第5話 俺の前だけ
大変な騒動になった。
二人の絶叫、特にソルファの悲鳴は城中に響きわたったらしく、ものの数分で庭園に城中の人間たちが集まってきた。
そして老いも若きもメイドも大臣も、集まった全員が見たのである。
――ソルファが、折れた『選定の剣』を手にしているのを。
これは王化の機転であった。余所者の王化が「真に王たる資格を持つ者だけを選ぶ剣」に選ばれたとなれば、如何に与太話としか思われていない伝説とはいえ、混乱を招くのは間違いない。それを防ぐため、人が集まってくるまでの僅かな時間に口裏合わせをして、「ソルファが『選定の剣』を折った」というストーリーを作ったのである。
ソルファ自らそのような筋書きを語ると、集まった者たちは大いに驚き、そして沸いた。現王がもう先が長くないというのは城の人間にとっては暗黙の了解であり、そこで姫が「真の王」であるという証を示したのだ、皆の歓喜も当然のことといえよう。
興奮した家臣団にソルファは半ば無理矢理連れ去られ、その他の人々も喜色を浮かべたまま庭園を去る。ボロボロの庭園に残されたのは、王化と、そしてガイアスだけだった。
「――オーカ殿。一つ、お聞きしたいことが」
「なんだ?」
「あれを折ったのは、貴方でしょう」
「……はて、なんのことやら」
一応とぼけてみるものの、ガイアスは既に確信している様子だった。
「はぁ……自分で言うのもなんですが、わたしはこれでもこの国で有数の魔法使いです。姫に魔法を教えていたのもわたしですから、『穿る一投』の威力も分かっています。そして、『選定の剣』がそれを上回る強度であることも。
となれば、事の真犯人は、消去法で貴方しか残らない」
「かはは、真犯人とはまた随分だな」
「笑い事ではありません。一体どんな方法を使ったのかは知りませんが――全く、厄介なことをしてくれた」
ガイアスは心底苦々しげに、絞り出すようにそう言う。その反応は王化にとっては予想外のものだった。
「? 壊しちまったのは悪かったが、そんなにまずかったか? 城の連中も喜んでように見えたんだが」
「……すみません、失言でした。忘れてください。
ただ――城の中にも、色々と事情があるのですよ」
彼はそう言い残すと、険しい顔で城へと戻っていく。王化は言いようのない不安を感じながらも、その背中を見送ることしかできなかった。
■
そして、その後。
王化は西の離宮に戻るなり、出迎えたベネアルと足立に連行される。騒動のせいですっかり忘れていたのだが、先ほどソルファが言っていた「ちょっとしたサービス」が用意されていたのだ。
で、その内容はというと。
「――王化君、どんな感じー?」
「あー、極楽ー。もうちょい温度上げてくれて良いぜ」
「了解。ちょっと火力上げるね」
足立はすぐに加護を発動させ、薪を燃やす炎を大きくする。ベネアルはその横で大きな葉っぱを団扇にして、絶えず空気を送り込んでいた。
(まさか、この世界で五右衛門風呂に入れるとはなあ……)
全身の筋肉がほぐれていくのを感じながら、王化はぼんやりと湯船に背を預ける。顔を上げれば満天の星空、乙なものである。
――ちなみに、言語妖精は少し離れた場所に着替えと共に置いてある。他人が持つなどして所有権が移らない限り、最長十メートルほど離れても翻訳効果は発動するらしかった。
「いいでしょ、これ。僕がこっちに来たばかりの時に、ガイアスさんに頼んで作ってもらった奴なんだ。ほら、あの人土系統の魔法使いだから、金属加工も割と得意らしくてさ」
「はぁん。だからなんつーか、手作り感溢れてんのか」
これはこれで味がある、と王化は満足げ。
