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巣立ち

 

 

 

 

 

 ついにこの孤児院から旅立つ日が来た。

 ここに来てかれこれ8年程……、沢山の子供達との触れ合いも、今となってはいい思い出だ。

 年上の子を兄や姉と慕い、年下の子は弟や妹のように可愛がった。

 生まれて間もない子供も居たし、ここ数年は子育て気分も味わえていた気がする。

 自分が幼い頃、今の私のように旅立って行くお兄さんやお姉さんは、それはもう素敵な大人に見えていたものだ。

 私も、彼等の瞳には、そんな風に映っているだろうか。


 なんというか……全員に泣かれているのだけど。


「まぁまぁ、またすぐに遊びに来るから」


 そう言って頭をわしわしと撫でてやっても、彼等が泣き止む事はない。


「リーナ、リーナ、さみしいよぅ……」


 私だって寂しいわよ。


「リーナいかないで!」


 私だって出来る事ならここにいてあげたいわよ。


「リーナちゃん、私のこと忘れないでね」


 そんな事言われなくたって忘れないわよ。


「トリーナの貧乏料理……」


 先生それはそろそろ先生方で作れるようになってください。



 子供達が縋りつくように泣くものだから、私も釣られてちょっぴり泣いてしまった。

 本当はもっといてあげたいけど、もう時間だと言われてしまったので、私は数少ない自分の荷物を手に孤児院の庭へ出ることにする。

 子供達が付いてくることになれば、恐らく庭から門までのたった数メートルに物凄い時間を要してしまう事になるだろうと容易に想像出来たので、皆とはここでお別れだ。

 めそめそぐずぐずと泣き止まない子供達を名残惜しげに一通り見渡してから、私は意を決して足を進めたのだった。


 庭へ出ると、ヴァルツァー先生が付いて来てくれるようだった。

 どうやら彼女だけは最後まで見送ってくれるらしい。


「先生、今までお世話になりました」


「ええ。トリーナは聞き分けの良い、本当に良い子でしたね」


 そんな言葉に、クスクスと笑いながら、そうでしょうか? と首を傾げる。


「手が掛からなかった分、私も他の子に付きっ切りになったわ。寂しい思いをさせたでしょう」


「そんなことありませんよ。私も、小さい子の相手するの楽しかったですし」


 ふわり、と先生に頭を撫でられる。

 優しくて暖かい、私の大好きな掌だ。


「貴女は今日、ここを出ます。ですが、貴女はずっとずっと私の娘なのですからね」


 この先生の言葉で、ここに初めて来た日の事を思い出した。


『なにも、覚えていないの』


 気付いた時にはこの孤児院の門の前に佇んでいたあの時。

 先生に院の中に入れてもらい、温かいミルクを貰った。

 ぽつぽつと会話をしていた時、先生は言ったのだ。


『今日からここを貴女の家だと思いなさい。そして私をお母さんだと思いなさい』


 と。

 そう言って抱きしめてくれた先生の手は、あの時も暖かかった。

 私はあの時泣いただろうか。うまく思い出せない。

 だけど今は、少しだけ泣いてしまいそうだ。


「何かあったらいつでも帰っていらっしゃい。……その時は厨房でタダ働きだけれど、ね」


 先生はそんなことを言いながら、悪戯っ子のようなお茶目な笑みを零した。


 ぽつりぽつりと他愛ない会話を交わしながら、ついに門まで辿り着いてしまった。

 ここからは一人で歩き出さなければならない。


「それじゃあ先生……」


 お元気で、と言おうとしたが、どうも先生の表情がおかしい。

 なにやら私を通り越して、門の外を見ている。

 何を見ているのだろう、と振り返ってみれば、そこには先日程煌びやかではないが、上質な布地の服に身を包んだ赤松がいた。

 赤松は赤松で私の顔を見ながら唖然としている。

 そんな顔をされる理由が思い当たらなかったので、訝しげな表情を貼り付けて赤松を見上げていると「……鬼の目にも涙……」そう呟かれた。

 ……言われてみれば私ついさっきまでちょっと泣いてたし、先生としんみりした話してたし、完全に涙目だわ。


 っていうか鬼の目って!


