降り注ぐ死の雨、踊り狂う”エスケープ・ダンス”
「――浅倉ァァァァァァッ!!!!」
戒斗がモスバーグM500散弾銃の銃口を浅倉に向ける。その背中を見ていた琴音も一歩前に出て、MP5A4短機関銃を構えた。横目で戒斗の顔を見る。普段は気怠そうな、しかしその内に冷静さを隠し持っている瞳の焦点が合っていない。直感的に琴音は感じた。あの戒斗が、頭に血を昇らせて冷静さを失っている。それ程までに憎い相手なのだろう。この浅倉という男は。
轟音と共に、モスバーグの銃口から強烈な発火炎が瞬いた。銃身から放たれる幾多の散弾が広範囲に拡散し、目の前に立つ金髪の男、浅倉 悟史に襲い掛かる。その場にいた誰もが仕留めたと思っただろう。音速を超えた速度で迫る銃弾を避けられる生身の人間などそうそう存在しない。しかし当の浅倉は、返り血で染まった金髪を揺らして地を蹴り、横に跳ぶ。浅倉が宙に舞ったタイミングと、戒斗が引き絞ったモスバーグの撃針が装填された12ゲージ弾を叩くのとほぼ同時だった。放たれた散弾は、内一発が浅倉の右頬を軽く掠めただけ。信じられない話だが、浅倉という男は放たれた銃弾を”避けた”のだ。浅倉は屈んで着地し、そのまま再度床を蹴って戒斗へと急速に迫る。
銃口を向け直し、銃把を前後させる。迫る浅倉との距離はほぼゼロ距離。浅倉は右腕を突き出し、あろうことかモスバーグの銃口を”掴んだ”。戒斗は構わず引き金を絞る。反動と轟音。右腕に12ゲージ弾から放たれる散弾をゼロ距離で叩きつけた。一瞬で右腕はおびただしい量の紅い血液をブチ撒け、ミンチより酷い肉片と化す筈だ。しかし戒斗の顔に返り血は一滴たりとも付着していない。それどころか、放ったと同時に”金属音がした”。普通に考えればこれはおかしな話だ。有機物である生身の肉体が金属音を出すなど起こり得ないことだ。しかしこれは、あくまでも”普通に”考えた時の話だ。
「手前で吹っ飛ばしといて、忘れちまったのかァ……?」
戒斗は失念していた。奴の、浅倉の右腕は”二年前のタンカーで吹っ飛ばした”。つまりあるはずの無いモノだ。しかし現に”奴の右腕はある”。ということは――奴の右腕は金属製の義手だ。それなら、先程の金属音といい、人間の胴体を片腕で突き破るなんて不可解な現象にも納得がいく。
浅倉は口角を醜く歪ませ、歯を露出させて嗤う。右腕が向きを変え、銃身を鷲掴みにした。金属が軋む音が響く。まずい、と戒斗の直感が告げる。思考より先に肉体が反応し、モスバーグM500散弾銃から手を離して浅倉から距離を取った。手を離すと同時に、モスバーグの金属製銃身は九十度に折れ曲がる。浅倉は空いた左手で銃床を掴んで、右手を移動させて中央の機関部を鷲掴みにしたかと思えば、次の瞬間に機関部は粉々に砕けていた。床にトリガーシアやハンマー・スプリングだった何かが軽い音を立てて散らばる。握り拳を作るようにしていた右手を離すと、プレス機にかけられたかのように平らにひしゃげたモスバーグM500散弾銃の機関部が地に落ちた。
戒斗は怒りに身を任せてホルスターからミネベア・シグを乱雑に引き抜き、走り出そうとする。しかしその左肩を佐藤に掴まれ、止められる。
「離しやがれッ! 今度こそ奴を地獄に送って――」
「少し冷静になれッ! 手負いの今、闇雲に奴と戦っても勝てん! お前ともあろう男がそんなことも分かんねぇのか!?」
佐藤は左手でコルト・パイソンの狙いを浅倉に定めながら怒鳴る。銃創に巻きつけた布に大きな紅い血の染みが出来ていた。よく見れば、彼の顔を脂汗が伝っている。
「怪我人は引っ込んでろ! 奴だけは、奴だけは俺がブチ殺さなけりゃならねえ! 今! ここでッ!!」
佐藤の手を振り切って突っ込もうとする戒斗の肩が強く引っ張られる。無理矢理方向転換させられたかと思えば、戒斗の頬に衝撃が走った。
「いい加減にしなさいよッ! 戒斗らしくもない、いつもの冷静なアンタは何処へ行っちゃったのよッ!」
