戦慄の来訪者、交錯する”殺意”
「アルファよりエコーリーダー。生きてたら応答を」
保安室の出入り口付近で、片手にモスバーグM500散弾銃を担いだ戒斗が無線機に向かって話しかける。彼の背後にはMP5A4短機関銃を持った琴音と、M4A1突撃銃を肩から担いだ香華が立っている。二人の胴体には武器庫から拝借してきたと思われる黒のボディーアーマーがあった。
≪エコーリーダーよりアルファ。何とか生きちゃいるが、そろそろ厳しいかもな……!≫
左耳のイヤホンから佐藤の声。まだ生きているようだ。
「今からそっちに向かう。階段は一か所しかないのか?」
≪そうなるな。糞野郎共がよろしくヤッてる一か所しかねえ≫
これは困ったことになった。正攻法で行けば、敵のど真ん中に突っ込むことになりそうだ。上の佐藤達と挟撃という手段もあるが、数で圧倒的に負けている。いかに戒斗といえども、真っ向から数的不利を覆すなんて古典的な漫画の主人公みたいな真似は出来ないのが現実だ。
「それこそ外から壁を這って行くしかねえってか」
自嘲気味に戒斗が呟くと、佐藤はいや、そういえば……と小さく唸る。
≪もしかしたら武器庫の――から行――クソッ! 無線機がイカれたッ! とにかくだ! 武器庫の――を探――≫
そこで通信は途切れた。戒斗は畜生と吐き捨てて、武器庫に戻っていく。何があるかは知らんが、とりあえず佐藤達の武器弾薬を持って行ってやらねばならないと考えた戒斗は棚という棚を手当たり次第に開けていく。開けていく中で、一つだけ置かれていた小さなデスクの引き出しから金具の付いた頑丈なロープのような物体が数点見つかった。
「……ああ、そういうことね」
何か思い当たる節があったのか、戒斗は手に持っていたモスバーグM500を肩に担ぎ、ロープのような物体を三セット持って部屋全体を見渡した。よく見ると、今まで気づかなかったが天井のある一角に扉のようなパネルがある。丁度人が一人すっぽりと入るような大きさだ。戒斗はモスバーグを使って器用にパネルの金具に引っかけ、下に引っ張る。するとパネルはすんなり解放され、天井と垂直な位置に固定された。パネルの裏側には梯子が折りたたまれて格納されており、開いた向こうには固く固定された鉄製の梯子が数十mの彼方まで伸びていた。
艦橋と、そこに通じる廊下の間では、一時間以上が経過した今もなお銃弾が飛び交っていた。
「畜生ッ!」
佐藤は急に調子の悪くなった通信機を投げ捨て、AKS-74u突撃銃のグリップを握りなおして構える。後生大事に単射で使ってきた弾も後僅か十五発、弾倉の約半分しか残っていない。この一時間で十名近く撃ち殺したが、敵の抵抗はまだ続いていた。一体どこから沸いてきやがるのかと思考を巡らせながら佐藤は冷静に引き金を絞る。
反動。5.45mm弾が一瞬遮蔽物から身を乗り出した敵兵の頭を掠めるが、命中はしなかった。
「自動航行装置はまだ作動しねえのか!? 救援要請は!?」
背後で計器を弄っている乗組員に佐藤は叫ぶ。
「まだ駄目ですっ! 救援要請は周波数が全く分からなくて……」
「クソッ! 俺が西園寺の緊急回線を使って要請する! おいお前、ここを任せたぞ! 屑共を一匹たりとも通すんじゃねえ!」
佐藤はそう叫んで、隣に居たもう一人の乗組員に残弾が僅かしか残っていないAKを託し、遮蔽物にしていたテーブルの陰から飛び出して計器類の方へと走った。大型無線機に飛びつき、慣れた手つきでダイヤルを回し周波数帯を合わせる。
「こちらは近衛第一小隊長、佐藤 一輝! 認識ID21330921、現在レベルAの脅威と交戦中! 至急救援を求む!」
ヘッドセットを被り、マイクに向かって同じ言葉を数度投げつけて応答を待つ。
≪――こちらHQ、貴官は客船”龍鳳”で作戦行動中か?≫
