第25話 お迎えにあがりました
北の大門を抜けてから、一行は川沿いの道を真っ直ぐ北上する。目的地であるアレグロ領は東だが、北の山道から迂回していくべきだ、とギルドマスターから助言を受けたのだ。
日はとうに沈み、道に人影は無い。城下街北の方面は山岳が広がっているため、大きな農村などもなく道を使う者も北方からの商人に限られる。
(たしかに、この道を使って正解だったな……ただ問題は、夜の間にこの山道を抜けて、東へ針路を取らなくちゃならねえってことだが……)
ちらり、王化は横を見遣る。そこには、馬状態のベネアルに跨り、ぐったりと身を任せたリキュリアの姿があった。
「お前、体力無さ過ぎだろう……まだ一時間も歩いてねえぞ」
「昼間色々歩き回ったのよ……それに荷物も重いし、そもそもわたしが何年地下に引きこもってたと思ってるの……」
「この先不安過ぎるぞ、おい……」
お城育ちのソルファの方がぴんぴんしてるってどういうことだ。
王化はリキュリアの貧弱さに呆れつつ、ベネアルにも声をかける。
「ベネアル、お前は大丈夫か? 疲れたら言えよ?」
『あはは、なめんじゃないよ。この身体なら、これくらい軽い軽い。なんなら二人くらい乗っても平気さね』
「そうかい。無茶するなよ、そろそろ足場も悪くなってくるからな」
王化はそう言いつつ、暗い森の先を睨む。ベネアルが買っておいた携帯魔法照明――要は懐中電灯のような物で照らしてはいるが、それでも森に入れば道は暗く、しかも前日の雨で地面は酷くぬかるんでいる。行軍には最悪の環境と言えた。
しばらく山道を行くと、北と東の分かれ道に行き当たる。このまま北へ行けば山を越えるルート、東へ行けば山中を通り抜けるルートとなる。
「追っ手の気配があれば、北へ行った方が比較的安全って言ってたわよね……ベネアル、リキュリア、どう?」
『あたいは特に感じないね』
「わたしの使い魔も、なにも見つけてないわ……」
「なら東だな。っと、吊り橋か」
東へ向き直ると、その先にはかなり深い谷と、そこに掛かる頼りない吊り橋が見える。どれほど昔からあるものなのか、風に吹かれて揺れる様はなんとも不安を煽る。
「……こ、ここ渡るの?」
「それしかないだろ。ま、念のため二人ずつくらいにしておくか。俺達から行くぞソルファ」
「え、ちょ、心の準備が――!」
問答無用。
王化は不安げなソルファの腕を掴み、ずんずん橋を渡っていく。底板が軋もうと、橋自体が揺れようとお構いなしである。
「あ、貴方心臓に毛でも生えてるの⁉︎ し、下見て見なさいよ!」
「あぁ? おお、川か。さっきまで横通ってたのに、結構登ってきたなあ」
「そうじゃないでしょ⁉︎ 落ちたら死ぬとか考えないの⁉︎」
「落ちなきゃ死なねえよ、かはは」
『御主人は肝が据わっているのう』
そんな言い合いをしている間に、二人と一本は無事渡りきる。
続いてリキュリアとベネアルだが、こちらは両方ともさほど恐れることなくあっさり渡ってみせた。
「貴方達も、平然としすぎよ……」
『そりゃ、あたいは仕事柄こういう悪路も慣れてるさ』
「魔女は恐れられるものであって、恐れる者ではないのよ……」
「むう。なんだか、私だけ臆病みたいじゃない」
口を尖らせ拗ねるソルファに、意外な所からフォローが入る。
『王族ならそのくらい慎重でも良いじゃろう。御主人はちょいと蛮勇に過ぎやせんか』
「そうか? ま、言っても俺のルーツはやくざだからな。蛮勇も無くちゃ渡っていけねえのさ」
そして悪びれもせず笑う王化。そんな彼に続いて、一行は再び歩き出すのであった。
◼︎
橋を渡り終えてからどれだけ歩いたか、ぬかるんだ悪路も相俟って、徒歩でゆく王化とソルファに疲れが見え始める。各人そろそろ空腹も感じ始めていたので、一行は適当な場所で休憩を取ることとした。
荷物からパンを取り出し、それを皆で分ける。
「ん? ベネアル、お前いつまで馬のままなんだ。早く人間に戻れよ」
『いんや、あたいはこのままでいいのさ。形態変化するのはかなり疲れるんだよ』
「そうなのか……んじゃ飯はどうする? パン食わせてやろうか」
「ああ、ベネアルは馬状態の時は人間の食べ物食べないわよ。味覚も変わるらしいの。これよね」
訳知り顔のソルファが取り出したのは、生のままの人参だ。それをベネアルの口元に持っていくと、彼女はばりばりと美味しそうにそれを齧る。
(へぇ……身体が完全に馬になるんだ、考えてみりゃ当然なんだけど……)
それでも、王化は思わず驚きの声を漏らす。それも当然だろう。朝は一緒に食卓を囲んだ相手が、今は生の人参を噛み砕いているのだから。
「わたしも、完全変態できる亜人の食事は初めて見たけど、完全に馬なのね……」
『んぐ。そりゃそうさ』
「っていうか、人参の一本や二本で足りるのか? 本物の馬はかなり食うだろ」
『食い過ぎると人間に戻った時大変だから、馬状態のときはつまむ程度にしてるんだよ。動きも悪くなるしねえ』
