第22話 良い風が吹いてきやがった
翌日。
昨夜の雨は水溜まりだけを残して消え去り、からりと晴れた夏らしい爽やかな早朝、戸を開いたばかりのギルドに王化とリキュリア(そしてマキャベル)は訪れていた。
まだ人もまばらな店の中を抜け、一行は真っ直ぐに恰幅の良い中年の男のもとへと向かう。ぺらぺらと帳簿をめくっていた男の方も、王化らに気付くとその手を止めてにやりと笑みを浮かべ応対する。
「おう、来たか遠き地の者。随分早いじゃねえの」
「ああ、時間がねえからな。昨日も言った通り、今日中にはこの街を出たい。手短に頼むぜ」
「そうかい、まあそう慌てなさんなよ。ついてこい」
ギルドマスターはそう言って、一行を奥へと誘う。通されたのは狭いながらも豪勢な応接間で、男はテーブルを挟んで対になったソファーに腰を下ろすと、王化らにも座るように促す。
「良いソファーだろ? ここは高難度の依頼や機密性の高い依頼の際に使う部屋だ。ま、ビップルームって言ってもいいけどな」
「かはは、そりゃ良い。いきなり好待遇だな」
「お前らはそんだけのことをしてくれた、ってことさ。結局昨日とっ捕まえた奴らの中にボスはいなかったんだが、幹部クラスの奴は一人いてな、そいつから聞き出せば人さらい組織も完全に片が付く。まさか本当に一日でなんとかするとは思ってなかったぜ」
「そいつはなにより。んじゃ、早速だが今度はそっちが義理を果たす番だ。世間話はまた今度、A難度の依頼とやらを見せてくれ」
「せっかちだなおい……ま、それも無理ねえか。とりあえず昨日のうちにまとめておいたんだが、お前らが一日でこなせるもんっつうと中々厳しいかもしれねえぜ」
王化の愛想の無い態度に若干鼻白みつつ、ギルドマスターは背後の棚から革製のバインダーを一冊取り出しテーブルの上に広げる。そこには数十枚からなる依頼書とおぼしき紙が纏められていて、中には相当古い物なのか明らかに酸化して黄ばんだ紙も混じっていた。
「結構量があるのね……」
「そりゃ、ここは王都だからな。国一番の大都会となりゃ色々と依頼も舞い込んでくるさ。どうする? 一つずつオレが説明してやろうか、それとも自分らで探すか?」
「説明を頼む。俺はこの世界の文字は読めんしな」
「そうなのか。んじゃま、比較的簡単そうな奴から。まずは『武装新興宗教集団の殲滅』。三百人規模の武装した新興宗教の狂信者どもが、王都近くの森にアジト構えててな――」
「却下。三百人とか勝てるはずねえだろ。っていうか、それで比較的簡単なのか……?」
「A難度だからな。相手が人間なだけ良心的なんだぞ?」
「人間じゃないっつうと、亜人か?」
「それもあるし、あとは魔物とかな。っと、これなんかそうだな、『サイクロプスの捕獲』。 国の研究施設から逃げ出したサイクロプス三頭を――」
「却下よ……貴方、わたしたちに死ねと言いたいの……?」
この話はリキュリアが遮る。苛立ちよりも呆れが強い声音に、ギルドマスターは「まさか」とおどけるように肩を竦める。
「? そんなにやばいのか?」
「体長三、四メートルを優に超える怪力かつ俊足の化け物よ……? それを三体、しかも捕獲しろなんて、悪い冗談にもならないわ……断頭台に首突っ込むより確実な自殺法よ……」
「おいおい……旦那、俺たちはっきり言って武闘派じゃねえんだよ。もうちょっと平和な依頼はねえのか?」
「あるにはあるが、ぶっちゃけそっちの方が難易度高えぞ? 実在してるかどうかも分からねえ絵画を持ってこいだとか、異世界の邪神について書かれた魔導書を解読しろだとか、訳の分からんメダルを集めろだとか」
「絵画は論外、魔導書は正気度が減りそうだからやめとくとして、メダルってのはなんだ?」
「あー、これがまた珍妙な話でな、この国にゃ『メダルキング』とか呼ばれる物好きな金持ちがいてな、自分で各地にばらまいたメダルを通貨にして、貴重な物品を交換してんだよ。その交換品がまた物によっちゃ凄まじい価値があるってんで、一部の冒険者やら収集家やらが血眼になってメダルを集めてんだ」
