21.子守は大変
僕が言うのも何だけど、子守ってのは大変なんだから。
特に、よちよち歩きを始めた頃の人間の赤ん坊の子守は。
僕たち猫や、あの、ちょっと間の抜けた犬たちでさえ、同じ赤ん坊でも、遊んではいけない場所くらい、ちゃんとわかってる。
でもそれが人間の赤ん坊ときた日には、平気で池へと向かって突進して行くは、暖炉の火に手を突っ込むは、まだ自分で帰って来る事も出来ないのに、遠くまで一人で出歩いたりするは……
まったくわかってないんだから。
でも僕たちよりもすでに身体はずっと大きいから、それをお守りするってのは、ほんっとに命がけの時もあるんだよな。
……え?僕?うん、そう。僕は猫なの。今は。前はそうじゃなかったんだけど。
今は、イニッスの村の人たちが、“フィルビーさん家”って言ってる、ウールユーバの森のすぐそばの、そこそこ大きなお百姓家の、オスの三毛猫。もうすぐ一歳。
生まれたのはきっとイニッスの村だったと思うんだけど……もうわからなくなっちゃった。
とにかく、母さんや他の兄弟たちとはぐれて、お腹がペこぺこに減って動けなくなって、道端に座り込んでたら、ここの奥さんが拾ってくれて……それからはずっとここにいるんだよ(言っとくけど、僕が母さんたちとはぐれちゃったのは、人間の赤ん坊みたいに、一人で勝手に遠出したからじゃないからね。あの時、草むらに見つけた蛙に夢中になってたら……気がついたら、母さんたちの方がいなくなっちゃってたんだから)。
でもね。
信じないだろうけど、ホントは僕は猫じゃなくって、人間だったんだよ。
ウールユーバの森の奥に住む、超一流の魔法使いだったんだから。
で、何でそれが猫なんかになっちゃったかというと……そう、もう察しがついただろうけど、僕は魔法に失敗しちゃったんだよな。これが。
あの日、人間以外の色々な動物に変化する魔法を自分で自分にかけてたんだけどね……そしたらどういうわけか、変化する時に、自分の体細胞と一緒に、時空もおかしな具合にねじ曲げちゃったみたいでさあ。
気がついたら……事もあろうに、猫の胎児になって、雌猫のお腹の中にいたんだよなあ。
いやあ、あの時はあせったのなんのって。
ていっても、もうどうする事も出来なかったんだけど。びっくりした拍子に、元の姿にもどる、長い長い呪文の言葉を忘れちゃったし、第一、猫の胎児がどうやって呪文を唱えるってのさ。
まあ最近は、この猫の口でも、ちょっとした簡単な呪文は唱えられるようになってきて、うまく発音できた時には、魔法が成功するようにもなったけど。
でも、元の姿にもどる呪文は忘れちゃったままだし、それにそんな高等呪文はこの猫の口じゃあ、詠唱
できるわけないから、どうすれば元の姿にまたもどれるのか、考えてるとこなんだけどね。
今のこの姿で、呪文を唱えようとしだした頃は、よく失敗しちゃったよな。
おかしな発音になっちゃって、魔法の力が呼び出せないだけならいいんだけど、こないだなんか、納屋の扉を開けようとして、扉開けの呪文を唱えたら……
『イー·オウン!』て発音しないといけないのに『イニャ·ニャ·ミイィ』なんておかしな猫語発音にしかならなくってさあ。
でもって、それでも魔法の力は発動したんだけどね。
でもそれってのが、どういうわけか、扉の蝶番をみんなぶっとばす力になっちゃったみたいでね。
おかげで、重い木の扉が、僕の上に倒れかかってきてさ。びっくりしたのなんのって。まあ、すばやくよけたけど。
でも……今のこの猫の姿も気に入ってるんだよな。人間だった頃の僕は物心ついた時から孤児で、人のあたたかみなんてものをあまり知らないでいたけど、それが猫とはいえ、母親と兄弟が出来て、優しく母親猫に世話をしてもらったり、兄弟たちと遊んだり、なんてのは……なんだか不思議で、でも幸せな気分になれたものな。
で、その親兄弟とはぐれて、元人間だった事を思えばなさけない話だけど、やっぱり猫の姿じゃあどうする事も出来なくて、すっかりくたびれはてて道端にへたばっていたら、ここの奥さんが僕を拾ってここに連れて来てくれて、しぼりたての山羊の乳を飲ませてくれたんだよな。それがどんなにおいしかった事か!
