第19話 乗れよ
「――そのまま、適当に騒ぎながら聞いてくれ」
車内の者にだけぎりぎり聞き取れるぐらいにひそめた声で、その女はそう言った。
(……女?)
いや、違うな――とジネットは己の嗅覚と聴覚で悟る。下手くそな女装をしているが、その正体は人間の少年。彼女は犬の亜人であり、しかも一流とは言えないまでも一応冒険者だ。人を判断する『嗅覚』にはそれなりの自信があった。
(いんや、それも当てにならないか……)
現に自分はこうして騙されているのだから、と彼女は自嘲する。ジネットも、地元である片田舎の小さなギルドではそれなりに名の売れた冒険者だったが、それは所詮狭い井戸の中での話だったのだ。
意気揚々と訪れた王都のギルドでは、身の丈に合わない仕事を選んでは失敗を繰り返し、ついには門前払いを食らう羽目に。そこで奇妙な二人組から依頼を持ちかけられ、怪しいと思いつつも乗ってみればこの様だ。彼女は今なによりも自分に失望していた。
が、冒険者の性なのか、身体は臨機応変に動く。運転席に座る二人が疑いを抱かぬようにと、適度に暴れ騒ぐ。周りの明らかに素人の亜人たちも、ジネットに倣ってうまく演技していた。
「時間が無いから手短にいくぞ。あの野郎が言ったとおり、この依頼は罠だ。あいつらは同じ手口で亜人の女をさらって売り飛ばしてやがる。お前らもこのままだと売られる運命だ」
「――あんたは、何故それを知ってるんだい」
ジネットが小声で問うと、その少年はあっさりと答える。
「本物のギルドから依頼を受けた。俺とそこの痴女、それからこの馬車を尾行している別動隊の計五人でこの仕事に当たっている。
あぁ、仕事ってのは勿論、人さらい共の摘発だ。別にお前らの救出は含まれていない」
「なっ!? て、てめぇ! まさかあたしらを見捨て――!」
「話は最後まで聞けよ姉ちゃん。たしかに見捨てたって構いやしねえんだが、さっきも言ったとおり俺たちはたったの五人だ。正体不明の犯罪組織を襲撃するにゃちょいと心許ない。
そこで、だ。お前たち、この仕事に乗らないか? かはは、これはギルド長直々の依頼だ、『グレーゾーン』だなんて胡散臭えこと言わねえぜ?」
この状況下で、少年は心底愉快そうに笑いながら提案する。
手を貸せ。この仕事に乗れ、と。
馬車の中が一瞬静まり返る。はっと気付いた数人がまた騒ぎだすが、全員の意識は完全に少年に奪われていた。
「……あんたの指示に従う奴だけは助けてやる、と?」
「かはは、そう悪し様にとるんじゃねえよ。俺は仕事の機会と、それから復讐の機会を与えてやる、っつってんだぜ?」
「復讐の、機会……」
「そうさ。お前ら良いのか? 騙されっぱなしのやられっぱなしで。いいように足下すくわれ、挙げ句能無しの亜人と笑われて、はいそうですねって頷けるのか? かはは、それならこのまま奴隷にでもなった方がお似合いだ、無理に協力しろとは言わねえよ」
「っ、てめぇえ! なめくさりやがって! 八つ裂きに――」
噛みつかんばかりに牙を剥くジネットに、少年はぐいと顔を寄せる。
「そうだ、その意気だとも。悔しいんだろ、やり返してえんだろ。ならつべこべ言わずに手を貸せ」
言ったが早いか、少年はジネットを捕らえていた木の枝に触れ、一瞬でそれを破壊してみせる。彼女のだけではない、他の亜人たちの拘束も順々に解いていく。
手足は自由になったが、少年に掴み掛かる気には到底なれなかった。
