第23話 分からないまま受け入れる
「――これなんかどうかしら?」
「あー、いいんじゃねえの」
「でもこっちも気になるなー。どう?」
「うん、似合ってる似合ってる」
「あら、こんなのもいいじゃない。ほらほら」
「もうそれでいいよ」
「……貴方、ちゃんと見てないでしょ」
気の無い返事を繰り返す王化に、ソルファはむっと口を尖らせた。
場所は大市の中でも一際大きなスペースをとる服屋の店先。畳まれ並べられた色とりどりの衣服を前に、王化らのみならず多くの買い物客が楽しげに品定めをしていた。
不満げなソルファに対し、王化は早くも若干疲れた様子で肩を竦める。
「あのな、ぶっちゃけローブ頭まで纏った状態で『これどう?』とか言われても分かんねえから。そもそも俺らが買いに来たのは旅装束だ、見た目より実用性を優先しろ」
「むー、それは分かってるけど……どんな状況であれ、服を買うって言うのは女の子にとってはちょっとしたイベントなのよ」
女心が分かってないわねえ、と言い返すソルファ。
「はん、この状況で女心まで面倒見られるかよ。金にも時間にもそう余裕はねえんだから」
「時間はともかく、お金はある程度余裕があるんじゃないの? 昨日の報酬と、今日の報酬はもう受け取っているんでしょう? 特に今日の分は結構な額だったらしいじゃない」
「んなもん、今日の旅準備とリキュリアの取り分ですぐなくなるに決まってんだろ」
「リキュリアの……ああ、そういえばそういう約束だったっけ」
旅の最中も研究に必要な時間と資金は確保すること。それもリキュリアの協力を仰ぐ条件の一つだったのである。
ちなみに具体的に言うと、王化はA難度任務の達成報酬の半分をリキュリアに渡してある。流石に奮発し過ぎじゃありゃせんか、とマキャベルから注意を受けたりもしたが、その金銭もリキュリアの魔法の一助になるとすれば無茶な投資ではない、というのが王化の考えだった。
「リキュリアの魔法は、実質的に俺たちの主戦力だからな。約束を抜きにしても、あいつに渡す金はケチれねえ。少し聞いたが、魔法ってのは金が掛かるんだろう?」
「本格的に研究するとなれば、いくらあっても足りないぐらいよ。リキュリアは水の魔法使いでしょう? だったら触媒にする薬品も必要だろうし、スライムなんかを作るにしても素材は欠かせないわ」
『きゅ。よんだ?』
「呼んでない」
隠れてろ、と顔を出した一号をローブの中へと押し込む王化。
「ふうん、なら節約しないといけないわね……そういうの、あんまり得意じゃないのだけど」
「頼むぜお姫様。まあ長く着る物だ、無理にケチれとは言わんがな」
「分かったわ。それじゃ、私の分はこの辺りが妥当かしら」
そう言って、ソルファは少し前に手に取っていた服を掴む。シンプルなシャツに膝が隠れるぐらいの焦げ茶のスカート、どちらも華美では無いが上品さは感じられるものだ。
(ふぅん……流石、見る目は肥えてるってところか)
王化は内心で感心しつつ、「いいんじゃないか」と今度は投げやりではなく言う。
「でしょう? それで、ベネアルはこっち。あの子は変身する機会も多くなると思うから、脱ぎ着がしやすいようにワンピースで。貴方のはこれね」
「なんだ、俺のまで選んでたのか? いつの間に……」
「ふふ、私だって乙女心だけで動いてるわけじゃないわよ。貴方は結構無茶するから余裕のあるパンツとしっかりした作りのシャツ、それからベストね」
「ほう、悪くねえな……けど、ベスト? これ要るか?」
「要るでしょ。言語妖精とか鉄扇とか、そういう小物を入れておくのに便利よ?」
これからの時期ちょっと暑いけど、とソルファは肩を竦める。
「ん、たしかにな。ちょっとしたナイフとかも仕込めそうだし、これも買っておくか。――で、問題は奴の服か」
