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黒の執行者-Black Executer-(旧版)  作者: 黒陽 光
第三章:サイバーワールド・アヴェンジャー
15/110

広がる疑念、始まる”スナイパー・ブートキャンプ”

 終業式を翌日に控えた木曜日の昼下がり、戒斗は一人、自宅兼事務所の自室でリサから渡されていた資料に目を通していた。物音といえば、壁掛け時計の秒針が時を刻む音と、戒斗が時折資料のページを繰る音しか無かった。何故か。琴音が居ないからである。彼女は今頃、リサの下で狙撃の特訓でもやってるんだろう。

「ふむ……」

 あらかた読み終えた戒斗は、手に持っていた資料をデスクに放り投げて、何か引っかかったような表情を浮かべていた。何か、妙に辻褄が合わないような気がする。そもそもとして、日本政府が直接傭兵に暗殺依頼というのも何か変だった。情報提供者として挙がっている匿名のハッカー”ラビス・シエル”というのも妙だ。そもそも、政府機関がハッカーの情報なぞ信用するのだろうか? 依頼主と思われる政府機関担当者のメールアドレスしか、連絡先が書かれていないというのも気になる。

 リサの受けた依頼の内容は、単純明快だった。麻薬密売組織”武部貿易”の取引が今日から二週間後に行われるという情報をキャッチ。現場に訪れると思われる武部貿易の長”武部たけべ 直人なおと”を狙撃で始末して貰いたいとのことだった。

 戒斗はおもむろに、座っていたエルゴノミクス・チェアから立ち上がり、窓越しに外を眺める。何のことない、いつもの風景だった。ポケットからスマートフォンを取り出して、電話帳から香華の番号を呼び出してコール。左耳にスマートフォンを押し当てる。

「香華か? 少し調べて貰いたいことがある――」





 同時刻、とある高層マンションの屋上に二つの影があった。内一人は、ショートカットに切り揃えた金髪を吹き上げる風になびかせている。彼女の名はリサ・フォリア・シャルティラール。超一流の狙撃手が立っていた。隣の影は、少し前まではごく普通の女子学生だった少女、折鶴 琴音。二人とも、背中にはライフル入りの黒いドラッグ・バッグを背負っていた。

「ところで琴音、あの鉄塔は大体ここから何mの距離だと思う?」

 リサは視界内にある、一番手近な送電用の鉄塔を指差して言う。えっと……どうだろ、大体100mぐらいかな?

「ほう、そうか。私は150mぐらいだと思うが、どうかな?」

 見てみな? とリサが琴音に手渡したのは、双眼鏡だった。しかし単なる双眼鏡ではない。狙撃補助用の米ブッシュネル社製のレーザー距離計だった。距離計越しに鉄塔を捉えて距離を計測してみると、153mと表示される。

「そうだろ? 今はそういう測量計があるから楽だけども、世の中にはレーザー警報機ってのもあるしな。やっぱり、昔ながらの測量方法を身に着けておいた方がいい。その距離計は琴音にやるから、普段から持ち歩いて、あれは何m、それは何mってアタリを付けてから測るのを繰り返すんだ。そうやって感覚で覚えていって、眼の中に定規を作っていくことだな」

 リサは視える様々な建造物を指差しては、何mと目測で距離を宣言する。驚くべきことに、琴音が距離計で測ってみると、全て少しの誤差しかなかった。

「わぁ。凄いですね、リサさん」

 琴音は思わず、感嘆の声を上げてしまう。

「慣れだよ、慣れ。こんなのは練習次第で誰でも出来るようになるさ。それより琴音、一度構えてみてくれるか?」

「え? あ、はい」

 背負っていたドラッグ・バッグを床に降ろし、中に収納していたボルトアクション・ライフル、レミントンM700を取り出す。既に狙撃用スコープが取り付けられたソレを、琴音は特に何も考えずに構えてみる。その姿を眺めていたリサは、賞賛の拍手を琴音に贈った。

