日常への帰還、血に濡れたパーティの”デブリーフィング”
豪華客船”龍鳳”襲撃事件から一夜明け、月曜日。いつも通りの登校ルートを戒斗、琴音の二人は歩いていた。通り道の至る所に植えられた桜の木を彩っていた花は既に散り、深緑の葉を出している。気温もほんの一ヶ月前と比べればかなり高く、初夏の気配を感じさせている。
「あぁ眠っ……このまま道路でいいから寝てたいぜホントよ」
戒斗は欠伸をしながら眠そうに呟く。頭で揺れているボサボサの黒髪はいつも以上に吹っ飛んでいた。
「馬鹿なこと言ってんじゃないわよ……って私も人のこと言えないか……」
そう言う琴音もかなり眠たげな顔つきだった。足取りは重く、結局二人が校門に辿り着くまでいつもの倍以上時間がかかってしまった。
いつも通り、立ち番の教師に機械的な挨拶を済ませ校門を潜る。いつもならなんてことのない緩やかな下り坂が、とても険しいモノに視えてしまう。なんとか昇降口まで辿り着き、上履きに履き替えて教室へ向かう。たった数階分の階段を昇るだけなのに、険しい山道を必死に登山しているような錯覚に襲われた。こりゃ今日は一日睡眠コースだな。戒斗は死にかけの頭で居眠りの算段を考えつつ、なんとか階段を昇り切った。
教室の引き戸を勢いよく開け放ち、いつも通り後方二番目、窓際の席に向かって、机にダイブするように座り突っ伏した。数分後に遠藤の奴がまた課題の写しをせびりに来たが、睨みつけて追い返した。眠気と疲労の相乗効果で鬼のような形相になっていた戒斗に睨まれた遠藤がよく分からないことを叫びながら一目散に逃げて行くのが見える。
何とか意識を保っておこうと、突っ伏した状態で必死に瞼を開いて教室内を戒斗は眺めている。何ら変わりのない、いつも通りの光景だ。
「そういや今日のニュース観たか? 豪華客船がテロリストに占拠されてたんだってよ」
「観た観た。なんか居合わせた傭兵が制圧したらしいけどさ、誰か分かんねえんだってよソイツ」
「おかしな話だよなぁ。普通分かると思うけどな。大体豪華客船に傭兵なんて場違いもいいとこじゃねえの?」
ふと、ある男子グループの話し声が耳に入ってきた。内容から察するに、昨日の”龍鳳”船上での一件だろう。理由は分からないが、戒斗の名前は報道されていないようだ。正式な依頼とはいえ、あまりにも派手に暴れすぎたから名前が報道されるのを危惧していたのだが、杞憂に終わったようだ。幾ら学校側が傭兵稼業を特例で許可しているとはいえ、極力知られるのは避けたい。琴音の安全面でもだ。”黒の執行者”がここ、私立神代学園に通っていることは極力伏せておきたい。
そんな感じで、特に意味も無く教室を見渡していると、教室前方、教卓側のドアから小柄な、140cm強ぐらいのショートヘアの女子生徒が入ってくるのが見えた。この間の転入生、長月 遥だ。談笑する生徒達の間を縫ってこちらに近づいてくる。そういえば俺の横だったな。
「おーう遥、おはようさん」
とりあえず挨拶しておく。遥は戒斗の顔を見て一瞬、苦虫を噛み潰すような表情になったように見えたが、戒斗が瞬きをした途端にいつも通りの可愛らしい笑顔で挨拶を返していた。多分目の錯覚か、寝ぼけて幻覚でも視ていたのだろう。
椅子を引いて、静かに座る遥。とりあえず戒斗は起き上がり、遥の方へ身体を向けて窓に背中を預ける。なんだか窓ガラスがギシギシと軋んだ音を出しているが、割れることはないだろう。多分。
「もうここには慣れてきたか?」
当たり触りの無い話題を振ってみる戒斗。そういえば遥が転入してきて一週間か。時が過ぎるのは存外早いもんだなと戒斗は続けて呟く。
「……はい。結構良い人達ばっかりなんで、安心しました」
小声で呟く遥。少し眠たげだが、その表情も実に可愛らしい。余裕で異性として見れる。傭兵なんて血生臭い稼業やってなけりゃ全力で恋愛対象なのになぁ。戒斗は心の内で呟く。
「お、そうか。それなら良かった。困ったことがあったら何でも相談してくれよな? これでも、人の問題を解決するのは得意な方なんでね」
「分かりました。いざという時は頼らせてもらいます。……うん、きっと違う」
途中、遥の表情に一瞬影が差したが、すぐにいつも通りの表情に戻っていた。
「どうした?」
気になった戒斗が訊くと、いえ、別に何でもないんです。と遥は応えた。
「……やっぱり、戒斗さんはいい人です」
遥がそう呟くと同時に、教卓側のドアをやかましく開けて担任の男性教諭がズカズカと大股で教室内に入ってくるのが見えた。
「ほらほら座れ座れ。HR始めるぞー」
放課後、戒斗と琴音の二人は黒塗りセダンの後部座席で車に揺られていた。運転するのは、西園寺家の執事こと高野 進。
「先日は本当にありがとうございました。なんとお礼を言って良いか……」