「そうなのよね……」
見れば、ソルファの手の中にあるのは三人分の旅装束だけ。それも無理は無い、素面でビキニローブという痴女スタイルで出歩く人間の服など、常人のセンスで選べるはずも無いだろう。
というわけで本人へ通信。王化は肩をくいと持ち上げて一号を呼び出すと、リキュリアへの通話を頼む。
待つこと数秒、とろけるほど妖艶な声が半透明な身体ごしに響いてくる。
『どうしたの……?』
「あ、リキュリア? 今こっちで旅装束選んでるんだが、お前の服はどうしたらいい?」
『なんだ、そんなこと……わたしの分は自分で用意するから大丈夫よ……』
「それならいいんだが、一着ぐらいはまともな服用意してくれよ? 貴人とまみえる機会もあるだろうからな」
『そのぐらい分かってるわよ……用はそれだけかしら、だったらもう切るけれど……』
「いや、ついでに値段について確認しときたい。ベネアルと代わってくれ」
王化の要請に、がさごそとスライムを受け渡す雑音の後、ベネアルの声が答える。
『おーい。代わったよー』
「おう。そういうときは『もしもし』って言うんだ」
『もしもし、かい? 変なの。で? どうしたんだい』
「あぁ、服の値段について確認してほしくてな」
王化はソルファから値段を聞くと、それをそのままベネアルに告げる。それに対してベネアルの反応は「決して安くは無いが、長く使うものと考えれば妥当ではないか」というニュアンスのものだった。
『姫様の目利きは確かだから、その値段でも相応の物だと思うよ。――それで、その、あたいの服はどんな感じだい?』
「ん? なんだ、気になるのか。お前も女の子だもんな。シンプルな白いワンピースだぞ」
『そっか。あ、えと、そうじゃなくて、あんたから見て、似合いそう……?』
「? 俺のセンスより、ソルファの方が当てになるだろ」
『あ、あんたの意見が重要なの! この馬鹿!』
ベネアルの甲高い怒声に、王化は戸惑いつつも素直な意見を述べる。
「なんだそりゃ……んー、まあ、似合うと思うぜ? お前の褐色の肌が良く映えるだろうよ」
『っ、そ、そうかい。えへへ、なら、良いんだ……』
「? 変な奴。まあいいや、引き続きそっちのお守りは頼むぜ」
『了解。そっちこそ姫様を頼むよ?』
「任せとけって。万一荒事になってもマキャベルがいるしな。んじゃまたな」
その言葉を最後に通話は終わる。王化は一号を撫でてその労をねぎらい、ソルファに向きなおる。
「リキュリアは自分で準備するらしいから、これで構わんとさ。お前もご苦労だったな」
「いいわよ、割と楽しんでたし。それじゃあお会計――」
と。
店主へ向かおうとするソルファを引き留め、王化は三人分の旅装束をひょいと奪う。
「――そして、こっからは俺の仕事だ」
「? 仕事って、ただお金払うだけじゃない」
「かはは、世間知らずが過ぎるぜお姫様。まぁ見てな、ちょいとやくざなやり方って奴だ」
彼は不敵に微笑むと、まるで長年のライバルへ挑むような足取りで店主の元へと挑むのだった。
■
「――半額以下にまでするってどういうことよ……」
ソルファがもはや驚きを越して呆れた声を上げると、王化は戦利品を手に自慢げに笑みで振り向く。
先日の変装グッズの時と同様、王化はかなり強引な交渉術でもって旅装束を値切り倒したのだ。王族であるソルファにとって、その光景はあまり快く映らなかったらしい。
「ははん、俺もなかなかやるもんだろう?」
「やりすぎだって言ってるのよ、もう……」
「いいんだよ、こういう露店の言い値はそもそも相当ぼったりなんだ、値下げ交渉はするのが当たり前だ」
「それはまあ分かるけど……にしたってあんな、なだめすかして脅しおだてて、まるっきり悪者じゃないの。店の主人半泣きだったし」
