第12話 これからのこと
ぺた、と額に張り付く冷たさで、王化は目を覚ました。
まず目に飛び込んできたのは、心配そうにこちらを覗き込む褐色の少女だ。ベネアルは王化が目を覚ましたことに気付くと、ほっと安堵の笑みを浮かべる。
「あ、目が覚めたかい、オーカ。調子はどうだい」
「……暑い。喉乾いた」
「はいはい、今持ってくるよ」
ベネアルは狭い部屋の奥から、陶製のポットとコップを持ってくる。王化は上体を起こしてコップを受け取り、注がれた水を流し込みながら周囲を見回した。
場所は昨日と同じくリキュリアの隠れ家。しかし家主の姿はなく、ここにいるのはベネアルと王化、そして机に向かうソルファの三人だけだ。
王化の声に気付き、ソルファも彼に振り向く。
「あら、起きたのね、良かった。指の震えは無い? 心臓が焼けるような感覚は?」
「ん、今日はどっちも平気だ。絶好調とは言わねえが、悪くはねえ」
言われてみて、王化は昨日よりも幾分体調が良いことに気付く。僅かに熱っぽさは残るものの、十分活動できる程度の体力は戻っていた。
「そ。よく寝てたから、かなり回復したみたいね」
「俺はどのくらい寝てた? リキュリアはどこだ?」
「ええと、今が昼の一時頃だから、半日以上ね。リキュリアは――」
『ますた、そろそろ戻る』
と。王化の額からぽとりと、小さなスライムが膝の上に落ちてそう言う。
「……お前らは冷えピタかなにかなのか」
『いちごう、ひえひえ?』
「ああ、結構気持ち良かった」
『きゅー!』
嬉しそうに跳ねる一号。こいつらは癒しだなあ、と思わず頬を緩めつつ、王化はそのぷにぷにの身体をつっつくのだった。
少しして、不意に石壁がぎぎぎと音を立てはじめる。そしてまるで忍者屋敷のように石壁の一部が回転し、布の袋を携えた部屋の主が戻ってきた。
(こりゃたしかに、匿うのにこの上無いよな……)
昨日初めて見たときは、王化も声を上げて驚いたものだ。お前は本当に魔法使いか、とも思ったが。
「あら、ようやく起きたの……身体の調子はどうかしら……?」
「おかげさまで昨日よかマシだ」
「わたしは治療魔法を掛けただけよ……感謝するなら、付きっきりで看病してたこの二人にしなさい……」
「そうかい。二人とも、ありがとうな」
王化の礼に、二人は少し気恥ずかしそうに「どういたしまして」と声を合わせる。
椅子にソルファが座っているのを見ると、リキュリアは代わりにベッドへ腰掛ける。そして王化に軽くしなだれかかりながら、持ってきた布袋を漁る。
「ええと、はい……これ、貴方の服よ……遠き地の者のセンスは分からなかったから、無難なものを選んでおいたわ……」
「お、ありがとう。よかった、これで裸ローブで出歩かなくて済む」
実は昨日の再会の際も、リキュリアから借りたローブの下はパンツ一枚の変態スタイルだったのだ。実に丸一日ぶり以上の着衣である。
「それと、はい……ベネアル、貴女もローブが必要でしょう……」
「ああ、そうだね。恩に着るよ」
「あとは、パンを幾つか買ってきたわ……王化、貴方は特に食べておきなさい……」
「分かった。――で、一つ聞きたいんだが、お前その格好で買出しに行ってたのか……?」
「? そうだけど……貴方たち全員お尋ね者だもの、わたしが行く他無いでしょう……」
「あー、いや、そりゃそうなんだが……うん、分かった」
リキュリアは相変わらずのビキニローブだ。街の人もさぞ度肝を抜かれたことだろう、と思いつつ、王化はもう何も言わなかった。
趣味は自由である。
布袋からパンを受け取り、各々それを齧る。予想外の固さに少々難儀しながら、王化は口火を切った。
「――んじゃ、早速だが、これからのことを決めるか」
「これからの、こと」
ソルファの食事の手が止まる。
――結局、状況は何一つ好転していない。しかしそれでも、先のことは考えなければならないのだ。
俯くソルファに、王化は選択肢を示す。
「ああ、まず選択肢は大きく二つ。
逃げるか――あるいは、戦うか」
「戦う……? あんた、それ本気で言ってんのかい?」
「勿論。政変を起こされたとは言え、あくまで少数派は向こうなんだろう? 今からソルファを支持する人間をかき集めりゃ、逆転返しの可能性はゼロじゃない」
口元に笑みを浮かべながら王化は言う。それはまるでこの状況を楽しんでいる風ですらあった。
そんな彼の言葉を、リキュリアは馬鹿馬鹿しいと言わんばかりに言い返す。
「それは、ゼロじゃないだけでしょう……? 今からどうやって、そのいるかどうかも分からない支持者を集めるというの……」
「っ、その言いぶりは聞き捨てならないねえ。姫様に人望が無いとでも?」
「そうは言ってないわよ……ただ、政変が起きたと知って、それでもなお命を懸けてソルファ姫につく人間が、どれだけいると思うの……? 皆が皆、貴女のような忠臣とは限らないでしょう……」
「そ、それは……」
ベネアルは答えに詰まる。
――仮に、今城から追い出されている『ソルファ派』の全員に声を掛ける方法があったとして、その全員が『王子派』に対抗すべく武器を取るはずがない。実権と城が『王子派』の手中にある以上、そちらになびく者も少なくないはずだし、そもそも全員が戦闘要員というわけではないのだ。
