突然の来訪者、覚醒する”ホーク・アイズ”
ある日の放課後、戒斗は一人、西園寺家を訪れていた。今回は駐車場までは自分のスポーツカーで行き、そこから高野の案内でいつもの応接間へと通されることになっている。
爆音を響かせながら疾るサンセットオレンジのスポーツカーは、巨大な鉄製の門の前で止まる。数度訪れて、すっかり顔馴染みとなったPDW、P90を肩から下げた門番と一言二言交わし、門を開けさせる。顔パスに近かった。
門番達を尻目に、スポーツカーを走らせる戒斗。地下駐車場に行き、適当なスペースに駐車する。相変わらずの超高額スポーツカー倉庫だ。しかし、肝心の佐藤の愛車が無かった。どうやら今日は居ないらしい。この間見れなかった分、じっくり見させて貰おうと思っていたのだが。戒斗は残念だと言わんばかりに大きな溜息を吐き、スポーツカーのエンジンを停止させてドアを開け、車外へと躍り出る。エレベーターの方を見たら、西園寺家の執事、高野が居た。
「お待ちしておりました。どうぞこちらへ」
相変わらずの、温厚な笑みを浮かべて高野はエレベーターへと案内する。
パネルを高野に操作され、扉が閉じて上昇を始めるエレベーター。気が付かなかったが、このエレベーター自体にもかなり上品な内装が施されている。全面金メッキみたいな成金丸出しの下品な内装ではなく、パッと見普通の、しかし要所要所に趣向が凝らされたモノだった。流石にセンスが良い。
目的の階まで上昇し、ドアが開く。高野の先導で、応接間の前まで通された。途中何度か家政婦らしき女性とすれ違ったが、皆そこそこ美しかった。すげえ、この世界にメイドさん雇ってる人間なんて実在してたのか。
「お嬢様、戦部様がいらっしゃいました」
「ありがとう高野、通してくれる?」
高野が扉越しに呼びかけると、中から若い女の声。間違いない、この声は西園寺 香華その人の声だ。
中に通された戒斗が見た彼女の姿は、いつもの美しいドレス姿ではなく、武骨なBDU、所謂野戦服に身を包んだ香華の姿だった。陸自Ⅲ型迷彩のパターンが施されたソレと、履いているジャングル・ブーツはところどころ薄汚れていた。彼女にこういう姿は……まあ似合わないことはないが、いつものドレスのが何倍も似合うなと戒斗は心の内で呟く。
「ん? ああ、この格好? 申し訳ないけど、着替える暇なかったのよ。さっきまで佐藤に稽古付けて貰ってたし」
香華が、恐らく戒斗の知人の中ではトップクラスの大きさを誇る胸を誇らしげに張りながら言う。
「ああ、まあ別に構いやしないが。稽古だって?」
「そうよ。護身術の稽古して貰ってるの。格闘術から小火器の扱い、ナイフ一本でのサバイバル方法までね」
そういえば佐藤は元陸自だったんだな。よく見れば、香華の腰に巻かれたサスペンダー付きのピストル・ベルトには様々な装備が着けられている。レッグホルスターは勿論のこと、ナイフシース、医療器具ポーチ、マップポーチなどなど。よく吟味された、必要最小限の装備が着けられていた。
「頑張ってるみたいだな。ところでその佐藤はどうしたんだ? さっき見たら車が見えなかったが」
「ん? 佐藤ならもう帰ったわよ。どうしても調達しなきゃならないモノがあるんだって。立ち話はこの辺にして、本題に入りましょう?」
促されて、戒斗はソファに腰かけた。香華は棚から幾つかのクリアファイルを取り出してから対面のソファに座り、予めテーブルに置いてあったノートパソコンの電源を入れる。
「……で? 成果はどうだった?」
香華は苦い表情を浮かべて、クリアファイルの一つから数枚の書類を取り出して、戒斗の前に並べた。
「単刀直入に言って、殆ど手がかりは無し。精々襲撃犯の死体は全員元スペツナズのロシア人ってだけ。よくこれだけ集められたと思うけど、所詮はよく居る除隊軍人の傭兵だわ。浅倉と、その背後に居る奴らに関する情報は一切なし。こんなことなら一人ぐらい生かしておくべきだったわね」
戒斗は浅倉やその周辺人物に関する調査を香華に依頼していた。今日はその結果報告というわけだ。西園寺グループの力を使って、その後警察によって港に引き戻された豪華客船”龍鳳”の調査をして貰っていたのだ。
