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六回目

「サイモンさんは、本が好きなの?」

手にしている本の向こう側にアリスの足が見えたので、俺はお馴染となった突然の問いかけに驚くこともなく、ゆっくりと、どこまで読んだのか覚えてから、本を閉じて、横に置いた。

「そうだな。もともと嫌いではなかったが、ここへきてからはとても好きになったよ。」

それ以外に楽しみもないし。とは付け加えずにそういうと、アリスは、俺の読んでいた本を手にして、ぱらぱらとめくり、眉間にしわを寄せて、

「難しくって全然、わからない。私も本は好きだけど、こんな本を好きだって言えるサイモンさんは、きっと、私よりも読書の名人なのね」

と、神妙に言った。

その表情がなんともおかしくて、思わずにやけると、馬鹿にされたと思ったのか、アリスは、慌てた様子で、「私の趣味に合わないだけかもしれないけどね」と付け足した。

そんな微笑ましい態度にますます笑みを抑えられなくなり、俺は片手で口元を押さえながら、アリスを眺めた。

必死で書かれていることを理解しようとしている姿を見ていると、ふと、アリスがしっかりと本を掴んでいることに気が付いた。それはどこにも違和感などないことのようでいて、果てしなく違和感のあるものでもあった。

すっかりその違和感に囚われた俺は、笑みを消してついつい、本をもつアリスの手元に視線を注いだ。

その細くて白くて小さな指はしっかりと本に触れ、支えているように見える。ページをめくるときにもしっかり紙のかすれる音がする。

…そういえば、ポルターガイストのような霊現象があるのだから、幽霊というものが物に触れられるというのは当たり前のことなのだろう。

「…サイモンさん!」

突然耳元で響いた声に、自分が思考にはまっていたことに気が付いた。

声の主であるアリスに顔を向けてみると、不機嫌の手前のような顔でアリスが俺を見ていた。本はすでにアリスの手から離れ、ベッドに置かれているのが視界の隅に見えた。

「私はね。本も好きだけど、お話を空想するのも大好きなの!」

やたらと嬉しそうにそう宣言するアリスに俺はとりあえず笑顔で軽く首を縦に振った。アリスは、ぴょんぴょんとび跳ねながら、言葉を続ける。

「うまく空想するには、仰向けに寝っ転がるのが一番なの。そして、軽く…」

アリスはずいっと、俺の目の前に来て、自分の右目を瞑ると幼いとしか形容できない人差し指で閉じた瞼を指差し、

「目を閉じるのが大事なの。」

と言った。俺はそんな無邪気な姿にどういうわけかやたらとどぎまぎしてしまい、呆気にとられる様にアリスを見ていた。アリスはそんな俺に、

「サイモンさんと一緒にやってみたいのっ」

と、この世のものにしか見えない素晴らしい笑顔でそう提案した。


狭い独房の床に横たわる俺を看守はどう思っているのだろうか。もしかしたらアリスと言う時間だけは看守の目が届いていなのだろうか。

天井を見ながらそんなことを考えていると、耳の真横から声がした。それは、アリスが俺の真横に顔の高さを合わせて横たわっているからだ。

「目を閉じて!」

言われるがままに俺は目を閉じた。看守に見られていても今さらだと思いながら。

「あ、もう一つ大事なことがあったわ。」

「本当にもう一つだけ?」

意地悪く俺がそう言うと、アリスは、それを意地悪とはとらえなかったらしく、真面目に他になかったかどうか悩み始めた。そして、

「もう二つあったわ。思い出させてくれてありがとう、サイモンさん。」

何の含みもなくそんなことをいうから俺はなんだか罰が悪くなりながらも、

「それはよかった」

と、返して大人しく目を閉じた。

目を閉じてしばらくすると、潜めた声でアリスが言った。

「一つ目の大事なことを教えるわ。それはね…」

「それは?」

「ゆっくり、大きく、静かに息をすること。」

「なかなか難しそうだな。」

「サイモンさんなら簡単よ。」

そう言われて、俺はゆっくりと言われた通りの息をしばらく繰り返した。すると、なんだか本当にリラックスできたような、気分の良い心地がした。このまま眠れたらさぞかし、気持ちがよいだろうなと思っていると、アリスの声が耳に届いた。

「二つ目はね。楽しい事しか考えてはいけないの。」

なるほど、それは大事だなと思った。


目を閉じて俺たちは会話を続ける。

「お花畑がいいな。サイモンさん、お花は好き?」

「嫌いではないな。あまり、触れる機会はなかったという方が正しいかな。」

「へぇ。だったら、空想の中でいっぱい触れば良いのよ。」

「そうだな。」

「私は、白いお花がいいな。」

「俺は、黄色にしようかな。」

「風が気持ちいいね。」

「あぁ」

「リスがいるよ、サイモンさん。」

「アリスみたいにすばしっこいな。」

「三匹居るわ。親子かしら?」

「兄弟かもしれない。」

「あっちに小川があるわ。」

「魚はいるかな?」

俺は、たわいもない話では、口はちっとも疲れないと知った。

だから、女性たちはあんなにも楽しそうに会話ができるのだと、長年の疑問が晴れた。

どれほど時間が過ぎただろうか、次第にお互いの口数が減り、俺はうとうとしてしまった。

アリスは空想しているのだろうか…。

そう思った瞬間、とろりと蕩ける様なアリスの声がした。

「…サイモンさん。」

「なんだい?」

「空が…綺麗ね。」

俺はその言葉に思わず、目を見開き、空を探した。

「…・・」

しかし、現実に帰ってしまえば見えるのは無機質な天井だけ。

ついでに、横を見るまでもなく、アリスの姿は消えていた。


                                       七回目にいくの

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