第21話 分の悪い賭け
未だ降り続く雨の中、今回の騒動に参加した者たちは続々と小屋から出て散っていく。一人で帰る者もあれば、他者と打ち解けたのか連れたって行く者もあり、王化は小屋の軒先で彼女らの背を満足げに見送る。
(犠牲者どころかほとんど怪我人も無く、か……ま、今回は出来過ぎだな。最悪ソルファの『穿つ一投』でアジトごとふっ飛ばすことも視野に入れてたんだが、杞憂だったか)
今回の結果は、事前に想定したパターンの中、ほぼ全ての場面において王化たちにとって最善だったと言ってもいい。最後だけ、鬼人族というイレギュラーがあったものの、それもマキャベルによって抑えられたのだから、彼の言うとおりに「出来過ぎ」だった。
と。
ぼんやりとそんなことを考えていた王化に、不意に声が掛かる。
「――オーカ、行かないのかい」
「ん? あぁ、ジネットか。俺たちはもう少ししてから出るよ。濡れるのが嫌なんでな」
「濡れるのが嫌、ねえ……」
ジネットは苦笑する。そして窓越しに小屋の中に待機しているソルファたちを一瞥すると、「よく言う」と肩を竦めた。
「後をつけられると困る、ってところか。ま、どんな事情があるかは知らないけど用心深いこったね」
「……察してるならさっさと行けよ。お前が最後だぞ」
「はは、そう連れないこと言うなよ。すぐに済む。ちょっと礼が言いたかっただけだよ」
「礼?」
訝しげに王化は首を傾げる。
「あぁ。助けてくれた礼だとか、次の仕事のことの礼だとかは言ったけど――あたしに部隊一つ任せてくれた、その礼を言ってなかったからね」
「別に、そりゃ礼を言われるようなことじゃねえだろ。あん中で、一番お前が場数踏んでると思っただけさ」
「それでも、あたしは嬉しかったんだよ。久々に冒険者だって認められた気がしてね。にしても、なんでまたあたしを選んだんだい? 似たような装備の奴なら他にも一人二人いただろうよ」
「んなもん、姿勢を見りゃ大体分かるさ。お前が一番真っ直ぐだった、だからお前を選んだ。それだけの話だ」
「姿勢……はは、面白いこと言うねえ。了解了解、精々背筋伸ばしていくよ。んじゃ、また何かあったら呼んでよ、あたしにできることがあれば力を貸すからさ」
またな、と快活に笑ってジネットは去っていく。彼女は本当に何の他意も無く、単に礼を言いに来ただけらしかった。
(かはは、ああいう奴だけだったら、気が楽なんだがねえ……)
王化は軽く苦笑しながら、視線をちらりと横へ向ける。
犯人たちは連行され、亜人たちは帰った。しかしまだ一人、王化たち一行以外に一人だけ、軒先で雨宿りしている影があった。
恰幅の良い中年の男は、ジネットが去ったのを確認するとおもむろに王化の隣まで歩み寄り、同じように壁に背を預ける。
「――やむ様子がねえなあ、遠き地の者」
「……あんたも、濡れるのが嫌な口か?」
「はは、まあそんなところだ。どうせお互い暇だろ、ちょっと付き合えよ」
「あぁ、構わねえよ」
どのみち拒否権は無い様子だった。王化は肩をくいと持ち上げて答える。
部下たちを先に行かせて、ギルドマスターが自分だけ残った理由――まさか、単に今日の礼を言いにきた、というわけではないだろう。
(今日は「出来過ぎ」だったからな……)
少なくとも、今の今までは。
おそらく最後にして最大の強敵を前に、王化は我知らず身を固くする。そしてギルドマスターはそれを目ざとく察して見逃さない。
「そう緊張すんなよ、別に取って食おうってわけじゃねえ。ただの世間話さ」
「かっ、だといいがね。じゃあ俺から聞いておきたいんだが、今日保護した亜人はどうなるんだ?」
半分純粋な疑問で、半分会話の主導権を握るため、王化は問いを投げかける。
「あいつらは問題無い。奴隷師の薬と魔法で今は正気を失ってるが、一週間もすりゃ後遺症もなく元通りさ。下種な話だが、本格的に頭を壊したりすると高く売れないらしくてな、そこは幸運だよ」
「そっか。んじゃ、今まで売られた奴らは?」
