月光の照らす夜、”放たれる雷鳴”
月の光が降り注ぐ夜、静かで人気のない埠頭の、とある倉庫横に一台の白いバンが停車した。停まるとすぐにバンはエンジンを停止させる。
「ふぅ。大体時間通りだな」
運転席に座る、ボサボサの黒髪が特徴的な男、戦部 戒斗は左腕に巻いた腕時計を見てひとりごちる。時刻は午後十時三十五分。
「後は現れるまで車の中で待機?」
戒斗の横、助手席に座る、桃色ツインテールの小柄な少女、葵 瑠梨が話しかけてくる。
「ああそうだ。二人から通信が入るまで待機だな」
言いながら戒斗はパワーウィンドウを操作し、運転席側の窓を開ける。空調の効きすぎた車内へと、生暖かい夏の外気が容赦なく流れ込んできた。
≪あーあー、戒斗、聞こえる?≫
無線機と繋げてある左耳のインカムから、琴音の声が聞こえてきた。瑠梨もビクリと驚いたように反応しているあたり、彼女に渡したインカムからも同じ声が聞こえてきたようだ。正常に動作しているようで少し安心した。
「おう、どうやら問題なさそうだな」
インカム本体の通話ボタンを押して、応答してやる戒斗。
≪なら良かった。私とリサさん、双方とも配置に着いたわ。もう監視体制に入ってるけど、今のところ誰一人居ないわね≫
「了解した。こちらも予定位置に到着。待機中だ。現れたら報告頼む」
≪分かったわ。それじゃあ≫
途切れる無線。その後車内に声が響くことはなく、戒斗と瑠梨、二人の間を静寂が支配していた。
「……あ、そういえば瑠梨?」
十分ほど経過した頃だろうか、何かを思い出した戒斗は唐突に話を切り出す。
「ん? 何よ」
半分眠りそうになり、こっくり、こっくりと舟を漕いでいた瑠梨はハッとして言葉を慌てて返してくる。
「こんなこと今更聞くのもアレだけどよ、親御さんは大丈夫なのか? 幾ら用が用ったって、こんな夜更けに外出したら何か言われるんじゃないか?」
幾ら天才ハッカー”ラビス・シエル”様とはいえ、実際は十代のか弱い女子学生。午後十一時近くにこんなどこの馬の骨とも知れない傭兵風情と出歩いてちゃ、何言われるか分かったもんじゃねえな。戒斗は後々することになる瑠梨の両親への対応を考えて顔面蒼白になる。クソ、いい感じの釈明が思い浮かばねえ。
「何言ってんのよ。私の親は両方とも海外飛び回ってるわ。だから殆ど一人暮らしみたいなもん。私言わなかったっけ?」
「言ってない。初めて聞いたぞソレ」
即答する戒斗。その特異な家庭環境に驚きつつも、下手な言い訳をせずに済んだと内心ホッとした。
「……昔は、両親と私と曽良の四人で暮らしてた。同じグループ企業で働いてるらしいけど、親の仕事内容なんて知らないし、知りたくもない。仕事のことで喧嘩ばっかりしてたもの。どうせロクでもないことに違いないわ」
俯き気味に呟く瑠梨。
「私が中学の時だったかな。曽良が殺されたのは。それ以降ただでさえ険悪だった両親の仲が更に悪くなってね。今じゃ互いを避けるかのように海外出張よ」
だから私の、本当に心の底から”家族”って言える人間は、曽良しか居なかった。続けて言う瑠梨。戒斗は彼女の言葉に黙って耳を傾けていた。
「……ま、その曽良も殺されちゃったから、私の”家族”はもう誰も居ないのかもね」
そうか。戒斗はただ一言、それだけ言う。窓の外に広がる空を眺めると、倉庫の陰から微かに満月が覗いていた。
「だったら、これから見つけていけばいい」
「見つけるって、何を?」
振り向くと、戒斗を凝視する瑠梨と目が合ってしまう。彼女の深い翠色の双眸に、思わず意識が引き込まれそうになってしまう。
思わず目を逸らした戒斗は、一度咳払いをしてから言葉を続ける。
「――お前の”家族”だよ」
「”家族”……?」
まるで意味が分からないと言わんばかりに瑠梨は聞き返してくる。
「親友、恋人、戦友……血の繋がりは無くても、確かに”家族”と呼べる人間は、必ず近くに居る。洋画なんかでよく見るだろ、窮地に立った時、背中を預けた戦友を”兄弟”って呼ぶシーンを。ああいうことだ」