何が起こったか、思考が追いつかない戒斗の鼓膜を叩く声。これは琴音の声だ。ふと我に返ると、左頬が少し痛む。目の前では、琴音が涙目でこちらを見ていた。――ああ、俺叩かれたのね。戒斗はやっと理解した。琴音がビンタをかましたようだ。
ビンタの効果か否か、戒斗の思考を支配していた激情は嘘みたいに消え去り、いつも通りの冷静さが戻ってきた。視界の端に意識を動かす。そこでは浅倉が、ゆっくりと、幽鬼のような動きだが、一歩一歩確実に、こちらに歩み寄ってきていた。距離にして約4.5m。幸か不幸か、敵兵士達は先程浅倉が一人残らず惨殺している。――活路は、まだあるみたいだな。
「――ヘッ、苦労かけたな琴音」
「やっと元に戻った。やっぱり戒斗はそうでなくちゃ。感情のまま怒り狂う戒斗なんて、らしくないもの」
ああ、そうかもな! 戒斗は言って、改めて浅倉に向き直りミネベア・シグの銃口を一直線に向けた。浅倉は戒斗の変貌に直感的に気づいたのか、歩みを止めて高らかに嗤う。
「ハハハ、ハハハハハハッ!! ああそうだなァ、やっぱりこうでなくちゃァ張り合いがねェ。もっと、もっと俺を楽しませてくれよォ……”黒の執行者”ァァッ!」
「生憎だが今日はお引き取り願おうか。それとも何か? 手負いの獣を狩るのがお好みか?」
軽口を叩きつつ、徐々に艦橋出入り口の方へと動く戒斗。銃口は浅倉から離さない。
「手負いだろうとなんだろうと関係ねェ……俺はただ喰いたいだけだァ……俺を一度殺した奴と戦って、殺した、ソイツの肉をなァ!」
浅倉の右腕が腰のヒップ・ホルスターに動く。奴が片腕で回転式拳銃、S&W M629の撃鉄を起こし、引き金に指をかけると同時に、戒斗は9mmルガー弾をミネベア・シグの銃口から放つ。狙いは浅倉の右腕。
轟音。M629から凄まじい閃光と爆音が放たれ、一時期は世界最強の拳銃弾とまで言わしめた巨大な鉛弾、.44マグナム弾が空中を飛翔する。限界まで装薬された火薬の力によって高速飛翔するこの重い弾頭が戒斗の左頬を掠めた。背後の壁で強烈な着弾音が響く。掠めた頬からは僅かに血が滲んできた。
「人間、意外となんでも出来るもんなんだな」
最初、浅倉のM629の銃口は完璧に戒斗を捕えていた。それを戒斗はわざと義手を狙い、9mmルガー弾命中の衝撃でほんの少し、狙いをずらしてやったのだ。あのまま浅倉の頭部を狙っていれば、殺せていたかもしれない。しかし撃鉄の起こされたM629はどうなる? 恐らく引き金は何らかの原因で引かれていただろう。そうなれば戒斗はおろか、誰に命中するか分かったものではない。この場合の戒斗の判断は、正しかったということだ。まあ戒斗本人にも、こんな神業じみたことが出来るとは到底思っていなかったようだが。やっぱり今日はツイてる。まだまだ幸運の女神様には見放されてないってか。戒斗は口元を綻ばせて、心の内でそう呟いた。
「クククッ……ハハハッ、ハハハハハハハッ!!」
高らかに嗤う浅倉。弾痕の付いた自らの義手を眺め、心底楽しいと言わんばかりに嗤う。
「ハハハハッ! ハハ……あぁ。やっぱり面白ェなァ……一度俺を”殺した”だけのことはある」
「テメェがどうやって生き残ったかは知らん。一度地獄送りにした奴がまた生き返りやがったなら、もう一回同じようにブチ殺す。それだけだ」
出入り口を背にして、戒斗は後ずさりながら言葉を吐き捨てる。
「今のクライアントにたまたま拾われてなァ……この義手まで着けて貰っちまってよォ……フヒッ、まァそんなことはどうでもいい。さァ、全力で俺を殺しにこい……もっと俺を楽しませろォォッ!」
「香華ッ! そいつを寄越せッ!」
「ええ、いくわよっ! 壊さないでよねっ!」
叫び、迫る浅倉。戒斗は香華にM4A1突撃銃を投げ渡させ、セレクターを連射にして腰だめで乱射する。浅倉は咄嗟に足を止め、先程佐藤達が構築したバリケード代わりのテーブルの後ろに飛び込む。
「琴音ッ! フルオートで撃ちまくれ! やり方は分かってるな!!」
「ええ、任せてっ!」
琴音が前に躍り出て、MP5A4短機関銃を連射で掃射し、浅倉の隠れるテーブルに掃射。浅倉をテーブルの裏に釘付けにする。弾倉を香華から手渡され、撃ち尽くしたM4A1の弾倉を交換。ボルトキャッチを押して、弾を再装填。