「そうか……そういえば、あの忍者に関することで何か分かったことは?」
「それも申し訳ないんだけど、身元関連の情報は掴めなかったわ。ただ、切断された物体を調べたんだけど、戒斗の予想通り。高周波ブレードの切断面で間違いないみたい」
忍者――龍鳳で襲い掛かってきた正体不明の手練れについても調査して貰っていたのだが、こちらも収穫無しか。少しは手がかりが残されていると思っていたのだが。
「それで、日本全国に居る忍者の血族についても調べてはみたんだけど……」
香華は言いながら、ノートパソコンを数度操作してから、画面を戒斗の方へと向ける。
「これは?」
「全国に居る、所謂”忍者の末裔”の数。凄いでしょう?」
ノートパソコンのタッチパネルを操作し、名簿ファイルを下へとスクロールさせていく。……凄まじい数だ。三分の一までスクロールさせたところで、頭痛がしてきた戒斗は見るのをやめた。
「これで振り出しに戻る、か。悪かったな。苦労かけちまって」
困った、といったように頭を引っ掻きながら立ち上がる戒斗。
「謝らなきゃいけないのはこっちよ……ごめんね、何の手助けも出来なくて」
申し訳なさそうな顔でそう言いながら、見送ろうと香華も続いて立ち上がる。横目でその姿を見たら、何か違和感を感じた。
「いや、別に構わないさ。ところで香華?」
「なに?」
「撃鉄が起きたままになってるぞ。暴発して脚ブチ抜きたくなけりゃデコックしとけ」
香華はハッとして、右太腿に着けたシェルパ・ホルスターからシグ・ザウエルP239を慌てて抜き、グリップ右側にあるデコッキング・レバーを操作。恐らく佐藤と稽古している時に使って起こしっぱなしであっただろう撃鉄を安全な位置に戻した。
「気を付けろよ? 暴発で死ぬなんて、笑い話にもなりゃしねえんだからよ」
それだけ言って、戒斗は一人、応接間を後にした。
「あ゛ぁ~……暑ちぃ……」
翌日の昼前。戒斗は教室の座席で、暑さに悶えていた。教卓の前では数学教師が何やら数式の羅列を延々黒板に書きながら、何かを喋っているが、戒斗の耳には入らない。
一応教室内にはクーラーが付いているのだが、そのクーラーユニットは丁度戒斗の真上に設置されている。ただでさえ冷風が来にくい席の位置で、なおかつ窓越しに容赦なく戒斗を突き刺す太陽光線のせいで暑くて仕方がない。一応窓を開けてはいるのだが、来るのは生暖かい風のみ。焼け石に水にも程がある。
ふと、腕時計を見る。授業終了まであと十分弱。この暑さに耐えきれる気がしなくなってきた。玉の汗が額から滴り、机に広げていた何も書かれていないノートへと落下して小さな染みを作る。
「あー、それじゃあこの式、誰かに解いてもらおうかな」
戒斗はぎょっとして黒板を見る。一言で言えば、理解不能だった。あんなもん解けるか。視界内に居る生徒達も、同じような反応を見せている。まあただ一人、遠藤とかいう例外は居るが。このクソ暑い中呑気に寝てやがる。
「それじゃあ、えーと……葵、これ解いてみろ」
はい、と言って立ち上がる女子生徒は、学年トップの成績を維持し続けている、正真正銘の秀才少女、葵 瑠梨。彼女は桃色のツインテールを翻して、黒板の前に立ち、白いチョークで解答を書き連ねていく。
「――これでどうですか」
「ああ、流石だな。正解だ」
教師の感嘆をよそに、特に嬉しそうな顔をするでもなく、無表情のまま自分の座席へと戻っていく葵。丁度彼女が席に座ったタイミングで、授業終了を告げる鐘が鳴った。
「丁度ここで終わりか。それじゃあ号令」
学級委員の号令に従い、起立し、礼をする生徒一同。数学教師はそれが終わるのを見届け、そそくさと職員室へと帰っていった。
「さっさと夏休みになってくれねえもんかね……ん?」
立ち上がったまま、身体を伸ばしていた戒斗のポケットが震える。その震えの正体は、スマートフォンだった。取り出し、画面を見ると着信が来ている。応答ボタンをスライドし、電話に出る戒斗。万が一仕事関連だった場合に備えて、他の無関係な生徒達に極力聞こえないように、窓から半身を乗り出してスマートフォンを左耳に当てる。