五右衛門風呂というとドラム缶でというイメージが強いが、当然ながらこの世界にそのようなものはない。王化が今入っている浴槽は、程良い厚さの鉄板を五枚、上だけ開けた長方形として溶接した物、という極めて単純な作りだった。
「あんたら遠き地の者は風呂が好きだねえ。あたいも嫌いじゃないが、大の男がそこまで大喜びするもんかい?」
「するともさ。こう、生き返る感じがする」
「はは、だよね。それに、この世界だと、生き返るってのもあながち大袈裟じゃないし」
「? どういうこった」
「聞いてないかい? 勿論睡眠が一番なんだけど、食事とか入浴とか、そういうことでリラックスしても魔力って回復するらしいんだよ。簡単に言っちゃえば気力だからね」
「なるほど、そう言う意味か」
言われてみれば、普段風呂で休む以上に楽になっているようにも思えた。
王化は湯に肩まで浸かり、長い長い一息。風船から空気が抜けていくように、身体から疲労が消えていく感覚を覚える。
火加減が一段落したのだろう、ベネアルが湯船の縁にひょいと顔を出す。
「間抜け面だねえ」
「うるせえや、風呂ってのはこういうもんだ」
その額に水鉄砲を食らわせてやると、ベネアルはひゃんと高い声を上げて飛び退く。そしてそんな二人の様子を、足立が穏やかな笑みで見守っていた。
もう一度ふうと息をついた後、王化は二人に問う。
「――ところで、お前らこの城の事情について、どんだけ知ってる?」
「? 僕はあんまり。まだ来て一か月も経ってないし、いっても余所者だし」
「あたいはそれなりに長いから、そこそこ情報通だと思うよ。だけどいきなりなんだい?」
「さっき、ガイアスに意味深なことを言われてな……」
湯船の縁に身を乗り出し、王化は先ほどのガイアスとのやり取りを話す。
彼の言っていた『事情』とやらについて、少しでも知ってこうと考えたのだ。
経緯を聞き終えると、二人はなにやら訳知り顔で頷く。足立の方も知っているとなると、少なくとも城内では公然のことなのかもしれない。
「そりゃ多分、大臣のことだろうねえ」
「大臣?」
「王様が元気だった頃は、その右腕として重用されていた人でね、今じゃ王子と一緒にいることが多いかな」
「ああ、あの小太りの……んで、その大臣がどうしたんだ」
「大きい声じゃ言えないがね、姫様と折り合いが悪いんだよ。っていうのも、あの人は姫様と真逆で根っからの差別主義者でね、亜人とか遠き地の者が反吐が出るほど嫌いなのさ」
「はぁん……つまり、ソルファの奴がこのまま女王になっちまうと、大臣としちゃ二重で面白くないわけだ」
主義主張が正反対な以上、父王の頃ほどの重用は望めないし、ソルファが女王になれば亜人らとの融和が進むのは間違いない。大臣にとってはどちらも耐え難いことだろう。
(人ってのは、なまじ一度権力握っちまうと、その味に溺れちまうからなあ……)
王化は冷泉院組で過去起こった、幾つかの騒動を思い出す。そうした人の性は、どの世界でも同じことだろう。
「厨房の人たちもよく話してるよ。『大臣はどうにかして王子を国王の座につかせて、影の支配者になるつもりじゃないか』って」
「よくある話だな。ったく、平安の頃から人の考えることなんか変わりゃしねえ。――ん? そういや、そもそもなんでソルファが王になる前提なんだ? 普通は姫より王子の方が優先されるんじゃねえのか」
この世界の常識は分からないが、少なくとも王化のいた世界の基準で考えればその方が普通である。
その質問に、二人は更に難しい表情を浮かべる。こちらも事情があるらしい。
