ってんだろ!」
咄嗟に琴音を背に隠し、殴りかかってきたジジイの拳を受け流し、合気道の要領で地面に張り倒す。
「チッ……人がいい顔してりゃこれかよ」
その反応が少しどころでないぐらい癇に障った戒斗は、ショルダーホルスターからミネベア・シグを抜き、片手で二、三発、地面と空中に威嚇射撃を行なう。
「平和だァ? 非暴力だァ? そいじゃあそこのクソジジイ、テメェが今やったのは何だ? ボケが進行するのは知ったこっちゃねえが、テメェら、それ以上やるってんなら、その足りねぇ皺だらけの頭、9mmでミンチにして、豚に喰わせてやる」
先程殴りかかってきた爺の脳天に銃口を合わせて戒斗は言う。すると、流石に恐怖を覚えたのか団体の連中は散り散りになって逃げて行った。
「よし、まあこの辺で良いだろ。行くぞ琴音」
ミネベア・シグをホルスターに収め、無駄弾使っちまったなとか若干後悔しつつ琴音の手を引いてスーパーに入ろうとする。
「ちょっ、ちょっと待ってよ戒斗!?」
困惑した表情で言う琴音。見る限り、目立った外傷は無いようだ。
「助けてやった報酬ってことで。ちょっと買い物付き合え」
その後、買い物を終え、琴音を自分のフェアレディZに乗せた戒斗。ちなみに、助手席に立てかけてあったHK416は、今では後部トランクの中で、冷えたスーパー袋の下敷きなっている。
「ったく、強引にも程があるわよ……」
助手席で、若干不満げに呟く琴音。
「あのまま絡まれ続けるよりは、幾分かはマシだったろ。あ、すまんがシートベルト締めてくれ」
戒斗は半笑いでそう返す。琴音がシートベルトを締めたことを確認すると、サイドブレーキを解除。ギアを入れてアクセルを吹かし、駐車場を出た。
VQ35DEエンジンの轟音と共に、回転数が徐々に上がっていく。カーステレオからは、戒斗の趣味である七〇年代のハードロックが絶え間なく流れていた。ふと時計を見てみれば、時刻は既に八時を回っており、辺りはすっかり暗く。夜の闇が一帯を支配していた。
「大体、なんで傭兵だってこと隠してたのよ。まずどうやって入学した? ウチの学園、確か在学中の傭兵資格取得は禁止だったはずだけど」
琴音が不機嫌そうに、戒斗に問うてきた。
「さぁな。気づいたら全部親父が手配済ませてたからな……俺にもその辺はよく分からんが。まあ稼ぎがゼロにならないのはありがたいことだ」
大方、かなり強引な手段を使ったに違いない。あの親父の事だからな。戒斗は心の内で、未だロスに居る父親の姿を思い浮かべる。
その後暫く、車内は沈黙に包まれていた。車内は、未だ色褪せぬ七十年代ロック・ミュージシャンの歌声で満たされている。
「そういえばさ、あの時も戒斗は助けてくれたよね。しかもたった一人で」
ぼそりと、今にも消え入りそうな声で呟く琴音。
「あの時?」
「十年前よ。確か私が上級生に囲まれてイジめられてた時にさ。戒斗はたった一人で突っ込んできてね、何故か撃退できちゃったんだけど。……その時言った言葉、覚えてる?」
その出来事は戒斗も覚えていた。理由は忘れたが、たまたま琴音が上級生達にイジめられて泣いている所に通りかかったんだった。それこそ今日遭遇したのと、同じように。
「あー、確かそんなこともあったな。ま、何言ったかなんてなぁ、当の本人、全く覚えてないけどな」
琴音はその言葉を聞くと、少し表情が曇ったが、すぐに元に戻って言った。
「……そう、なら別にいいや。今日はありがと。家あそこだから。そこで降ろして」
「ん? ああ、分かった」
戒斗は、琴音の指し示した一軒家の目の前で停車してやる。十年前、昔のままの琴音の家がそこにはあった。
「それじゃあ今日はありがと。また学校で」
そう言い残し、琴音はドアを開けて車を降りていく。
「ああ、また学校で」
戒斗はアクセルを吹かし、V型六気筒DOHC、VQ35DEエンジンの奏でるエグゾースト・ノートと共に走り去っていった。
(あの時、戒斗が言ってくれた『琴音は、俺が護る』って言葉、すっごい嬉しくて私、今でも覚えてるんだけど……当の本人が忘れてるんじゃ、どうしようもないわね……)
そんなことを考えながら、琴音も自らの帰る家へと入った。