アメリカ帰りの”執行者”
ここはアメリカ合衆国、西海岸。ロサンゼルス郊外のとある道を走る黒塗りのリムジン。その後部座席で眠たげにボサボサの黒髪を引っ掻いている男が居た。彼の名は、戦部 戒斗。
その眠たげな戒斗の対面には、アメリカ国内でその名を知らない者は居ないとまで言われている世界的歌手が座っている。所謂VIPというやつだ。
特に会話もなく、こうして二時間ほど経っている。連日の徹夜もあり、戒斗の眠気は最高潮に達していた。
ただ座ってるだけの仕事も意外と疲れるもんだ。戒斗は心の内でぼやく。
彼の意識が眠りの向こうへと飛びかけたその時、突如リムジンはブレーキをかけ急停車する。
何事かと思いフロントガラス越しに前方を見ると、リムジンの前を走っていた護衛のRV車の進路を、数台の車が妨害していた。周囲を見渡すと、リムジンの四方八方も同じような車に囲まれ、身動きが取れない状態に陥っていた。
明らかにガラの悪そうな男達が妨害してきた車から一斉に降り、前後の護衛RV車から黒いスーツ姿のSP達を引きずり出す。抵抗を試みた者も居たが、すぐに無力化されてしまった。
「貴女はリムジンから出ないで下さい。後は任せて貰って構わないですから」
戒斗はVIPに一言、そう告げると、リムジンの扉を開け一人男達の前に立つ。
「あァ? なんだテメェは?」
リーダー格と思しき大柄な黒人の男が手に持った.45口径の大型自動拳銃――コルト・ガバメントM1911の銃口を向けて言う。
見たところ相手は六、七人、武器は突撃銃に自動拳銃ってところか。
戒斗は冷静に状況判断しつつ、上着の下に着けたショルダーホルスターから、ミネベア・シグ――高精度で知られる自動拳銃、シグ・ザウエルP220を、日本・ミネベア社(旧社名:新中央工業)が生産した、自衛隊向けライセンス生産品――引き抜き、リーダー格の男に銃口を向けた。
「悪く思わないでくれよ? こっちも仕事なんでね」
スライドを引き、9mm弾を薬室に送り込む。
(右に二人、正面三人に死角に一人か)
戒斗は右に振り向くと同時に、自動拳銃を構えていた男二人の脳天に9mm弾を叩き込む。
「野郎ッ!」
リーダー格の男が発砲。開け放たれたままのドアを盾にする。
銃撃をやり過ごしつつ、リムジンの後方から回り込んできた敵一人を射殺。その間にも鉛弾の雨はドアを抉っている。
敵は自分達の乗ってきた車を盾にし、三人の内二人はフルオート掃射可能な突撃銃、M16A2を所持していた。
戒斗がドアの陰で銃撃を耐えていると、唐突に発砲音が途絶える。どうやら弾切れのようだ――この隙を突き、戒斗は敵の前に躍り出た。
走りつつ、片手で発砲。敵を車の陰に釘付けにしてやる。
唐突に、手に持ったミネベア・シグのスライドが後退しきったまま止まり、弾切れを知らせる。慣れた手つきで、戒斗は素早く弾倉を交換し、スライドストップを解除。新たな9mmルガー弾を薬室に送り込む。
「死ねやァッ!」
敵の一人が弾倉交換の終わったM16A2を戒斗に向け乱射。戒斗は5.56mm弾の雨を掻い潜り、男に肉薄。右肩と両足に至近距離から鉛弾を食らわせ、無力化した。
M1911のトリガーに指を掛けていたリーダー格の男を蹴りで怯ませ、その隙に彼の手からM1911を吹っ飛ばす。そのまま手首を掴みつつ、関節を極め、空いた左腕で首をホールドして拘束。アスファルトの車道へと滑り落ちたM1911を足で弾き飛ばしつつ、男を盾にしてもう一人の両肩両足に残弾全て叩き込んだ。
「相手が悪かったとでも思え」
戒斗はそう呟き、スライドストップが掛かったミネベア・シグのグリップ底で男を殴り付け、気絶させる。
いつの間にやら解放されたSP達が男達に群がってきた。