で、名前も付けてくれたよ。“マーノ·ネーラ(黒い手)”。
どう、かっこいい名前でしょ?
僕の猫としての毛並みは三毛だけど、なぜか両手は手の先だけが白くて、あとはみんな真っ黒だから、そう名付けてくれたんだよ。
人間だった頃は、孤児院でつけられた、あまりぱっとしない名前だったんだけど。
というわけで……今や僕は人間としての考え方も出来るし、猫としての考え方も出来るわけなんだけど、その猫としての考えとしては、人間べったりの犬とはちがって、猫は人間の前でいい子ぶって、その見返りをあてにする様なあさましい事はしないんだけど、でも、優しく頭をなででくれるここの奥さんが僕は大好きだし、ねぐらにしてるここの家畜小屋もとっても居心地がいいし、家の周りには狩りにもってこいの鼠も蛙もバッタもたくさんいるし……
だから、気が向いた時は、庭先でけたたましく騒ぐしか脳のない鶏どもや、奥さんの赤ん坊――ロッタ、の見張りをしてるんだよ。そうすると、奥さんやここの人たちは、とっても喜んでくれるみたいだから。
ロッタが危ない目に遭いそうになった時なんかは、ちょっとだけ、魔法を使ったりなんかしてね(こないだ、ロッタが家畜の水飲み場に落っこちそうになった時なんか、水を一瞬で凍らせたりなんかしてさあ。こんな呪文の唱えにくい口で、よくとっさに呪文が発音できたなって、自分でも感心しちゃったね)。
まあ、ロッタの見張り番は僕の他にももう一匹いるんだけどね。
僕がここに来る前から……というか、猫としての今の僕やロッタが生まれるよりずーっと前からこの家にいる、もうよぼよぼの爺さん犬の、ダグなんだけど。
ダグは、茶色の毛並みの、テリアの雑種の大きな犬で、何でも若い時は、耳も鼻もとってもよくきく、すごく優秀な猟犬だったらしいんだけど……今のあの様子からじゃあ、その話もまるで信じられないんだよな。
だってえ……僕がここにやって来たあの日、ダグは奥さんの腕の中にいる僕の匂いを嗅いで、
『やあ、坊主。わしがお前をここいらで一番の立派な猟犬にしてやるからな』
なんて言ったんだもの。で、ダグは今でも僕の事を犬だと思ってるんだから。
僕はもう何度も、ちょっと立場はややこしいけど、今のところ、外見上は僕は猫なんだよって、言ってるのに。
でも、まあ……すっかり老いぼれちゃってはいても、僕がまだ小さくて、呪文を唱えられなかった頃は、僕もそのダグに少しは世話になったけど。
庭の隅っこの溝にはまっちゃって、出られなくなった時とか、家畜小屋の中で、とんでもなくばかでかい熊鼠に襲われた時とか。
まあ、今じゃあ、熊鼠くらい、何でもなくなっちゃったけど。
あと……そうそう、やっぱり一番の借りは、ここの家で作ったチーズやバターを時々買いつけにやって来る、あのとんでもない欲深行商人の男にさらわれそうになったのを助けてもらった事かなあ。
何でも、僕みたいな三毛猫のオスってのはとっても珍しくて、飼い主に幸運を呼び込んでくれる、とかでね……
で、あの行商人の男は、僕を見るなり、こりゃあいい魔除け猫になって、いい値で船乗りに売れる、なんて言ってさあ。
でも奥さんは、僕を売り物にするつもりはないからって断ったら、あいつ、あとからまたこっそりここの家に戻って来て、僕を飼料袋に放り込んで盗もうとしたんだよな。
でもそれにダグが気付いてくれてね、あいつのお尻に思い切り咬みついて、追い払ってくれたんだよ。
まあ、ダグの歯はその時からすでに、おおかた無くなっちゃってたから、ズボンにちょっと穴が空いただけだったけど。ここの家の人たちは、その事を知らないんだけどね。
でも、今でもあの行商人がここに来た時は、僕はあいつが帰っちゃうまで家の屋根の上にいる事にしてるし、ダグはあいつのそばであいつの見張りをしてるし。
とはいっても……ダグはあいつの見張りをしながら、しばらくしたら眠り込んじゃうんだけど。
でもまあ、僕ももうあんな奴に捕まるような仔猫じゃないから、いいけどさ。
てわけで……ああ、あ、ロッタったら、またぁ。
そんなに僕の尻尾を引っ張らないでよね。
エ·フィ·フフル!ほーら、そよ風が顔に吹きつけて、くすぐったいだろ?
