次男様の苦悩
「もう。静かにしてよ」
次男様はドアの外でガンガンと殴るようにノックをしている青い騎士さんに対してそう言っている。
あまりにもうるさいからだろう、仕方なさげに鍵を開けているようだ。
「何故鍵など掛けているのですか? キキョウ様にもしもの事があった場合助けられないではないですか」
鍵が開いた瞬間、憤慨した様子の青い騎士さんが部屋の中に飛び込んできた。
しかし、次男様に止められてしまったのでドアの前から先には通してもらえないらしい。
「この部屋には僕とトリーナしか居ないんだからもしもの事なんて起きないでしょ」
と、次男様は呟くように言う。ごもっともです。
「あなたと二人きりという状況が既に危険です」
と、青い騎士さんは断言する。まぁ、それも一理ある。
「……トリーナは、僕と二人きりだと怖い?」
次男様はくるりと振り返り、私に問い掛けてきた。
その時、次男様の手に握られている鍵がキラリと光った気がした。
「い、いえ、怖くないです、全然」
怖くないって言わなきゃ閉じ込めるよ、という次男様の心の声が聞こえた気がしたような。
「ほらね。可愛いでしょ、僕のトリーナ」
青い騎士さんのほうを向いてそう言っていた。こちらからは次男様の後頭部しか見えないので、どんな顔をしているかは解らない。
ただ、声色はとても楽しそうだった。
「……キキョウ様はあなたのものではありません」
「でも、君のものでもないよね。そもそもトリーナは僕の家の使用人だ。どっちかっていうと、やっぱり僕のトリーナで合ってるじゃないか」
返す言葉を失った青い騎士さんは、不機嫌そうに顔を歪める。
次男様は完全に青い騎士さんを煽ろうとしているようだが、何か意味があるのだろうか。
あんまり仲良くないのかな?
「……キキョウ様、大丈夫ですか?」
二人を観察して関係性を推測しようとしていたところ、ふいに問われた。
「へ? あ、あぁ、はい大丈夫です」
こくこく、と頷いて返事をすると、クスクスという笑い声がする。この状況で笑える人間はただ一人、次男様だ。
「大丈夫だよ。僕はファルケさんみたいにキスしたりしないから。手の甲とか、髪の毛とか、あぁ爪先にもキスしたんだって?」
あああああ言わないでえええええ!
心の底から楽しいと言いたそうな声色で喋っている次男様に向けて、そんな念を送ってみるものの、伝わるわけもなく。
っていうかやっぱりその事覚えてたんですね! そしてあの紙は次男様が書いたもので合ってたんですね!
穴があったら入りたい。入りたいどころか埋めて欲しい。
「爪先にキスしたことも知っているんですね。やはり情報屋でも雇っているんじゃないですか?」
と、青い騎士さんが言う。『爪先にキスしたことも』ってことは、他にも例があるということなのだろうか。
私と赤松が親しそうに話していたことも知ってたし、青い騎士さんもそれと同じように……
「情報屋なんて雇ってないよ。爪先にキスされたって、トリーナが教えてくれたんだよ。報告してくれたんだ」
やめてえええええ!
穴があったら埋めて欲しいっていうかもう自分で穴掘るからそこに埋めてくれ……恥ずかしい……
確かにこの部屋の前に来て爪先にキスされた時の意味とか聞いたけど! 自分で聞いたけど!