そう言っている間に二本目の人参も完食。ベネアルの食事はこれで終了する。
(馬にしちゃ随分安上がりなこった)
人間状態のときにはできるだけ良いもん食わせてやろう、と思いつつ王化は自分の食事に戻った。
薄い塩味だけの味気無いパンを食べ終え、ふぅと一息。彼は木の葉の間から見える夜空を仰ぎ見る。
雲は少ない。この季節、この辺りの天候は変わりやすいらしいが、それでも今夜くらいは持つだろう。
続いて一行の様子を見遣る。流石に馬には馴染みが無いので、今の状態のベネアルの調子は判断できないが、他二人は多少の疲れは見られるもののまだ問題無し。交代でベネアルに乗せて体力を温存させれば、しばらくはもつはずだ。
そして、腰の折れた剣の柄をぴんと指で弾く。
『なんじゃ、御主人』
「声が聞きたくなっただけさ」
『儂は平気じゃぞ、魔力も十分貰っとる。――むしろ、この中で一番こたえとるのは御主人じゃろうて』
「かはは、よくご存知で……」
忠剣に見透かされ、王化は苦笑いを漏らす。
――連日の無茶なリボルバレットの行使で、王化の身体は慢性的な魔力枯渇状態。その上悪路の行軍とあって、彼の身体は早くも軋み始めていた。
(身体熱い……全身の関節も軽く痛み出してるし、タチの悪い熱風邪でも引いたみたいな感じだな)
だからこそ、今は道を急ぐ必要がある。この状態で追っ手に捕まれば、自分はまず間違いなく足手まといになり、戦闘は大きく不利になる。王化はそれだけは避けたかったのだ。
休憩もそろそろ終わり、出発と行くか――と、王化が立ち上がった、その時だった。
『――待ちな、オーカ。様子が妙だ……!』
「? なんだと?」
ベネアルの警告に、全員一気に戦闘態勢をとる。
リキュリアはスライム達を両手に、王化はマキャベルを、ソルファはレイピアをそれぞれ構え、周囲を睨む。
「何、どういうことなのベネアル! 追っ手⁉︎」
『分からない。ただ、周りが静か過ぎる……こんな山の中だってのに、生き物の気配がしない』
そう言われ、王化も耳を澄ます。聴こえてくるのは風が木の葉を揺らす音ばかり、獣も鳥も虫の音さえも気付けば途絶えていた。
(確かに妙だ。真夏の夜だってのに、この静寂……)
「生命除けの魔法……いえ、おそらく、亜人の仕業ね……」
「亜人? どういうことだ?」
『亜人の中でも人外寄りの奴は、周囲の動物達に命令できるのさ。にしたって、虫ケラ共まで黙らせるってのは随分さね……ここまでできる奴はそうそういないよ』
「なんだ、心当たりでも――」
『ッ! 何か来る! 北からだッ!』
北、と向き直ると、暗い暗い森の奥に、何かが蠢いていることに気付く。
なんだ、と思う間も無い。その蠢きは、一瞬にして一行の眼前まで迫ってきたのだから。
それは個体ではない。群体だ。
折り重なる程の密度の群体が、凄まじい速度で王化らを飲み込み飛び去っていく。
(これ全部、鳥なのか……⁉︎)
恐ろしい程の羽音と鳴き声、そして群が巻き起こす風に、全員目を開けることすら困難だ。皮膚を掠める嘴が、無数の傷口を作っては消えてゆく。
「ぐ……! みんな、離れるな! 固まれ!」
「な――! きこ――ない! ――にいる――⁉︎」
声を張り上げても羽音に邪魔され届かない。そもそも、この状況下では動くことも困難だ。
それでも王化はがむしゃらに、声の方向だけを頼りに手を伸ばす。伸ばした手が傷だらけになるが知ったことか。彼はなんとか誰かの細い腕を掴んだ。
と。その瞬間、だった。
不意に鳥の大群が途切れ――かわりに、地鳴りがその場に轟く。
まずい。そう勘付くなり、王化は反射的に握った腕を強引に引っ張る。引き寄せられたのはソルファで、二人はその勢いで尻餅をつく。
そして、その刹那。
――轟音だ。
連続する轟音、そして地震のような震動と共に、長い長い『壁』が現れる。
文字通り『壁』だ。地面から岩盤をそのまま引き抜いたような分厚い土壁が、一行を両断したのだ。
(っ、やられた……! あの鳥共の襲撃は、はなから分断のためか!)
壁は一体どこまで続いているのか、少なくとも見える範囲に切れ目は無い。こちら側にはソルファと王化だけ、リキュリアとベネアルの二人とは完全に分断されてしまった。
「リキュリア! ベネアル! 無事か⁉︎」
『こっちは大丈夫! 姫様は⁉︎』
「私は無事よ! 待ってて、こんな壁くらいすぐにぶち壊して――」
「――させませんよ、姫様」
背後から聞こえたのは、覚えのある声だった。
特にソルファにとっては、実の親よりもよく聞いた声だ。相手が誰かなど、問うまでもない。
――否、そもそも、これほど大規模な土属性魔法を扱える者など、この国には一人しかいない。
「――ガイアス、貴方……!」
「お久しぶりです、姫様。お迎えにあがりましたよ」
振り向けば、片眼鏡の魔法使いがそこにいた。
音に聞こえた『赤土のガイアス』――グローリー・ガイアスが、そこに立っていたのだ。