――ああ、きっとそうだ。戒斗は、首から下げたネックレスに固定されている銃弾を左手で強く握りしめ、心の奥でそっと呟く。
「私には、もう”家族”なんて……」
弱気に呟く瑠梨。その頭にそっと左手を置いて、諭すように戒斗は呟く。
「……きっと居るさ。お前の、すぐ近くに」
ワシャワシャと桃色の髪を弄る戒斗の手を、瑠梨は顔を真っ赤にしながら必死に払い除けようとする。
「だ、だったらさ戒斗、アンタがその、最初の――」
≪戒斗、現れたわ。黒塗りのベンツが五台ずつ、東と西からそれぞれ向かってきている≫
瑠梨の言葉を遮るかのように、左耳のインカムから唐突に響く琴音の声。戒斗は聞くと、左手を瑠梨から放し、一気に表情と目つきが”黒の執行者”のソレに変貌する。
「了解した。標的の有無、護衛の数、装備を確認次第すぐに狙撃支援を開始してくれ。一発目の銃声と共に俺達が突撃する」
≪オーケー。出来る限り援護はするけど……戒斗、気を付けてね≫
任せておけ。自信ありげに言葉を返してから通話ボタンに手をかけ、交信を終えた戒斗は、ドアを開けて車外に出ようとするが、何故か気になって瑠梨の方を一度振り向く。するとまたもや、瑠梨と視線が交錯してしまう。彼女は固く、緊張した様子だったが、その双眸には確かに意志が滾っていた。
「分かってる。私は必ず成し遂げるから。後ろは任せたわよ、戒斗」
その言葉を聞いた戒斗は、フッ、と不敵な笑みを浮かべて言い放つ。
「――ああ、任せな!」
所変わって、とある廃ビルの一室。埃だらけの部屋の中で、琴音はこの間からずっとそのままにしておいたテーブルの上に伏せ、二脚を展開したスプリングフィールドM21自動小銃に載せたリューボルド社製の狙撃スコープ越しに、戒斗達の潜むバンからすぐ近くの倉庫の前に立つ、いかにも”ソッチ系”といった感じの厳ついスーツ姿の男達の姿を捉えていた。隣では、椅子に座ったリサが三脚に立てた単眼式のスポッティング・スコープを覗いている。
「おいでなすったな……琴音、射撃準備を」
言われた琴音は一度スコープから目を離し、安全装置を解除。銃右側面のボルトハンドルを操作。ターンロック・ボルトが独特の作動音を響かせ、弾倉から拾い上げた7.62mm弾を薬室に装填した。
≪標的の有無と敵の数、あと装備の報告を頼む≫
左耳のイヤホンから聞こえてくる戒斗の声。琴音はテーブル脇に置いた標的、武部 直人の写真を一度見てその顔を脳裏に焼き付けてから再度、スコープを覗き、確認を始める。
「……居た、武部よ。アイツの部下っぽい奴が七、八人。向かい側、丁度戒斗達に背を向けているのは……どこの奴らかしら? 取引相手だとは思うけど。ソイツらも同じぐらいね。装備は……リサさん分かる?」
琴音の言葉を聞いたリサはスポッティング・スコープの倍率を上げ、注意深く敵の観察を始める。
「はいはい、任されて。武部のクソッタレは特に目立ったものは持っちゃいねえ。あって拳銃だろうよ。他は……武部の部下は全員スコーピオンVz.61短機関銃持ちだな。取引相手もボスらしき奴は丸腰くせえが、護衛の奴らはAK-47の、多分中華製だ」
≪了解した。狙撃支援が開始され次第突入する≫
そこで、戒斗との交信は途絶えた。
「さて、じゃあどれから仕留めて貰おうか……よし決めた。折角だから、取引相手のボスから仕留めよう」
指定された標的をスコープ内に見据える琴音。
「風はほぼ無風。距離225m、高低差は大体5m」
リサの言う観測データを頭の中で整理し、適切な弾道計算。それに従って狙いを僅かにずらす。琴音は一度深く深呼吸をし、自己暗示の一言を、静かに、そっと呟く。
「――私の放つ”サジタリウスの矢”は、決して貴方を逃がしはしない」
瞬間、部屋内に響く7.62mm強装弾の轟音。ガス圧利用で自動的に排出された空薬莢がテーブルの上から転がり落ちる。
