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第8話  あたいの一番

 ――飲み込んだ水は酷く苦く、重い。

 ベネアルは胃液まで吐き出すほど水を吐き、しばらく荒い呼吸を繰り返した後、ようやく周囲を見回すことができた。

 がむしゃらに泳いで辿り着いたのは、どうやら堀に繋がっている水路らしい。そこは意外なことにそれなりに広い空間で、水路の両脇には人が歩けるよう水に沈んでいない部分もある。ベネアルはその部分でぐったりと横になっていたのだ。

 気付けば彼女は人間の姿に戻っていて、当然ながら全裸だ。しかしそんなことを気にしている場合でもなかった。


(整備用の空間……ってよりむしろ、有事の際の避難路だっけか)


 いつだったか、ソルファとお忍びで城下町に出た時、彼女からそんな話を聞いた覚えがある。その時はまさか自分が立ち入ることになるとは思ってもいなかったが。


「っ、そうだ、姫様……」


 ベネアルは慌てて身を起こす。すると自分の隣でソルファが、そして反対側には王化がぐったりと倒れていた。

 一安心、などできる状況ではない。ベネアルはソルファを横向きに寝かせると、その口の中に右手を突っ込み、中指の先で喉を押す。


「っ――! ごふっ、がはっ……!」

「姫様、堪忍しておくれよ。そのまま水を吐いちまいな」


 ベネアルは必死で慰めながら、ソルファの背をとんとんと叩く。

 王化が見れば絶句するであろう乱暴な方法だが、この世界では溺れた人間にはこのような対処をするのが最善とされている。実際、今回に関しては効果を示したらしく、ソルファは無事に意識を取り戻した。

 水を吐き、苦しげに呼吸を整えることしばらく、ソルファはやっとベネアルに気付く。


「はぁ、は……ベネ、アル……? 良かった、無事だったの……」

「こっちの台詞さ。大丈夫かい、気分は悪くないかい?」

「うん、平気よ、ありがと――あ、オーカは!? オーカはどこ!?」

「大丈夫、落ち着いて。ここにいるさね」


 ベネアルは苦笑しながらすっと身を退け、倒れている王化の姿を見せる。するとソルファはすぐに王化に駆け寄り、ベネアルが施したのと同じ処置を始めた。


(ったく、意識が戻るなり他人のことばっかりかい……)


 そんなお人だから、あたいはついてきたんだがねえ――こんな状況だというのに、ベネアルは思わず呆れた笑みを浮かべてしまう。否、こんな状況にあってもなお、まるで変わらないソルファに安心したのだった。

 ソルファの処置によって、王化は水を吐き出す。しかし、意識が戻ることは無く、荒い呼吸を繰り返すばかりだ。


「ちょ、ちょっと、オーカ? オーカ、起きて、ねえ」

「? どうしたんだい?」


 見れば、溺れかけたことを差し引いても王化の顔色が悪い。どころか全身の肌が死体のように青白くなり、指先も小刻みに震えているのが分かる。

 ソルファはその症状を見て思い至る。


「ど、どうしよう……魔力枯渇が、深刻な域に達してる……!」

「それは、まずいのかい」

「すごく危険な状態よ。本来持ってる魔力を超えた魔力消費をすると、足りない魔力は生命力で補われるの。オーカは完全に魔力が尽きた状態で私の『穿つ一投(レッド・カタパルト)』を『増幅』させたから、多分生命力はもう半分も残ってない……」