「やっぱり、琴音は天才かもしれんな」

「どういう、ことなんです?」

「自分の構えをよく見てみろ。筋肉じゃなくて、骨と姿勢で支えているだろ?」

 確かに、言われてみればそうだ。別段意識したわけではないが、腕の筋肉にそれ程負担をかけない構え方になっている。

「本来、銃というのは射撃姿勢の骨格で支えるモノだ。トーシロはすぐに腕の力で構えようとするが、それは時と場合にもよるが、原則間違いだからな。だからこそ、競技射撃の世界においては女性の方が優秀なシューターが多い。何故かって? 野郎みたいに筋肉が無いからな。骨格で構えることにそれ程抵抗がないからさ」

 構え方にも色々あるから、それは追々教えるけども、構えたその感覚をまずは忘れないようにな。リサは続けて、そう呟いた。





「はい、それじゃあ解散。くれぐれも気を付けるように。それじゃあ良い夏休みを」

 担任から告げられる、解放宣言。夏休みという、束の間の自由を手にした生徒達は、皆どこか上機嫌に見える。まあごく一部の、遠藤なんかは除いて、だが。

「戦部ぇぇぇ~、助けてくれぇぇぇ」

 死にそうな目で戒斗の机まで近寄り、他人の机にも関わらず突っ伏す遠藤。そういえばコイツ赤点取ってたんだった。補習と追試の煉獄へようこそ。

「何を助けろってんだ」

「数学だよ、数学ぅ。一番追試通らなさそうなんだよ頼むよ~、教えてくれぇぇぇ」

 戒斗の身体が小刻みに震えている。表情は終始真顔。

「なぁ遠藤?」

 不自然なぐらいの猫撫で声を発する戒斗。

「なんだぁ? もしかして、教えてくれる気になってくれたのか!?」

「――それは何の嫌味だァァァッ!!」

 他人のこといえないぐらい赤点ギリギリの超低空飛行で追試を免れた戒斗にとって、遠藤の発言は傷口から塩田に投げ込まれるのと同義だった。気づけば、遠藤の華奢な肉体は宙を舞っている。

「あ痛ァ! オイ戦部ぇ! 何も投げるこたぁねえだろ投げるこたぁ!!」

 背中からリノリウムの床に叩きつけられた遠藤が叫ぶ。

「うるせえ、俺は手伝わんぞ!」

 吐き捨てた戒斗は、琴音を連れてさっさと教室を後にしてしまった。背後で薄情者ぉ! とかなんとか、遠藤の悲痛な叫び声が聞こえたような気がしたが、きっと気のせいだ。

「なんか最近、遠藤が投げられてるところしか見てない気がするのは私だけかな」

 琴音が呆れ気味に呟いている。きっと気のせいだ。と適当に返しておく。

「そういや琴音、リサに山籠もり連行されるのって今日だったか?」

「あーうん。一週間ぐらいで帰ってくる予定だけどね」

 なんでも狙撃手としてのノウハウを叩き込むとかなんとかで、近くの山に琴音を連れていくらしい。ま、リサが一緒なら大丈夫だろう。

「そうか、気を付けて行ってこいよ。リサには、依頼の件はこっちで調べておくから、そっちに集中してくれていいって伝えておいてくれ」





「まず、何よりもしなきゃいけないのが”偽装”だ」

 戒斗のマンションから少し離れた場所にある山の中。そこにリサと琴音の二人は居た。今は川岸の岩場に布とパイプで作られた椅子を置いて、そこに座っている。

「とにかく、自然と、周囲の環境と同化することだ。狙撃手が敵に居場所を気取られることは、即ち死を意味する」

 熱弁するリサの姿は、いつものライダース・ジャケットではなく、ウッドランド迷彩の施された野戦服だった。傍らにはいつものウィンチェスターM70。琴音も同様の野戦服を身に纏っている。

「具体的にはどうすれば?」

「まずはこれだな。ギリースーツって奴だ」

 言うとリサは、持ち込んでいた大きなボストンバッグから葉っぱが大量についた合羽のようなモノを取り出す。これはギリースーツ。草木を身に着けることによって、周囲とほぼ完璧に同化することのできる究極の偽装具。ハンターや狙撃手達が長い時をかけて編み出した技の一つだ。