返答が帰ってきた。佐藤は内心喜びつつも、そのまま冷静に状況を伝える。
「ああそうだ! コールサインはエコーリーダー。護衛部隊は俺以外皆死んじまった! 護衛対象は現在傭兵と行動を共にしている! こちらは客船艦橋内に数人の船員と共に立てこもっているが、敵の攻撃は苛烈でもう持ちこたえられそうにない! 至急救援を要請する!」
≪了解。三十分以内にヘリを回す。それまで持ちこたえてくれ≫
「簡単に言ってくれるな……ッ! 了解した! それまでは何とか持ちこたえて――」
瞬間、左肩と右脇腹に焼けるような痛みが走った。瞬間、全てがスローモーションのようにゆっくり動いて見えてくる。振り向けば、入口の所には拳銃を片手に持った敵兵が居た。先程AKを託した船員は首から上が粉々の肉片になっている。自動航行装置を弄っていた奴はなんとか逃げ延びたようだ。よく見れば、痛みの発生源から鮮血が大量に流れていた。恐らくあの拳銃で撃たれたのだろう。感覚からして弾は貫通しているが、放っておけば出血多量でお陀仏だ。しかし止血処置をしている暇も無く、数秒後に自分はあの拳銃に撃たれて即死するだろう。まあ悪くない人生だったし、俺らしい終わり方といえばそうだ。佐藤はふと思った。彼が残す唯一の悔いといえば、護るべき対象である香華をこの手で無事に送り届けられなかったことだろうか。
兵士が吹っ飛ぶ佐藤にマカロフ自動拳銃の狙いを定めた。だが引き金を絞ろうとしたその時、突如ガラスの割れる音が響いた。その音を兵士が認識した数瞬後には、彼の右腕は轟音と共にマカロフごと遥か彼方へと千切れ飛ぶ。続けざまに響く、突撃銃の放つ咆哮。兵士は全身を5.56mm弾にズタズタに引き裂かれて絶命した。
「――間一髪、ってとこか? 待たせたな護衛隊長殿」
作動音と共に宙に放られるショットシェルが床に落下し、紙パックが落ちたような独特の音を奏でる。佐藤は声の主の顔を見るなり、幾らなんでも遅すぎるぜ。と吐き捨てて不敵な笑みを浮かべてみせた。声の主――傭兵、戦部 戒斗も同じように口元を綻ばせると、ヒーローは遅れてやって来るもんだぜ? と言葉を返してみせた。
その十分程前、戒斗、琴音、香華の三人は武器庫からまっすぐに伸びた梯子をひたすら昇っていた。
「ちょっとこれ……長すぎるんじゃないの……?」
息も切れ切れにそう愚痴る琴音は、上に戒斗、下は香華に挟まれる位置に居た。
「くれぐれも下は見るなよ。損しかない」
戒斗が冗談交じりにそう言うと、そんなのは百も承知よ。と返す琴音。
「大体、なんでこんな梯子昇らなくちゃならないわけ……!? 階段があるじゃないの……!」
香華が、明らかに苛立った口調で呟く声が聴こえた。戒斗は昇ってみれば分かるさと返してやる。
やっと出口らしき行き止まりが見えてきた。恐らくこれは扉だろう。戒斗は片手でそれを押し上げてやる。開け放った扉の向こうに広がっていたのは、夜空だった。先に這い上がり、外に出てから二人の手を取って引きずり出してやる。香華を引き上げた後、改めて辺りを見渡してみれば、そこは艦橋の真上だった。三人の直上には、レーダーシステムらしいマストが立っているのみで、他に目立った構造物は無い。
「よし、ビンゴだ。この船作った奴は結構頭いいのかもな」
「どういうこと?」
全く意味が解らないと言った様子で琴音が訊き返す。戒斗は先程武器庫で入手したロープのようなモノを二人に手渡しながら続ける。
「多分テロ対策だろうな。艦橋コントロール部が占拠された時の為の緊急アクセスルートで作ったんだろうよ」
言いながら戒斗は、慣れた手つきでロープに取り付けられたハーネスを身体に装着していく。
「ここからコイツを使って艦橋まで一気にラぺリング降下する。よく消防や自衛隊の連中がやってるようなアレだ。ハーネスはしっかり付けとけ。転落死したくなけりゃな」