 泣きそうな顔で頭を抱えるソルファ。医療魔法を使えない彼女が、今王化にしてやれることは何も無いのだ。

 ベネアルはソルファの肩越しに王化の顔を見遣る。絶えず傲慢な、そして鷹揚な笑みを浮かべていた顔が、今は苦悶に歪んでいた。

 ――思うところは、ある。

 ほんの僅かな時間を共にしただけだが、それでも王化のそんな姿は、ベネアルの胸をきつく締め付けた。


「そうだ、早く、早く医者に診せないと――」

「姫様」


 ソルファが王化に伸ばしかけた手を、ベネアルはすっと掴む。


「ベネアル……?」

「闇医者に当てはあんのかい? 普通の医者に連れて行ったりしたら、すぐに足がついちまうよ」

「それは……で、でも! このままにしてたら――」

「そもそも、死に損ないを抱えて逃げる余裕なんざ無いんだよ、姫様。夜が明ければ大臣たちはあたいらを本格的に探し始める。堀で死体が上がらないことに気付けば、城下町にも手を伸ばしてくるだろう。だから今のうちに安全な場所を確保して、この先どうやって逃げるか考えなくちゃならないんだ」


 つとめて冷静に、ベネアルは諭すように言う。

 しかし、そんな言葉に納得できるソルファではない。


「お、オーカを見捨てろっていうの!? 駄目よ、そんなこと絶対駄目! 忘れたの? オーカがいたから逃げられたのよ?」

「騒動のきっかけを起こしたのもこいつだ」

「それを言うなら、元々はオーカを呼び出した私が一番悪いわよ。私が召喚なんかしなければ、オーカはこんな目に遭うはずじゃなかった……!」

「それは、そうだろうけど……」


 自責の念に声を震わすソルファに、ベネアルは言葉を詰まらせる。

 どれほどそうしていただろう。ソルファは決意を込めて宣言する。


「……オーカは助ける。絶対よ」

「姫様……冷静になっておくれよ。それはできない、無理なんだよ」

「だからって見捨てられないでしょう!? 貴女は、なにも思わないの!?」

「っ! あ、あたいだって、本当は助けたいに決まってるじゃないか! こいつは馬鹿っぽいけど大した奴だよ、もっと一緒にいられるんならそりゃあ楽しいだろうさ! だけど、今はそんなことを言ってる場合じゃないんだよ!」


 思うところは、ある。たとえ僅かな時間だろうと、交わした言葉と笑顔を思えば、無いわけがないのだ。

 それでもと主張するベネアルに、しかしソルファは譲らない。


「私は、私は誰も見捨てない! 誰も裏切らない(、、、、、、、)! 自分の身のためにオーカを捨てるなんて、私は絶対にできない!」

「姫様……気持ちは分かる、分かるんだよ。

 でも――それでも、あたいの一番は姫様だ。

 他の何を犠牲にしても、この身を差し出してでも、あんたにゃ無事生き延びてほしいんだよ……! あたいの気持ちも、分かっちゃくれないかい?」

「ベネアル……」


 すがるように、目にはうっすら涙まで浮かべて懇願するベネアルに、ソルファも言葉を失う。

 迷って、迷って、躊躇って。


「――ごめんなさい。それでも、私には、見捨てるなんてできない」


 ソルファが出した答えは、変わらぬ彼女の信念だった。


(ああ……分かってたよ。あんたは、そういうお人だ。だからこそ、だからこそなんだ)