その問いに、ギルドマスターの顔が露骨に曇る。
「そいつらはこれからだな……昨日集まってた客たちからは回収できるだろうが、それ以外は正直なかなか難しいんだ。こういう違法な奴隷売買ってのは、大体価格が普通の取引と比べて跳ね上がる。つまり、それに参加できるのは規模のでかい娼館かそれなりの有力貴族しかいねえ。オレたちギルドは娼館とは色々とパイプがあるからなんとかなるが、貴族連中には手が出しづらいんだよ」
「なるほどな……貴族はギルドのパトロンだったっけか。だったら、国に協力を仰げば良いんじゃないのか?」
「そいつは無理だ。言っただろ? この件が表沙汰になるのはまずいんだよ。オレたち自身の手で方を付けなくちゃなんねえ。薄情だとか無責任だとかは無しだぜ? 人間のためならともかく、亜人のためにここまで手を尽くしてるってだけでも随分良心的なぐらいだ」
「はぁん、そういうもんかね……」
ギルドマスターの口振りに亜人差別の根深さを感じつつ、王化は強いて冷静に頷く。無論、彼とて被害者の亜人たちに対して思うところが無いはずもないのだが、今はそんな感傷に手を煩わせている余裕など無かった。
そんな彼の様子を認めつつ、ギルドマスターは軽い調子で付け加える。
「ま、そもそも今は城が封鎖されてるし、協力を仰ぐもなにもねえんだよ」
「城はまだ封鎖されてるのか?」
「ん? 気になるのか?」
「そりゃ、まあな。誰だって気になるだろ」
「だろうな――特に、お姫様なんか連れてりゃ、当然だ」
「ッ――」
その言葉に、王化はほんの一瞬硬直する。
(なんでバレ――いや、これは鎌掛けてやがんのか……!)
気付いたもののもう遅い。ギルドマスターとして数多の人間・亜人を見てきた男にとっては、ほんの一瞬の硬直で十二分なほどだった。
「はは、意外と正直な奴だな、お前。まさかとは思ったが、そのまさかとはなあ」
「……ローブでなるべく顔見えないようにしてたんだがな」
「あぁ、一般人ならまず気付かんだろうさ。現に他の連中は誰一人気付いてないはずだ。でもオレは仕事柄、それなりに城に行くことも多くてな、ソルファ姫は結構間近で見たことがあったんだよ。それに、人を見る目はあるつもりだからな」
自慢げでもなくそう言って、ギルドマスターはふぅと大きく息を吐く。その有り余る余裕に、王化は思わず唇を噛む。
(主導権握ろうと喋ってたつもりが、単に喋らされてただけだったのか……!)
そして油断を突かれてこのざまだ。格の違い、自身の甘さを王化は痛感する。
男はまさに百戦錬磨。王化程度の小細工が通用する相手ではない。
「……分かったのはなんでだ。声か、それとも顔が少し見えたか」
「どっちもそうだし、ついでに言うなら立ち姿だな。ローブに包まってても、生粋の王族ってのは分かるもんさ。それこそ姿勢とかな」
「姿勢、ねえ……かはは、そんな台詞、他人から聞くとはな」
「見る目があるのはお前だけじゃねえってことだよ。それに状況証拠も多かった。ソルファ姫が最近遠き地の者を召喚してるって話は聞いてたし、馬の亜人の従者を連れてることも一部じゃ知られてる。城がこれだけの期間封鎖されてるってのは相当の一大事があったって言う証拠、そして封鎖が始まった夜に城壁の一部がぶち壊されたことも聞いてる。あの城壁を壊せる奴なんざなかなかいねえが、ソルファ姫の『穿つ一投』の威力は有名だし、お前さんの加護はそれを更に増強できるときてる。お前さんが見せた喋る剣の柄には王家の紋章、そして明日中にこの城下町を出なくちゃならないっつう状況――パーツを組み合わせれば自ずと結論は出る。隠し通そうとする方が無茶ってもんだ」
つらつらと、まるで覚えた九九でも唱えるように流暢に、ギルドマスターは言って聞かせる。
並べられた根拠の山を前にしては、今更嘘八百を並べても到底誤魔化しきれないだろう。
ならば。
「ならばどうする。俺たちを捕えて城に引き渡すか?」
「そうして欲しいか?」
「全力で御免こうむる。やるってんなら抵抗する」