このくらいの魔法なら、今じゃお手のものさ。
そう、僕の尻尾を放してよね。僕は君と遊んでるんじゃなくて、君を見張ってるんだからね。
君には奥さんが作ってくれた人形があるだろ。
あ、ちょっと、外に出るのはいいけど、家の周りから離れちゃ駄目だよ!あの行商人以外に、この頃このあたりはなんだか物騒なんだから。
ダグ!ほらそっち行ったよ!
ほんとにもう。まだそんなよちよち歩きで家から離れたら、ウールユーバの森の中で、あの狼男に八つ裂きにされちゃうんだから。
て言っても……あれはほんとの狼男なんかじゃないけど。
そうだよ。
僕、知ってるんだ。タイレルさん家の牛追い犬のソッズや、チェサピックさん家の三頭の羊や、トラウドさん家の大黒豚を八つ裂きにして、喰い散らかしたのは、あいつ……僕の代わりに、ウールユーバの森の元僕の家に住み着きだした(この僕に断りもなく!)、あの、いかれた男なんだ。
イニッスの村の人たちは、あれは狼男のしわざだって、言ってるけど……こないだウッデルさんがウールユーバの森の近くの丘で見た、満月に向かって吠えてたとかいう人影ってのは、きっとあいつなんだ。
だって僕、見たんだもん。僕の家に勝手に住み着いたあいつは、僕が苦労して大昔からの呪文を解読してまとめあげた呪文書の中から、“狼男に変化する呪文”ってのを、詠唱してたんだよな。
僕は時々、苦労して集めた呪文書なんかに変わりがないか、元の僕の家に様子を見に行ってるんだけどね……
あいつは僕の大事な呪文書を我が物顔で手に取ってさ、僕の姿を見かけるたんび、ホントの魔法使い気取りで、
『おお、魔性に属する者よ、我が魔に魅かれてやって来たのか?我の使い魔にしてやろう』
なんて言うんだよなあ。その言葉を聞くたんび、げんなりしちゃう。
誰があんな奴の魔法とやらに魅かれて、使い魔なんかになるかっての。
あんな奴が僕みたいな一流魔法使いであるわけなんか、ないよな。
だってあいつの詠唱する呪文は、ほんの初級呪文でも間違えだらけだし、呪文のつむぎかたも、まるでなっちゃいないし。黒い、ぞろぞろした丈の長い服を着て、格好だけはつけてるけど、あれじゃあ魔法を引き出すことなんて、とても出来やしない。
まあ、くだらない見せ物小屋で、村の人たちにインチキ魔法を見せるのが精一杯ってとこだよな。
本当は、あんな奴、僕の家から追い出して、他の誰にも僕の家を見る事も入る事も出来ないように、家の周りに結界を張りたいところなんだけど、さすがにそういった呪文は、今は唱えられなくてさ。
あんな奴に好き勝手にされちゃうんだよな。
あいつは僕がまだ人間の姿だった頃、“弟子入り”させてくれって、時々僕のところに来てた奴なんだけどね。
僕がこんな事になって、僕の家に帰れなくなっちゃった間に、厚かましくも住み着いちゃったみたいなんだけど。
で、僕のところに薬草や護符を買いにくる人達に僕の事を聞かれると、
『我が師匠は長の修行の旅に出られた。師匠がお帰りになられるまでは、師匠の一番第子であるこの我が、ここをあずかる事なった。以後、御用のむきは、師匠の代わりに、この我がしかとうけたまわる』
なんて言っちゃっててさあ。でもって、風邪に効く薬草が欲しいって言ってる人に、痛風の薬草を渡しちゃったりしてさ。
そんなことばっかりしてるから、ホントはよく効く薬草も護符も、あいつの出すものはまるで『効かない』って、もう信用ガタ落ちになっちゃってて。“ニセ魔法使い”なんて言われちゃってて(まあ、それはホントだけど)、誰からも相手にされなくなってさ。