「これも言いづらいんだけど、王子は今の王様がメイドに産ませちまった、いわば不義の子なのさ。妊娠が分かった当時は、大臣がそのメイドを城から追い出して全部無かったことにしたんだけど、数年前にいきなり追い出した張本人の大臣が王子だけを連れてきてね、口先三寸で王様に認知させちまったのさ」
「ソルファと反りが合わねえことを早々に見抜いて、都合の良い人形を用意しておいたってことか」
「大臣は頭の良い人さ、本当に。厄介なことにね。姫様は姫様でお優しい人だろ? 王子を追い出すどころか弟として可愛がっちまうもんだから、大臣は一層調子に乗っちまうってわけ。
だから、正当な後継者は間違いなく姫様さ。でも、大臣はそこに王子を座らせようと必死だ。あの人はなんでもやりかねない。ガイアスの旦那が案じてんのはその辺りだろうね」
ベネアルはそこまで言い切ると、深く溜息をつく。ソルファに恩義がある彼女としても、大臣の動きは大きな不安なのだろう。
姫、王子、大臣――それらを取り巻く諸々の事情を一通り飲み込み、王化は改めてすれ違った際の王子と大臣の様子を思い出す。
(あのとき感じた違和感は、そういうことか……)
王子と握手したとき感じた、僅かな違和感――その正体に、王化はようやく気付く。
――姿勢、である。
ソルファと握手を交わしたとき、王化はまずその姿勢の良さに感心した。しかしミルバとの際にはそのようなことをまるで感じなかったのだ。
(なんとなく、「本当に姉弟なのか」って思ったんだよな)
同程度の教育を幼少から受けていれば、姿勢についても同じはず。王化はそこに無意識のうちに引っかかったのだ。
王子が数年前に連れてこられた、いわば『急造の』王族であるというのならばそれも納得。知識・マナー・言葉遣い程度ならば詰め込めたとしても、幼少から染みついた姿勢を変えることは早々できないだろう。
――そして、変えられないのは姿勢ばかりではない。
「……王子については、どうだ」
「王子かい? だからそりゃ、大臣のお人形だって――」
「本当にそうか? いや、今はそうなのかも知れねえが……あの眼、んな生易しいもんじゃねえぞ」
王化は表情を鋭く締め、低い声で呟く。
――張り付けた薄い笑みの中に浮かぶ、底知れぬ混沌を湛える双眸。
その眼光に、王化は覚えがあったのだ。
「それは、やくざの息子としての経験則?」
「ああ。昔、親父を殺すためだけに、うちの組で幹部にまでなった野郎がいてな、そいつがあの王子と同じ眼をしてたんだよ。
能ある鷹は爪を隠す――そして、繰り出すときは必ず殺す。あの王子はそういう奴だ」
ま、親父の場合はしぶとく生き延びたけどな、と王化は苦笑する。
――この場合、王子の爪が狙うのは一体何なのか。
姫か、大臣か、玉座か。いずれにせよ、王化の中では大臣よりむしろ、王子の方が警戒対象だった。
と、剣呑な雰囲気に耐えかねたのか、ベネアルは不意に明るく言い放つ。
「――ま、姫様があの『選定の剣』をへし折ったんだ、この機に姫様につく家臣連中がうまくやってくれるだろうさ。城の中の勢力としちゃ、大臣派より姫様派の方がだいぶ大きいんだから」
「ふぅん、そうなのか」
「そりゃそうさ、人望が桁違いだもの」
「ま、なんとなく分かる」
王化は先ほどの騒ぎの時に押し寄せた人々の顔を思い出す。そして、彼女と共にした今日一日のことも。
ソルファには人を引き付ける何かがある。王化自身がソルファの側につく前提で考えているのが、そのなによりの証拠だった。
(それがあいつの、王の器か……)
明日会ったら、ソルファにも王のあり方について聞いてみるか――そんな事を思いながら、王化はまた一層深く湯に浸かるのだった。
