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第10話  取引をしよう


「――貴方が、欲しいの……」


 ずい、と。

 背後の壁に手を置き、リキュリアは自身の身体でもって王化を追い詰めた。

 鼻先に迫る顔、頬を撫でる熱い吐息、鼻孔をくすぐる甘い体臭――王化は思わず後ずさるが、背にはすぐ壁がある。

 逃げられない王化の裸の胸に、リキュリアは暖かい指先を這わせる。


「か、かはは……こりゃまた、情熱的な告白で」

「ええ、我ながらそう思うわ……でも、それぐらい貴方が欲しいのよ……」

「俺じゃなくて、俺の加護が(、、、、、)、だろう?」

「うふふ……別に、勘違いしてくれていても、良かったのに……」


 リキュリアはにぃと口角を吊り上げる。それは間違いなく、性悪な魔女の笑みだった。

 彼女がわざわざ王化とマキャベルを助けた理由はただ一つ――王化の加護の『増幅』だ。


「貴方の『増幅』、素敵よ……ソルファ姫の地力があるにしても、あの城壁を撃ち抜くなんて……その力があれば、わたしの研究は更に先に行ける……」

「お前、一体どこからどこまで知ってるんだ?」

「貴方のことは、召喚されてからずぅっと見てたわよ……? 正確には、そのしばらく前から、ソルファ姫の方を見張っていたのだけれど……」


 その言葉に、王化は途端視線を鋭くする。


「ソルファを? お前、やっぱり王子の一派じゃ――」

「違うと言っているでしょう……わたしが彼女を見張っていたのは、彼女が遠き地の者(ジプシー)の召喚を始めたからよ……彼女は『治療』の加護を探していたようだけれど、わたしは研究に役立つ加護を持つ遠き地の者(ジプシー)が欲しかったの……」

「良さそうな奴が呼び出されたら、横取りしてやろうとしてたのか?」

「ええ……アダチとかいうのはまるで使えなさそうだったけれど、貴方は最適だわ……いつさらってしまおうかと狙っていたら、そっちから飛び込んできたの……」

「さらうってお前……っていうか、んなことなら、わざわざ横取りしなくても、自分で呼べば良いんじゃないのか」


 王化が素人考えでそう言うと、リキュリアは呆れ混じりに返す。


「馬鹿言わないで頂戴……異世界召喚魔法は、もの凄い高コストの魔法なのよ……儀式一回に使う触媒だけで家が買えるわよ……」

「げ。あいつ、んなこと二回もやってたのか」

「そんな訳だから、わたしはわたしで彼女を利用しようとしていただけよ……王子や大臣の政変クーデターなんて、最初から興味は無いわ……見張っていたのはソルファ姫だけだから、そもそも知らなかったし……」

「ふうん。で、結局どうやって見張ってたんだよ」

「見たいの……?」


 リキュリアは王化から離れると、後ろの戸棚をなにやらごそごそと漁る。そしてその中から何かを取り出して持ってくる。

 これよ、と彼女が手を開いて見せたのは。


「――蝙蝠?」

「の、死体よ……他にも鼠や雀を使ったりもしたけれどね……要は、動物の死体を使った屍術……これを操作して、情報を集めていたの……」


 妖しげな笑みを浮かべ、つぅっと死体を撫でるリキュリア。すると死体の目に赤い光が宿り、それはまるで息を吹き返したかのように羽ばたき彼女の右肩に飛び乗るではないか。

 その動きは野生の蝙蝠となんら変わりはしない。これならば、気付かれずに城に侵入することもたやすいだろう。


「なるほどな……ってかお前、水の魔女とか言ってなかったか? 完全に屍術師(ネクロマンサー)じゃねえか」

「この程度専門じゃなくてもできるわよ、城の警備も緩かったし……まあ、今は厳戒態勢になってるから、使い魔たちも排除されてしまったけど……」

「厳戒態勢、か」


 政変クーデターを起こした直後ならば当然か、と王化は呟く。


(もともと、大多数の支持を受けての革命ってわけじゃねえ。勢力としちゃ本来ソルファの方が多数派だったのに、武力を持つ連中を集中的に抱え込んで決行したんだ)