 バシンっ! という軽快な音が響く。

 腹立たしさと、少しの羞恥心を堪えきれず、私が赤松の背中を思い切り叩いた音だ。


「いって!」


 という赤松の声と「ぎゃあああ!」という先生の悲鳴が同時に聞こえた。

 しかしそんな事構っていられない。


「鬼の目って何だよ失礼だな!」


「そのまんまやろ。俺超上手い事言うたんちゃう? まさかお前の目から涙が出るとはな」


 赤松は、いてぇ、と背中を擦りながらもベラベラと喋り続ける。


「私だって泣く時くらいあるっつーの!」


「珍しすぎて雪降るんちゃう? いや雪どころやないな、槍か? 金棒か? 鬼だけに」


 上手い事言ったつもりか! クソ!

 もう一発叩いてやろうと思ったのだが、見事に避けられてしまう。


「俺今伯爵やで? 伯爵に向かってその態度は許されたもんやないなぁ」


「うるせぇ貴族気取りが! 一応手加減して背中叩いてやったんでしょ! これが『昔』なら顔面右ストレートだったわ!」


「気取りやなくて貴族やし。っちゅーかホンマは顔面殴ろうとしたけど届かへんかったんとちゃう?」


 キーーー! 腹立つ! 超腹立つ!

 今度こそグーで殴ってやろうと拳を握り締めた時、赤松が急に冷静な顔をして言った。


「……先生真っ青な顔してはるけど大丈夫なん?」


 ……なんかごめん、先生。


 そうよね、そうだよね、伯爵様相手に背中とは言え平手一発と暴言だもんね、そうだよね、真っ青にもなるよね。

 何と声を掛けたら良いものかと考えて居ると、先生が赤松に向かって深々と頭を下げた。


「も、申し訳ございませんキーファー伯爵様! ほら、トリーナも!」


 先生に頭をガシりと捕まれ無理矢理下げさせられた。

 今の流れで私が頭を下げなければならない理由が分からない。

 なんという屈辱。


「いえ別に。そもそも煽ったん俺ですし」


「うん」


「トリーナ!」


 いやいやいや鬼の目にも涙とか言い出した赤松が悪いんだから私が頭下げる必要なんてないんだって! ねえ先生!

 頭から先生の手が離れると、私は急いでピンと立つ。

 そして赤松に向けていた身体を、くるりと先生の方に向ける。


「お別れがこんな形になってしまい申し訳ありません先生……」


「本当ですよ全く……危うく倒れてしまうところでしたよ」


 先生はそう言いながら額にかすかに浮かんだ汗をこそりと拭っている。

 ホントごめん先生……。


「では、私行きますね。お元気で」


 にっこりと笑って門の外へ出た。

 今も若干青い顔をしている先生の視線の先にはやはり赤松の姿。

 お前はいつまでいるつもりなんだ。


「トーン子爵の家行くんやろ?」


 と、声を掛けてきた赤松に「うん。今日から働きに」と、頷きながら答える。

 すると赤松は私の言葉に被せるように言った。


「……メイド服かぁ」


 バシンっ!


「トリーナ!!!」


 メイド服についてはいずれ誰かにいじられるだろうと思っていたのだが、実際触れられると物凄く恥ずかしいもので。

 もう一度背中に平手を一発ぶち込んだら、先生の悲鳴に近い声がした。

 ……なんかごめんて。


 次殴るときは先生からこっちが見えなくなった時にするから。



 どうやら赤松の行き先もトーン子爵家のお屋敷らしいので、私達は並んで歩いている。

 ふと伯爵と子爵では伯爵の方が上だったはずなのに、なぜ伯爵が出向いているのかという疑問が浮かぶ。

 そう言えばコイツと初めて会ったのもトーン子爵家のお屋敷だったはずだ。


「あんた、トーン子爵と知り合いなの?」


「オカンの遠い親戚やねん、トーン子爵。ガキの頃から可愛がってもらっとるし、今は教育の一環として講習聴きに行ってんねん」


 聞けば爵位を継いだものの赤松の父親はまだ現役の頃のように働いているらしい。

 なので赤松父が働いている間、コイツはこうして社会勉強という名目でなんやかんやと出歩いているそうだ。


「ん? じゃあなんで早々と継いだの?」


「オトンがやりたいのは裏方仕事やねん。表立って動きたくないとかでさっさと俺に押し付けてきよったわ」


 正直聞いてみたものの、貴族の仕事がどんなものなのかも分からなかった私は、へー、とぬるい返事を漏らすだけに留める。

 