「命中。綺麗にヘッド・ショットだ。流石は私の弟子だな」
観測手であるリサがキル確認。琴音の放った、火薬を通常より多めに詰め込んだ強装弾仕様の7.62mmフルメタル・ジャケット弾は一撃でボスの頭蓋を粉砕したらしい。褒められた琴音は少し嬉しくなった。が、まだ気は抜けない。むしろここからが本番だ。
「よし、次は手前の奴、倉庫際の奴を狙え。戒斗達の道を拓くんだ――!」
琴音は冷静に狙いを定め、引き金を絞る。
遠方から響く、雷鳴のような轟音。それと共に、近くで怒号とざわめきが聞こえた。戒斗と瑠梨の二人は、バンから離れ、会合場所のすぐ近く、視界に入らなさそうなコンテナの裏に潜んで機を伺っていた。
「始まったか。瑠梨、離れないようにな」
戒斗は言いながら、突撃銃と見まがう大きな自動散弾銃AA-12のコッキング・ハンドルを引く。装着された巨大な円形ドラムマガジンから一発、12ゲージ散弾が薬室に送り込まれた。
「ええ、分かってるわ……」
瑠梨も、手に持った細身の自動拳銃スタームルガーMk.Ⅱのボルトハンドルを操作。
「よし――行くぞ!」
一気に飛び出す戒斗。転がり込むようにして敵の目前へと躍り出て、AA-12を連発で掃射する。毎分三百発の凄まじい速度で放たれる12ゲージ散弾は、数の暴力と言ってもいいだろう。三十二発装填のドラムマガジンから湯水のように散弾が消費されていく。
戒斗の目前に居た男達――恐らく琴音が言っていた、武部の取引相手の奴等だろう――は、ボスの突然の死にうろたえていたのか、動かずにその場に留まっていた。そこに現れた戒斗の放つ幾多の散弾によって、生き残った者達の肉体はズタズタに引き裂かれ、次々と絶命していく。惜しくも武部達は先に倉庫内に避難していたようだった。
「瑠梨、コイツを持っててくれ!」
目の前に居た敵を掃討し終えた戒斗は、景気良く撃ちまくって空になったドラムマガジンを取り外し、背後から付いて来ていた瑠梨に投げ渡す。彼女は目の前で繰り広げられた惨劇に吐き気すら覚えているようだったが、なんとか踏みとどまり、戒斗の投げたドラムマガジンをキャッチした。
すぐに新しい、今度は細身の八発装填箱型弾倉を装填し、再装填。道中立ちはだかった武部の部下達を散弾でなぎ倒し、逃げた先の倉庫へと一気に駆け抜ける。
倉庫の扉は、人一人通れる隙間しか開いていなかった。重苦しい鉄製の扉は、どう頑張っても人一人の力じゃ開けられそうにない。観念し、その隙間に戒斗は身を滑り込ませて倉庫内に入る。
「さぁ武部、出てこい! テメェの逃げ場なんぞ、もうどこにもありゃしねえ!」
倉庫は電気が点けられておらず、漆黒の闇が支配していた。辛うじて天窓から入ってくる月光が光源にはなっているが、焼け石に水もいいところだ。ここに武部が居ると踏んだ戒斗は、暗闇に向かって大声で叫ぶ。
「――逃げ場がない、ねえ……クックックッ、どの口が言うんだか」
どこからか、老けた男の笑い声が木霊してくる。
「テメェが武部かァ!? 引きこもってないで出て来やがれ! ここから逃げ出したところで、俺の仲間がテメェをブチ殺す!」
叫ぶ戒斗。しかし男の笑い声は止まらない。
「仲間ァ? 仲間ねぇ……もしかしてあの、スナイパーのことかな?」
「ああそうだ!」
「――ああ、それなら先程部下達を始末に向かわせたよ。そろそろ着く頃じゃないかなァ? クックックッ……」
まずい。戒斗の直感がそう告げる。半ば反射的にインカムの通話ボタンに手をかける戒斗。
「おい聞こえるか!? 武部のクソッタレがお前らに感づいた! すぐにそこから――」
≪……悪りいね、どうやら逃げきれそうにねえわ≫
戒斗の必死の言葉を遮り、聞こえてくるのはリサの声。切迫した状況だというのに、声色はひどく落ち着いて聞こえた。
