俺と彼女の明確な温度差
本拙作は2010.10.1~12.31まで開催中の『飲茶様主催「哲学的な彼女」企画』に投稿させて頂いているモノと同じです。
内容と致しましては『男女がただただ、ほのぼの・らぶらぶ・でれでれ・いちゃいちゃしている』モノとなりますので、苦手は方はご遠慮くださいませ。
「私ね。トオルのこと、よく分からなくなってきたの」
ユキがそう言い出したのは、今にも雪が降り出しそうな曇天の下。俺が暫く前に数えるのを止めてしまった、何回目かのデートの帰り道だった。
ともすればこれから別れ話に発展しそうな発言だが、俺に焦る気持ちは微塵も無い。
……一応、俺がデート回数を数えてないことを知っていて、ご立腹な可能性も無きにしも非ずだが。
だがそれでも、俺の心を海に喩えるならば凪の状態。波も風も存在しない、静かな世界だ。
勿論、このままユキが別れ話を切り出したなら、俺は荒れ狂う波に呑まれて溺れる自信がある。瞬間――というか刹那で、海底まで沈めると自負している。
まあ要するに、俺はユキが大切だ。恥ずかしげもなく、そう公言できる。誰かが求めるなら、世界の中心で叫んでやっても良い。
そして、そんな俺だからこそ「ああ、また始まりましたか」くらいの気持ちで、ユキの発言を理解してあげられる。
身長の低いユキの歩幅に合わせた歩みを止めることなく、
「俺には、白い服でカレーうどん食べるユキの気持ちが分からない」
と、返してあげられる。
するとユキは、
「だって食べたかったんだもん。隣の人が美味しそうにカレーうどん食べてるのが悪いんだもん」
と、小さな唇を小さく尖らせた。
「…………」
海水温、二度上昇。ノンストップ地球温暖化。おめでとう、俺。ありがとう、俺。
「それに、私は最近の漂白剤の力を信じてるから」
「…………」
頑張れ、漂白剤。負けるな、漂白剤。お前なら出来る、漂白剤。
そんな風に、俺が応援歌を作詞・作曲しようかというところで「で、話は戻るけど」とユキは言う。
「私。トオルのこと、よく分からなくなってきた」
「具体的には?」
「例えば、さっきテーブルの角に股間をぶつけたトオルの痛みが、私には分からない」
「……うん、ごめん。あの痛みを女性であるユキに説明できるだけのボキャブラリーを、俺は持ち合わせてはいない」
とても優秀なことに、吾輩の辞書に不可能という文字は記載されている。
というか思い出させないでくれ。さっきの三分間くらいの悶絶が、カリフォルニア州知事みたいに「I’ll be back」してくるから。
「他には……この間ガードレールを華麗に跨ごうとしたけど失敗して股間を――」
「ごめん。これ以上、俺の息子を苛めないでくれ」
ついでに俺の自尊心も。
もしこれが過保護だというなら、俺はモンスターペアレントと呼ばれて結構だ。だって俺の息子も自尊心も、かの有名な液体金属みたいな強度と柔軟性はないんだから。
「あとは……今日のデート中にミニスカートの女の人のことを、トオルが目で追ってたこととか」
「…………」
違うんだ。あれは俺のせいじゃないんだ。弁明の機会くらい与えてくれ。もし駄目だと言うなら、こっちは最高裁まで上訴し続ける覚悟だ。
あれは、男として生まれた俺のサダメなんだ。運命と書いてサダメなんだ。
男――いや、生物学上オスと分類される動物には、視線自動追尾機能(eyes homing system)が全車種標準装備なんだ。今ならカーナビをセットにしてもいい。
だから許してくれ――じゃなくて、認めてくれ。
というか、もしかしてユキさん、さっきからそのことを怒ってらっしゃいます?