■
風呂から上がり二人と別れると、流石に疲れていたのもあり、王化は真っ直ぐベッドへと向かった。
西の離宮の二階、窓際に置かれた品の良いベッドに、彼はその身を投げる。天蓋が付いていない分国王のベッドよりは質素だが、それでも来賓用とだけあって何から何まで最高級だ。慣れない環境だろうと関係無しに、あっと言う間に睡魔が襲ってくる。
と。
しかし、眠りに落ちる寸前、王化の意識は高い物音で呼び戻された。
なんだこんな時間に――王化は嫌々身体を起こし、そしてそのまま固まる。
無理も無い。ふと視界に入った窓の外で、人間の少女が飛んでいたのだから。
「……今日一番のびっくり」
厳密に言えば、それは人間のではない。年はベネアルと同じぐらい、折れそうなほど華奢な体躯に病的なほど白い肌、短く切り揃えた白髪に鋭い赤目、そして何より目を引くのは巨大な純白の翼と化した両腕だ。少女はその翼を緩やかに羽ばたかせて滞空しながら、つま先で窓をノックしていたのだ。
(ハーピー、とか言ったっけか。亜人の一種なんだろうな)
心中でしきりに感心しつつ、王化は慌てて窓を開く。するとその少女は見た目より幾分大人びた声で告げた。
「――夜分失礼します。庭師兼伝令役のウィンという者です。姫様の使いで参りました」
「ソルファの? ってか、その状態疲れないか? 入れ入れ」
「……貴方は、亜人をご覧になっても驚かないのですか」
「あ? 驚いてはいるぞ。人間って生身で飛べるんだな、お前鳥人間コンテスト出られるぞ」
「お言葉の意味がよく分かりませんが……ウィンを『人間』と呼んだのは、姫様以外では貴方が初めてです」
能面のような無表情のまま、少女――ウィンは王化のベッドに降り立った。
彼女はぺたんとその場に座り込むと、改めて用件を告げる。
「姫様が庭園でお待ちです。こっそり出てきてほしい、とのことです」
「なんだってこんな時間に……まあいいや。それよりその腕、魔法の類なのか?」
「いえ、ウィンは鳥の亜人ですから、腕を翼にできるだけですが。亜人は魔法が使えないのですよ?」
そんな当然のことも知らないのか、とばかりにウィンは言う。しかし王化は彼女の態度に気を悪くする様子も無く、「そうなのか」と素直に頷いた。
「なるほどな、良いこと知った。亜人差別とやらも、その辺が原因なのかねえ」
「それもありますが、宗教的な側面も強いでしょう。――いえ、そうではなく、姫様がお待ちですので」
「ん、分かった。こんな時間にお勤めご苦労、誉めてつかわす」
王化はウィンの頭をぐりぐりと撫でると、枕元に置いておいた鉄扇と言語妖精を手に取り、寝間着として与えられた服のポケットに入れて部屋を出る。
残されたのはウィン一人。彼女は撫でられた頭を翼で触れ、しばらくそのまま惚けていた。
■
暴風に荒れた庭園の中央、折れた刃だけが残る台座の前に、赤いドレスと薄いショールを身に纏ったソルファが佇んでいた。
僅かな魔法照明と月明かりに照らされたその金髪は、夜闇の中にあってもなお眩しい。王化はその幻想的とも言える姿に見惚れて、思わず声を掛ける言葉を失う。
だが、彼の足音にソルファが気付き、彼女はくるりと振り向いた。
「――ああ、来てくれたの。ごめんなさい、こんな時間に」
「い、いや、構やしねえよ」
「? なにどもっているの」
「なんでもねえよ。で? 用件はなんだ」
「用件、っていうほどでもないんだけどね……とりあえず、はい、これ」
ソルファはそう言って、持っていた『選定の剣』の柄を王化に差し出す。僅かに残った部分には布が巻き付けられ、急場の鞘となっていた。