「いえいえ、別に構わないですよ。こちらはあくまでも仕事ですんで」
高野とのこういったやり取りが、大体これで六回目だった。ずっと礼を言われっぱなしだ。よっぽど香華のことが心配だったんだなと戒斗は妙な納得を覚える。性格は顔に出ると何処かで耳にしたことがあったが、高野はまさしくそれだ。温厚な人柄で、なおかつ心配性だ。
そんな会話を繰り返していると、気づけば西園寺家に到着していた。一週間前と同じく、巨大な鉄製の門の前に立っているベルギー製PDW、P90を肩から下げた門番に門を開けさせ、地下駐車場に入って車を降りる。エレベーターに乗って邸宅内部にお邪魔し、前回と同じ応接室の前まで高野に先導されて歩いてきた。高野が数度ノックし、一言告げてから木製両開きドアを空けて、二人を中へと通した。
やはり彼女は、窓際に立っていた。青のドレスを身に纏った、腰辺りまで伸びるストレートの美しい金髪を輝かせる少女。その整った顔立ちは美しく、気品を感じさせるものだが、一週間前と違って彼女――西園寺 香華の雰囲気は高飛車な、いかにも良家の令嬢といったソレから打って変わり、どこか強い決意と意思が宿っているように見えた。少なくとも、戒斗が彼女に抱くイメージは一週間前より格段に良くなっている。
「いらっしゃい。とりあえず掛けて貰える?」
促されるままに、応接間に置かれたソファに腰かける二人。続いて香華も、対面のソファへと腰かけた。ソファに座るという一つの動作を取っても、彼女の立ち振る舞いには一部の隙もない。流石西園寺家のご令嬢か。
「まずは、昨日のことについてだけど……まずはこれだけ言わせてもうわ。ありがとう。貴方達のお陰で、私は今もこうして生きてる」
香華が素直に頭を下げた。戒斗は慌てて、仕事だからと言って香華の頭を上げさせる。
「それと、貴方のことを色々と調べさせて貰ったわ。”黒の執行者”さん?」
香華はその言葉に続いて、テーブルの上に置かれた資料らしき紙の束を手に取り、調べ上げた戒斗の経歴をザッと読み上げていく。全て読み上げ終わると、戒斗はただ一言だけ言った。
「ああ、全て正解だ。よく調べ上げたな」
「それで今は、近くにある私立神代学園に通っているんでしょう? 何かと困るんじゃないかと思って、マスコミ共に根回しして戒斗の名前は報道されないようにしておいたから安心して」
「そりゃありがたい。礼を言わなくちゃならんなこりゃ」
「お礼を言わなきゃいけないのはこっちの方よ。ところでこれなんだけど……」
香華は微笑を浮かべて言うと、龍鳳船内で戒斗が渡した自動拳銃、シグ・ザウエルP239を取り出して机の上に置いた。黒光りする銃が、ゴトリと重量感ある音を立てて置かれる。ただそれだけで、P239という銃が無駄を排除した”兵器”だという事実を否応なく突き付けてきた。少なくとも、上品なこの部屋には不相応な物体だ。
「ん? ああ、そういえば俺が渡したんだったな」
戒斗は言って、とりあえずP239を手に取って動作を確認してみる。見ると、戒斗以外の誰かがつい最近手入れしたような感じがした。丁寧に、よくメンテナンスされている。銃のメンテナンス一つ取っても個人の性格というモノは如実に現れるものだ。きっとこれをメンテナンスした人間は繊細で、きめ細やかな人なのだろう。
「それ、借りっぱなしだったから。返そうと思って」
ああ、そういうことね。戒斗は香華の言葉に対してそう返してから、再度テーブルの上にP239を置き直した。
「折角だ。これはお前が持ってるといい」
「でもこれは戒斗の銃じゃない?」
「別に構わんさ。見たところ俺よりも丁寧に使ってくれてるみたいだしな。それにコイツは、お前が勇気を出して、前に進み出た証みたいなもんだ。銃なんてのは所詮人殺しの武器だ。それは否定しない。だが使い方次第で誰かを護ることだって出来る。武器ってのは太古の昔から光と闇、表裏一体さ。だから、イザって時はこれを使って、アイツを護ってやってくれ」
戒斗は立ち上がり、先程香華が立っていた窓際へと歩き出す。窓ガラス越しに外を眺めると、太陽が地平線の彼方へと没しようとしていた。夕焼けが目に染みる。
「ところでだ、あの忍者は香華の知り合いか?」
ふと思い出し、戒斗は問う。
「さぁ、少なくとも西園寺家と関わり合いは無いと思う」
「そうか……浅倉のバックにはデカい何かが付いてるっぽいしな。こりゃ一筋縄じゃいかないようだな」
「私の方でも色々調べておくわ」
「ああ、そうしてくれ。じゃあ俺達はそろそろ行くわ」
戒斗は琴音と共に扉へと歩き出す。
「それじゃあ、”またな”」
戒斗は最後に一言、そう言って部屋の外に出た。
「……ええ、”また”会いましょう?」