 政変クーデターは成功はした。しかし、無理を押し通した上での成功のはず――王化はそう読んでいた。

 事実、王子たちにとっても、昨日の決行は全くの予定外。本来はもっと入念な準備を重ねるはずだったものを、王化が『選定の剣』を折ったことによって、勝負に出る他無くなったのだ。


「使い魔の最後の情報を見る限り、昨日の夜から人の立ち入りは最低限になってるわね……逆に、城から出てくる人間もほとんどいない……貴方たちを探す少数精鋭の捜索隊のみでしょうね……」

政変クーデターを起こしたこと自体、なるべく知られたくねえんだろうな。可能な限り時間を稼いで、少しでも自分たちの正当性を示す証拠をでっち上げるつもりだろう」


 とはいえ、それも無理がある話だ。城壁を破壊した際の騒ぎは既に城下町に知られているだろうし、城に勤めている人間を追い返しているというのは「何かがあった」と自白しているようなもの。一般の政務もあるのだ、いつまでも城門を閉ざしているという訳にもいかないだろう。

 どうにかもって三、四日――王化はそう読んでいた。


(逆に言や、奴らが城に引きこもってる間は、大規模な捜索隊は出てこないはず。そうなると、こっちもこっちで三、四日の間に、この状況をどうにかしねえとなんねえ……)


 王化は状況を整理しながら、目の前の魔女に視線を遣る。

 自分の治療、屍術による情報収集、そして知能を持つスライムの使役――魔法についてはほとんど何も知らない王化でも、リキュリアがただ者ではないことぐらい想像はつく。おそらく、魔法使いの中でも相当の実力者であることは確かであろう。

 ――ここで別れるには、あまりに惜しい。


(ま、そもそも、そう簡単に逃がしてくれそうもねえが……)


 王化は我知らず不敵な笑みを浮かべる。彼はこの切羽詰まった状況を、どこか楽しんでいる節すらあった。


「――まず一つ、確認しておきたいことがある」

「? なにかしら……?」

「今現在この状況下で、俺にそこまでの価値があるのか、ってことだ。考えてもみろ? 俺は相当のお尋ね者だ、城の閉鎖が解ければ奴らは血眼になって俺を捜すだろう。それを匿うリスクを負ってまで、俺の加護は欲しいものなのか?」

「愚問ね……貴方の『増幅』は、そんなことを差し引いてもお釣りがくるわ……それに、ここにいる限り、貴方の身の安全は保証する……」

「なるほどな」


 自分が「取引の材料に足りうる」と確認し、王化は満足げな笑みを漏らした。

 そんな彼の態度を若干不審がりつつ、リキュリアは付け加える。


「そもそも、『増幅』の加護は、貴方が思っているより遙かに有用なものなのよ……?」

「どういうことだ?」

「良い例が彼女よ……」


 そう言って指さすのは、暇そうに大あくびをするマキャベルだ。いきなり話を振られ、マキャベルの方は『な、なんじゃ』と大慌てである。


「貴方、不思議だと思わなかったかしら……? 何故自分が彼女を折ることができたのか……」

「そりゃお前、やっぱり俺の王たる素質が――」

『その伝説はただの後付けじゃと言ったじゃろう、御主人。儂は選定なんぞしとらん、封印されてただけじゃ』


 馬鹿馬鹿しい、と鼻で笑うマキャベル。


「む。じゃあなんでだってんだ」

「それも『増幅』の力なのよ……封印っていうのも魔法、当然大昔に込められた魔力をもとにして発動している……貴方は、その魔力を(、、、、、)増幅(、、)させてしまったの(、、、、、、、、)……」

「? それで、なんで封印が解ける?」


 首を傾げる王化に、リキュリアは「分からないの?」とばかりに苦笑する。


「急激に魔力が増えたせいで、封印の魔法が自壊(、、)してしまったのよ……水を入れすぎた袋は、内側から爆ぜるでしょう……? それと同じこと……つまり――」

「俺の『増幅』は、他人の魔法を増強するだけじゃなくて、他人の魔法を破壊する(、、、、、、、、、、)ことも可能《、、、、、》、ってことか?」

「そういうこと……どんな呪いも、どんな封印も、貴方の前では形無し……その能力、この上無く凶悪よ……」


 そして、魅力的だわ――リキュリアは恍惚とした笑みを浮かべる。

 彼女のような魔法使いから見れば、王化の『増幅』は万能の秘宝。喉から手が出るほど、という表現でも足りないほどに欲しいものだろう。

 リキュリアは改めて、王化にずいと身を寄せ迫る。


「ねえ、わたし、貴方の『増幅』が本当に欲しいの……さっきも言ったけれど、ここにいてくれる限り身の安全は保障する……少し手狭な部屋だけれど、衣食住も提供するわ……」

