使用人生活2
そして午後。
私は旦那様の執務室で、講習についての説明を受けていた。
旦那様は講習と呼んでいるが、内容はどちらかと言うと演奏会に近かった。
私はピアノの先生的なものを想像していたのだが、どうも違うようだ。
「説明するより見たほうが早いだろう」
旦那様はそう言って、私をお屋敷の一角へと連れて行ってくれた。
いくつかの部屋を通り過ぎて辿り着いたそこは広めの音楽室のような部屋だった。ステージというよりは教壇に近い場所で演奏者が楽器を奏でていた。今日は弦楽器の講習が開かれているので、壇上にはヴァイオリニストが立っている。
受講者の皆さんは講師から少し間を空けた場所にずらりと並べられた椅子に座ってうっとりと演奏に聞き入っていた。
私は説明を受けるため、私語厳禁の部屋の中には入らずドアに付いている小窓から中を覗き見る。
「ここが講習用の部屋としては一番小さなものだよ」
旦那様の話によれば、講習用の部屋はいくつかあるそうで、広いものでは数百人ほど収容出来るホールもあるらしい。講師達にとってそのホールで演奏することが一つの目標なのだと教えてもらった。
ホールでコンサートが出来ればさぞ気持ちいいだろうとは思うが、私にそんなことが出来るだろうか。そっと想像してみるが、話が大きすぎて脳が追いついてこなかった。
壮大な妄想に失敗した私は一度小窓から視線を外す。そして隣を見上げれば、そこには凛とした表情で立っている青い騎士さんが居た。
これがロゼの言っていた護衛なのだろう。彼は室内には入らず、外から中の様子を窺っているようだ。
あまりに厳重な護衛だったらこちらが緊張してしまうのではないかと思っていたが、この程度なら全く気にならないだろう。
少し安心しながら小窓のほうへと視線を戻すと、室内に赤松がいたことに気が付いた。
「やべっ」
私は思わずそんな声を出しながら仰け反った。
何故お前が弦楽器なんだ。意外過ぎるわ。と、脳内で冷静につっこむ。
中学三年生の時は授業中ずっと寝ていたような不良少年だったくせに、視線の先に居る赤松は真面目に講習を受けている。正直違和感しか持てない。
私は青い騎士さんを壁にするようにこそこそと隠れながら、何事もなかったかのように旦那様に声を掛ける。
「演奏会みたいな感じなんですね」
「そうだね。技術を学びたい人が居たら申し込んでもらってその都度個人レッスンをするんだよ」
要するに、私の講習を聴いて個人的に学びたいという人が出てくれば個人レッスンをやる可能性も出てくるということだ。
……私は人に教えるほどの技術があるのだろうかという不安だけが湧き上がる。
「それからトリーナが練習するための部屋を作ったからね。君が住んでいる棟の三階角部屋だ。いつでも遠慮なく使いなさい」
「え、あ、ありがとうございます」
ペコリと頭を下げ、そこまでしてもらっていいのかな? と首を傾げていると、旦那様はふわりと微笑む。
「君には期待しているんだよ。滅多にいないご令嬢向けの講習が出来るかもしれない子なんだからね」
旦那様の微笑みはとても優しかったのだが、その口から放たれたプレッシャーは恐ろしく大きかった。
だけど私はそんなプレッシャーなんかに屈している場合ではない。
「私、頑張ります!」
雇ってもらった以上、やる前から弱音なんか吐いていられないのだ。
私の言葉を聞いて、うんうんと頷いた旦那様は、練習部屋を見に行ってみるかい? と提案してくれたので、私は遠慮なく頷く。
そんな時、丁度弦楽器の講習が終わったようで、中から人が出てこようとしているのが見えた。
講習が終わったということは赤松が出てくると言う事で、赤松が出てくると言う事はこのメイド服を見られると言う事で、ヤバい以外のなにものでもないということだ。
そうだ、逃げよう。
「じゃあ私練習部屋見てきます! ご説明ありがとうございました旦那様!」
私は脱兎のごとくその場から走り去った。
なんとなく旦那様の声がしていた気がしたんだけど、振り返るわけにはいかなかった。
「鍵!」
