プロローグ
俺の目の前を、純白のドレスを着た少女が、横切った…ように見えた。
「ように見えた。」というのは、そのような少女が、この場にいるわけがないとわかっていたからだ。
だから、それは目の錯覚だったと、俺は確信できた。
なぜなら、それは、念のためにもう一度言うが。
この場に少女などいるわけがないからだ。
確実に。絶対に。
俺が知る、ありとあらゆる、常識的に。
だから俺は、横切った少女を、探そうとも思わず、一瞬、起き上がろうと地面についた両手のうち、右手を背中に戻し、腕立て伏せを再開させた。
黙々と腕立て伏せを続けながら、代わり映えのない床を見ているうちに、俺は次第に、やはり、目の錯覚だったのだと、思うことに成功した。
十分ほどで、ノルマが終わり、腕を入れ替えようとしたところで、俺は、無視できないほど強い視線を感じ、条件反射で、仕方なく、勢いよく、顔を上げた。
「…」
「……」
そこには、俺を物珍しげに眺める、さっきと同じドレスを着た、少女がいて、今度は、言い逃れできないほど、はっきりと目があった。
だが、俺は、それでも、すぐに視線を伏せて、またしても、目の錯覚だと思うことにした。
見えなかったことにして、腕立て伏せを始めると、いつのまにか視線は消え、それから、さらにしばらくして、意を決して顔を上げると、そこには当たり前のことだが、誰もいなかった。
俺は、そのことに、再び、安著しながらも、心の片隅では、少しだけ残念に思っている自分を見つけ、叱咤した。
女の幻覚を見るなら、どうせなら美女が見たい。そうでないと、自分が本当は幼女好きなのではと、不安になる。
なぜそこまで不安がるのかというと、それは、あの少女が絶対に、実物ではないからだ。確実に。
そう思い込もうとしたのに、少女は、それからも、時々、俺の視界に入りこんできた。
俺が顔を洗っている時。
食事をしている時。
運動している時。
ベッドに横になっている時。
俺が、気を抜いている、いないにかかわらず、少女は現れた。
服装は、いつも違い、共通点は、可愛らしいカラフルなドレスというところだ。結われていないことの多い髪は、見事な金髪で、肩が隠れる程度の長さだ。いつも、一瞬しか見えない(見ない)ので、顔はよく見えないが、整った顔をしていたと思う。
青い瞳が、晴れ渡った空のようで、ひどく美しかった。
歳は十歳になるか、ならないかだろうか。
「…」
ふと思考を途切れさせると、そんなところまでしっかり見て、覚えている自分に気が付き、俺は、自分の正気を疑った。
脳機能の障害、もしくは、こんな場所にいるせいで、自覚もないままに、気が変になったのだと思った。
だから、自分の立場を利用して、脳の検査まで受けさせたが、結果は異常なし。
俺は、検査結果を見ながらうなだれた。
もう一つの可能性、気が変になったというものは、確かめる気になれなかった。それは、外の連中に、俺が、変になったと思われるわけにはいかないという事と、少女が見えるということを認められない自分がいたからだ。認めていないものを、他人に話す。それは、認めている事になってしまう。
俺は、それが何より嫌だった。
俺は、少女の存在を認めるわけにはいかなかった。いるわけがない者だと、分かっているから、認められない、正しい考え方じゃないか。
なぜこんなにも頑なになる、必要があるのか。
なぜなら、それは…