「今の内に行けッ!」
弾を撃ち尽くした琴音と入れ替わるようにして、今度は戒斗が掃射。その間に他の奴等を先に逃がす。浅倉は出るに出られないといった様子だ。
「浅倉ァッ! 今日の所はこれまでだッ! だがな、覚えておけッ! 必ず俺がこの手で、テメェをもう一度ブチ殺すッ!!」
掃射しながら後ずさりし、戒斗は吐き捨てる。弾が尽きると同時に、戒斗も後ろを振り向いて走り出した。
数秒後、浅倉はテーブルの陰から立ち上がり、弾痕だらけのそれを蹴り飛ばした。その顔は、凶悪な笑みが浮かんでいた。
「そうだ……もっと、もっと俺を楽しませてくれよなァ……?」
「オイ護衛隊長殿! 迎えが来るまで後どれぐらいだ!?」
「大体五分ってとこだろうな!」
船の外に出て、甲板を走る戒斗、琴音、香華、佐藤の四人。彼らは船首に向かっていた。時刻はもうすぐ午前四時半を回ろうとしている。四人の頭上に広がる夜空は徐々に光を取り戻し、今は灯り無しでも先が見える程に薄明るくなっていた。
波の音に混ざって、ヘリのローター音が聞こえる。戒斗が音のした方角を見ると、空には翼端灯を瞬かせたヘリコプター、UH-60ブラックホークの機影が見えた。
≪――り返す、無線機が生きていたら応答を。こちらはコールサイン・バジャー1-1。繰り返す――≫
今だ左耳に着けていたイヤホンから声が聴こえてくる。そういえば俺の通信機は生きてたんだったな。戒斗は呟いて無線機のスイッチを入れる。
「こちらアルファ。アンタらがエコーリーダーの要請した救援部隊か?」
≪ああそうだ。お迎えに上がらせて頂いた。現在人数は?≫
「俺含め四人だ。エコーリーダーも、アンタらのとこのお嬢様も無事だぜ。今船首に向かってる。可能な限り近づいてくれ」
≪バジャー1-1了解。すぐに向かう≫
そこで通信は途切れた。戒斗達は程なくして船首に到達。振り向くと、船の形がハッキリ見えた。東の空からは既に太陽が昇り始めている。
「やっと終わるのね……」
香華が溜息交じりに呟く。その横に立つ佐藤は横目で心配そうに香華の姿を見るも、警戒の姿勢は崩さない。
「ああそうだ、やっと帰れるってわけだ」
帰ってシャワー浴びて、ゆっくり寝たいね。戒斗は冗談交じりに呟く。段々とブラックホークのローター音が近づいてきているのが分かった。
「――ッ! お嬢様ッ!」
香華を庇うように、佐藤は床へ彼女を押し倒す。数瞬後、佐藤の右太腿から鮮血が飛び出した。続いて響く、幾多の銃声。
「キャァッ……! ちょっと佐藤、しっかりして!」
「畜生ッ、まだ残ってやがったか!」
顔面蒼白で佐藤の身体を揺する香華に対し、戒斗はその場に伏せて借りっぱなしのM4A1を単射で発砲し、応戦する。
「こんなもん掠り傷ですよ……それよりお怪我は?」
「私は別に大丈夫よ、それよりも佐藤の方が!」
呼びかける香華を安心させるように、優しく呟く佐藤。しかしその言葉とは裏腹に、彼の額から大量の脂汗が滲み出ている。撃たれた太腿に穿たれた銃創からは、おびただしい量の血液が漏れ出し、甲板を血で汚していた。
「バジャー1-1、聞こえてるか!? 問題が発生した! 残り物連中に襲われてる!」
発砲しながら、無線機に怒鳴りつける戒斗。横に転がってきた琴音も手持ちのMP5で応戦しているが、敵の勢いは収まる気配がない。
「……私がやるしか、ないよね」
香華は意を決して、自らが身に纏うドレスの裾を引き千切った。それを覚束ない手つきで佐藤の患部に巻き付けて応急処置を施す。倉庫内で戒斗がやっていたモノを見よう見まねでやったのだが、人間いざとなれば意外と出来てしまうものだ。佐藤はその双眸で一連の行動をしっかりと捕え、記憶に焼き付ける。ああ、お嬢様も成長したんだな。彼は心の内で呟いた。
「クソッタレが! 何人残ってやがったんだ!」
もうダメか――戒斗が腹を括ったその時、頭上を巨大な影がけたましいローター音を響かせて通り過ぎる。その影がいきなり止まって方向転換したかと思えば、数多の火線が降り注ぎ、敵兵達に襲い掛かった。