(完ッ全に手玉にとられちまったね……)
大袈裟な挑発も、それに対するジネットの反発も、全て計算通りと言わんばかりの手際だった。そして彼女だけではなく、その場の全員が完全に少年のペースに飲まれていた。
苦し紛れに、ジネットは問う。
「あんた、一体何者だい?」
「かはは、俺は王になる男、冷泉院王化だ。覚えとくんだな」
□
走り出して数十分後、幌馬車は徐々に速度を落としようやくその足を止めた。
場所は外壁付近の林にひっそりと佇む二階建ての小屋だ。元はこの林の管理をしていた木こりのものだったが、その木こりが亡くなった後は『別荘』という名目で買い取られている。
こんな辺鄙なところに家を買う者など、よほど人嫌いの世捨て人か――あるいは、よほど人の目を嫌う裏稼業の人間なのか。
ふと耳を澄ますと、そんな場所にも関わらず、雨音に紛れて馬の嘶きがいくつも聞こえる。よくよく夜闇に目を凝らせば、馬車は幌馬車一つではない。林の中に隠れるように、十近い数の馬車が並んでいた。
(おぉっと、今日はこんな天気だってのに、いつになく大繁盛だな……? はっ、上玉の宣伝がよっぽど効いたらしい)
変態貴族どもが、と内心で嘲りながら、中年は御者台から降りる。べちゃりとぬかるむ地面に一瞬顔を歪ませるが、そんな不快感も幌の中のことを思えばすぐに消し飛んだ。
(今日の上玉は間違いなく高く売れる。そうすりゃボーナスに昇格だ、のし上がってやるぜ……!)
思わず口角が吊り上がるのを感じる。無理も無い、人一倍出世欲を持ちながらその機会を逃がし続けた男にとって、これはまさに千載一遇の好機なのだから。
「おい、あれ持ってこい。落として瓶割るんじゃねえぞ」
「はいはい、分かってるって」
指示を飛ばすと、少年の方もご機嫌に小屋の中へと駆けていく。彼が取りに行ったのはとある薬品だ。拘束した亜人たちにはその薬品を嗅がせて気絶させ、室内へと運び込むのがいつもの手順だった。
手持ちぶさたの間、中年はもう一度満足げに馬車を見遣る。流石に暴れ疲れたのか、幌の中はもうしばらく前から静かなものだ。普通ならば馬車が止まった途端にもう一度暴れ出すものなのだが、今回の荷物は随分と物分かりが良いらしい。
「どれ、ちっと様子を見ておくか……」
ついでに上玉の乳でもまさぐってやろう、そのぐらいならバレねえだろう――中年は下卑た笑みを浮かべながら馬車の裏に回る。そして幌を結んでいた二カ所の紐を解き、中へ入ろうと持ち上げ――その瞬間、だった。
だんっ、と。
右肩を穿つような激しい衝撃が、突如として中年を襲った。
なんだ、と自問する暇すらも無く視界が回る。右肩の衝撃にそのまま押され、中年は容赦なく地面に叩きつけられる。
視界が雨の夜空を捉えたのもまた一瞬。すぐに無理矢理転がされてうつ伏せにされ、雨に跳ねる地面しか見えなくなる。右腕が固められた状態で組み伏せられているのだ、と中年が気付くまで数秒掛かった。
「ぁ、な――?」
「良い仕事だジネット。殺すなよ、聞くことがある」
「分かってる。早くしな、もう一人が見当たらない、たぶん中だ」
「かはは、その程度の予想外は構わんさ。
――さあて、命が惜しけりゃ素早く答えろ。仲間はこの場に何人いる、あの小屋でなにをやってる」
上方から掠れた女の声と、それから鋭い少年の詰問が降ってくる。
(な、なんだ、なにが起きてんだァ……!? どうなってやがる……!?)