「……キキョウ様……が?」
そう零している青い騎士さんを見ると、目を丸くしていた。
驚いているのだろうか。
「あ、トリーナが赤くなってる」
そりゃあ赤くもなるわ。恥ずかしい……
「……っ、俺は仕事に戻ります……」
青い騎士さんは走り去るようにこの部屋を後にした。
「あらら、逃げられちゃったー」
次男様はガチャガチャと音を立てて、もう一度鍵を閉めている。
別にもう無理矢理外に出ようとは思わないので閉めなくてもいいのだけど。
「そっかーあの女嫌いで有名なファルケさんがねぇ」
なんて言いながら、次男様はうきうきとした足取りでこちらへ歩いてくる。
散らかった本を踏む事も蹴飛ばす事もなく歩く姿はまるで踊っているようだ。
「あの、次男さ……いや、フレーテお兄様。やっぱりあのキスの場所の件」
「手の甲や髪の毛は見てたよ。紙に書いて教えたのは当然僕」
覚えてたんですね、と言うつもりだったのだが、案の定被せ気味に答えてくれた。
「その事、覚えていたんですね」
「もちろんだよ、爪先の時は嬉しかったなぁ」
「……嬉しかった?」
「だって、あの時初めてトリーナから僕に話しかけてくれたから」
次男様はにっこりと笑って私の頭をわしゃわしゃと撫で回す。
「でもあれ、声をかける事は禁止されていたわけですし、本当は許されない事なんですよね」
爪先にキスをされたあの時は若干テンパっていたし、意味があるのかどうかが気になって好奇心から声を掛けてしまったが、後々考えればあれは契約違反だったのだ。
「そういえばそうだね!」
あはは、と楽しそうに笑っているので、怒られることはないようだが。
「……ところでフレーテお兄様。さっきは何故青い騎士さんにあんなこと言ったんですか? どう見ても煽ってましたよね?」
自分が蒸し返したのだが、契約違反の件を掘り下げられる前に話題を変えることにした。
「本気なのかなぁと思って」
私が突然話題を変えたことで、少しだけきょとんとしていた次男様だったが、ふと真面目な顔に変わる。
「本気……?」
言葉の意図が読めなかった私は、眉間に皺を寄せて首を傾げる。
「だってファルケさん、トリーナのこと好きなんでしょ?」
……あぁ、それも知ってたんだ。
逆に何を知らないんだろうこの人。滅多に部屋から出て来ないと聞いていたんだけど。盗聴でもしてんのかな。この世界に盗聴器なんてあるのかな。
「それはその……」
即答で『はいそうです』と答える勇気はなかった。まぁ愛していますとまで言われたのは確かなんだけど。
「もしもね、もしもだよ? 僕がトリーナを好きで、お嫁さんにしたいって言ったら父様も母様も絶対に反対しない。むしろ喜ぶよ。二人ともトリーナを娘にしたかったんだから」
ついさっきまでにこにこと笑いながら、楽しそうな声色で話していたはずの次男様は何処に行ってしまったのだろう……?
今の次男様の顔はさっきまでとは別人のようだし、声のトーンも一つ下がっている。
「そうなったら、ファルケさんは諦めるしかないよね?」
そう私に尋ねる次男様の顔は真剣そのもので、茶化した様子など微塵も感じられない。
そしてそのもしもの話が実現すれば、確かに青い騎士さんは諦めるしかないんだろう。
青い騎士さんはこの家の人に雇われた騎士でしかないし、彼等よりも身分が高いとは思えない。
「……僕ね、そんな事で諦めるような奴に可愛いトリーナをあげたくないんだ」
えへへ、と次男様は照れたように笑った。
……それは娘を嫁にやる父親の心境みたいなものかな?
「僕という壁を越えられる奴以外に、僕の可愛いトリーナはあげない。そんな奴にあげるくらいならずっと僕の側に居て欲しい」
何と返すのが正しいのか解らない。
ずっと次男様の側にってことは、一生独身でって意味も含まれたりするのかな? いや……うーん……
「ただ……トリーナはあの伯爵と仲がいいんだよね。あの伯爵なら僕より身分も上だし……どうやって邪魔したらいいか……」
色々言ってるけど邪魔したいだけなんじゃなかろうか、この人。
「結婚するなら騎士より伯爵のほうが、トリーナは幸せかなぁ?」
と、ぶつぶつ呟いている。
面白がって邪魔をしているわけではなく、一応私の幸せを考えてくれているようだ。
要するに、シスコンである。
「トリーナは、貴族になりたい? 伯爵と結婚したら、伯爵夫人になるけど」
次男様は私の顔を覗き込んで首を傾げる。
それに対して、私はふるふると首を横に振って見せた。
「こう言っては失礼かもしれませんし勝手な印象でしかないのですが、貴族は息が詰まりそうだなって思ってて。私はそれよりも、平凡な平民で居たいし、その方が身の丈にも合っていると思うんです」
膝の上に乗せたままだったくまさんを撫でながらそう言うと、次男様はクスクスと笑った。
「確かに、息が詰まりそうだよ」
次男様はどこか寂しげに言う。
彼は今どんな顔をしているのだろうと覗こうとしたところ、ずるずると滑るように私に凭れ掛かってきたのでそれは出来なかった。
「平民として生まれていたら、ってずっと思ってた。……今でも思ってるよ。貴族じゃなければ、兄さんとこんなに拗れることはなかったんじゃないか、って」
この子爵家の兄弟は仲がよろしくないという話はここで働き始めた日に教えてもらった。
二人とも滅多に姿を現さない事も、兄弟が遭遇したら、兄の弟に対する八つ当たりが勃発する事も。
「長男様と……」
「うん。たった一年ちょっと先に生まれたってだけで爵位を継がなきゃいけないからね。でもね、兄さんは本当は爵位を継ぎたいんだよ。それは譲りたくないんだ。だけど父のように優秀な子爵としてやっていく自信がないだけなんだ」
このお屋敷に来るまで知らなかったが、トーン子爵は本当に評判がいい。
他所の貴族……以前赤松が言っていた暴動で殺されたような貴族が居る中、ここの領民は穏やかで、暴動のぼの字すら頭にないと言い出しそうな人達ばかりだ。
それも偏に、トーン子爵が副業に精を出して無駄な税を搾取しないようにしているから……なんだそうだ。詳しくはわかんないけど。赤松が言ってた。
そんな子爵の後を継ぐには相当なプレッシャーに耐えなければならないのだろう。
それなら弟に譲ればいいじゃないか、と言いたい所だが次男様の言う通りなら、それも嫌だと言っていることになる。
わがままだな?