「これ、お前が持ってるべきじゃないのか?」
「ううん、これ自体にあまり意味は無いから。というか、伝説によるとこの剣の柄には精霊が宿っていて、真に王たる者を助ける――らしいんだけど、やっぱり私が試してもなにも出てこないから、貴方に預けておくわ」
「俺が持ってても使いようがないと思うが……ん、まあ預かっておく」
試しにつんつんつついて呼び掛けてみるが、案の定なんの反応もない。先ほどのように急に加護が発動することもなく、柄は柄でしかなかった。
真の持ち主に返却は果たされた。しかし、彼女の用事はこれではない。
「その、もう少し、付き合ってくれる?」
「構やしねえよ。かはは、夜は長い、時間はまだあるとも」
「……なんだか、見透かされてるみたいで腹立たしいわ」
「そりゃ、顔見りゃ大体分かる。不安なんだろう?」
「………………」
沈黙は肯定。
ソルファは竜の台座に背を預け、王化は柄を弄びながら続ける。
「お前としては父親に元気になってもらって、もう一度王様をやってほしい。だが周りは王のことは既に半ば諦めてて、次の王としてお前を祭り上げたい。そして今日のこの一件で、その流れは一気に加速する。お前の意志とは裏腹にな」
「……ごめんなさい、私が愚痴をこぼせる相手って、貴方しかいないの」
現在この城の中で、唯一どの勢力にも属していないのが王化だ。ソルファが姫としてではなく、一人の少女として弱さを晒せるのは、今日会ったばかりの王化の前だけだったのだ。
そんなソルファに、王化は呆れ顔で素っ気なく言う。
「構わないと言ったはずだ、何度も言わせるな阿呆」
「オーカ……」
「第一、騒動の原因は主に俺にあるんだ、こう見えて責任は感じてるんだぜ?」
「そ、それは私があんなこと言わなければ――あッ!」
と、不意に言葉を切るソルファ。なんだ、と王化が見遣れば、彼女は怯えるように己の身体を抱いて彼を睨む。
「……なんだ、いきなり」
「お、折れたらなんでもするって言ったけど、い、いやらしいことは駄目よ! 絶対!」
「……あぁ、そういやんなこと言ってたな、お前」
「私に乱暴する気でしょう! いやらしい本みたいに!」
「この世界にもエロ本ってあるんだ……しねえよこのむっつり姫が。無理矢理ってのは趣味じゃない」
プレイって体なら嫌いじゃないが――なんて付け足しながら、王化はわざとらしく肩を竦めた。
王化のそんな態度に安心したのか、あるいは最初からふざけ半分だったのか、ソルファは深く溜息を吐く。
「――さっき、家臣たちと緊急会議があってね、近いうちに王位禅譲の儀式を執り行うって決まったの」
「……そりゃ、狡猾なこった」
「剣の伝説なんて、誰も信じてないのにね。城のみんなが――ううん、国の誰もが、新しい王を欲してるのは知ってる。分かってるわよ。王が病に臥せていれば、その機を狙う人間は国の中にも外にもいるもの。
だけど――私はまだ、お父様のことを諦めたくない。それに、本音を言えば、女王になる自信も私には無いの」
ソルファは苦しげに絞り出し、顔を伏せる。
一国を背負うの重圧――如何に姫として育てられたといえど、まだ二十歳にも満たない少女が背負うには、あまりにも重すぎるものだ。
王化はそんな彼女の姿に、言葉を掛けずにはいられなかった。
「……分かるよ。お前と俺とじゃ、背負う人間の数はまるで違うが、分かるとも」
「オーカ……」
彼とて同じ、誰かのために王にならんとする者。同じ重荷を背負おうとする者なのだ。
そして――だからこそ、言える言葉がある。