城の戦闘要員は、大きく分けて近衛兵と魔術師団の二つ。今回の政変には、その両方から四割近くの人員が参加している、というのも大きい。
現実を見返すほど、戦うという選択肢が如何に無謀か明確になるだけ。ベネアルは溜息混じりに言う。
「……全体の人数はともかく、武力は半分近く押さえられてるんだ、はっきり言って勝ち目なんてハナからありゃしないよ」
「だろうな」
「だろうなってあんた……」
「んなこたそれこそハナから分かってるんだよ。俺が聞きたいのは、ソルファ、お前の意志だ。お前はどうしたい? 戦いたいのか、それとも逃げたいのか」
王化は問う。どうするか、ではなく、どうしたいのか、と。
俯いていたソルファはようやくその顔を上げる。
「――戦いたい」
そして、彼女は確たる意志でもって、そう答えた。
その青い目は、静かに決意を燃やす。
「城の皆が――ううん、国民の皆が私よりミルバを支持するというのなら、私は喜んで王位を譲るわ。だけど、こんな理不尽な方法は認められない。私はいつもお父様をそばで見てきたから分かるの――この国の王冠は、そんなに軽いものじゃないわ。
だから、取り返したい。城も、臣も、民も。私が女王として背負うはずだった全てを」
言い放つその姿は、既に聡明な女王の風格を漂わせていた。
ソルファを変えたのは、言うまでもなく出会いと痛み。王を目指す王化との邂逅、そして信じていた者からの裏切りを経験して、彼女はこの僅かな期間のうちに大きく成長したのだ。
そんな彼女に、王化は心底嬉しそうに顔を歪ませる。
「かはは、王位を継ぐのをビビってた女の言葉とは思えねえな」
「なにもかも全て受け入れろ、と言ったのは貴方のはずよ」
「そうだったな。あぁ、あの夜よりずっと魅力的だぜ、お前。
その意気や良し。ならやることは決まった――戦略的撤退だ」
大仰に宣言する王化に、ベネアルは呆れ混じりに言う。
「それ、結局逃げるってことだろ……」
「やることはな。だが意味がまるで違うぜ。戦略的撤退ってのは、つまり『今は退く』ってだけだ。悔しいが、ここでは勝ちを譲ってやろう。最終的に勝つためには、負けなくちゃならねえ局面もある」
「最終的に、勝つ……?」
その言葉の意味が分からないソルファではない。聞き返したのは、答えを王化の口から聞きたかったからだ。
そして、王化は言い放つ。
「ああ――取り戻そうぜ、この国を。くれてやるのが惜しいなら、奪い返すしかねえだろう?」
言い放つその姿もまた、傲慢な王者の威厳を備えていた。
王化は凶悪な笑みをそのままに続ける。
「今、俺たちはあまりに非力だ。どう足掻いたってあの城を取り戻すのは無理だろう。だから俺たちが今すべきは、ここから逃げること――そして、逃げた先で力を集めることだ。その力でもって、この国を盗る」
「国を、盗る……」
「かはは、どうした、怖じ気づいたか? お前が望んだのは、そういうことだぜ?」
「っ、馬鹿にしないで! いいわ、やってやろうじゃないの。焚き付けた以上、貴方には最後まで付き合ってもらうわよ」
「勿論。俺は王になる男だぞ? 国盗りと聞いて胸が躍らないものかよ」
不敵に笑う王化。当然だろう、王になることこそ彼の望み、なればこれは願ってもない機会なのだから。
(……ん? ソルファに女王の座をくれてやって、俺も王になるって、なんか変な話か。ま、実質的に『王』ってことなら別にいいか)
相変わらずおおらかと言うべきか、適当と言うべきか、王化は「まあいいか」で済ませてしまう。彼としては『人を導ける存在』としての『王』になりたいのであって、別に王冠や玉座が欲しいわけではないのである。
二人は利害が一致したところで、王化は他の面々に問う。
「んじゃ、お前らはどうしたい? この話、乗るか?」
「あたいは勿論付き合うよ。姫様の望みとあらば、地獄の果てまでも」
『儂も、御主人と共に行こう。この身が朽ち果てるまで振るってくれ』
二つ返事で答える忠臣と忠剣。この両者には聞くまでもないことだった。
で、残ったのは魔女一人。
『ますた、どーする?』
『いく?』
『いかない?』
いつの間にかリキュリアの肩に並んだスライムたちは無邪気に問う。そんな三匹に苦笑しつつ、リキュリアは口を開く。
「どのみち、付き合わなければ、貴方の身体は使えないのよね……いいわ、でも条件を付けるわ……」
「ほう? 聞こうじゃねか」
「まず一つ、旅の最中も研究に当てる時間と費用はある程度確保してもらうわ……もう一つ、国盗りが成功した暁には、最高の研究環境を用意してもらうから……」
「ふふ、いいわ、それは私が約束する」
「最後にもう一つ、オーカの身体は常に好きにさせてもらうわよ……」
「そりゃ勿論。そういう取引だからな」
そっちも忘れちゃいねえさ、と王化は笑う。そのそばでソルファとベネアルが複雑そうな表情をしているが、彼がそれに気付くことはなかった。
ともあれ、これにて全員の意見はまとまった。
国を取り戻す――そのために、一行はまず『戦略的撤退』の準備を始めるのであった。