「僕は、兄さんの事……嫌いじゃないし、出来る事なら昔みたいに……仲良くしたいと思ってるんだよ」
次男様はそう言いながら、私に凭れ掛かったままくまさんの鼻先をつついている。
その様子をぼんやりと見ていると、ふと身体が軽くなる。
次男様が私に凭れ掛かるのをやめたから。
「ごめんね、暗い話になっちゃった」
と、次男様はおどけたように笑う。
「吐き出すことで楽になるのなら、吐き出す相手が私でいいのなら、別に構いませんよ」
だから、無理して笑わないで。そんな意味を込めて、私はゆっくりと次男様の背中を撫でた。
次男様がもう一度、ずるりと滑り出しそうになった時、ガシャンと盛大な音がした。
どうやら隣の部屋かららしい。人の声も聞こえている。
「隣の部屋……でしょうか?」
「……兄さんの部屋だ」
私はとりあえず立ち上がった。
「ダメだよ、行っちゃダメだトリーナ……」
次男様は怯えたように私の手を掴んでいる。
「でも、ロゼの声がする」
「危ない、危ないんだ……」
「ロゼが泣いてるから、離して、フレーテお兄様。大丈夫、このくまさんをここに置いていくから、私はまたここに戻ってくる」
私はくまさんを次男様の膝の上に乗せた。
次男様は一向に手を離してくれないのだが、ここは強行突破しかないだろう。
「本当に戻ってくる? 怪我しない? 逃げない?」
「はい」
逃げない? っておかしくないか? と思いつつ力強く頷いてみせる。
「大切なフレーテお兄様のためにも、そんなお兄様にもらったくまさんのためにも絶対に逃げませんから。とりあえず鍵開けてもらえます?」
クスクスと笑いながら、今度は私がおどけて見せる。
笑った私に安心したのか、次男様は素直に鍵を開けてくれた。
よいしょ、とドアを開けると、ドアの前には青い騎士さんが居た。
「物音がしたのでキキョウ様に何かあったのかと思って来たのですが」
「隣の部屋だったしロゼの声だったからそこに突っ立ってたんですか?」
少しの皮肉を込めて言ってみたのだが、青い騎士さんはさも当然のように頷きやがった。
助けてやれよおおお! と全力で叫ぶ一歩手前だったわ。
「中でロゼが泣いてるみたいだったので、強行突破しても大丈夫ですかね?」
青い騎士さんにそう言うと、彼は渋々ドアノブに手を掛けた。
「いえ、多分凶暴化してるはずなので、俺が行って来ます。キキョウ様はここで、ってお待ちくださいキキョウ様!」
青い騎士さんの言葉をスルーして、私は開いたドアの隙間に滑り込んだ。
その部屋の中で見たものは、散らかった食事の残骸と、それを急いで片付けているロゼだった。
そして、それをぼんやりと見ている長男様の姿。
「ロゼ……、あ、長男様、初めまして。数ヶ月前からここで使用人をしているトリーナと申します。何か物音がしたので勝手に入らせてもらいました」
「トリー! 外に出なさい!」
「誰が勝手に入っていいと言った……?」
次男様は奥方様に似ていたが、長男様は旦那様に似ているようだ。
次男様よりも淡い金髪に、青い瞳のイケメン。どいつもこいつもイケメン。若干腹立たしい。
ただ残念な事に、このイケメンは現在正気ではないらしい。
据わったような目で私を見下ろしながら、こちらに向かって手を伸ばしてきた。
そして胸倉を掴まれてしまった。
この状況から切り抜ける術といえば……?
登場人物紹介ページに青い騎士さんの設定画が増えました。というお知らせ。