「まあ、身体の偽装については追々話していこう。問題はコイツだ」

 リサは置いてあった愛銃、ウィンチェスターM70を持つ。

「何が問題なんです?」

「直線だ」

「直線?」

 琴音はイマイチピンと来ていない様子。直線のどこが問題なのか。

「自然界において、直線とは異質なモノだ。特に人間の目は、直線を見分けることに長けている。発見のリスクを極限まで抑えるためには、銃自体にも気を使う必要がある」

「具体的には?」

「そうだな、例えば迷彩柄の銃用カバーを加工したり、銃自体に迷彩塗装を施してしまったりとかな。適当な、現地の植生に合った葉っぱなんかを括り付けるのも重要だ」

 植生という意味で言えば、ギリースーツも現地で自作するのが一番良いんだけどな。リサは言葉を続ける。

「ところでリサさん? 前から気になってたことがあるんですけども」

「なんだ?」

 琴音は、リサの持つウィンチェスターM70を見据えて言う。

「その銃って、見るからに相当年季入ってるじゃないですか。やっぱり、何かこだわりとかあるんですか?」

「こだわり、こだわりか……フッ、確かにそう言えるかもしれないな」

 リサは目を細めて、天を仰ぐ。昔を懐かしむかのように。

「コイツはウィンチェスターM70の中でも、名銃中の名銃と言われているPre64って奴だ。Pre64ってのはベトナム戦争の特需を狙った大量生産でコストダウンが行われた結果、品質が大暴落して駄銃になる前の、堅実な造りのM70のことな。ハンターだった祖父が使ってた奴さ」

 彼女の持つM70、見れば見るほど、何か引き込まれるような魔力があるように琴音は感じる。木製の銃床ストックに刻まれた細かな古傷が、この銃が駆け抜けた歴史の重さを物語っている。

「お祖父さんの、ですか。今はどうしてるんです?」

「死んだよ、何年か前にな」

 ハッとする琴音。話題を間違えたと後悔するが、時すでに遅し。

「別に構わない。確かに死んだ時は悲しかったけどな、祖父の磨き上げてきた技術は確かに、この私が継承している。この技の中で、祖父は生き続けているんだ」

 時折腰のピストルベルトに着けたキャンティーンから水を口に入れながら、リサは口元を綻ばせて語る。

「祖父はベトナム帰還兵でな。元々ハンターだった祖父は狙撃兵をやってたらしい。かの有名なカルロス・ハスコックみたいな伝説級では無かったがね。それでも一流の狙撃兵だったのは確かだ。ちなみに私はハーフなんだが、十歳までは日本に住んでた。ある日突然両親が死んでから私はアメリカに渡って、祖父と二人暮らしさ。そこからずっと、死ぬまで私に技術を伝え続けた。今にして思えば、両親が居なくなった私みたいな孫に何か遺したかったのかもしれないんじゃないか。私は常々そう考えてる」

「……どうして、私を弟子にしようと思ったんです? 戒斗からは、リサさん弟子を取ったことなんか一度もないって聞いてましたけど」

 琴音は、ここ数日ずっと疑問だったことを思い切ってリサにぶつけてみた。どうも納得がいかなかったのだ。今まで一度も弟子なんぞ取らなかったリサが、突然自分みたいな素人を弟子にしたがることが。

「それか。それなんだけどな……そこんとこ、私自身よく分かってないんだ」

「はい?」

 思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。

「いやまあ、なんていうか。最初にレニアスのとこで撃って貰っただろ? アレホントは程度を見て、折角私が来たんだし少しぐらい護身の術を教えてやろうと思ってやらせたんだわ。だけどまあ、構えた姿を見てたらビビッ! と来てな。見たらアホらしくなるほど正確に当ててるじゃないの。一目で分かった。才能があるって。ひょっとしたら私以上になれる逸材かもしれないって思ったからこそ、こうして技を伝授してるわけよ」

 リサは言うと、立ち上がる。

「さて、話してばっかでもアレだしな。百聞は一見に如かず。誰が言ったか知らないが、良い言葉じゃないか。狙撃だってそうだ。知識だけあっても経験だけじゃどうしようもない。とにかくいっぺん試してみようぜ」

 丁度いい、今日の晩飯だ。あの兎を撃ってみろ。リサが指差す先には、一匹の白兎が居た。

「あれを、撃てば?」

「ああそうだ。動物は人間以上に敏感だからな。少しの変化でも、すぐに感づかれる。最終的には、自分の上で動物が気づかずに昼寝するぐらいにならないとな。まあいい。とにかく撃ってみるといい」