言われて琴音と香華の二人は戒斗の見よう見まねでハーネスを装着していく。まあハーネスと言っても、腰部と肩掛けのみの簡素な作りのモノだが。
「突入したらすぐに戦闘になると思っていい。初弾の確認と、安全装置の解除をしとけ」
一足先に装着を終えた戒斗は、モスバーグM500散弾銃を片手に、手すりのような金属の棒が据えられた所に近寄って、ロープ先端のカラビナをその棒に着けた。残る二人も続いてカラビナを着けていく。
「なんだか、アクション映画の主人公になった気分ね」
香華は冗談交じりに言う。その顔は笑ってこそいるが、緊張の色が隠しきれていない。
「ハッ、映画なんかよりもっと派手で、血生臭くて、それでいてエキサイティングさ。今から俺達がやってみせることはな」
戒斗は笑って言葉を返すと、床を蹴って降下を始めた。ロープが擦れる音が響く。続いて琴音が、最後に香華が降下を始める。数回壁を蹴りながら降下していき、三人は丁度艦橋にある窓の少し上で止まっていた。
「さて……ハリウッド映画ばりのアクション、見せてやるとするか!」
まず戒斗が窓の目の前まで下がり、モスバーグM500散弾銃を片手で発砲。強化ガラスにヒビを走らせてから思いっきり窓を蹴り飛ばし、同時にハーネスのロックを解除して窓を突き破り室内へと突入する。転がると同時に受け身を取り、モスバーグの銃把を前後させて排莢と次弾装填を行う。勢いに任せて立ち上がり、モスバーグの狙いを目の前に居た敵兵士に合わせる。視界の端では肩と脇腹から血を流した佐藤らしき男が吹っ飛ばされていた。
発砲。流石に少し狙いがずれたのか、即死には至らず兵士の右腕を握っていた拳銃ごと吹っ飛ばしたのみだった。すぐに次弾で射殺しようとするが、遅れて突入してきた香華がM4A1を連射で乱射し、たった今片腕が無くなった兵士は身体中を5.56mm弾でズタズタに引き裂かれて絶命。物言わぬ肉塊と化した。
「――間一髪、ってとこか? 待たせたな護衛隊長殿」
言いながら戒斗は、モスバーグの銃把を前後させる。作動音と共に宙に放られるショットシェルが床に落下し、紙パックが落ちたような独特の音を奏でた。
「ヘッ、幾らなんでも遅すぎるぜ……」
戒斗の顔を真っ直ぐ見据えながら、佐藤は吐き捨てて不敵な笑みを浮かべてみせた。戒斗も同じように口元を綻ばせる。
「何言ってんだ、ヒーローは遅れてやって来るもんだぜ?」
そう言いながら、琴音に警戒の指示を出して佐藤に近寄る戒斗。その横で香華は、佐藤の銃創を見るなり青ざめた顔で佐藤に詰め寄った。
「さっ佐藤!? 酷い怪我じゃない……大丈夫なの!?」
「悪いがちょっと退いててくれ。大丈夫だ。大した傷じゃねえ」
戒斗は言って、明らかに混乱している香華を押しのけて佐藤に応急処置を施してやる。傷口を布で縛っただけの応急的な処置だが、暫くは大丈夫だろう。そういえば俺もさっさと左肩をちゃんと処置しねえとな。と戒斗は自らの傷をすっかり忘れていたことを思い出し、苦笑いを浮かべた。
「よし、これで暫くは良いだろ。この後の脱出計画はあるのか?」
「ああ、今さっき西園寺の緊急回線を使って救援要請を送った。三十分でヘリが到着する」
佐藤は痛みに少し顔を歪めつつも、しっかりとした口調でそう言って立ち上がった。
「上等だ。そうと決まりゃさっさとコイツらブチのめしてここから出るぞ。いつまた忍者が襲ってくるか分かったもんじゃねえ」
「――がぁぁぁぁッ!!」
戒斗がそう言って廊下の奥に潜む兵士達の前に躍り出ようとしたその時、その兵士達が居るはずのところから断末魔の叫びが聞こえてきた。それも一人や二人ではない。散発的に応戦する銃声が聞こえるが、それも全て断末魔にかき消されてしまった。戒斗は身体を緊張させ、臨戦態勢に移る。佐藤も傷ついた身体に鞭打ってホルスターから回転式拳銃、コルト・パイソンを引き抜いた。