王化はソルファを真正面に捉え、浮かぶ月を背負い厳然と言い放つ。
「――お前も王になる者なら、期待も重圧も何もかも、その全てを受け入れろ。甘えるな、弱気を見せるな、常に威風堂々胸を張れ。それが、王になる者の定めだろう」
「……そう、よね」
王化の厳しい、あまりに厳しい言葉に、しかしソルファは頷く。
――責任からは逃れられない。自分は姫であり、女王になる者なのだから。
ソルファは自分にそう言い聞かせ、立ち上がる。そして無理矢理に笑みを作り、王化に言い返す。
「分かってるわよ、そんなこと! 私は王になるのよ、貴方より先に、貴方より立派にね! 貴方なんかに言われなくても、覚悟決めてやるわよ!」
「かはは、そうかい」
「ふん、格好悪いとこ見せて悪かったわね。それで、その――あ、ありがとう。貴方にはっきり言われて、少し、楽になったわ。じゃあね!」
「まあ待て」
横を行こうとするソルファを、彼は手首を掴んで引き留める。
右手の中にあるのは、ともすれば折れそうなほどか弱い細腕だ。
「な、なによ」
「王になる者は臣下に弱さを見せてはならない。これは絶対だ」
「それは分かったわよ。もう弱音なんか――」
「だが。俺は、貴様の臣下にも、ましてや臣民にもなってやる気は無い! 貴様のようなむっつり姫の下につくなど真っ平御免だ!
だから――弱音を吐くのは、俺の前だけにしておけ。
俺はお前と対等の位置にいてやる。かはは、なにせ俺は王になる男だからな! なぁに、ついでにお前の弱さを受け止めるぐらい、俺の器を持ってすればたやすいことだ!」
王化は高らかに笑い、ソルファの頭を乱暴に撫でる。麦穂のような黄金色の長髪が、それに伴って穏やかに揺れた。
ソルファはなにか言い返そうと王化を睨み、しかしすぐに顔を伏せる。それは、堪えきれずぼろぼろ落ちる涙を晒したくないという、ほんの小さな意地だった。
堅く結んだ彼女の口から、それでもじきに嗚咽が漏れる。王化は撫でていた手でぐいとソルファの頭を引き寄せ、自分の胸に押しつけた。
「かはは、辛いよなあ。俺なんか、組一つでもまだ背負いきれる自信がねえ。それが国一つとなりゃ、誰だって怖いし、逃げたいだろうよ」
「っぐ、ひぐ……ばかぁ……! なんで、っぐ、優しくするのよ……! 甘え、たくなる、でしょ……!」
「おうおう、甘えろ甘えろ、存分に甘やかしてやる。好みの女は甘やかせってのがうちの家訓なんだ」
「なによ、それ……意味、分かんないし……」
ぐりぐりと頭を押しつけるソフィア。照れ隠しらしい。
「ちなみに俺は髪フェチの巨乳好きだ」
「ど、どうでもいいわよ! いやらしい目で見るな!」
「よかったな、お前どストライクだぞ」
「よくない! うるさいうるさい!」
ぼすぼすとボディーブローを連発するソフィア。照れ隠しらしいが、地味に効く攻撃だった。
王化の方が若干嗚咽を漏らした辺りで落ち着いたらしく、ソフィアはショールで涙を拭い、ようやく顔を上げる。
数センチの至近距離に王化の顔があり、ソルファはかぁっと赤面する。
「ぁ、えと……ありがと」
「構やしねえよ」
「その、今なら、少しは、いいわよ……?」
「? なにが」
「だ、だから! さっきの、なんでも言うこときく、ってやつ……」
「は、はぁ!? こ、このむっつり姫、なにを――」
「ん……」
その体勢のまま、なにかを待ち望むように目を閉じるソフィア。
王化にとっては完全に予想外の展開に、彼は傲岸不遜な笑みはそのままで、しかし内心大いに焦る。