「別に、全然。これっぽっちも怒ってないよ」
と、表情一つ変えずユキ。
「……一体いつからユキは読心術を?」
「そんなのは出来ないよ。今の私じゃ精々頑張って読唇術が限界だよ」
「…………」
よし。今度からは友達とのバカ電話(芸能人なら誰と付き合いたいか的な)も気を付けよう。
というか、いやいや読唇術も充分すごいですから、と突っ込もう思ったところで「で、また話を戻すけど」とユキは言葉を続ける。
「私ね。結局、人と人は分かり合うことは出来ないと思うの」
「と、言いますと?」
「読心術が出来ない以上、私にはトオルが今考えてることは分からないし。トオルの痛みも、トオルの恥ずかしさも、トオルの見てるものも、私には分からない」
――どれだけ一緒に居たって、どれだけ近くに居たって、絶対分からない。
「トオルは、何かに足の小指をぶつけたことあるよね?」
「……うん。そりゃあ、それなりに」
「そのとき、すっごく痛かったよね?」
「ああ。痛いとかそういう次元超えてた」
「だけどね、そのときトオルが感じた痛みと、私が感じたことのある痛みはイコールじゃないんだよ。場所も時間も力加減も、状況全てが違う。そして何より、トオルと私は違う人間だから、感じた痛みが同じであるはずがない」
「まあ確かに、痛かったという感覚を、本当の意味で『共感』することはできないな」
それは似たような感覚を持ち寄って『共感』している気になっているだけだ。
「この間のガードレールの話だって、一緒に居た私も恥ずかしかったけど、それだってトオルのそれと私のそれは違う」
「……うん。実際、ユキはすぐさま赤の他人ですよ的なオーラ出してたしな」
というか、暫く俺から数メートル離れて歩いてたしな。話しかけようとしても逃げるし。
「ところで、後学のためにトオルの実体験の感覚から教えて欲しいんだけど、ガードレールを華麗に跨ぐの失敗した後、すぐに周囲の人に対して何事もありませんでしたよ的なアピールをしたのは何で?」
――何事もあったくせに。がっつり股間強打したくせに。
と、器用に目だけで笑うユキ。さすがは素敵な性格の持ち主だ。愛してるぜ、この野郎。
だからお返しに何かユキの恥ずかしかった話はなかったかな、と脳内検索を始めると「まあ、それはいいとしてさ」と話を先に進める。
「私たちが見てるものも――見えてるものも、もしかしたら違うかも知れない。私が赤だと思っているものは、トオルにとっての青かも知れない。地域によって虹の色の数が違うように、人の数だけ見えてる世界がある」
虹を二色で表す地域もあるのよ、とユキさんのプチ知識。
「だからもし、トオルに霊魂的なものが見えていて、それが原因でホラー映画に異常に恐怖するのだとしても、私はその感覚を知り得ることは出来ない」
「…………」
……うん。それ、ただ単に俺がビビりなだけ。
「例え私の隣にいるトオルが実は霊魂的な存在で、その影響でミニスカートの女の人を目で追うのだとしても――」
「頼む。殺したいほど怒っているのなら、一発殴ってくれ。もしくは、いっそ殺してくれ」
相手がユキなら、俺は本望だ。
するとユキはさらりと、
「やだよ。手が痛くなるし、トオル如きのために刑務所にも行きたくないし」
と、本気で眉間に皺を寄せて言った。
「…………」
……さすがにトオル如きは無いよ、ユキさん。本当に俺が霊魂的な存在だとしても、それは傷付くよ。というか、その言葉が致命傷だよ。もう死んでるのにさ。
そんな感じに俺の心が今日の寒空と同化し始めたところで「まあ今までの話を要約すると」と、ユキは本題を切り出した。
「私は、トオルのことがよく分からない。トオルが霊魂的な存在ではないのだとしても、他の誰かと本当の意味で『共感』できない以上、トオルが存在してると私は言い切れない」
――トオルが私の妄想だって可能性を、ゼロにすることは出来ない。
「トオルの考えも、痛みも、恥ずかしさも、見てる景色も、私は何一つ『共感』出来ない。トオルが隣に居るという存在証明を、私は何一つ持ち合わせていない――今は」
「今は――と、言いますと?」
「近い未来――というより今、私は存在証明を手にする方法を一つだけ知ってるから」
「へえ。具体的にはどんな?」
と、俺が訊くと自信に満ち溢れた顔で、
「手を握り合うことで相手の体温を認識し合い、お互いが隣に居るということを『共感』するのよ」
と、ユキは笑った。
そしてついでに「手にする方法は、手でする方法なのよ」と、不敵に笑った。
「…………」
……ごめん。今の台詞は余計だったと、俺は思う。
「というか、私が冷え性なの知ってるんだから、私が言い出す前に握ってきなさい」
手をつなぐためにすごく遠回りしちゃったじゃない、と小さな唇を小さく尖らせながら小さな右手を差し出すユキ。
だからここは素直に、
「これからは善処します」
と、俺の知りうる最高の優しさで、その手を握りしめる。
「おお。トオルの手、温かい」
「そりゃどうも。俺の方は冷たいけどね」
するとユキは「なら良かったじゃない」と、ようやく今回の哲学の最終結論を出す。
「この温度差こそ、お互いが隣に居るっていう存在証明になるんだから」
以上、『飲茶様主催「哲学的な彼女」企画』に投稿させて頂いている『俺と彼女の明確な温度差』でした。
楽しんで頂けたのなら、何よりです。
また、上記企画に只今(2010.10.2現在)参加しておりますので、そちらの方にも評価して頂けると、この上なく嬉しいです。
皆様の「カンボジアの学校建設に寄付しよう」的な温かいお心を、お待ちしております♪
↓↓↓
http://tetugakunovel.sakura.ne.jp//story_system/cgi_sys/list_story.cgi