「あーはい、戦部ですが? どちら様で?」
『よぉカイト。久しぶりだな』
電話の向こうから聞こえてきたのは、女の声だった。戒斗はこの声に聞き覚えがある。一気に顔から血の気が引いていくのが分かった。
「ッテメェ、まさかリサか!?」
『ご名答。そんなに驚かなくてもいいだろ。一応事前に、話は通しておいたんだからな』
「ああ! だがお前が日本に来るのは週末のはずだろ!?」
『気が変わってね。一応生まれ故郷なんだし。たまには観光も良いと思ってな』
……この女、相変わらず滅茶苦茶な性格してやがる。これで超一流狙撃手だってんだから世の中分からねえ。
「大体なんで俺の携帯番号知ってんだよ」
『ああ、来る前におっさんから聞いといた』
”おっさん”とは恐らく親父、戦部 鉄雄のことだろう。あのクソ親父、人の携帯番号ホイホイ他人に教えやがって。
『ところで戒斗? お前の目の前に何が見える?』
「ハァ?」
目の前といっても、別に変わりない、いつも通りの風景だ。
「なんもありゃしねえ。普段通りだ」
『そうか。ならそこを動くなよ?』
その言葉が聞こえた直後、戒斗が身を乗り出している窓のすぐ真下の外壁が抉れる音がした。ギョッとして見ると、小さな弾痕らしき痕が付いている。まさか、と思って十数m向こうにある、学園への通り道にあった高速道路インターチェンジに通じる坂道を見ると、一台の赤いバイクに跨った人の姿が見えた。
「……なぁリサ? 俺の勘違いじゃなけりゃ、今インターの辺りからバイクに跨った奴が撃たなかったか?」
『ああ、残念ながら勘違いじゃないね』
……気のせいであって欲しかった。あのバイクに跨った人間こそ、世界でも数少ない狙撃を主とする傭兵、リサ・フォリア・シャルティラールその人のようだった。
『折角日本に来たんだ。カイト、ちょっとこれから付き合え』
「無茶言うんじゃねえ! 今学校だぞ!?」
戒斗がスマートフォンに向かって叫ぶと、またもや外壁が抉れる音がした。
『え? 聞こえなかったからもう一度言ってくれるか? 馬鹿なこと抜かしやがったら手が滑ってガラスやら色々ブチ抜いちまうかもしれんなぁ?』
クソッタレ。この女はいつもこうだ。この強引な性格は相変わらず治っちゃいねえようだな。戒斗は心の内で悪態を吐くと、溜息交じりに「ああもう、分かったから校門近くまで来い」と一言告げて、通話を切った。
スマートフォンをポケットに仕舞い、スクールバッグを担いで戒斗は教室から出ようとする。
「え? ちょっと戒斗、どこに行く気よ!?」
琴音が驚いたように背後から引き留めてくる。
「悪りいな。今日はフケるわ。帰りは迎えに来るから安心してろ」
それだけ告げて、戒斗は一人、教室を後にした。
「よぉカイト。久しぶりだな。半年ぶりぐらいか?」
校門まで歩いてきた戒斗に、真紅のバイクに跨った女が、屈託のない笑顔で話しかけてくる。日本人の血が混じった洋風の顔に、ショートカットに切り揃えた金髪は異様な程マッチしていた。茶色の革製ライダース・ジャケットをよく着こなしている。
「知らねえよ。相変わらずだなお前は。真昼間から人に至近弾ブチ込むとか、遂に頭イカれちまったかリサ?」
戒斗の言葉に、私とお前の仲だろ? と返すこの女こそ、超一流狙撃手、リサ・フォリア・シャルティラールである。
「さぁね。私がイカれてようがイカれてなかろうが、知ったことじゃないね」
「ところでリサ、減音器でも着けてたのか? 音も発砲炎も何もなかったが?」
その言葉を聞いて、リサは待ってましたと言わんばかりに背負ったガンケースから一挺の自動小銃を取り出して、戒斗に差し出してきた。
「ほう、ベレッタCx4の……コイツは9mmルガーモデルか」
リサから受け取った、拳銃弾を発射する自動小銃という一風変わったソレを眺める戒斗だったが、銃口に謎の物体が着けられていることに気づく。これは……ペットボトル?