「……その金持ちって、もしかして俺と同じ遠き地の者か?」
「お、よく分かったな。なんだ、お前の世界でも似たようなことしてる奴がいんのか?」
「えーと、まあ、な……」
俺の世界の、更に別世界で。
そのことは説明しても無駄な気がしたので、王化は敢えてなにも言わないでおく。
――その後もいくつか説明を受けたのだが、どれも到底できそうにない依頼ばかりだった。討伐や捕獲の依頼はほとんど自殺と変わらないようなものばかりで、かといって安全なものは雲を掴むような無理難題が並んでいたのだ。
「流石はA難度ってところなのかしらね……正気とは思えない依頼ばかりじゃない……」
「そりゃ、一流の冒険者が超一流の冒険者になるための試験みたいなものだからな。それをたった数人で、しかも一日でこなそうって方がおかしい」
呆れ交じりにギルドマスターは肩を竦める。彼が言うには、これでもまだ易しいものばかり選んできたというのだから、王化たちも溜息を吐くほか無い。
「んで、次がラストか……ん? やけに真新しい紙だな。最近のか?」
「あぁ、一昨日辺りに来たばっかの奴さ。でもこれはあんまりオススメできねえんだよな……」
「なんでまた……? 気違いじみた難度は今更でしょう……」
「いや、そういう点じゃなくて、依頼人がキナ臭せえんだよ。お前らみたいにフードで顔隠した男でな、ありゃ多分亜人だ。その癖提示した報酬額はA難度にしたって法外と来てる。バックにそれなりの大人物か、あるいは組織があるのは明白だ」
「はぁん、なるほどねえ……だが、俺らに選り好みする余裕はねえ。内容を教えてくれよ」
最後の依頼書とあって、王化は改めて背筋を伸ばす。如何に無理難題だろうとも、今日中にどれかをこなさなくてはならないのは確実なのだ。彼の言葉の通り、選り好みする余裕は無いのである。
「ま、そう言うと思ったがな。依頼自体は真っ当な討伐依頼、だが場所がなんとこの王都の地下水路だ。なんでもとんでもない回復力を持ったスライムどもがうじゃうじゃしてるらしくてな、斬っても殴ってもまるで効かねえんだと。おまけに地下水路自体にも入った奴を惑わせる幻惑系の魔法が掛けられてるみたいで、常人どころか並の魔法使い程度じゃろくに進めもしねえんだとか。誰が何のためにんなことしてんだか知らんけどな」
「「…………」」
無言で見つめあう王化とリキュリア。
「あのさ、その依頼主って、もしかして猫の亜人じゃねえのか?」
「ん? あぁ、言われてみりゃそうだったかもしれねえな。んでもって、明らかに裏稼業で食ってる奴だったぜ。盗賊――いや、暗殺者の部類か」
「だろうな」
流石の観察眼だ、と苦笑する王化。最早笑うしかない、という様子である。
「だろうなって、心当たりでもあんのか?」
「かはは、なにせ一度殺されかけてる。よし、それにするぜ。依頼内容はスライムの討伐だけか?」
「え? あ、ああ、幻術の方は特に言われてない。向こうもプロっぽかったし、それに関しちゃなんとかなるんだろ」
「んじゃ決まりだ。リキュリア、どれくらい掛かる?」
「あと三秒………………完了よ……。地下水路のスライムは全ていなくなったわ……」
彼女はあっさりとそう言って、ふぅ……と一息。
その言葉を理解するのに数秒。ギルドマスターは驚愕に顔を歪める。
「いなくなったって――お前、まさか! そうか、地下水路は穢れ水の魔女の庭……! その上、リキュリア・マグラントと言やあスライムマスターの異名も持つ!」
「うふふ、そういうことよ……さぁ、自作自演だろうとなんだろうと、依頼完了には変わりないでしょう……?」
「は、ははははは! そりゃそうだ! 後で地下水路へ確認の者も寄越すが、ライセンスの手続きは早速始めてやるよ。今からなら、そうだな、夕方前には出来上がってるはずだ」