廊下の向こうから聞こえてくる、ブーツの甲高い足音。その音はゆっくりと、確実にこちらに近づいてくる。戒斗は数歩後ずさりし、入口との間を取った。
足音が近づいてくるにつれて、何かを咀嚼するような音が聞こえてきた。ポタポタと、液体が滴る音も。
「……琴音、下がってろ」
琴音を背に隠して庇うような位置に戒斗は立った。そして、足音の主は遂に艦橋の中に入ってくる。その姿に、戒斗以外の三人は絶句していた。ロクに手入れされていないような金髪をユラユラ揺らした大柄の男。少しだけ顔には皺が走っていた。恐らく三十代ぐらいだろう。ジーンズに通されたベルトに直接取り付けられた右腰の革製ヒップ・ホルスターの中で輝くステンレス製の回転式拳銃が妖しく光る。その風貌だけでも凶悪な印象を見る人に否応無く植え付けるモノがあった。だが、この男はそれだけではなかった。右手に持っているのは、”左腕”。人の左腕だった。それを”喰っている”。比喩ではなく、本当に”喰って”いるのだ。口元からは自分の血なのか、はたまた”左腕”から滲み出た血液なのか分からない鮮血が滴っている。――誰もが見れば分かるだろう。この男は正真正銘”狂っている”のだと。
「貴様……俺達の仲間じゃなかったのか……!!」
男の背後から、運良く生き残った兵士がAKS-74uの銃口を震える両手で構えて罵倒を投げつける。男はニヤリ、と凶暴な笑みを浮かべると、それまで喰っていた左腕を投げ捨てて、兵士に向き直る。
「……お前も、俺に喰われたいのか?」
そう言った瞬間、男は恐ろしい速さで地を蹴り、兵士との間合いを一気に詰める。そのままの勢いで兵士の腹に右腕を押し付けたかと思うと、次の瞬間には腕が腹を”貫通していた”。胴体に大穴を空けた兵士は力なく倒れ込もうとするが、男はそれを許さない。血と臓物の破片で汚れた右腕を一気に引き抜き、兵士の首根っこを鷲掴みにした。左手で兵士の胴体を掴んだかと思えば、男は右腕を力いっぱい上に引き上げた。呆気なく胴体と別離する兵士の首。芋づる式に脊椎が胴体から引きずり出された。男は脊椎を全て引き抜くと。興味を無くしたと言わんばかりに乱雑に脊椎付きの頭部を床に投げ捨て、右腕をフルに使って兵士だった肉塊の四肢を引き千切る。倒れる胴体だった肉塊。辛うじて原型を保ってる部位に男は右腕を突き立て、臓物を引きずり出した。引きずり出した臓物――大きさからみて恐らくは心臓だろう――を迷うことなく男は口に押し込んだ。咀嚼するたびに残留していた鮮血が口から飛び散る。
「こんな……こんなことって……」
香華はあまりにショッキングな光景を目の当たりにして腰を抜かし、床にへたり込んでしまった。どうやら放心状態になっているようだった。
「ね、ねぇ戒斗……もしかして」
琴音が震えた声で訊く。彼女の片手は自然と、戒斗が身に纏う黒いスーツジャケットの裾を握っていた。その手は、小刻みに震えている。
男は一通り喰い終えて立ち上がり、改めて戒斗に視線を向けると、より一層凶悪な笑みを浮かべた。その表情には、誰もが恐怖したであろう。
「よォ……久しぶりだなァ、戦部のガキよォ。いや? 今は”黒の執行者”様とでも呼んだ方が良かったのかァ? ハハハハハハハッッッ!!」
嗤うその男の顔を、戒斗は忘れたことはない。いや、忘れたくても忘れられなかった。見る者全てを恐怖に陥れるその風貌、凶悪な嗤い声。この世の悪全てを凝縮したかのような狂ったその男の名を、どうして忘れられようか。
「――浅倉ァァァァァァッ!!!!」
咆哮を上げた戒斗はモスバーグの銃口を血濡れの金髪を揺らす男――浅倉 悟史に向ける。戒斗の心は怒りと憎しみで満ち溢れている。彼を今突き動かすモノは、復讐心に他ならなかった。