≪階下で足音が聞こえた。もう建物に入ってるだろうな。まあある程度罠も張っておいたし、やるだけはやってみるさ。大丈夫だ、安心しなカイト。琴音だけは、何が何でも生かして帰すからよ。それが私の、リサ・フォリア・シャルティラールが最期に成す仕事だ。私が死んでも弟子は生かす。この技術を、後世に伝える為にな――!≫
その言葉を最後に、通信は途切れた。
「リサ、リサ!? なぁオイ、返事しやがれ!」
必死に呼びかけるが、これ以上反応は無かった。間違いない、リサは、死ぬつもりだ。
「畜生……!」
思わず悪態を吐く戒斗。すると闇の奥から、武部の一際大きな笑い声が響いてきた。
「ハッハッハッハッ! 馬鹿だなぁ、他人の心配をしている暇があるのかぁ?」
「……どういう意味だ!」
言葉通りの意味だよ。傭兵くん? 武部はなおも笑いながら、問いに答える。
眼を焼く閃光。突如として倉庫の天井から吊るされた電灯が一斉に点り、闇を消し去った。暗闇に慣れてしまった眼は、強烈な光に対応しきれない。思わず戒斗は左腕で目を覆う。
戒斗の眼がやっと光に小慣れてきたところで、覆っていた左腕を離す。すると目の前に広がっていたのは、信じられないような光景だった。
「クソッタレ……」
思わず悪態を吐き、庇うように瑠梨を自分の背に追いやる。周囲には、どこにこれだけ潜んでいたかというほどの、スーツ姿の男達。皆が皆、それぞれ銃を構えて、こちらに向けている。数は二十人を優に超えているだろうか。たかが15m程の至近距離、戒斗を中心とした扇状に、男達が立っている。それだけではない。数mの上、天井に近い位置にある作業用キャットウォークにも六、七人程が立って、こちらに銃口を向けていた。
「ハッハッハッハッ! どうだ、俺の言っていた意味が分かっただろう!」
戒斗達から見て目の前にある倉庫扉、つまりは先程戒斗が入り込んだモノの対面に位置する扉にほど近い位置に、奴は、”武部貿易”のボス、武部 直人は立っていた。
――残った弾は、AA-12が現在装填中の六発と、八発入り弾倉二つ。ドラムマガジンは使い切った。後はミネベア・シグが弾倉三つ分……瑠梨のMk.Ⅱを計算に入れたところで、どう考えても太刀打ちできる数と状況じゃない。正に、絶望的という言葉が相応しかった。あれから五分少々経つ。琴音とリサの状況も気がかりだが――今はそんなことを気にしている余裕は、どこにもない。
「残念だったなァ? ”ラビス・シエル”ぅ? 可愛い可愛い弟くんの敵をぉ、討てなくてぇ!」
背中越しに、瑠梨が怒りと絶望に身を震わせているのが分かった。この男、武部には”ゲス野郎”の称号が相応しい。ふと戒斗は思う。
「なーんて言ったっけぇ? あのクソガキ。まあいいや。いい声で鳴いてたなァ。最期までお前を呼んでたよ、”助けて、助けてお姉ちゃん”ってなァ! アハハハハハハ」
「――ッ!」
我慢の限界だったのか、瑠梨が戒斗の背中から飛び出して武部にMk.Ⅱの銃口を向ける。
「おぉ、怖い怖い。撃てるもんなら撃てばいい。ま、そん時には? お前と、お前のだーい好きな傭兵くんがぁ? ミンチになっちゃうけどねぇー! アッハハハハハ!」
必死の形相の瑠梨を、左手で押し留める。その翠色の瞳からは涙が、頬を伝って滴り落ちていた。
「教えてやろうかぁ? お前達が俺を襲いにくるってのはなぁ、”ある人”から既にリークされてたんだよぉ! ギャハハハハ! お前達はぁ、俺の罠にまんまと引っかかったってわけぇ! ざまぁねえなぁ! アーッハッハハハ!」
畜生、畜生! どうしようもねえのか! どうにかしてこの状況を打破する方法はッ! 俺は、俺はまだ、浅倉をブチ殺してもいねぇ! なのに、死ぬわけにはいかねぇんだよクソッタレ!!
「死になァ、”黒の執行者”ァッ! ここがテメェの墓場だァ!!」
武部の号令に従い、部下達は一斉に構え、銃口を戒斗と瑠梨の二人に向ける。人差し指がゆっくりと、引き金に近づいていく――