「ん? ああ、ソイツは廃品利用の即席減音器さ。便利だろ?」
リサが胸を張って、誇らしげに言った。瞬間、ゴムマリみたいに大きい胸がたゆん、と上下に揺れる。
「へぇ……確かに拳銃弾ならこれで十分かもな。それにしてもリサ、その、なんだ……相変わらずだな、そのデカい胸」
眺め終わったCx4を戒斗から突き返されたリサは、妖艶な笑みを浮かべてわざと胸を揺らしてみせる。
「んん~? カイトぉ、そんなに揉みたいのかぁ?」
「なわけねえだろうが」
「そんなこと言って、ガッツリ見てたじゃないかぁ」
いやいや、そんなバカみたいにデカい胸揺らされたら誰でも見ちまうわ。
「見たくて見たわけじゃねえよ。大体ソレ、狙撃の邪魔にならねえのか?」
「ああ、気にしたこと無かったな。最初からこんなんだからな!」
全国のまな板連中に全力で謝ってこい。
「なぁリサ? 観光目当てなんだろ? バイクじゃ移動しづれえし、一旦俺のマンションに行って車取ってこようぜ」
「ん? 分かった。ホラ後ろ乗りな?」
リサはヘルメットを被りながら、予備のヘルメットを取り出して戒斗に投げつけると、バイクのエンジンを始動させた。250ccのエンジンが唸り、軽快なエグゾースト・ノートと共に排気ガスを大気中に撒き散らす。戒斗もヘルメットを被り、リサの後ろに跨った。
「さぁ、行くぜ! しっかり捕まってな!」
アクセルを吹かし、前輪を持ち上げるリサ。豪快にウィリーしたバイクから振り落とされそうになる。前輪が着地した衝撃が、若干サスペンションで緩和されつつも重く伝わる。そのまま、リサの駆る真紅のバイクは疾走していった。
「――へぇ、コイツがカイトのか。良いのに乗ってんじゃない」
所変わって、戒斗の住むマンション、その駐車場で、リサは戒斗の愛車であるサンセットオレンジのスポーツカーを眺めて感嘆の声を上げていた。そりゃそうだ。俺の数少ない趣味の一つなんだからな車弄りは。
「ボンネット開けてくれるか? 見てみたい」
分かった分かった。戒斗はそう言ってボンネットを跳ね上げてやる。中から現れたのは、ピカピカのV型六気筒DOHCエンジンが搭載されたエンジンルームだった。リサは目を輝かせて凝視する。
「流石カイトだな! 良く整備が行き届いてる。車も喜んでるだろうよ」
「だろ? 俺を舐めるんじゃあない。整備は常に万全。いつでもベスト・コンディションだ」
「ところでカイト、過給器は積まないのか?」
ああ、と戒斗は答える。確かに少し前まではスーパーチャージャーを積もうと考えていたが、今はもうその気は薄れてきている。過給器の前にウィングやら色々着けないと、車体の方が悲鳴を上げると察したからだ。
「ターボは? ツインターボは積まないのか?」
「俺の好みじゃねえ。それよりリサ、観光したいんだろ? そろそろ乗ってくれ。琴音も迎えに行かなきゃならんしな」
もっと見たそうなリサを半ば無理矢理抑えて、ボンネットを閉める。不服そうな顔を浮かべていたリサだったが、助手席に乗った途端すぐに機嫌を直してインパネ周りを眺めている。戒斗もドアを開けてドライビング・シートに座り、エンジンを始動。高排気量のエンジンが唸りを上げて、後部チタン製マフラーから重厚なエグゾースト・ノートを濃い排気ガスと共に外界へと放つ。
「なぁカイト?」
エンジン暖気の為に発進を待っていると、リサが突然話しかけてきた。
「なんだ? 藪から棒に」
「さっき言ってた琴音ってのが、浅倉に狙われてるって奴か?」
声のトーンが違っていた。横目で見ると、リサの顔は先程までの好奇心に溢れた表情から、一流傭兵のソレに変わっていた。
「……ああ、そうだ。なんでかは知らんがな。ついでに言うと、俺の幼馴染って奴だ」
「そうか……にしても、浅倉のヤローが生きてるたぁな。どうする気なんだ? カイト? まあ、聞くまでもないような気もするけどな」
戒斗は一度ふぅ、と大きく息を吐いた後、決意を込めた双眸で真っ直ぐ前を見据えて、言う。
