君の名を呼び、君想う
“リアスくん……?”
優しい声が自分の名前を呼ぶのを遠くで聞いた。いや、気がするだけだ。だって父王に呼ばれ、カノンのいる客室に戻ってから、彼女は一度だって自分の名前を呼ばなかった。呼ばないように会話をしていた。自分が無理に『リアスと呼べ』と言ったから、リーリアスともリアスとも呼べずに困っていたのだろう。
不意にふわっと鼻腔を付いたのは柔らかい香り。
(カノンの匂いだ)
雨上がりの森の中を歩いている時のようなすがすがしい、自分が惹かれる彼女の匂い。そして温かなぬくもり。
(……温かい?)
そっと瞼を持ち上げる。あぁ、竜姿で寝ていたのか。見慣れた翡翠のような鱗。人とは違う竜の姿。
今夜は中々寝付けず、カノンの部屋に忍び込んでその寝顔を眺めていたらいつの間にか眠っていたらしい。無意識に本来の姿になっているあたり、彼女に気を許している何よりの証拠だ。王族たる者無闇に他人を信用するなと叩き込まれてきたが、彼女を前にすればその教えも意味を成さない。
(カノン……)
物音を立てぬようそっと顔を持ち上げベッドの上を見る。だが眠る前には居た筈の彼女がそこにはいない。もしやこの竜姿を見て驚き、または恐怖して部屋から去ってしまったのだろうか。その予感に胸が締め付けられ、一気に血の気が引く。
護国と呼ばれる国の民は皆守り神である竜を崇め、尊敬している。だがそれはあくまで竜という存在として。大きな力に畏怖し、神聖視し、崇め奉る。けれど王族は神なんかじゃない。竜だけれど、この土地で生きる人間だ。
(カノン、カノン。傍にいて。俺を敬遠しないで……)
父も兄上達も人々が自分達を特別視するのは仕方がないと言う。けれど俺は嫌なんだ。本当は普通の友人だって欲しかった。けれど兄上達のように俺には歳の近い王族がいるわけでもなく、城下の子供達を遠目に見ては憧れるだけ。だって俺が王族だって知ったら、皆態度を変えるから。傍に来てくれなくなるから。
だからあの日、カノンと初めて会った時、俺は言葉を発することが出来なかった。しゃがんで真っ直ぐに目を見て言葉を掛けてくれた。何のためらいも無く手を握ってくれた。嬉しかったんだ。でももし油断して俺が王族だと、竜だと分かった時、この手が離れてしまったらと思うと怖くて何も言えなかった。
それでも俺の手から飴を受け取ってくれたあの瞬間、どれだけ俺が胸を熱くしたか。カノン、君に分かるだろうか。
――リアスくん。
お願いだカノン。どうかもう一度俺の名前を呼んで。それだけで俺は……




