過去を消した風
春間近の麗らかな昼下がり。ウェントスは荷馬車の御者台の上で、嬉しさを抑えられずニヤニヤしていた。
「トストス、顔が崩れまくりなのぉ☆」
ウェントスの足に巻き付いた、紫色の蛇が呆れたように呟く。
「しゃぁねぇっすよ。一大ニュースっすよ?」
「人間の雌が孕んだぐれぇで、おーげさなのぉ☆」
つまらなそうな蛇の様子もお構いなしに、ウェントスは「みんな喜ぶっす」と、キャロルの妊娠を喜ぶ面々の姿を想像し、頬を緩めた。
「秋の終わりには、ベィビーと会えるっすよ。おしゃまな嬢ちゃんと、男か女か賭けてるっす♪ ぜってぇ、男っすよ」
キャロルの双子の娘たちと、胎の中の子が男か女か賭けたウェントス。産まれた子が男だったら、ウェントスに大切な宝物をあげると幼い双子が言えば、女だったら双子に馬を買ってやるとウェントスは大きく賭けた。
その時の様子を思い出し、優しい笑みを浮かべる。
「きっと、今年のクリスマスは街で過ごすことになるっすねぇ」
ガタガタ揺れる馬車。荷台には、追加の古着の他に、おさがりのベビー服も積まれていた。空いた時間を見つけて、ホツレを直し、綺麗な物へとリメイクして欲しいと頼まれたからだ。
喜んでベビー服をリメイクするであろう二人の少女の姿を思い浮かべ、また大量にフリルを作らされるんだろうなと笑みが零れる。
(そういえば、春になったら、街の教会で結婚式っすねぇ。目出度い事が続いて、良い事尽くめっすね)
鼻歌を歌いながら、ご機嫌に馬を操るウェントスの姿。それを複雑な眼差しで見つめた蛇は、ポツリと漏らした。
「トストスは、弱っちーし、ダメダメだしで、人間みたいで、らっぴ心配なのぉ☆」
「ん~? 何がっすかぁ?」
馬車の車輪の音が大き過ぎて、ウェントスの耳に蛇の言葉は聞こえなく、彼は蛇に聞き返す。
蛇はウェントスに聞こえるか聞こえないか微妙な音量で呟いた。
「人間を処分するとき、ひじょーになれなくなっちまうなのぉ☆」
蛇の言葉に、ウェントスは首を傾げた。
「非常食が、どうしたっすか?」
「なんでもねぇなのぉ☆」
蛇は流れる景色をチラリと一瞥して家が近付いてきた事に気付き、「らっぴ、おねむなのぉ☆」とウェントスの中に潜り込む。
「気まぐれっすねぇ」
暢気にウェントスは呟いて、そのまま馬車を納屋の方へ移動させる。御者台を降りたウェントスが、納屋の扉を開けるとサイラスが作業をしていた。
「おっさん、今戻ったっす」
明るく告げるウェントスに「おかえり」と穏やかに笑ったサイラス。
「良いニュースを持ってきたっす♪ 珍しい歌詞も買ってきたっすから、皆でお茶しようっす」
うきうきとウェントスが告げると、サイラスは申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「キミの話に興味はあるんだが……なんだか、家に近寄ってはいけない気がしてね」
「へ?」
ウェントスが眉をしかめて、サイラスをジッと見つめ、次の瞬間、家に向かって走り出した。
「ラピス、ラピス、ラピス!」
「らっぴの大安売りはヤめろなのぉ☆」
暢気に肩から顔を出した紫色の蛇にウェントスは尋ねた。
「何がどうなってるのか分かるか?」
「当たり前なのぉ☆」
玄関の扉に手をかける。嫌な予感がウェントスの中を駆けまわっていた。
「かーんたんな、てーレベルのぉ……」
バタンと扉を開けると、一人の男がこちらに背を向けて立っていた。辺境に似合わない小奇麗な衣装に身を包み、貴族然とした男の姿に、ウェントスの嫌な予感は確信へと変わる。
「人払いの妖術なのぉ☆」
ラピスが高々と告げると、男が振り返って、にぃっと笑った。
「お久しぶりですね―――愛しのアザゼル」
「もーほー、すとーかー堕天使悪魔なのぉ☆」