「決まってんだろ。――あのクソ野郎を、もう一度地獄に叩き落とす」
その一言が発せられると同時に、戒斗の駆るスポーツカーは後輪を回転させ、前進を始めた。
「ああ、これが日本のスーパー! 懐かしいなぁ!」
観光、といっても琴音を迎えに行かなきゃならんので、そう遠くには行けない。なので食材調達がてらいつものスーパーマーケットへと来たのだが、アメリカ暮らしのリサにはこれでもかなり刺激になるようだ。まあ、向こうとこっちのスーパーじゃ色々比べものにならないしな。
「確かリサは昔日本に住んでたんだっけか?」
「ああ。そうでなきゃ日本語なんて喋れないさ。十歳までこっちに住んでて、両親が死んだ後はアメリカでハンターやってた祖父に引き取られたってわけさ」
両親が死んだと告げられた時点で、戒斗はしまった、とこの話題を振ったことを後悔したが、口調や表情から察するにリサ本人は別に気にしていないようだった。少しホッとした戒斗は、リサを連れて食品コーナーへと足を運ぶ。
買い物カゴをショッピングカートにブチ込んで、それを転がしながら物色する。適当に夕飯になりそうなモノをカゴに突っ込んでる横では、リサが興味津々といった感じで色々見渡していた。
「……そういや、お前と知り合ってもう二年以上経ってんだよな」
ふと、リサと出会った頃を思い出して戒斗は呟く。
「確かあの時も山狩りだったっけか? あの時のカイトは可愛いもんだったなぁ。いかにもルーキーって感じの坊ちゃんで。それが今じゃこんな不愛想野郎ときた」
リサが笑いながら喋る。戒斗も、不愛想は余計だ、と返してやる。
「ところでカイト、その琴音って娘、銃は扱えるのか?」
「? ああ、一応最低限は護身のために教えたが」
戒斗が話すと、リサは一瞬悩むように唸った後、改めて戒斗に向き直って言う。
「その娘、学校終わった後、射撃場連れて行かないか?」
時は夕方。既に本日の全行程は終了した放課後。琴音は一人、校門までの坂を歩いていた。低い位置にまで没した太陽の滲んだ光が、辺りを幻想的ともいえる色に染めている。
坂を上り切り、校門を出ると、路肩にサンセットオレンジのスポーツカーが停まっているのが見えた。夕日の光とよく似た色の車体、車外品チタンマフラーから発せられる重く低いエグゾースト・ノートは、戒斗の愛車で間違いなかった。琴音はその車まで近寄り、助手席側の窓をコンコン、と二回叩いてやる。戒斗はそれに気づいて振り返り、音の主が琴音だと分かると片手で手招きをした。乗れ、という意味らしい。ドアを開けて、シートに滑り込み、シートベルトを着けてからスクールバッグ膝の上に置いて、ドアを閉めた。
「よぉ、何も問題はなかったか?」
自主早退した癖に戒斗は何食わぬ顔で聞いてくる。
「いつも通りよ。それより戒斗、なんで突然早退したわけ?」
「ん? ああ、それがまあ、色々と事情がだな――」
「おお、待っておったぞー」
ストラーフ・アーモリー日本支店。戒斗と琴音が店内に入った途端、小さな影が二人を出迎えた。その影――店主、レニアス・ストラーフは140cmあるかないかの身体と、燃えるような紅い髪を纏めたツインテールを揺らして、こちらへと駆け寄ってきた。やっぱり小っせえな。
「ああ。リサは来てるか?」
戒斗は駆け寄ってきたレニアスの頭を撫でながら言う。レニアスは子供扱いするなー! と騒ぎながらも、その表情はどこか嬉しそうでもあった。実際撫でられるのはまんざらでもないらしい。暫く撫で回した後、解放してやる。
「ったく、すぐに戒斗は子供扱いしおって……リサなら奥の射撃場におるぞ」
「そうか。なら適当なボルトアクション・ライフルを二、三挺見繕って持ってきてくれ」
はいはい、と言ってカウンターの奥へと戻っていくレニアスを尻目に、二人は射撃場の扉を潜る。扉を開けた瞬間、乾いた発砲音がした。
「おーい、リサー? 琴音連れてきたぞー」