「やくざなやり方っつっただろ? そりゃあ悪者だとも。俺はそういう世界で生きてきたのさ」
けらけらと笑いながら、王化はあっさりと言い放つ。そこに悪びれた様子も、ましてや反省の色など微塵も無い。
(そういう世界で生きてきた、か……)
そんな彼の後に続いて大市を歩きながら、ソルファはその言葉を反芻する。
ソルファと王化では文字通り生きた世界が違うのだ。そしてそれ以上に、その価値観には大きな隔たりがあった。
片や一国の姫として、清く正しく美しくと育てられたソルファ。
片や一味の跡継ぎとして、強く凛々しく狡猾にと仕込まれた王化。
本来交わるはずのない正反対、こうして共に歩いていることの方が異常なのだ。噛み合わないことがあるのは至極当然のことで。
(でも、それでも――)
と。
気付けば俯いていたソルファの視界を、大きな手のひらがぶんぶんと横切る。
「おい、おーい? どうした、急に黙り込んで」
「え、あ、うん、ごめんなさい。ちょっとぼーっとしちゃって」
心配そうに顔を覗き込んでくる王化に、ソルファは何とか言い繕う。
「んー、そうだな、少し冷たいもんでも食べるか。この暑い中ローブで歩けばそりゃぼーっとするだろうよ」
「え? 大丈夫よ、そういうんじゃないし。それに節約しなくちゃいけないんでしょ?」
「かはは、ちょっとぐらいなら良いさ。旅装束も思いの外安く買えたし、臨時収入もあったしな」
王化はそう言って、見覚えのない財布を手のひらで転がす。ソルファの知る限り、確実に王化自身のものではない。
「……貴方、まさかスったの?」
「お祭り騒ぎの時はみんな不注意だからな。んじゃ、そこのベンチで待っててくれよ、すぐ買ってくるから」
「ちょ、ちょっとぉ!」
彼女の制止も虚しく、王化はそばにあった氷菓売りの露店に駆けていく。ソルファは溜息を一つ、仕方なく言われたとおりにベンチで彼を待つのだった。
(やくざ、だっけ……ならず者たちの長の息子、か……)
ぼんやりと空を見上げていると、五分としないうちに王化は戻ってくる。手には、棒に付いた雪を練り固めたようなもの――この地では伝統的なサエンという氷菓が二つ握られていた。
「お待たせ。かはは、実は気になってたんだよこれ。見た目は完全にアイスだしさ」
「あいす?」
「俺の世界の氷菓の総称。夏の必需品だな。向こうじゃ大体甘いんだが、こっちはどうかなっと――ぶぇ!?」
かり、と角を一欠片かじった瞬間、王化は目を丸くする。そしてその横で、ソルファは平然とサエンと嘗めて味わう。
「へぇ、そっちでは甘いの。こっちでは甘じょっぱいんだけどね。そもそも、嗜好品というより健康食品だし」
「け、健康食品……? あぁ、なるほど、塩分と水分の補給と、ついでに体温を冷やすってことか……合理的ではあるが、味は……」
「そう? こっちでは人気なのよ? 主に大人に」
「だろうなあ。子供は食わないだろう」
大人ばっかり買ってたのはそういうことか、と王化は呟く。そして苦い顔をしながらも、食べられないほど口に合わなかった訳ではないらしく、おとなしく残りを口に運ぶ。
二人が食べ終わるまで、しばし無言が続く。ソルファは時折王化の横顔を盗み見て、王化は行き交う人たちに目を遣って。
「――スリの技術は、自分で覚えたの?」
二人の手元に棒だけが残った頃、ソルファはそう口を開いた。
「いんや? うちの組に腕の良いスリ師がいてな、そいつに習った。というより、『後学のため』って叩き込まれた」
「後学のため、ねえ」
「護身術と同じさ。いざというとき役に立つ。現に今こうして役に立っているだろう」
「それは、そうだけど……でも、それは悪いことじゃない」
ソルファは意を決して王化に向き合う。
