今をそよぐ風
早朝、目覚まし時計の音にウェントスは飛び起きた。
「やっべ、早くしねぇとドヤされる」
用意されたメイド服に身を包み、姿見で確認する。何の因果か、男子禁制の職場のおかげで、女の身体で働くことになったウェントスの身体は、出る所はバンと出て、引っ込む所は引っ込んだ凹凸の激しい身体だ。
「キャロルの姐さんみてー」
人間だった頃の記憶を思い出す。鏡の中に居る女の天然パーマの金髪は短いが、腰ほどに長ければ記憶の中の女性とソックリだと思い、懐かしさに目を細めた。
「おっと、こうしちゃいられねぇー」
手早く髪を梳かすと隣室の扉をノックする。
「ククリー、起きてっかー?」
「おはよぉー」
寝ぼけ眼ながらキチンとメイド服に身を包んだ細身の少女の姿が現れた。艶やかなプラチナブロンドの髪は長く、真っ直ぐに伸びている。いつもはツインテールに結ばれ愛らしいのだが、少々寝坊したのだろう。今日は結わえられていなかった。
サラサラと揺れるプラチナブロンドは、勝気な少女の姿を思い起こさせる。
懐かしい感覚が甦ると思わず唇が緩んでしまい、昔のようにポンポンと頭を軽く叩いた。
「おーい、生きてっか?」
「うん」
『叩かないでっ!』
現実のククリの声と、過去の幻聴。反応の違い過ぎる二つに、遣る瀬ない笑みを浮かべる。
「……ほら、朝飯行くぞー」
のそのそと歩く美少女を引っ張りながら厨房へ急ぐ。厨房には温かな湯気の立った朝食が用意されていた。
手早く二人分トレイに乗せ、少女とともに席に着く。
「ほら、しっかり喰っとけ」
コクンと頷くとモソモソと食べ始める。ウェントスもムシャムシャと食べ始めた。
食べているうちにククリの目も覚めたのだろう。動きがてきぱきとしだし、長い髪をポケットに常備している髪ゴムでツインテールに纏める。
食べ終わった食器を戻し、屋上へと急ぐ面々。屋上の稲荷神社の前での朝礼が終わると、各々持ち場へと移動し、その日の仕事を始める―――いつもの風景が、そこには有った。
「ねみぃ……」
自分の主人格であるフランの部屋の掃除だけだったら、妖術を用いて短時間で済ませられるが、人間として働く身の上。妖術の使用を禁じられてしまったので、人間と同じように道具を使って掃除するしかない。
面倒だと思いながらも、根が真面目のウェントスは、生真面目に仕事をこなしていた。上司に見えないところでの態度は、かなりいい加減だったが。
「ぜってぇ、この仕事の忙しさの半分はフラン『様』のせいだろーなぁー」
美に妥協を許さない主は、食べるモノ一つにも拘る。ここ数カ月の間に料理人が三人ほど変わったと聞いた時は、正直呆れ果てた。
室内に見事な庭園が広がっているのにも金持ちの道楽と呆れるが、落ち葉一つをも細かく指摘する主の姑根性にも頭が下がると、室内庭園の枝の枯れ葉を叩き落としつつウェントスは独りごちる。
(話を聞く限り、分かってやってるんだろーなぁー。ほぉんと、嫌みな主だぜ)
自分が主だった頃は、そんな細かい野郎じゃなかったと思うが、歴代はどうだったか、古参のガレーネやラピス辺りに聞いてみたいと思うウェントスだった。
「って、やべ……」
慌てて止まった手を動かす。サボってるのがばれたら、ガレーネ辺りから何言われるかわかったもんじゃないと、一生懸命仕事をしている振りをする。
(おっかねぇからなぁー)
落とした枯れ葉をゴミ袋に纏めた所で、室内に警報音が鳴り響いた。
「カエデ様のご帰宅です。早くバックヤードにっ!」
メイドたちが慌てて道具やゴミ袋を持ち、バックヤードに戻ったところで、警報音が鳴り止む。
微かに廊下から人の声が聞こえ、メイドたちはホッと肩の力を抜き、無事に見つからずにバックヤードに戻れた事を喜んだ。
そう、ここでは、主人であるカエデの前に姿を見せることができるメイドは『特級メイド』のみと決まっているのだ。下っ端であるククリやウェントスは『三級メイド』。カエデの目に留まったが最後、職を失い路頭に迷うと言われている。
「ちょっと殺風景ねぇ」
突然、頭の中に聞こえて来たフランの声にウェントスはギョッとする。
「ジャポンっていったら、『ワビサビ』でしょぉ。地面に枯れ葉一つないって、殺風景だと思わなぁい、カエデちゃん」
「そうですわねぇ」
フランの声の後におっとりしたカエデの声が聞こえる。
収集マイクで二人の会話が聞こえて来ると、周囲のメイドたちから殺気がユラユラと立ち上る。
(そりゃそーだろ)
ウェントスは先程までの戦場を思い返し、メイドたちに同情した。