呼びかけると、奥の長距離用ブースからショートカットに切り揃えた金髪を翻してリサが現れた。先程と同じ、茶色のライダース・ジャケットを着ているなど服装に変化は無いが、手に持つライフルはつい数時間前のベレッタCx4小口径自動小銃ではなく、狙撃用スコープの乗っかったボルトアクション・ライフル、ウィンチェスターM70だった。木製のストックが美しい。
「来たか。私はリサ・フォリア・シャルティラール。戒斗とはまあ……腐れ縁みたいなもんだ」
リサに握手を求められた琴音は、初対面の人物に若干戸惑いつつもそれに応じる。
「ど、どうも。折鶴 琴音です」
「早速だが琴音とやら、ちょっとこっちへ来てくれるか?」
手招きされるがまま、先程までリサが使っていた、25m程の長距離用シューティング・ブースへと琴音は歩く。丁度同じタイミングでレニアスがボルトアクション・ライフルを乗せた滑車付きの台を引いて射撃場に入ってくる。
「まずは私が撃ってみよう」
リサは言うと、ペーパーターゲットを天井から吊り下げられたクリップに挟み、設置されたコントローラを操作、ターゲットを25mの彼方へと遠ざける。操作が終わると、彼女は慣れた手つきでM70のボルトハンドルを引き、露出した内臓弾倉に.30-06弾を一発一発手で込めていく。全弾装填し、ボルトハンドルを前に押して、初弾を手動で薬室に装填した。
「ハァ……」
リサは立ったままM70を構えて、呼吸を大きく数回繰り返す。左眼は半開きに。右眼は、スコープ越しにターゲットを見据えている。何度目かの呼吸で、肺から少しだけ空気を排出し、大体70%程肺の中に空気を残して息を止める。リサの心拍数と血圧は自然と下がっていく。一つずつ、着実にリサの身体は、”狙撃”という究極の精密作業を成し遂げる為のパーツに変貌していく。
引き金に掛けた人差し指の力が強くなる。少しずつだが着実に、まるで死刑宣告を言い渡すかのように引き金は絞られていく。
引き金が落ちる。撃針が.30-06弾の雷管を叩き、発射薬に点火。凄まじい勢いで150グレインの質量を持つフルメタル・ジャケット弾が空を切る。弾は狙い通り、ターゲットのど真ん中へと命中した。
リサは再度ボルトハンドルを前後させ、空薬莢の排出と次弾装填を行う。宙を舞う空薬莢がコンクリート製の床に落下し、軽快な独特の金属音を立てる。
発砲。疾走する.30-06弾は見事に命中。リモコンを操作し、ターゲットペーパーを手元に戻す。見ると、確かに二発撃って命中したはずなのに、弾痕は一つ分しかなかった。
「一発目と寸分狂い無く同じ場所に弾を叩き込む。所謂ワンホール・ショットって奴さ。ざっとこんなもんよ」
まあ、やってみな。とリサは言って、レニアスの持ってきたロシア・イジェマッシュ社製狙撃用ボルトアクション・ライフルSV-98の着脱式弾倉に弾を装填し、本体と共に琴音に手渡す。
「操作は分かるな?」
「見様見真似、ですけどね」
琴音は初めて手にするタイプの銃に戸惑いつつも、とりあえず弾倉を装着、ボルトハンドルを前後させて初弾を装填する。ターゲットペーパーを25m先へと送り、リサの見様見真似で構えて、アイアンサイト――スコープは装着されていないので、銃に備え付けられたコイツを使う――を覗く。
発砲。強烈な反動が琴音の肩を襲う。数歩たたらを踏んだが、なんとかその場に踏みとどまった。反動で銃身が暴れた為か、弾はターゲットではなく壁に命中している。気を取り直して、弾を再装填。もう一度狙いをつける。
再度、反動に襲われるが、二回目ともなれば流石に吸収できた。弾はターゲット中心からすこし離れたところに命中している。
「……ほう」
琴音の後方で、壁にもたれかかっていたリサが思わず感嘆の声を上げた。
「なぁリサ? いったい何のつもりなんだ?」
リサの隣で、こちらも壁にもたれて見物していた戒斗が小声で話しかける。