「お前とここで、二人きりで暮らせと?」

「ええ……望むのなら、わたし自身《、、、、、》を与えても良いわよ……」

「そりゃまた、夢のある話だ」


 欲望を隠そうともせずに王化は口角を釣り上げる。


「っ、じゃあ――」

「まあそう急くなよ。返事の前に、まずマキャベルを返してくれ。さっきの話だと、俺は封印を『解いた』んじゃなくて『壊した』んだろう? こいつのことが心配だ」

『ほほう? なんじゃ、嬉しいこと言うじゃないか、御主人』

「貴方、このタイミングで幼女の方を気に掛けるの……? そういう趣味だと、わたしの身体では対応しかねるのだけれど……」


 若干本気で引きつつも、リキュリアは言われるがままに剣の柄へ手を伸ばす。マキャベルは実体化を解き、大人しく王化の手へと渡った。

 受け取るなり、彼はまず柄に残った刃に目を凝らす。心配などただの口実、もとより本当に確認したかったのは、その一点だけなのだから。


(よし……短いが、しっかり切れる刃が残ってる)


 王化は満足げな笑みを浮かべ、その柄を握る。


(少ないながら、手札は揃った。あとは良い出目を祈るだけだ)


 握る手の強ばりに、マキャベルは思わず声を上げる。


『御主人……? おい、何を考えておる?』

「かはは――こういうことさ」


 王化は勝気な笑みを浮かべ、その折れた切っ先をリキュリアへと突き出す。

 ――それは明確に、挑発の意志を込めて。

 そんな王化に、リキュリアは苛立ちを露わにする。


「なんのつもり……その折れた剣で、その死に掛けの身体で、わたしを脅せるとでも……?

 ――止めて頂戴。手荒な真似はしたくないの」

「かはは、そりゃ同感だ。だが、俺にも事情がある。悪いが、お前とここで爛れた生活を送るわけにはいかないんだよ」

「それが、答えなのね……逃がすとでも思うの……?」

「いんや。ただで逃がしてもらえるとも思ってねえし、こっちだってただ逃げるつもりはねえ。


 だからリキュリア――取引をしようぜ」



   □



 泣き疲れるまで泣き腫らして、ソルファはベッドに身を横たえた。

 気付けば窓の外はもう真っ暗で、部屋の中は二本の蝋燭だけがぼんやりと照らす。


「落ち着いたかい、姫様」

「……少しは、ね」


 隣のベッドで同じように寝転ぶベネアルに、ソルファは虚ろな視線を送る。

 もう、疲れた。

 胸には後悔と不安ばかりが溢れ、そんな思いが口からこぼれる。


「どうして、こんなことになるのよ……なんで、みんな私を裏切ったの……」

「……姫様、近衛兵の連中の顔、見たかい?」

「? そんな余裕無かったわよ」

「そうかい――向こうについた連中、みんな日頃から亜人を毛嫌いしてた奴らだったよ。城の中でも多少分かれてただろう? あたいらと普通に接してくれる奴らと、そうじゃない奴ら」


 ベネアルは昨日蹴り飛ばした近衛兵の顔を思い出す。あの男などは正にその典型、亜人が視界に入るだけでも顔を歪めるような差別主義者だった。


「ミルバや大臣は、そういう連中を集めたってこと?」

「だろうねえ。大方、『ミルバ王子は人が頂点に立つ国を作る!』とでも言って、密かに仲間を増やしてたんだろうさ。姫様があたいら亜人を人間と同じように扱うことには、ずっと反対があったじゃないか」