「後処理よろしく。生きてる奴は煮るなり焼くなり好きにしてくれ」
そう言って、戒斗はミネベア・シグをショルダーホルスターに収め、今では弾痕だらけの無残な姿に変わり果てた、黒塗りのリムジンへと戻っていく。
そのリムジンの前で出迎えるVIPは、にこやかに上品な笑みを浮かべていた。
「流石は”黒の執行者”の異名を持つ傭兵だけはあるわね。貴方に護衛を依頼して正解だったわ」
VIPは戒斗に握手を求め、言った。
「そりゃどうも。あ、かかった弾代は、依頼料と別に、経費として請求するからよろしく頼む」
とりあえず握手に応じつつも、再び眠そうな表情に戻る戒斗。
「まあこんだけ痛めつければしばらくは襲ってこないだろ……あーもう限界だ。悪いが寝かせて貰う。ロスに着いたら起こしてくれ」
元の座席に戻り、弾痕だらけのドアを閉め、そのまま戒斗は眠りに堕ちていった。
「ったく、徹夜続きだってのにあんなキッツイ仕事勘弁してくれよな……」
ロサンゼルス市内の自宅に戻っていた戒斗はこう呟きつつ、ソファに座り、数時間前に使っていたミネベア・シグを簡易分解整備していた。
「あんでも楽な方だろ。報酬はすこぶる高いわ経費は出るわ、良いお客じゃねえか」
ソファーに座り込み愛銃である回転式拳銃、コルト・パイソンをガンスピンさせている壮年の男――戒斗の父親、戦部 鉄雄は笑いを交えて話す。
「まあ報酬が高いのは良いけどよ……」
ガンオイルの注油を一通り終えたミネベア・シグのスライドに、銃身とリコイル・スプリング一式を組み込み、フレームに組み入れてテイクダウン・レバーを跳ね上げてロック。そして最後に、八発フル装填した弾倉をグリップの底へと叩き込み、全ての整備が完了したミネベア・シグをホルスターに収めた。
「ところで戒斗、日本に戻る気はないか」
「日本に?」
鉄雄の問いかけに、相当困惑した様子で聞き返す戒斗。
「ああ。規制が無くなった今ならこの仕事も続けられるしよ……それに、一度くらい、お前も普通の高校生活ってのを、送ってみてもいいんじゃねえかと思ってな」
日本、愛知県のとある某所に存在する、私立神代学園。良く言えば自然に囲まれた環境のいい立地、悪く言ってしまえばド田舎の僻地にあるのがこの学園だ。
早朝の二年E組の教室。その窓際最後尾の座席に座り、ひたすら窓の外を眺めている女子生徒が一人。
彼女の素肌は陶磁のように白く透き通っており、前髪の下で輝くその双眸は、まるで吸い込まれてしまうかのように美しい。肩甲骨あたりまで伸びた、頭の後ろで縛った髪。所謂ポニーテールが、一際目を引く。例えるなら、絵に描いた美少女が、そのまま現実世界へと飛び出してきたかのようだった。
教室内では昨日のドラマがどうだとか、今日の課題はどこだとか、そんな他愛のない、ごく当たり前の日常風景が流れていた。しかし彼女――折鶴 琴音だけは、その空間から隔絶されたかのように、どこか神秘的な佇まいだった。
「おい席に着け―。HR始めるぞー」
教室の扉を開け、担任の男性教師が教壇に登る。クラスメイト達は渋々、自らの席へと戻っていった。
使い古された黒板の前では、担任が今日の予定はどうこう、今日の日直は誰だとか、いつも通りの話をいつものように話している。
いつもと何ら変わらない日常。同じことを繰り返す日々の繰り返しが、この先もずっと続いていく――琴音は、そう信じて疑っていなかった。
「あー、今日は転入生を紹介する」
教室内が一気にどよめく。琴音もその知らせに驚いたような表情を浮かべるものの、内心では、どんな奴が新しくクラスに加わるのかを期待していた。
「ハイハイ静かに。それじゃあ戦部、入って」