「その前に戒斗? お前彼女にライフルの撃ち方なんか教えたか?」
「? いや、教えた覚えはないぞ」
「見てみろ」
リサの指差す方向を見ると、琴音がSV-98を構えていた。意外と様になっている。
「琴音がどうかしたのか?」
「よく見てみろ。あの娘、無意識に骨格で銃を支えている」
「どういうことだ?」
「そもそも銃、というモノは筋肉ではなく、射撃姿勢の骨格で支えるモノだ。筋肉なんてのはプラスアルファの、照準を付ける為のモノでしかない。だからこそ、競技射撃だと女の方が成績良い場合が多いんだがな。普通インストラクターか何かに教えられないと出来ないはずなんだが……ほれ見てみろ。段々精度が上がってきているぞ」
ああ、言われてみれば。確かにそうだ。妙に様になっていると思ったら、そういうことか。
「……カイト、見てみろ! あの娘本当に初心者か!?」
戻ってきたターゲットペーパーを見てリサがいつになく興奮している。どれ、と戒斗も見てみると、これは凄い。二発目以外は殆ど中心数センチ以内に弾痕が収まっている。初心者はおろか、上級者でも難しいぞこれは。
一通り撃ち終わって、一息ついていた琴音にリサは駆け寄り、こう告げた。
「――なぁ琴音? 私の弟子になる気はないか?」
あまりにブッ飛んだ話に、唖然とした表情を浮かべた琴音は思わずSV-98を取り落しそうになる。
「で、弟子ぃ?」
「ああそうだ。君には才能がある――私の技術を継承するに相応しい、才能がッ!」
興奮気味にそう喋るリサの後ろで、戒斗もまた、驚きの表情を浮かべていた。――あのリサが。極悪非道の性格で捻くれ者のアイツが弟子を取る、だと?
「っおいおいリサ、少し落ち着け。どういうつもりだ? お前が弟子なんて」
暴走するリサを制止する戒斗。しかしリサは歓喜の表情を浮かべて言葉を続ける。
「なぁカイト! この娘借りてもいいか!? いいよな!? 是非とも、是非とも弟子にしたい! 頼むッ!!」
「ああ分かった分かった。とりあえず落ち着け、な? ――まあ、リサならどんな奴に襲われようが全く問題なさそうだし、安全面考えても別に構いはしないんだが……琴音はどうなんだ?」
流石の浅倉も、こんな超一流の、軽く人の領域踏み外してる奴に軽々しく襲い掛かったりはしないだろう。
「うん、さっきはあまりの勢いに戸惑っちゃったけど……超一流のスナイパーさんなんだっけ? リサさんは。そんな人から才能があるって言われたんなら、よっぽどなのかな? なら磨けば、きっと戒斗の助けになれる。足を引っ張らずに済むから……寧ろ、こちらからお願いしたいぐらいです。是非、弟子にしてくださいっ!」
言って、リサに真っ直ぐ頭を下げる琴音。いや、別に足を引っ張られた覚えはないんだが……
当のリサ本人はよっぽど嬉しかったらしく、両手で琴音の手を握りブンブン振ってよろしくよろしくと連呼している。
「あー、じゃあレニアス? レミントンM700とスコープ、後弾三箱ぐらい琴音に持たせてやってくれ。支払は俺のカードでいいから」
「まいどー。ホント戒斗はいいお客さんだな!」
俺じゃなくて琴音がな。と突っ込みを入れる間もなく、レニアスは店の奥へと引っ込んでいった。
「っていっても琴音は学生だし、本格的なアレは来週からで良いんじゃないか? 丁度夏休みだしな。んでお前の依頼の件だが、俺の方でも色々使って調べてみる。とりあえずは琴音の鍛錬に集中してくれてやってくれ」
興奮しているリサの肩を叩いて、告げた戒斗。さっきから跳ねているせいか、リサのゴムマリみてえな胸が馬鹿みたいに上下に揺れてる。琴音がそれを見て悔しそうな表情を浮かべたような気がしたが、気のせいだろう。きっと。うん、そうに違いない。
「分かった分かったっ! じゃあよろしく頼むぞカイト!」
こりゃ暫く駄目だな。後は任せたと言わんばかりに後ろ手に手を振り、狂喜乱舞するリサを琴音に任せて戒斗は射撃場を後にした。