「でも、そんなことで――」

「十分なんだよ、そんなことで。差別ってのは、そんだけの毒がある」


 ベネアルはぴしゃりと言い捨てる。亜人の彼女の言葉には、言い返せない重みがこもっていた。


「……私、間違ってたのかな。城から意識を変えていこうって、貴女たちにも頑張ってもらってたのに、こんな結果で」

「そんなことないさ。連中が頭の固い馬鹿野郎共だったってだけだよ」

「でも――でも結局、私は裏切られた……! 私は否定された……!」


 枕に顔を埋め、絞り出すように声を上げるソルファ。

 彼女の精一杯の悲鳴は、枕に吸われてすぐに消えてしまった。


「……そう言わないでおくれよ、姫様。あんたが拾ってくれてなきゃ、今頃あたいは野垂れ死んでる。あたいだけじゃない、他の城の亜人もみんなそうさ」

「だけど……」

「あたいたちとの出会いまで、あんたは後悔しちまうのかい?」

「……そんなこと、ない」


 ソルファは小さくそう答えた。

 そんなことはない。ソルファにとって、ベネアルや他の亜人たちとの出会いは、その他の人間との出会いと同じように、かけがえの無いものだった。

 若干生気を取り戻したソルファにほっと一息、ベネアルは優しく言う。


「――酷なことばかり言ってごめんよ。でもね、今は耐えておくれ」

「ううん、こっちこそ、貴女にばかり辛い役目を負わせてごめんなさい」

「はは、平気だよ。姫様のためなら」


 嘘だ、とソルファは心中で呟く。

 本当はベネアルとて辛いはずなのだ。なのに、自分のために空元気を押し通してくれている――そう思うと、ソルファも一人だけいつまでも落ち込んでいるわけにはいかなかった。

 自分の頬を両手で叩き、無理矢理に気分を入れ替える。そしてベッドから飛び起きると、ソルファははっきりと言い放った。


「――ご飯にしましょう。お腹が空いては何もできないわ」

「ん、そだね。一階に行こうか、酒場になってるんだ」


 というわけで、二人は部屋を出て酒場へ。もちろん二人とも顔を見られてはまずいので、ベネアルが昼のうちに用意しておいたフード付きのローブを身に着けてである。

 暗い廊下の道すがら、ボロな建物が珍しいのかきょろきょろしながら、ソルファはベネアルに問う。


「そういえば聞きそびれていたのだけれど、ここってどこなの? よく私たちを泊めてくれる当てがあったわね」

「あぁ、ここは馴染みの亜人がやってる宿でね、見ての通りオンボロだけどその代わり隠れ蓑にゃぴったりさ。城の連中はまず入ってこないからねえ」

「? どうして?」

「どうしてもこうしても」


 ベネアルは笑みを浮かべ、一階へとソルファを導く。階段を降りきるとそこはすぐに酒場で、ベネアルの言わんとすることは一目瞭然だった。

 狭い室内で騒がしく酒を酌み交わすのは、誰を見ても例外無く亜人なのだ。獣の耳が生えていたり、服から尻尾がのぞいていたり、あるいは角が生えていたり。

 わぁ、と思わず声を上げるソルファ。この城下町で、これだけの数の亜人たちが一同に会するのは非常に珍しいことだったのだ。


「この通り、ここはこの辺の亜人たちの溜まり場なのさ。普通の人間はまず立ち入らない、ましてやご立派な城の連中が来るところじゃないさね」

「それはそうだけど……こんなところに、私がいても平気なの?」

「店の主人にゃ事情を話してあるよ。他の連中にも、大人しくローブ被ってりゃバレやしないから平気だって」


 ベネアルはそう言って、ソルファと共にカウンターの端に座る。

 錆かけの呼び鈴を数回鳴らすと、厨房から頭に二本の角を生やした大男が現れる。見るからに牛の亜人、そして彼こそがこの宿の主人であった。

 主人はベネアルとソルファを見ると、にぃと共犯者の笑みを浮かべる。


「おう、来たかい。何にする?」

「あったかいシチューとパンを二人分頼むよ。手持ち無いからツケで」

「はいはい、ちょっと待ってろー」


 注文を聞くと主人は一度厨房に消える。と思えば、器用に四皿一度に持って、すぐに二人の元に戻ってきた。

 ソルファはお礼を言おうとするが、その間も無く主人は再び厨房へ。また戻ってきたかと思えば、今度は二皿とコップ二杯、瑞々しいサラダとホットミルクが二人の前に置かれる。