一人応接間に残された香華は、一言、呟いた。
地下駐車場で二人が高野の乗るセダンに乗り込もうとすると、一台の黄色いスポーツカーが爆音を響かせて駐車場内に入ってきた。九十年代の名車ともいわれるその車に戒斗が見とれていると、車から降りてきたのは佐藤 一輝だった。
「よう、怪我は大丈夫なのか?」
戒斗は車に近寄って行き、佐藤と挨拶を交わす。
「ああ、おかげ様でな。もう帰るのか?」
「まあそんなところだ。にしても良い車乗ってるな」
戒斗はまじまじとその黄色に輝く車体を見つめる。見ると、運転席のシートはホールド性の高いバケット・シートに交換してあるようだ。シートベルトも四点式になっている。
「だろう? 折角だ、色々見てけよ」
佐藤は自らの車を褒められたのが嬉しかったのか、屈託のない笑みを浮かべながら戒斗の近くへと歩み寄る。佐藤は手招きして戒斗を呼び寄せ、車体前面のボンネットを解放し、エンジンルームを露わにした。
「ほー。かなり弄ってあるな」
今だ熱を帯びたロータリー・エンジンが、各部から美しく金属光沢を放っている。
「ああ。相当、な。かなり金はかかったが、その分良い娘に育ってくれたさ」
「たまんねぇなこりゃ。今度横に乗せて貰っても?」
戒斗の言葉を、構わねえぜ。と二つ返事で承諾した佐藤の目は、同志に巡り合えたのがそんなに嬉しかったのか、光り輝いていた。
「っと。あんま眺めてばっかだと日が暮れちまう。俺はこの辺で失礼させてもらうぜ」
戒斗はセダンの方へと戻ろうとするが、再度佐藤の方を振り向いて、親指を立ててサムズアップし、こう言ってみせた。
「アンタんとこのお嬢さん、随分成長したぜ?」
「……ああ!」
佐藤が戒斗にサムズアップし返すのを尻目に、戒斗は高野の運転するセダンに乗り込んだ。
その日の夜、時刻は午後十時を回っていた。リビングでは風呂上がりの琴音が、戒斗にはよく分からんバラエティ番組を観ている。時折聞こえてくる彼女の笑い声が、妙に心地良く聞こえる。かくいう戒斗はリビングの隣、自室で一人、夜風に吹かれながら古い英字タイプライターでレポートを打っていた。次々と文字が刻まれる紙には、こう書かれている。
――依頼レポート No'003 護衛対象”西園寺 香華”――
今回の依頼、相手はかの有名な西園寺家からだった。内容は娘である西園寺 香華が出席する豪華客船”龍鳳”内で行われるパーティに同行し、彼女を護衛すること。簡単な依頼だと思っていたが、そんなことは無かった。まあ色々あったが、今こうして全員無事に生きているんだからまあ良しとしよう。だが敵が浅倉関係だとは流石に予想外だったが。奴のバックにはかなり大きな力が居るようだ。浅倉の件については、慎重に、しかし入念な調査が求められる。琴音の命も掛かっていることだしな。
まず書き留めておくことは、護衛対象でもある香華のことだ。最初こそ高飛車な女だなと思っていた香華嬢だが、佐藤の一件を経たお陰で人間としてかなり成長できたようだ。どんな事情があるかは知らんし、知るつもりも無いが、彼女にとって佐藤という男はかけがえのない存在だということは確かだ。主従関係としての意味かはたまたそれ以外か。そんなことは俺には関係ないし関わる資格もない。ただ願うのは、彼女達の関係が末永く続いていくことだけだ。
次はやはり、佐藤 一輝という男だろうか。優しい男だが、恐ろしく強い。味方にしておくなら心強いが、絶対敵には回したくないな。今度あのスポーツカーをじっくり見させて貰おう。ありゃ俺と同じ臭いがするぜ。
そして琴音のことだが……もう迷いはないみたいだ。正直連れて行くのは不安だったが、結果良い方向に成長して良かった。戦う理由も、やっと見つかったようだしな。俺の為ってのが気になるが……まあいい。
人工ダイヤモンドを混ぜたあの弾を渡したことは、俺はそれで良かったと思う。ああは言ったが、お守り代わりみてえなもんだ。きっといつか、本当に危ない時にアイツを護ってくれる気がする。だから渡した。ま、なんとなくだがな。
そういえば、結局襲ってきた忍者は何だったのだろうか? 正直生き残れたのは運が良かったとしか言えない。それ程までに強い奴だった。願わくば、二度と相手はしたくないがね。そうもいかない気がするから困ったもんさ。俺の勘は当たるからな。
最後に、浅倉についてだ。これに関して特に長々と書き留めておくことはない。義手を提供したバックの奴が気になるところだが、そんなことは些細な問題だ。一度殺した奴が生き返りやがったなら、また同じようにブチ殺して地獄送りにしてやる。ただそれだけだ。
こんなところか。こんなところで今回の依頼レポートは終わりとしよう。願わくば、香華と、彼女の大切な者達に、平穏な日々が訪れんことを。