「ははは、そりゃあ怖い。やめとくよ」
「……捕まえないのか?」
「あぁ、お城にゃそんな義理もねえし――なにより、今『捕まえる』なんて言ったら、後ろの魔女に殺されるだろ」
ギルドマスターはあっけらかんとそう言って、小屋の中を親指で指す。
その指の先では、まさに壁一枚越しにリキュリアが――否、ソルファもベネアルも三人とも臨戦態勢を整えていた。
「そのローブの中、いるんだろ? あの可愛いスライムが。どうせこの会話も筒抜けなんだろ」
「……どうして気付いた?」
「どうしてもこうしても、俺が近付いてきたとき不自然に肩竦めたじゃねえか。気付かれないとでも思ったか」
馬鹿にすんじゃねえよ、とギルドマスターは笑う。
『きゅ、ばれた』
「おうバレバレだ。お前らのことは一回使わせてもらったからな。便利すぎるんだよ」
「連絡用に寄越したのも失敗だったか……ったく、とことん敵わねえな。で? んじゃ、一体あんたはどうするんだ。俺たちがソルファを抱えていると知って、一体どう出る」
「どう出るかねえ……逆に聞くが、お前たちはどうするんだ。お尋ね者の姫を抱えて、この城下町を逃げ出して――その先に、お前たちはなにを目指す。どこを目指して何を成す?」
「国を盗り返す」
即答だった。
迷いは無い。王化は初めてギルドマスターに向き直り、その目を見て宣言したのだ。
「ここを出て、力を集め、奪われた王座を奪還する。ソルファは女王となり、俺は王たる者になる」
「………………本気で言ってんのか? お前たちで、革命を起こすってのか?」
「ああ。足りない力は道中補う。出発点はここで、到達点もここだ」
「…………正気じゃねえな」
「正気にては大業ならず、さ」
「……できるわけがない」
「やってみなくちゃ分からんだろう。可能性はゼロじゃない、命を賭ける程度の価値はある」
「やるんだな?」
「やるとも」
「乗った」
ギルドマスターは一言そう言って、満面の笑みを浮かべた。
今までの鋭い雰囲気はどこへやら、彼は心底楽しそうに王化の肩をばんばん叩く。
「……は?」
「分の悪い賭けだが、良いぜ、そういうのは嫌いじゃない。オレも乗った、協力してやるよ」
「協力? え、なんだ? なに言ってんだあんた」
「いやあ、ここでつまんねえことぬかすようなら、明日ギルドに来た時に全員とっ捕まえて城に引き渡そうと思ったんだがな、国盗りと来たか! がっはっは、いいねえ、ロマンがあるじゃねえの」
「あ、あんた、さっき義理も無いとか言ってたのに……」
「あんなもん嘘に決まってんだろ。お尋ね者捕まえりゃそれだけで相当の報奨金が出るんだぜ? みすみすそれを逃すかよ――って、まあ、今回に限っちゃ逃すんだけどな」
勿体無いけど仕方ねえ、とギルドマスターは更に笑う。
「……一体そりゃどういう心境の変化だよ」
「言っただろ、分の悪い賭けは嫌いじゃねえ。そしてなにより――お前に可能性を感じた。お前なら国盗りもやりかねない、そう思ったのさ」
「また随分と、高く買われたもんだ」
「がっはっは、オレは人を見る目はあるつもりだからな。買い被ったつもりはねえぞ。
明日中にA難度の仕事をこなせば、必ずすぐ外に出られるようにしてやる。比較的安全な出口もこっちで見極めておいてやろう。それ以上のことはできねえからな」
「十分さ。ありがたい」
「よそのギルドに掛け合ってやりたいところだが、んなことすりゃお互い足が付くからな。他にできることは――あぁ、そうだ。一つ、面白い噂話を聞かせてやろう」
にやんと悪戯な笑みをたたえるギルドマスターに、王化は呆れ気味に答える。
「噂話って……なんかの足しになるのかよ、それ」
「まあそう言うなって。ほら、雨ももうそろそろやみそうだ、それまでの暇潰しってことで聞いていけよ」
「まぁ、構わんがね……」
――気付けば本降りから霧雨になった空を見ながら、王化はギルドマスターの語る『噂話』とやらに大人しく耳を傾けるのであった。