「――ツケならケチるんじゃねえよ、ガキんちょ共。大変なんだろ、しっかり食って力付けろ」


 野菜も大事だ、と主人は笑う。 


「っ、ありがとう、ございます……」

「はは、かしこまんねえでくれ、あんたに頭下げられんのは畏れ多いぜ」

「悪いね旦那、恩に着る。この借りは必ず返すから」

「ったりめーだアホ。ツケだかんな、忘れねーぞ」


 主人は快活にそう言うと、後ろ手に手を振って厨房へと消えていった。

 残された二人は、その背を感謝の念で見送って、料理に手をつける。城での食事に比べれば非常に質素なものだったが、今はその味が身体の芯まで染み入るようだった。


「――私たち王族は、特に亜人から嫌われてるものだと思ってたわ」


 シチューを口に運びながら、ソルファは独り言のように言う。


「そりゃ間違っちゃいないさ。今の王様も、その前の王様だって、あたいら亜人を虐げてきたからね。当然亜人はみんな王族が大嫌いさ。

 ――でもね姫様、あんただけは違うって、みんなちゃんと知ってるんだよ。

 ここらの亜人はみんな、あんたがあたいらの味方だって信じてる。姫様がやってきたことは、決して無駄なんかじゃ(、、、、、、、、、、)ないんだ(、、、、)

「……うん」


 震える声を抑えながら、ソルファは大口でパンを詰め込むのだった。

 ――二人の食事がそろそろ終わりそうな頃、一人の猫背の男が一つ席を空けた隣に座る。

 ソルファたちと同じく、全身を覆い隠すローブを纏っていて、その顔を窺い知ることはできない。辛うじて男だと判別できたのは、呼び鈴を鳴らす際に僅かに見えた手の形からだった。

 古傷が残る、大きくごつごつとした左手。連れも無く、ローブで身を隠していることからも、この男が堅気の者でないことは分かる。


(このお店は、こういう人も集まるところなのね……)


 ちらりと横目で見遣りながら、ソルファはそんなことを思う。勿論彼女がこんなガラの悪い店に入るのは初めて、この怪しげな男も新鮮に映ったのだろう。

 先程の店主が出てくると、男は低い声で注文を告げる。


「川魚のソテーと葡萄酒を頼む」

「あいよ。酒はどこのがいい?」

「一番安いのでいい。――それと主人、一つ聞きたいことがあるんだが」

「? なんだよ」

「ここらで金の長い髪をした女を見なかったか? 年は十六か七ぐらい、もしかしたら仲間を二人ほど連れてるかもしれん」


 この言葉に、ソルファとベネアルは一瞬固まる。しかしすぐに思い直し、顔を見合わせるようなことは無かったが、二人とも内心激しく動揺していた。


(私のことだ……!)


 二人はすぐにでも席を立ちたい衝動に駆られるが、それもできない。怪しまれないように自然に、完食してからこの場を去る以外に選択肢は無かった。

 当然主人もこの男が二人を追っていることには気付く。しかし彼は敢えて男と会話を続けた。


「女ぁ? 知らねえなあ。連れはどんなのだ」

「一人は馬の亜人の女。つっても完全変態できる奴だから、見た目は肌の浅黒い普通のガキだ。もう一人はジプ――異国の男。黒目黒髪でオールバックのひょろい野郎だ、見りゃ分かると思うんだが」

「そっちにも心当たりはねえな。場所の目星はついてんのか?」

「いいや。外壁の関所は抜けられないはずだから、城下町の中にいることは確かなんだが……」

「城下町っつったって広いだろうがよ。第一、なんだってんな女を探してんだ?」

「……ただの汚れ仕事さ。亜人(おれたち)にはよくある話だろう」


 男がそう言うと、主人は「そりゃそうだ」と快活に笑って厨房へと消えていく。その際、ほんの一瞬ソルファたちにアイコンタクトを寄越したのを、二人は見逃さなかった。


(巧い……自然に向こうの情報を聞き出してくれた)


 怪しまれない程度に食べるスピードを上げながら、ソルファは今得た情報を整理する。


(第一に、あっちは私たちの場所が掴めてはいないこと。これはベネアルが迅速に水路を出て、この隠れ家を用意したおかげね。

 第二に、あっちは「ソルファ姫を探している」と言えない状況であるということ。オーカのことを遠き地の者(ジプシー)と呼ぶことすら避けたのを見るに、城で何が起こっているのかよほど知られたくないみたいね。

 第三に、この男が何かの亜人であるということ。これが妙だわ、大臣たちは「亜人の排除」を掲げて政変クーデターを起こしたのに、亜人を手駒として使うだなんて)


 そして、なによりも。

 ――オーカは、きっと生きている。

 追手がすぐそばまで迫っているというのに、ソルファは安堵の笑みをこぼさずにはいられなかった。


(堀で私たちの死体が上がらなかった以上、水路は一通り捜索したはず。それなのにこの男は、私がオーカと一緒にいるかも知れないと言った……! つまり、オーカの死体は見つからなかったってこと……!)