この断罪は、もしかしたら二人の間に亀裂を生むかもしれない――そう心のどこかで感じつつ、彼女は言葉を飲み込むことができなかった。
が、しかし。そんなソルファの予想に反して、王化は穏やかな表情で答える。
「そうだな。人から財布を盗むこと、ついでに言えば店主が泣くほど値切るのも、たしかに悪いことだろう」
「っ、分かってるなら、なんで――」
「でも、俺にとっては『悪いこと』と『やってはいけないこと』はイコールじゃない。悪いことだろうと必要ならばやる。それだけのこった」
ま、こいつはそんなに必要でもなかったが――と王化は盗品の財布を手の中で弄ぶ。
「……分からないわ、私には」
「かはは、別に無理に分かる必要も無いんじゃねえのか? どうせ最初から別世界の他人なんだ、お互い完全に分かり合おうってのが無茶な話だ」
「な、そんな言い方しなくてもいいじゃない! そんな、寂しいこと言わなくても……」
「誤解すんなよ、突き放してるわけじゃねえ。『分からない』と『受け入れない』もイコールじゃねえだろう? 分からないまま受け入れるってのも、王に必要な度量って奴さ。俺だって、お前がそんな顔する理由がよく分からない。でも受け入れてやるさ。清濁併せ呑むってのはそういうこったろう」
「分からないまま、受け入れる……」
ソルファは王化の言葉を反芻する。
思えば、ソルファと王化はお互いに分からないことだらけなのだ。あまりの時間の濃さに忘れかけているが、出会ったのはほんの数日前、ましてや世界も別々となればそれも当然。
(それでも、受け入れることはできる)
そうだ、とソルファは思い直す。
そして思い出すのは、今は亡き母のこと。人も亜人も、分け隔てなく受け入れようとした女性のこと。
(わたしは、そういう国を作りたかったんじゃないの)
考え方も、見た目も、種族も、なにもかも――無理矢理一つにまとめるのではなくて、ありのまま受け入れられる国。それがソルファの思い描く理想の国だったのだ。
「――そうね。貴方という濁流も、私は受け入れる必要がある、か」
「かはは、人を濁流呼ばわりか。まぁ間違っちゃいねえがな」
気を悪くした様子もなく、王化は愉快そうに笑う。
「だけど、無条件に受け入れることはできないわ。それをしてしまったら、私が私である意味が無いから。
――オーカ、約束して頂戴。値切りの方はともかく、スリは本当に必要だと思ったとき以外しないで」
「ふむ……いいだろう、約束しよう。お前がそういうなら、もうむやみやたらに抜いたりしねえよ。受け入れられる側にだって努力は必要だからな」
王化はそう言って頷く。気軽な口調ではあったが、しかしそれは誠意ある約束だった。
彼の答えを聞くと、ソルファは深く深く安堵の息を漏らす。魂まで抜けていきそうな勢いの溜息である。
「はぁぁああ……よかったぁ」
「? なんだ、そんなに緊張する話題だったか?」
対して、意外そうに首を傾げる王化。
「むしろ、貴方はどうしてそこまで平然としてられるのよ……かなり一触即発の話題だったと思うのだけど」
「こんなのはただの相違点だろ。良いように使ってやればいいのさ。濁流は俺が飲み込んでやる、清流はお前が受け止めろ、んでもって俺たちがお互いを受け入れりゃあ、世の中の大抵のもんは懐に入れられるさ」
大きく両手を広げて天を仰ぎ、王化は大仰に言い放つ。相変わらず傲慢で、尊大なその物言いに、ソルファは思わず笑みをこぼす。
「ふふっ、ほんと、貴方にはかなわないわね」
「かはは、そうだろうそうだろう。俺は王になる男だからな」
「私だって女王になる女よ、ばか」
すぐに追い抜いてあげるから。
ソルファは聞こえないぐらい小さく呟くと、王化の手を引いてベンチを立つのであった。