なんで拘束したはずの馬車の中から飛び出してこられる。何故男がここにいる。そして何故自分は組み伏せられている。
「て、てめえら一体、何者――」
「質問に答えろ」
だん、と。
背筋も凍るほど冷たい声と同時に、投げ出していた左手が全力で踏み抜かれた。
骨が一気に砕け散る激痛に思考が吹っ飛ぶ。中年は反射的に叫び声をあげようとするが、即座に顔を地面に押しつけられ、それすらも叶わない。
「もう一度聞く。この場の仲間の人数、それからあの小屋でやっていることだ。答えねえならもう一度踏むぞ」
「ひぃっ! ぃ、言う言う言う言うっ! 言うからやめ――」
てくれ、と叫びそうになったところを、もう一度顔を地面に押しつけられる。不用意に声を上げることも許さないという明確な指示だった。
男はもはや息も途絶え途絶えになりながら答える。
「な、仲間は他に八人いる……ここはオークション会場だ。亜人とっつかまえて変態貴族に売ってるんだよ……!」
「にしちゃ狭いな」
「ち、地下が広いんだ。リビングのテーブルの下に客用の入り口が、キッチンの床に俺ら用の入り口がある」
「他に捕らえた亜人は」
「う、売れ残りは地下にいる。昔売れた奴は知らねえよ……!」
「仲間の居場所と内訳は」
「五人は地下、ひ、一人は一階のリビングで受付、えと、一人は二階で待機で、あ、あと一緒にいたあのガキが今中にいる。用心棒に牛の亜人が一人と、魔法使いが一人混じってる……!」
「魔法使いの容姿と居場所は」
「五十ぐらいの爺だ。二階にいる」
「おーけー、もう用無しだ」
「ぇ――?」
その声を最後に、中年の意識は闇に消えていった。
■
「――殺さなくて良いのかい、こいつ」
「殺しは好かんし、こんな下っ端殺す意味も無えだろ」
王化はあっさりそう言って、ジネットの手刀で気絶した中年に背を向ける。そして幌馬車に向けて「出てこい」と声を飛ばす。
声に従い、他の亜人たちとリキュリアも馬車を降りる。やる気どころか殺気まで漲っている者もいれば、既に緊張の限度を超えて顔面蒼白な者もいた。
そんな面々に苦笑しつつ、王化は敢えて軽い調子で言う。
「まぁそんな堅くなるなよ。思ったより敵の人数はずっと少ない。即席メンバーでもなんとかなるさ。で、車内で決めたように二班に分ける。戦闘経験のある者はジネットに、素人連中は俺に続け。リキュリア、二階に魔法使いがいるからそいつは任せた」
「了解したわ……」
「皆、さっきも言ったがなるべく殺すな。この場にいない奴の情報が聞けなくなる。そして殺されるな、命あっての物種だ」
王化の言葉に全員が頷く。
よし、じゃあ行くぞ――と動きだそうとしたその時だ。不意に小屋のドアが開き、大事そうに両手で瓶を抱えた少年が外に出てくる。
少年と一行の目が合う。少年の目は同時に倒れ伏す中年の姿も捉える。少年の手から瓶がすっぽ抜け、驚愕に目が見開かれる。
(やべ、ここで騒がれると――!)
が、しかし。
少年が大声をあげようとしたその次の瞬間、彼の体はくの字に折れて真横に吹っ飛んでいった。
「なっ――!?」
驚愕の声を漏らしたのはジネットだ。少年の方は数回バウンドした後、脇腹にめり込む激痛に悶絶して声も出ない様子である。
一体誰が――などと、王化らにとっては聞くまでもない。
『――間に合った、かしら?』
「あぁ、よくやったソルファ。相変わらずの馬鹿力だ」
肩のスライムから響く自慢げな声に、王化はありったけの賞賛を返す。
『このまま貴方も撃ち抜いても良いのだけれど』
「かはは、勘弁してくれ。――これから突入する、計画通りお前はリキュリアの援護を、ベネアルは周辺の馬車の馬を手懐けて逃げ道を潰せ。一人も逃がすな」
『了解』
通話が途切れる。
そして、数を十人増やした一行は、雨音に紛れるようにして小屋の中へと突入するのだった。