「了解、助かるぜ旦那。かはは、しっかし僥倖僥倖――良い風が吹いてきやがった」
■
「――にしたって、出来すぎな展開さね。昨日の一件と言い、運が良すぎるのも不安になるさ」
朝食のパンを齧りながら、ベネアルはいまいち喜びきれないという様子でそう呟いた。
――場所はそろそろ賑わいだしたギルド一階の端も端。依頼をこなしたのち、王化らは隠れ家に待機していた二人と最低限の荷物を回収し、再びここへと戻ってきたのだった。
幻惑魔法が残っているとはいえ、一番のセキュリティーである防衛用スライムがいなくなった以上、地下に隠れているよりは外に出たほうが危険は少ないと踏んだのである。
「心配し過ぎよベネアル。幸運ではあるけれど不自然ではないでしょう? 亜人の集団である『闇猫』が、物理攻撃に強いスライムに苦戦して、その討伐をギルドに頼むっていうのは当然といえば当然だわ」
「あいつらってそもそも暗殺者集団なんだろ? 人探しって時点で専門外だ、そりゃ外注もするだろうさ」
対して、楽観的な王化とソルファ。
『上機嫌も結構じゃが、気は緩めるなよ御主人。油断は禁物じゃ』
そしてそれを咎めるのは一番の長寿であるマキャベルだ。
「分かってるよ、まだAライセンスができるまで半日あるんだ、そうそう油断なんぞできるもんか。だがま、この半日ってのも考えようによっちゃ、旅支度をする機会ができたとも言える」
「そうね……部屋にあった最低限の触媒や魔法具は持ってきたけど、わたしももう少し仕入れておきたいところだわ……」
「そもそも食料や水だって確保してないんだ、どのみち買い物は必要さね」
「私は服が必要ね。今はローブで隠れてるけど、この真っ赤なドレスは流石に目立ちすぎるし」
「言っとくが、贅沢はさせられねえからな……? しっかし、買うもんは結構ありそうか。んじゃ、このあとは手分けしていくか。ローブ三人と痴女一人の集団でぞろぞろ動くのも目立つし」
全員の食事の終わりを見計らい、王化はそう切り出す。「半日もある」とも言えるが、「半日しかない」という状況でもあるのだ、班を分けるというのも自然な発想だった。
「分けるなら、多くても二つまでにして頂戴……わたしの使い魔もそう多くはないから……」
「そっか。んじゃ、ぐっかぱーで決めるか」
「……ぐっかぱー? なんだい、そりゃ」
「あ、そりゃそうか」
異世界人が知っているはずもない。
ささっと説明を済ませ、早速やってみる。結果は王化(+マキャベル)とソルファ、リキュリアとベネアルという組み合わせになった。
テーブルの下で密かにガッツポーズをするソルファと、彼女に恨めし気な視線を送るベネアル。その原因はそんなことに気付きもせず、「まあ悪くねえか」なんて言いながら役割を振り分ける。
「お前らはリキュリアの必要物資と、あと食料とか旅の必需品を頼む。そういうのはこの中でベネアルが一番得意そうだしな」
「ま、厩番として旅関係もそれなりに心得てるさ」
「頼りにしてるぜ? 俺らは最低限の着替えと護身具だ」
『なんじゃ、儂じゃ不満か、御主人』
「そりゃそうだろ……お前の能力は役に立つが、得物としちゃ折れた剣と鉄扇だけじゃ心許ねえだろ」
『ぶー、浮気者じゃのう……』
「そういう話なのか……?」
マキャベル的にはそうなるらしい。
(しっかし問題は、こっちにまともな金銭感覚の奴がいないってことなんだよな……)
遠き地の者に一国の姫、それから百年単位で眠っていた魔剣だ、不安すぎる面子である。
ベネアルを引き入れたいところだが、リキュリアの散財を諌めつつその荷物持ちと護衛ができるのは彼女しかいないわけで。
(ま、時々一号たちを使って確認とるしかないか)
そんなこんなで、食事が終わるなり一行は早速二つに分かれて行動を開始する。リキュリアたちは街の魔法店へ、王化たちは大市へと向かう。
これから始まる、長く遠い旅路のために。