 冷静に考えれば、それは「生きている証拠」ではなく「死んでいないかもしれないという可能性」に過ぎないのだが、それでもソルファを勇気づけるには十分だった。

 食事を終え、ソルファはベネアルに視線をやる。ベネアルの方も食べ終わっていて、二人は無言で席を立った。

 このままこの場を抜け、部屋に戻り、今後について二人で考える。部屋にとどまってやり過ごすにしても、新たな隠れ家を探すにしても、まずはここから離れる必要があった。


 ――が。


 男の後ろを通り抜けようとしたベネアルのローブを、男の手がぐいと掴む。

 心臓が止まりそうになりながらも、動揺を押し殺してベネアルは言う。


「なんだい、あんた。ナンパなら他当たんな」

「――僅かだが、すえた臭いがするな」

「あ? あたいが臭いってのかい。そりゃ悪うござんした、消えてやるから離しなよ」

「この臭い――お前(、、)下水の中でも(、、、、、、)泳いだか(、、、、)?」

「ッ――!」


 刃一閃煌めいた。

 ベネアルは身を逸らすことでなんとか顔面に迫るそれを躱したが、男が振った薄い菱形の刃の短刀は、彼女のフードに切れ目を残す。ベネアルはなんとか顔を隠そうとしたが、切れ目から覗く素顔は隠しようがなかった。


「見付けたぞ、厩番ベネアル……! そして――」


 男はにぃと口を歪めながら、ソルファに目をやる。

 勝利を確信した笑み――当然だ、この状況下ならば男が負けることは無い。


「その短刀……そうか、貴方、『闇猫』……!」


 ソルファは思わず声を上げる。

 オリアボス王家直属の暗殺部隊『闇猫』――汚れ仕事を担当する彼らは、全員が猫の亜人で(、、、、、、、、)結成されることから(、、、、、、、、、)『闇猫』と呼ばれるのだ。

 

「選ばせてやろう。大人しくついてくるか、あるいは逃げてみるか。前者がおすすめだ、逃げるようなら厩番の方は殺しても良いと王子に言われて――」

「黙りなっ!」


 男の口上を遮り、ベネアルは自分のローブを男に投げ付ける。身体を丸ごと覆い隠すような大きな布だ、殺しのプロが相手だろうと一瞬の目隠しにはなる。

 ――そして、その一瞬で十分だった。


「――野郎共ォ! そこの男をひっ捕らえろッ! 捕まえた奴は今日の酒代タダにしてやるぞ!」


 威勢の良い声と共に、厨房から両手に包丁を持った主人が飛び出してきたのだ。

 カウンターを軽々飛び越えた牛の亜人の巨体は、そのまま両手の包丁でローブを床に縫い付ける。しかし男も『闇猫』だ、その寸前にローブから抜け出してみせた。

 が、抜けだした先には、赤ら顔の亜人たちが腕を鳴らして待っている。


「旦那ぁ! こいつ捕まえりゃいいんだな!」

「酒代タダ!」

「ツケもついでにチャラにしてくれるよな!?」


 ずらりと周囲を囲む屈強な男たちに、『闇猫』とて一歩後ずさる。


「たりめーだ馬鹿野郎ども! つべこべ言ってねえで――やっちまいやがれッ!」

「「「うぉぉぉぉおおおおおおっ!」」」


 主人を含めた男たちが一斉に飛び掛かる。その全員が身体能力に優れた亜人、しかもこの数の暴力となれば、暗殺の技術などなんの役にも立たなかった。

 亜人の雪崩に『闇猫』が潰されていくのを尻目に、ベネアルはソルファの手を取って走り出す。


「旦那、ありがとう! そいつは任せた!」

「おうよっ! 捕まるんじゃねえぞ!」


 その声を背に、二人は店の外へと走り去る。

 ――それは行く当ても無い、絶望的な逃走だった。


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