キャッと可愛らしい悲鳴をあげて、ラピスはマフラーの様にウェントスの首に巻き付いた。ウェントスは目の前の男に、過去の記憶がフラッシュバックして、思わず一歩後ずさる。
男の背後には、グッタリとしたクリスティの姿。彼女の真っ直ぐなプラチナブロンドの美しい髪は床に広がっていた。それを目にしたウェントスは、逃げ出したくなる気持ちを抑えて、ギリリと男を睨んだ。
「アザゼル、今回はまた、なんと粗野な……嘆かわしい事です」
軽く首を振る堕天使が足元に倒れている娘を蹴ると、彼女はゴロリと向きを変え、ウェントスの方を向いた。彼女の空色の瞳は瞼の裏に隠され、身体はピクリとも動かない。
部屋をぐるりと見てみれば、キッチンとの境に彼女たちの母親が倒れていた。
「クリスティ、セシリア、カミーラママ!」
「前回の貴方は、あんなにも愛らしかったのに、残念なことです」
ゾワリとした嫌な感覚がウェントスの身体に走る。
ババッと脳内に再現されるのは、蹂躙される自身の身体と、愉悦に歪む男の顔。自身の身体は女性の物で、それが以前の自分だとウェントスは認識する。彼女の身体で楽しんでいたのは、目の前の男。
「何が……目的、なんっすか?」
思い出した記憶にブルルッと身体を震わせたウェントスが、両腕をさすりながら言うと、男は突然昔話を始める。
それは、数世紀も昔の話。
ある男が自らの欲望の為に悪魔と契約を交わし、悪魔は男の望み通りに、国を男に与えた。男は栄華を極め、暴君となり、殺されることになる。
悪魔は嗤う。
「さて、代償を戴きましょう」
男の血脈を辿り、男に連なる者たちの中から、純潔の処女を選び取り、約束の人数になるまで貰い受ける。
悪魔は情け容赦なく、乙女の命を刈り取り続けた。
そして、時代は流れ……
「その結果がコレって訳っすか」
ウェントスは悪魔を睨むが、睨まれた方は小馬鹿にしたような目でウェントスを見下した。
「現状説明をいたしましょうか?」
サリエルはクスクスと楽しげに笑う。
「彼女の母方の血脈を辿ると、私が契約した男に辿りつくわけです。男は『自分の血脈の乙女の命』を代償に差し出してきましたので、回収に参った次第」
「新大陸の辺境の地まで、せーりょく的っすね……」
「家畜は、計画的に増やさないと困るでしょう」
にこやかにサリエルは告げる。
「ちなみに、この方は、私の契約者様ですよ」
ちらりと足元の少女を見るサリエル。そのまま、彼女の髪を靴裏で踏みつけた。
「……は?」
「貴方も罪な男ですね。婚約者の居る乙女をどうやって誑かしたんですか?」
「どういうことっすか?」
意味が分からないと目を点にするウェントスに、サリエルは嫌な笑いを浮かべて告げる。
「セシリア・パトレット嬢。スコット・スチュワード氏と婚約し、この春結婚予定でしたが、心変わりしたのでしょうね。契約を持ちかけたら、喜んでサインしてくださいましたよ」
ウェントスとサリエルの視線が交わり、サリエルの瞳が仄かに光を放つ。
「彼女曰く『ウェントスの一番になりたい』そうですよ。ですから、貴方が忘れられないような『楔』となり、記憶に染み付くというのは、如何でしょうね」
そう言うが否や、セシリアの銀の巻き毛を掴みあげる。苦しげな呻き声がセシリアの口から洩れ、ウェントスはサリエルの行動止めようとした。
「……!」
「あぁ、そこでゆっくり御覧下さい」
サリエルは彼女の首にすぅっと指を這わす。鋭い爪が彼女の皮膚を裂き、グッタリとしたセシリアの首から夥しい血が噴き出した。あたりに血の花が咲き誇る。
「意識を残しておけば良かったですか? 素敵な鳴き声が聞けたかもしれませんよ」
ククッと愉しげに嗤いながら「私は、人間の女などに興味ないですけどね」と付け加える。
ウェントスは動けなかった。身体がピクリとも動かず、ただサリエルの行動を見続けることしか出来なかった。