「案外暇やし普段はええねんけど夜会とか貴族の集まりが面倒でな」


 夜会……私には馴染みのない言葉だが、御伽噺に出てくるようなキラキラしたパーティーなんだろうか……。


「夜会ってパーティー? あの社交ダンスみたいなの踊ったりするの?」


 素直な疑問をぶつけると、赤松はあぁ、と呟きながら苦笑を零す。


「会にもよるけど場合によっちゃ踊るやつもおる。俺はこの顔やし相手おらんし」


 この顔、とはどういう意味だろう?

 私は赤松の顔を見上げてみた。

 物凄く良い顔、とまではいかないが、一応カッコイイ部類に入るんじゃないだろうか。

 クラスで一番カッコイイ奴程ではないけど、まぁTOP10くらいには入るんじゃない? と言えるレベルというか。


「別に悪い顔には見えないけど? 好きな子は好きでしょ、そういう顔」


「……。……いや、目付きがな……」


 途切れ途切れに発された言葉で思い出した。


「あー、人を射殺すような眼力が何とかって言われてんだっいひゃー!」


 頬を抓られた。



 そんなことをしている内に、私達は目的の場所へと辿り着いた。


「ほな俺は客人やから先行くで」


 赤松は軽く手を上げ、私の前を歩いていく。


「またねー」


 ……いや、またねとか言ったらまた会うことになりそうだな……。


「頑張りや、使用人。あのメイド服で」


 よし、次会ったら右ストレートで決まりだな。



 若干イライラした気持ちを残しながら、お屋敷に足を踏み入れると、トーン子爵本人が子爵夫人と共に出迎えてくれた。


「ようこそ」


 トーン子爵は優しい声で迎え入れてくれた。

 今日からは彼を旦那様と呼ぶことになるのだ。

 そしてその隣には子爵夫人が立っている。子爵夫人のことは、奥方様だったな。

 奥方様は私の頭のてっぺんから足の先まで、値踏みするような目で見ている……ような気がする。


「今日からここで働かせていただきます、トリーナ・キキョウ・ブラットフォーゲルと申します。どうぞよろしくお願い致します」


 私は深々と頭を下げた。

 帰れとか言われたらたまったもんじゃないからね。いや、言われないとは思うけれども。


「こちらこそよろしく。仕事の説明は他の使用人達に聞いてくれたまえ」


 旦那様がそう言うと、先日挨拶に来たときに案内してくれた美人のメイドさんが姿を現した。


「それでは私が引き取りますね、旦那様」


 メイドさんはペコリと頭を下げて、私の腕を掴んだ。


「あ、失礼します」


 旦那様と奥方様に頭を下げて、メイドさんに付いていこうと足を動かした。

 奥方様は結局何も言わないままだった。


「こっちこっち。まずは着替えね。着替えたら使用人仲間と、一応仕事仲間になる騎士様達に挨拶よ!」


 メイドさんは実に楽しそうである。

 で、ついさっきまで他人事だと思っていたわけだが、私もメイドさんの仲間入りを果たしてしまった。


「服はコレしかないのでしょうか……」


「これね、奥方様がデザインしたのよ」


 じゃあ文句言えないじゃん……。


「それからね、後で説明するけど使用人達の間では敬語禁止になるからね」


「敬語禁止……ですか?」


「そうよ、今から練習しておいてね」


 彼女はそう言ってぱちんとウィンクをしてくれた。

 前も思ったが、このメイドさん本当に綺麗で可愛い。

 目の保養をしながら仕事出来ると思うと心躍る私だった。


 いや……まぁもちろん不安要素は色々あるけどさ……。





 

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