それでも、この職場において、カエデ様の言葉は絶対だ。例え、フランが誘導したとしても、カエデ様が『殺風景である』と認めてしまえば、失格なのである。
(ぜってぇ、分かってて言ってるよなぁー)
ウェントスの感覚をフランは自分のモノとして共有している。自分の目の前の殺気が籠った雰囲気を知っていて、自分が楽しむためだけに、何も分かっていないお嬢様を誘導するのだろう。
そして、主はウェントスの目線で慌ただしく働くメイドたちを見て、楽しむのだ。
「最悪っす」
「そうよね、何あのオカマ……何時か締めるっ!」
同僚の三級メイドが呟けば、上司の二級メイドたちも頷いた。
「フラン様の麗しい御声……」
約一名、うっとりと目を閉じて、マイクの向こうの会話に聞き入っているが、敢えてウェントスは目をそらした。
そして、時間は過ぎて行き、夕食の時間。第二の戦場タイム突入である。
「さぁ、皆さん」
メイドたちが手に持つのは粘着テープの巻き付いた、通称『コロコロ』。カーペットなどに付いた糸くず等を貼り取るアレである。
「カエデ様に御目もじする以上、ゴミ一つ付いていては成りません」
正確には、カエデの傍にいる寄生生物(=フラン)のチェックが厳しいのだが、小憎たらしい事に、フランは言葉巧みにカエデに語りかけ、同意させる。カエデの同意がある以上、それはカエデの御意向となってしまい、メイドたちの減点に繋がるのだ。
隙を見せてはいけないと、制服のゴミ取りにも気合が入る。
「それでは、行って参ります」
銀色の配膳台に乗っているのは、見事に盛り付けられたメインディッシュ。
静々と運び、給仕をしているセバスチャンへと渡り、そのまま戻ってくる……はずだった。
インカムに連絡が入る。
「デザートも一緒に召しあがるとのことです」
特級メイドは、現在配膳台を持っていった梅さんだけである。次点となると一級メイドの三十路。彼女はサァッと青ざめたが、気合で顔色を戻し、配膳台を準備させる。
自身は特級メイドの制服であるスカート丈の長いクラシックメイド服へと着替え出した。女だけの職場ということと、何よりカエデ様を待たせてはいけないと、その場でバババっと着替える。
メイドたちは三十路の周囲に集まり、コロコロで糸くずを丁寧に取り除く。準備ができた所で厨房から配膳台が届いた。
「い、行って、参ります」
「御武運を」
思わずそう口にしてしまったメイドの言葉に間違いは無い。
粗相一つで首が飛ぶのだ。人生がかかっている。配膳台を運ぶだけとはいえ、緊張はピークに達する。
「あら? 若いメイドさんも居たのね」
クスクスと笑う悪魔の声が聞こえる。
(若いって、彼女は……)
思わずウェントスは思ったが、妙な悪寒が背筋を駆け昇ったために、思考を停止させる。
「ねぇ、カエデちゃん。たまには別の人の給仕も良いと思わない?」
「そうですわねぇ」
一同、固まった。妙な空気がピンと張りつめ、固唾をのんで、会話の方向に注視する。
「でも、セバスが出してくれる方が、安心するんですわぁ」
「あら……カエデちゃんは、セバスがお気に入りなのね」
残念だわとでも続きそうな言葉に、改めてメイドたちはフランへの憎しみを募らせ、寛大な主人に忠誠を誓うのだった。
無事、何事もなく無事に戻ってきた二人のメイド。毎日のことである梅は平然としたモノだったが、急場しのぎである三十路の疲労は目に見えて明らかで、血の気が失せていた。
「大丈夫っすか?」
思わず声をかけてしまったウェントスは、素の言葉遣いで声掛けしてしまったことに気付き、シマッタと口を抑えた。
幸運なことに三十路は気付くことなく、コクコクと首を縦に振る。
その後は何事もなく無事に一日が終わり、毎度のことながら豪勢な夕食に舌包みを討つ使用人たちだった。
「ホント勿体無いわよねぇ。こんなにおいしいのに……」
「仕方がないんですよ。美容の為に、とのことで、使う部位は、牛一頭から少ししか取れないので……」
イケメン料理人が憂い顔で告げると、周りのメイドたちが我先にと慰めの言葉をかけていたが、ククリとウェントスにとっては、関係のないことだった。
「こんな美味い食事にありつけるなんて!」
「……オレっち、こんなに喰っちゃいけねぇみてぇっす」
「ダメだぞ。ちゃんと食べなきゃ」
(いや、その、なんだ……フラン様にラピスにオレっちが食事しちまうと、カロリーオーバー……)
「そうです。身体が資本なんですよ。しっかり食べてください」
上司から指示されれば、ウェントスも食べざるを得ない。
(ラピスー。今日は控えめにな……)
感覚をラピスに繋いだウェントスだったが、ラピスからの返事は無かった。