練習部屋だと言われた寮棟三階の角部屋に着いたわけだが、鍵が掛かっていた。
あれだな、私が逃げる直前旦那様の声がしたと思ったのは鍵渡してないって言おうとしたんだろうな。
自分のアホ過ぎる行動に軽く頭を抱えつつ、そんなことをしていても鍵が開くことはないのだから、取りに行くしかない。
今から戻ればもう赤松もいない可能性のほうが高いだろうし、戻っても大丈夫か。
くるりと踵を返すと、誰かが階段を上がってくる音が聞こえてきた。
私の他にもここまで上がってくる人が居るのだろうか、と思っていたら、徐々に人影が見えてきた。
その人影の主は、どうやら青い騎士さんのようだ。
彼は無言のまま私の正面で立ち止まり、さらに無言のまま手を差し出してきた。
「あ、鍵」
差し出された手に握られていたのは、練習部屋の鍵だった。
……どうやらこのマヌケな私に鍵を持ってきてくれたらしい。
そういやあの時目の前に居たし旦那様に届けるよう頼まれたのだろう。
「申し訳ありません……」
とりあえず全力で頭を下げた。
「貴女が持っていなさい、と。旦那様が」
受け取った鍵をまじまじと見ながら、わー落としそう……と思う。うっかり落としたりしたら洒落にならないのでしっかりと握り締める。
ふと顔を上げると、青い騎士さんがまだいたので「わざわざ届けてくださってありがとうございました」と声を掛けてとりあえず練習部屋のドアを開けた。
練習部屋は思っていたより広かった。住居として与えられた部屋よりも広く、窓も大きくとられていてとても明るい印象だ。
部屋の中にはピアノはもちろん書き物が出来る机やローテーブル、椅子、さらには大きめのソファまであった。
実に快適そうである。
私はピアノの前に座ってぼんやりと考え始めた。
旦那様に聞いたところ、講習は大体1時間弱らしい。要するに曲数が少ないと時間が余ってしまうわけだ。ということは、レパートリーはかなり必要になってくるだろう。
当然楽譜などもっていないし、私の記憶力を頼りに脳内を掘り返すしかない。
幸い孤児院で伴奏だけは場数を踏んでいるし、J-POPともなればこの世界に原曲を知っている人なんかいない。
なんとなーくそれっぽーく弾けばなんとかなる……はずだ。
とりあえず、まずは歌詞を思い出してこっちの言葉に翻訳することから始めなければならないんだな。
旦那様も令嬢向けの講習だって言ってたし、やはり恋の歌が無難だろうか。
一から曲を作るとなると時間が掛かるだろうから、数がほしい今はとりあえず曲だけJ-POPで、歌詞は最悪替え歌にするしかないな。
今度A達に会ったら好きだった曲とか聞いて参考にしてみよう。
と、そこまで考えたところで次の仕事の時間が来た。
「トリー、こっちこっち」
練習部屋を後にして、寮棟の一階まで降りてきたところで、正式に私の教育係となったロゼに呼ばれた。
「お待たせ!」
と口にしながら近付くと、ロゼが「講習についての説明はどうだった?」と尋ねてきたので私は弦楽器の講習を見学したことと練習部屋を貰ったことを掻い摘んで話したのだった。
「さて、仕事ね。私達使用人の仕事は基本的に掃除、洗濯、炊事は調理師が居るから食事の配膳、片付け、他は頼まれたものを買いに行く買出し……といったところね」
それを聞きながら全てメモを取る。
何故なら忘れっぽいからである。
「孤児院でやってた事とあまり変わらないでしょう?」
「うん。掃除も洗濯も、私は炊事もやってたけどね」
炊事をやっていたから働きに出るのがギリギリになったのだとクスクスと笑う。
「孤児院との違いさえ覚えればすぐに一人前の使用人よ。だから旦那様も奥方様も孤児院から人を雇いたがっていたのよ」
未経験者より経験者を雇いたいということだろうか? と、私がキョトンとしていると、ロゼが小さく苦笑を零す。
「私達はそういう仕事を命じられても慣れてるから文句言わないでしょ?」
なるほど、と納得してうんうんと頷いていると、ロゼは少し苦笑して昔リリのように花嫁修業を兼ねたご令嬢がやってきて「こんな仕事出来ない!」と一日で辞めた事があるという話をしてくれた。