――担任の呼びかけで戸を開け、教室内に入ってきた転入生。背はそこそこ高めで、四方八方に吹っ飛んだ、ボサボサの黒髪が目を引く男子生徒。顔は比較的整っているが、イケメンというよりも男前といった感じだった。
その転入生の、どこか常に気だるそうな表情。ロクに整えていないボサボサの髪を琴音は見慣れていた。遠い、遠い昔に――
「戒斗!? 戒斗なんでしょう!?」
……気づけば、琴音は一人立ち上がり、転入生に向かって叫んでいた。
クラス中の視線が琴音と転入生の二人に釘付けになる中、その転入生――戦部 戒斗は初め困惑していたものの、自分に向かって叫んだ美少女、琴音にどこか見覚えというか、親近感を覚えていた。
そして、彼は思案した末に、ある一つの結論に辿り着く。
「もしかして……琴音か?」
記憶の彼方。十年前、戒斗の幼少期に、家が隣同士でよく一緒に遊んでいた幼馴染の少女、折鶴 琴音にそっくりだったのだ。彼女の容姿といい、雰囲気が。
「お前ら、一回黙れ。折鶴は座れ。戦部、改めて自己紹介を頼む」
担任が咳払いしつつ促す。クラスメイト達は渋々といった感じで黙り、折鶴は自分に視線が集まっていたことに今更気づき、赤面しつつ着席した。
「戦部 戒斗です。ついこの間ロスから越してきたんでアレですが、十年前までこの辺に住んでたんである程度勝手は分かります」
適当に自己紹介を済ませた戒斗は、担任に座席をどこにすればいいかと訊く。
「あー……そうだな。丁度折鶴の前の席が空いてるからそこ座れ。そこだ、そこ。窓際の、後から二番目だ」
指示に従い、戒斗は言われた通りの席に着く。
「よーし、それじゃあ授業始めるぞー」
戒斗と琴音。二人とも疑念が解消された訳ではないが、とりあえず今は授業を受けることにした。
「――ねえ君、お昼一緒にどう?」
午前の授業が終わり、席に座ったまま昼食を摂ろうとしていた戒斗に、琴音は声を掛けた。
「ん?ああ、構わないけど」
「それじゃあ、折角だから屋上行かない? あそこならそうそう人も来ないし……ね?」
困惑気味の戒斗をよそに、彼の腕を掴むと、琴音は半ば強引に戒斗を屋上へと連れて行った。
屋上といっても、そんな大層なモノでもないようだ。余った机の置き場と化した踊り場を抜けた先、妙にボロいドア一枚潜った向こうは、転落防止のフェンスと貯水塔以外特に何もない空間、いや屋外だった。
「見ての通り、貧相な屋上でしょう? 別に立ち入りが禁止されてるってわけでもないんだけど、殺風景だから殆ど人は寄り付かないの」
確かに殺風景ではあったが、景色は見事なモノだった。遠くには山が綺麗に見え、西の方には名所である駅隣接のツインタワーや、その周囲に群がる幾多もの高層ビル群が微かに望める。
「いい眺めでしょう? ここに吹く風は最高に気持ち良くてね……入学した時から、暇を見つけてはよくここに来るの。で、本題なんだけど」
琴音の表情が変わる。戒斗とて、彼女に訊きたい事は同じのはずだ。
「大体察しはついてる。十年ぶりだな、琴音」
HRで抱いた疑念は、午前の授業を通して確信へと変わっていた。身体こそ成長しているものの、言動の節々や細かな癖が、昔の、彼の記憶の中に存在する、幼馴染の折鶴 琴音のままだったからだ。
「じゃあ、やっぱり……!」
琴音の表情がみるみる明るくなっていく。
「今までどこ行ってたのよ! あの時はいつも遊んでたのに、突然居なくなっちゃうから……」
「親父の仕事の都合で仕方なかったんだ。何も言わずに引っ越しちまって、すまなかったな」
琴音はフェンス近くのコンクリートの出っ張りに腰かけ、持ってきた弁当を広げだす。
「まあ、こうしてまた会えたのも何かの縁なのかもね。積もる話はおいといて。今はとりあえず、食べよ?」
戒斗はああ、と頷き、朝コンビニで購入した弁当とパンが入ったビニール袋片手に琴音の真横へ腰かけた。