≪Rock'n Roll!! 待たせたなLadies and Gentlemen! バジャー1-1様のお通りだぜ!≫
その影――バジャー1-1ことUH-60ブラックホーク多用途ヘリは、機体側面に据えられた小型ガトリング・ガン”M134 ミニガン”を掃射。毎分六千発という速度で7.62mm弾を豪雨のように敵兵達に浴びせている。当たった兵士の身体は肉片を通り越し、血の霧となって霧散。一気に形成は逆転し始めていた。
「ったく、遅ぇんだよ!」
戒斗が立ち上がり、無線機越しに叫ぶ。
≪ハハッ、こりゃすまなかったな! ある程度片付いたら船に横付けするから乗り込め!≫
「怪我人が居る、出来るだけ手早くな!」
戒斗はそう言って、佐藤の元へと駆け寄る。傷口を見ると、運よく弾は貫通しているようだ。香華の手によって布切れで応急処置もしてあった。
「動けるか?」
「そうしたいのは山々だがな……すまないが肩を貸してくれ」
戒斗は持っていたM4A1を香華に返し、肩で支えて佐藤を立たせてやる。丁度良く、バジャー1-1が掃射を終えて船に近寄ってきた。中々腕がいいようで、漆黒の機体を上手い具合に横付けしてある。佐藤を先に載せ、次に香華と琴音を乗り込ませる。最後に戒斗が乗ると、ブラックホークは勢いよく上昇を始めた。
≪本日は西園寺航空をご利用いただきありがとうございます、ってな! っとと、ちょっと掴まってろ、揺れるぞ!≫
急な方向転換を繰り返すブラックホーク。揺れる機内を移動し無理矢理コクピット付近にまで戒斗は近づき、パイロットシートに掴まってコクピットに顔を突き出す。
「顔を合わせるのは初めてか? まあいい、何があった?」
機長席に座る男に話しかける戒斗。ヘルメット越しだが、男の顔立ちはハッキリ欧米系と分かるほど彫りが深かった。肌も白い。恐らく白人だろう。先程から聞こえるやかましい通信はコイツの声だろうな。と戒斗はなんとなく理解していた。軽口ばかり叩きそうな顔をしている。そんな印象だ。
「追手らしいヘリ三機に求愛されてるな。丁度いい、そこのミニガン使ってアイツら墜としてくれ。上手いこと横付けしてやるから」
親指を立てサムズアップをする機長。ドアガンナーはどうしたんだ? と戒斗が訊くと、慌ててきたもんで一人置いてきちまったと答えた。戒斗はその返答に苦笑いを浮かべつつも、親指を立て返す。先程の掃射を行ったドアガンナーの兵士の肩を叩き一言礼を言ってから、反対側――右側に据えられたミニガンを両手で握る。
≪さぁ、お手並み拝見といこうか! しっかり頼むぜ!≫
視界内に敵らしきヘリが視えた。後部のドアを開け放ち、中からRPGを持った兵士がこちらに狙いを付けている。多分この敵ヘリ、機影から見てUH-1系統だろう。古い型だが、良い機体だ。戒斗はそう思いつつ、六本の銃身を備えたミニガンをヘリに向け、グリップ上部の発砲ボタンを両親指で押す。轟音と共にミニガンの六銃身が高速で回転し、毎分六千発の速度で7.62mm弾を放つ。機体中穴だらけになった敵ヘリは、煙を吹きながら錐揉み機動で墜落していく。
「後何機だ!?」
無線機越しに機長に怒鳴り付けると、後二機だと返事が返ってきた。視界内に入った機体を、7.62mmの雨で撃ち落とす。ただそれだけの単純作業だ。すぐに残り二機を撃墜し、戒斗は他の連中の居る後部座席へと戻った。
簡素な椅子に座り、大きく息を吐き出す。緊張の糸が一気に切れるのが分かった。途端に眠気が戒斗を襲う。無理もない、既に夜は明けており、閉じられた機体ドアの外に広がる太平洋は太陽の光に照らされていた。既に時刻は午前五時。隣では琴音が既に寝息を立てていた。夜明けの光に照らされたその顔には疲労の色が浮かんでいるが、その所為かいつにも増して美しく見えた。今日は疲れたろうな。帰ったらゆっくり休めばいいさ。俺が居る限り、お前に浅倉の糞野郎は指一本たりとも触れさせやしない。消え入りそうな声で琴音に呟いた戒斗。その眠気は程なく限界に達し、意識は夢の中へと堕ちていった。