「ほら、綺麗でしょう?」
赤いドレスを着たセシリアをウェントスの方に放る。投げられた人形は、ウェントスの身体にぶつかり、床に崩れた。
「さて、お遊びも終わった事ですし、私は納品に向かわないと……」
興味を失くしたようにあっさりと告げると、床に倒れているクリスティを無造作に掴み、荷物のように肩に担ぐ。
「人間の命を必要とするお客様(妖怪)は沢山いらっしゃるので、納品先には困りません。良い事です」
ゆっくりと玄関に向かうサリエル。ウェントスの脇を通り抜け、扉を開けた。
「ま……て……」
「次の姿は、私好みの美麗な容姿でお願いしますね」
そう言葉を残すと、サリエルは黒と白の翼を広げ、飛び立つ。
サリエルの姿が見えなくなると、ウェントスの身体を縛っていた見えない何かが解けた。身体の自由が戻るが否や、ウェントスはセシリアに駆け寄った。
「セシリアっ!」
止血しながら、術を用いて血管を修復する。それでも、命の灯は儚く、今にも消えそうだった。
「シッカリしろっす」
出来る限りの事をしようとするが、出来ることは限られていて、結局は何もできない。
「おれっちに、力があれば……」
ボソリと呟いたウェントス。その言葉に「あります」というどこか冷たさを感じさせる声が応えた。
声の主を探して顔をあげれば、真っ白な蛇がスッと目を細めて佇んでおり、ウェントスが自分に気付いたと分かると、ゆっくり口を開く。
「方法をお教えいたしましょう。されど、その前に、ご契約を」
白蛇は一枚の紙を差し出す。ウェントスが躊躇わずにサインすれば、白蛇は無表情に契約書を飲み込んだ。
すると、ソレの使い方が頭の中に蘇った。教えられるというよりは、思い出すに近い感覚だったが、そんな些細な事よりも、ソレを使うためには、自分の命を触媒に使わなくてはならないということにウェントスは衝撃を受けた。
「ご使用は、一度きり。よくお考えになってお使いください」
几帳面に一礼して、白蛇はウェントスの中に戻って行った。
「使う事ねぇなのぉ☆」
紫の蛇が囁く。
「人間は、いくらでも転がってやがるなのぉ☆」
「セシリアは、一人しかいねぇっす」
ゆっくりとセシリアに近付いた。
「トストス、いなくなる、寂しぃなのぉ☆」
「棒読みっすよ」
傷口に手をかざした。
「らっぴ、トストスが気に入ってるなのぉ☆」
「サンキューっす」
手のひらに力を集める。仄かな光が手のひらの中に生まれて、傷口に吸い込まれた。
光が消えると、傷一つない綺麗な肌が現れ、セシリアの瞼が動いた。
じっとセシリアの様子を見つめるウェントス。
瞼が持ち上がり、薄っすらとセシリアの目が開く。
「……ウェン……」
「無事で、よかったっす」
ウェントスが微笑んだ瞬間、彼の姿は砂となり、サラサラと零れ出す。キラキラとした砂は空に消えて行った。
「……」
セシリアの唇は誰かの名を呼ぶように動いたが、声にならなかった。
目を開け、辺りを見回すと、見慣れたリビングがあり、キッチンから母親が姿を現した。
「セシリア、父さんを呼んで来てもらえる? そろそろご飯にしましょう」
「はぁい」
セシリアが外に行こうと起き上がるが、何か忘れような気がして、辺りを見回した。
「母さん」
「なんだい?」
「私たちの他に誰かいなかったかしら?」
セシリアの言葉に、母親は「何を馬鹿な事を」と肩をすくめる。
「セシリア。あなたと父さんと母さん。三人以外誰が居るというの?」
母親の答えにセシリアは「そうよね」と頷いて、軽く頭を振った。
「変なこと聞いてごめんなさい。父さんを呼んでくるわね」
セシリアは父親を呼びに外へ駆け出した。
「セシリア、走るのは……あら? いつも走っていたのは、誰だったかしら?」
首を傾げたが、パンの焼ける匂いに慌ててキッチンへ戻る。
疑問は空に消えて行った。