 琴音はボルトハンドルを前後させて弾を薬室チャンバーに送り込んでから立射の姿勢で構え、右眼でスコープを覗く。スコープ内に彫られた十字のクロスヘア、その縦と横の線が重なる中央の位置に、白兎の姿を捉えた。幸いにも動いていない。琴音はゆっくりと、確実に引き金を絞り、発砲。

 当てた。そう琴音は信じて疑わなかった。しかし、白兎は無傷。代わりに地面が少しだけ抉られていた。

「やっぱりか……!」

 隣に立つリサは素早くM70を構え、数瞬の内に狙いを定めて発砲。逃げ惑う白兎の肉体を見事、.30-06弾は射抜いていた。

「琴音、重力って分かるよな?」

 排出した空薬莢を手で掴み、ポケットに突っ込みながらリサが言う。

「ええ、それぐらいは」

「そう、重力はこの地球上の万物に働く。勿論弾にもな。今琴音は、クロスヘアの中央で狙ったか?」

 首を縦に振って、肯定を示す琴音。

「何mで零点補正ゼロインしたのかは忘れたが、距離次第で狙う位置を少しズラさきゃならん。多分だが、少し上を狙わなきゃならなかったんじゃないか?」

「多分、そうですね。見たら地面に当たってたんで」

「なら確実にそうだな。調整した距離次第だが、必ずしも中央で狙えば当たるとも限らないってことだけ覚えといてくれ。目標までの高さ、気温、風向と風速、弾頭質量、地域によっちゃコリオリ力まで計算に入れて調整しなきゃならないからな。追々教えていくけど、狙撃ってのは綿密な計算で成り立ってるってことだけ頭の隅に置いておいてくれればいい」

 さて、今日の晩飯を捕獲に行かなきゃな。リサはそう言って、先程射殺した白兎を回収しに歩いて行った。





 琴音がリサと山籠もりを始めて、数日が過ぎたある日。戒斗は自室で情報収集に明け暮れていた。資料にあった謎のハッカー”ラビス・シエル”についてだ。

 ここ数日ずっと調べているが、どうもこの”ラビス・シエル”って奴はキナ臭い。何度も各国政府機関に侵入しながらも、特に何をするわけでもなく、ただ一つ、自分が侵入した証としてテキストファイルを一つ残すだけだそうだ。戒斗の率直な感想としては、おかしな奴だ。そんな奴が何故政府の依頼書で名が挙がる? 情報リークにしたって、わざわざハッカーの名前を入れておくのはどうも気になるところだった。

 一息ついて紅茶でも淹れようとキッチンに向かおうとしたその時、デスクの上に置いておいたスマートフォンがやかましい着信音と共に震える。香華からの着信だ。戒斗は慌ててスマートフォンを拾い上げ、電話に応答する。

『――あ、戒斗?』

「ああ、そうだ。どうだ? 何か分かったか?」

 戒斗は先日、香華にある調査を依頼していた。西園寺家の力に頼るようでなんだか申し訳なかったが、仕方ない。

『うん、その件なんだけど――その依頼主、内閣府の田中さん、だっけ? 調べてみたけどそんな人は、存在しなかったわ』

「存在しない? 一体どういうことだ?」

『まず田中さんって依頼主さん自体が存在しないのよ。つまりは全くのでっち上げ』

「ますます怪しくなってきたな」

 こりゃ依頼降りて貰った方が良いか。そう思って通話を終えようとした時、香華が思い出したかのように話し出す。

『ああそうだ戒斗。そのハッカーくん……”ラビス・シエル”だっけ? 結構有名みたいよ? ハッカーの義賊だってネット上では評判みたい』

「義賊ぅ?」

 ハッカーに義賊もへったくれもあるものか。

『汚職を暴いてみたり、某国の密輸ルートを全世界に後悔したりとかね。とにかく凄いらしいわよ?』

 ああ、そういうことね。確かに義賊といえばそうかもしれないな。ハッキングに義もクソもあったもんじゃねえと思うが。

 ――政府から、という偽の依頼。存在しない依頼人。メールアドレス一つしかない連絡先。義賊と称えられるハッカー”ラビス・シエル”。戒斗の頭の中で、点と点が一本の線で結ばれる音がしたような気がした。


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