なんというか、イメージ通りの貴族もやっぱりいるんだな。
むしろリリみたいなご令嬢が珍しいのか……。
大体の事を笑って許してくれる旦那様も、さすがにあの手のご令嬢は面倒臭いんだそうだ。
「ってことで、今日は掃除よ。このお屋敷は広いから大変よ」
確かに広い。
最初に見た印象も『家以上城未満』だったくらいだし。
「一日で全部掃除出来る……の?」
無理だよね? と首を傾げると、ロゼは笑う。
「無理無理。一階から四階まで日替わりで掃除するのよ。四階は時計塔兼展望台みたいになっててとっても良い眺めなの」
うっとりとした様子で言うロゼ。
このお屋敷は少し小高い丘の上に建っているので、四階まで上がって外を見れば、それはそれは気持ちがいいのだとか。
「そうなんだ。行ってみたいなぁ」
と呟けば「でも残念ね、今日は三階の客間掃除よ」と返ってきた。
期待させやがって……! むー、と頬を膨らませて見せると、ロゼは私の頭をぽんぽん、と撫でてくれる。
「期待した? でも今日はお客様もいないし三階が一番楽よ」
四階には今度連れて行ってあげるわ、と言って微笑むロゼはとても綺麗だった。絵に描いたような素敵なお姉様だ。
この人も孤児院出身だし、きっと年下の扱い方を心得ているんだろう。マジ素敵。
そんなことを考えながらロゼに付いて三階まで上がる。
階段を上りきってすぐ右手に隠し扉があり、そこを開けると掃除用具倉庫とリネン室を兼ねた部屋があった。
そこでモップを手にして客間の掃除に取り掛かる。
ここ数日誰も使っていないらしく、床掃除くらいしかやることはない。
確かに楽だった。
楽だったのだが、今まで優しかったロゼが急に鬼のように厳しくなったのが正直怖かった。
モップの扱い方から雑巾の絞り方、床や窓の拭き方にも決まりがあるらしく、とことん叩き込んでくれた。
その日はへとへとになって死んだように眠った。
翌日、今日はお洗濯指導だ。
洗濯は洗濯箱というほぼ手動の洗濯機らしきもので行う。
今までは手動が普通だったのだが、日本の記憶を取り戻してからは若干面倒になってしまっていた。
ボタン一つで動き出す洗濯機って素晴らしかったんだなぁ。
「こらトリー! ぼーっとしてないで手を動かしなさい!」
「はいっ!」
怒られた。
今日のロゼも絶好調で厳しい。
「干す時は皺にならないようにしっかり伸ばすのよ」
「解りました先輩!」
敬礼する勢いで返事をしていると、少し離れた場所からクスクスと笑い声がした。
ビックリして思い切り振り返ると、その笑い声の主は赤い騎士さんだったようだ。
「頑張ってるねー」
と、どこか間延びしたような喋り方で声を掛けられる。
「はい」
あはは、と苦笑を漏らしながら小さな声で返事をした。あまり喋るとロゼの雷が落ちるので、赤い騎士さんには申し訳ないが今後はスルーさせていただこう。
でも笑い声がしたとき、まさか赤松なんじゃないかと肝を冷やしたんで申し訳なさも半減なんだけど。
洗濯物を干し終えたところで旦那様に呼ばれた。
ロゼに一声掛けて旦那様の仕事部屋へと急ぐ。
コンコン、とノックをすると、中から相変わらずダンディな声で「入りなさい」と声がした。
「お呼びでしょうか?」
そう言いながらドアを開けて中を覗くと、旦那様が手招きしてくれる。
旦那様の側に立つと、一枚の紙を見せられた。なんだなんだと覗き込んでみれば、講習に関することが書いてあった。
「それがね、まだ人数が集まらんのだよ」
ある程度の人数が揃ってから始めようと多方面に声を掛けているのだが中々人が集まらない、とのこと。
「……ピアノはご令嬢達に人気がないのでしょうか?」
日本に居た時、女の子の習い事の定番はピアノだったし、私がピアノを始めたきっかけは母が私を『お嬢様のように育てたかったから』だったはずだ。
結局失敗して私は不良への道を……と、そこまで思い出す必要はなかった。
……あ、もしかして人気がないのはピアノじゃなくて……?