(え、ちょ、待て待て待て待て……! この展開はなんだ、王たる者として誠意を見せるべきなのか……!? 据え膳食わぬはなんとやら、しかし今日会ったばかりだし雰囲気に流されてる感じが凄まじいしましてや相手は一国の姫だぞ!? 王たる者として軽率な行動は慎むべきであって、だけど王以前に男として雄としてここは――)
と。
そんな王化の思考が、不意に途切れる。
――殺気。
王化は武道の達人でもなんでもないが、それでもその生い立ちから死線修羅場は越えてきた。そうして培った直感が、それを読みとったのだ。
――彼がソフィアを突き飛ばし、そのままの勢いで振り向くのと、背後の崩れた植木から人影が飛び出してくるのが同時。
がむしゃらに突き出した剣の柄と、王化の首に迫る凶刃が、甲高い金属音を奏でるのだった。
□
「――そろそろ、動き出したかなあ」
城の中央、謁見や政務に用いられる広々とした玉座の間に、楽しげな少年の声が響く。
声の主はオリアボス王国王子、ミルバ・ディア・オリアボス。彼はさも当然の如く玉座に腰掛け、その眼下に動く者たちを見渡す。
――自らの後見人である大臣、完全武装の近衛兵長、黒衣と白い面の『闇猫』筆頭、そして王国魔術師団団長。
張り付けた薄い笑みを若干深くするミルバに、大臣が声を掛ける。
「ついに、ですな」
「もう、って感じじゃない? 正直準備不足な気もするんだけど。近衛兵だってようやく半分仲間になってくれたくらいだし、『闇猫』だって最近ようやく数が集まったぐらい。魔術師団に至っては、嫌々って感じだしさあ」
ミルバがそう言いながら視線を向けると、魔術師団団長はそれに応えるどころかそっぽを向く。
(やれやれ……本当はもっと手駒が揃ってから決行するつもりだったんだけどなあ。まさか、こんな形で動き出すことになるなんて)
殊更に溜息を吐いて見せるミルバに、黒衣の『闇猫』筆頭が歩み寄る。
「――ご心配なさるな、王子。今我が配下が姫を見つけたとのこと」
「あ、本当? 姉さん部屋抜け出してどこ行ってたの」
「庭園です。そして、どうやら例の遠き地の者が共にいるようで……」
どう処すか、と言外に問う『闇猫』筆頭に、ミルバは相変わらずの笑顔で返す。
「遠き地の者は殺して。姉さんは生け捕りに」
「承知。では、自分も増援に」
そう言い終えるなり、『闇猫』筆頭の姿が闇に溶けて消える。もとより彼らは闇の住人、その程度の芸当驚くにも値しない。
そっちはどう、とミルバが近衛兵長に声を掛けると、鎧の騎士は待ちかねたとばかりに即答する。
「兵を各出口に配置し、城内の閉鎖は完了。現在、その他の人員で城内に残っている姫と特に関係の深い人間・亜人の捕縛に向かっております」
「遠き地の者も忘れずにね、あのアダチとかいうのいたでしょ。まあ、あれは大したことなさそうだけど」
「了解いたしました。では、自分も現場指揮に向かいます」
敬礼を残し、近衛兵長もその場から走り去る。
残ったのはミルバ、大臣、魔術師団団長の三人。ミルバは大きく伸びを一つ、勢い良く立ち上がる。
「さて、と! それじゃ、僕らも行こうか。折角楽しい政変なんだから、おいしいところ見逃すのも勿体無いしねえ」
「あまりはしゃぎすぎませぬように。窮鼠猫を噛むとも言います」
「…………」
意気揚々と足を進めるミルバに二人が付き従う。大臣は野望に燃える笑みを隠そうともせず、魔術師団団長は険しい表情を崩さないままに。
魔術師団団長の顔をちらりと伺い、ミルバは面白がるように言う。
「君は、まだ迷ってるのかな?」
「……いえ。もう、覚悟を決めました」
「あは、それは良かった。それじゃ、活躍してもらうよ――ガイアス」
「……ええ」
片眼鏡の魔術師は、静かに頷きを返すのだった。