 ベネアルは諦めたように苦笑を浮かべる。これ以上言葉を重ねるのは無駄だと悟ったのだ。


「ベネアル、貴女の言うことも分かるわ。だから貴女まで付き合う必要は無い。貴女一人ならどうにでも逃げられるでしょう?」

「馬鹿言うんじゃないよ姫様。言っただろう? あたいの一番はあんたなんだ、自分だけ逃げてどうすんだい」

「……そう。ありがとう」


 穏やかな笑みと共に礼を告げるソルファ。彼女も彼女で、ベネアルの説得は無駄だと分かっているのだろう。

 ソルファは王化の身体に手を伸ばす。優しく、まるで赤子を抱く母のようにその身体を抱きかかえ――

 と。


「――悪く思わないでおくれよ、姫様」


 手刀一閃。

 無警戒のうなじに、ベネアルの鋭い手刀が振り下ろされた。

 ふらり、声も無く崩れるソルファを、ベネアルは受け止める。上手く意識を落とせたらしく、その顔は寝顔のように穏やかだった。

 ――ベネアルの一番はソルファだ。たとえ自分が(、、、、、、)どれだけ恨まれようと(、、、、、、、、、、)、ソルファの無事が一番なのだ。

 そのままソルファを抱えて場を去ろうとして、ベネアルはふと自分が全裸であることを思い出す。


「……ごめんよ。ほんと、ごめん。あんたは、存分にあたいを恨んでおくれ」


 ベネアルはそう呟いて、王化の衣服に手をかける。せめてもの情けにと、ポケットにあった物は全て王化の手元に残しておいた。

 と、その中に、折れた剣の柄があることに気付く。


(屈服、とか言ったっけか……直接は見てないが、あのお面共が膝をついてたのは、多分こいつの効果なんだろう)


 これはソルファの役に立つかもしれない、と思い直し、ベネアルは罪悪感に苛まれながらも手を伸ばす。

 が。

 指先が柄に触れた瞬間、ばちりと熱と光がベネアルを拒む。


「っつぅ……」

『悪いが、一緒に行ってやることはできんぞ』


 そして、折れた剣が幼子の声で告げる。笑みを含んだ声ではあったが、それは明確な拒絶だった。


「……そこで、死体と錆び付くのがお望みかい?」

『主以外に使われるぐらいなら、その方がマシじゃ。お主なら分かるじゃろう? のう、忠臣よ』

「ああ、そうさね。――あんたの主にゃ酷なことをする。精々恨んでくんな、忠剣(ちゅうけん)

『はは、恨まんさ。儂が同じ立場なら、きっと同じことをする』


 交わす言葉はそれきりだ。

 ベネアルは剥ぎ取った服をまとい、ソルファを背に抱えて去っていく。

 王化とマキャベルは、ただその場で朽ちるのを待つのみとなった。



   □



 足音も遠く消え去り、ただ水音ばかりが絶えず続く。

 目を覚ます様子も無い、どころか少しずつ衰弱していく主を横目に、マキャベルは思う。


(はぁ……ようやっと封印が解けたというに、また短い娑婆だったのう。せめてもう少し魔力が残っていれば、実体化して主を助けられたんじゃが、もう声を発することもできん)


 先ほどの問答で、ほんの僅かに残っていた魔力も使い果たした。あとは意識が消えるのを待つのみだろう。

 ――あのまま、共に行くべきだったか。

 否、とマキャベルは心中で笑い飛ばす。

 人には人の、王には王の、そして剣には剣の誇りがある。その誇りに殉じるのであれば、ここで錆びていくのも悪くはないと思えるのだ。


(っと、そろそろ、眠くなってきおったわ……)


 意識が少しずつ遠のいていく。それはまるで、眠りの淵に落ちていくように。

 最後の力を振り絞り、マキャベルはもう一度主に目をやる。思い出されるのは、己を握る暖かな掌だ。


(叶うのなら、最後にもう一度でも、この手に抱かれたいのう……)


 彼女は今まで幾多の手に抱かれ、振るわれてきた。しかし王化の手はそのどれよりも、優しく暖かかったのだ。

 だから、もう一度だけでも――

 と。


『きゅ?』


 奇妙な声が、マキャベルの意識を呼び戻した。

 驚いてその声がした方向に目をやれば、半透明の団子のようなものが三つ、水路の水面から顔を出してこちらを見つめていたのだ。


(な、なんじゃ……? あれは、スライムか……?)


 戸惑っている間に、その三つ――否、三匹は、ひょいと通路に出てくる。水を吸ったその体は意外に大きく、一つ一つがよく育ったカボチャほどもある。


『いた』

『いた』

『いたよ』


 奇妙な声の三連鎖。スライムたちは喜んでいるのか、ぺちゃぺちゃと音を立てながら王化とマキャベルの周りを跳ね回る。

 何周かして満足したのか、三匹は二人に近付いてくる。そして半ばその体内に取り込むような形で、二人のことを持ち上げたのだ。


(ちょ、な、なにをする気じゃこいつら! おい、待て、降ろせー!)


 もう怒鳴る力すら残されていないマキャベルは、主共々わけも分からぬまま連れ去られるのであった。


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