「それとも元孤児の使用人が講師、というのが敬遠される原因なんじゃ……」
「いやいやいやそれはないよ。大丈夫だ、君はそんな心配しなくていいんだ」
心配にもなるわ。だけど、こればっかりは事実なのだからどうしようもない。
「大丈夫……なんですかねぇ?」
一応貴族に上から目線でこられる事は覚悟している。
今のところ私自身が差別的な目で見られた事はないのだが、やはり私は貴族から見れば下級の人間ということになるのだろう。
下級の人間が開く講習を受講するということに抵抗がある可能性は……?
「令嬢達は外見を着飾る事を最優先に考えているからね。音楽は心を美しくする、という事に中々気付いてくれないんだよ」
まぁ、そう言われれば納得もするし返す言葉は見付からない。
煌びやかだもんなぁ、金持ちの女って。
「では今度宣伝も兼ねて窓を開けて演奏してみてもいいでしょうか? 練習にもなりますし」
「ほう、それはいいね。トリーナは頭の回転が速いようだね」
なんか褒められた。
日本での知識を使うとすれば、宣伝か無料体験辺りが有効なのでは、と思う。
宣伝がダメだったら無料体験を提案してみよう。いや、貴族相手なのだから無料という言葉が有効になるものなのか?
無料ではなく、出入り自由……オープンキャンパス……そうか、ご自由に見学してください、と言ったほうが有効かもしれない。
最初こそ必死に人集めなんてしなくても、と思っていたものの、私が講習を開く事によって雇い主である旦那様に恩返しが出来るのなら少し張り切ってみたい。
なんて考えていると、背後でドアが勢いよく開く音がした。
「あなた! こっ……、」
という謎の声がしたと思えば、今度はドアが勢いよく閉じる音がした。
「……あの、旦那様。今のは奥方様では……?」
「……いや、どうだろう? 妖精かな?」
いや今の声は確実に奥方様の声でしたけど。
と言いたいところだが、旦那様が隠したそうなので気付かないふりをするしかない。
「そういえば私、ここに来て一度も奥方様と口をきいていないのですが……嫌われているんでしょうか……」
「あの妖精さんは人見知りさんなんだよ」
あくまでも妖精と言い張るんですね、旦那様。
「それじゃあトリーナ、人が集まり次第また話をしよう。君の宣伝にも期待しているよ」
「はい、頑張ります」
しっかりと返事をして、私は旦那様の仕事部屋から出た。
そしてその後、また鬼と化したロゼの指導で洗濯物を取り込み、畳む作業に入った。
さらに夕飯時になると、使用人達の食堂で食事の配膳やパーティーの時に使用人がとるべき行動についての指導が入った。
もちろんロゼは鬼のように厳しかった。
「トリー一緒にお風呂入ろーう!」
鬼の指導によりげっそりした私に等お構いなしでリリが突撃してきた。
そうそう、この棟には使用人用の大浴場が完備されている。
現在地は食堂。食堂は一階の一番奥にある。
一階には他に騎士さん達の部屋があるそうだ。
私やロゼ達の部屋は二階。ロゼが角部屋で、私、リリ、ルーシュの部屋が続いている。
そしてルーシュの部屋の隣に空き部屋があり、その向こうに大浴場がある。
なんとも豪華な社員寮である。
ちなみに大浴場が二階にあるのは覗き防止のためなんだとか。まぁこんな美人メイドが三人も居るんだから覗きたくもなるわな。
で、そんな事を考えている間にリリに連行されて大浴場に着いていた。
ルーシュもロゼもいる。まさかの裸の付き合いですよね。
別に女同士だし異論はない。というかまず異論を唱える気力がない。
後で聞いてみると、普段から全員一緒に入っているらしい。
まぁ、こんな大浴場に一人で入っても寂しいか……。
そしてその日も私は死んだように眠った。
結局ロゼの鬼のような指導はこの後二週間程続いたわけだが、そのお陰である程度の仕事は一人で出来るようになった。
その間、Aから店に来いという催促の手紙が来たが、そんなもん相手してる余裕なんかなかったので当然スルーしたよね。