でもあいつ自身は、今じゃすっかり“一流の”魔法使い気分でね。
乾燥イモムシやら、イモリの黒焼きやら、コウモリの羽やらで部屋をいっぱいにしちやって(薬にするならともかくも、触媒にたよる魔法なんて、ど素人がするものなんだよな)その部屋の奥に、僕が調べて完成させて、呪文書に書きつけた魔法陣を、呪文書から真似て描いて(でも、それも間違いだらけでさ。あれじゃあ、ただの子供の落書きとかわらないよな。呪文を唱えても、何も起きやしないね)、一日中、そこで何かしてるんだけどね……こないだまた部屋をのぞいてみたら、その魔法陣の他に、我流でなんだか祭壇みたいなのまで作っちゃっててさあ(僕には祭壇なんて仰々しいものは必要なかったね)、そこであいかわらず、あいつは何か唱えてたんだよ。
で、最後には何の肉かはわからないけど、血まみれの大きな肉の塊を手に捧げ持って、それを何度もナイフで突き刺して、
『我に野性の血潮を!閃く白き牙を!我の魂は地の精霊とひとつになりて、大いなる怒りと共に……』
とか何とか言った後、うおおーん、なんて吠えてたんだよな。まあ鳴き声はダグの遠吠えの方がよっぽどサマになってる様なものだったけど。
でも、その時のあいつの眼ってば、人間の眼にしてはなんだか異様にギラギラ光って、口にはダグの牙よりもう少し貧弱なくらいの犬歯がのぞいててさ。ていっても、人間にはそんな長い牙なんて無いから、それは作り物なんだろうけど。
にしても……詠唱しながら血まみれの肉の塊を捧げる、なんて、僕がまとめた呪文書にはそんなの無かったよな。
一体、どこからそんな呪文をひっぱりだしてきたんだろう。
インチキ魔法使いが、いくら我流で格好だけの魔法を唱えたって、魔法が引き出せるわけなんか、ないのに。
あいつがそういうおかしな事をしてるとこを、時々、僕は眺めてるんだけどね、そしたらあいつはその馬鹿げた儀式の後で、僕に言うんだよ。
『おお、我が使い魔よ。我が何をしているのかは、お前にはわかっておるな?我はこの身をもって、この汚れきった世を浄化するのだ』
あいつが言う事だから、どこからどこまでが本当の事なのかはわからないけど、あいつが以前、人間の姿だった頃の僕に言っていた話によるとね……元はといえば、あいつはそこそこお金持ちの、どこかの貴族の坊ちゃんだったんだって。
で、あいつはその頃から“この世のあらゆる悪しき物事”を無くすために、ああいう魔法使いの真似事に凝ってて、そのうちお金を使いはたしちゃって(魔法使いごっこに入れあげて、きっとまともに働かなかったからだよなあ)、先祖代々住んでた屋敷も人手に渡って追い出されちゃって、あちこちウロウロしているうちに、このウールユーバの森の僕のことをどこかで聞きつけて、僕のところにちょくちょく来てたらしいんだけどね。
でね、あいつが言うには、森の中で毎日“この世のために”魔法の修行をしてたら、ある日“森と大地の精霊の力を得て”すごい魔法が使えるようになったから、その魔法で狼男に“変化”して、
『この世のために、世の中の“悪しきものどもすべて”に天罰を下す』
とか言ってるんだけどね。
でも、なんで“狼”なのかなあ。猫の方がずっとかっこいいと思うんだけど。
にしても、“悪しきものどもすべて”に天罰”、なんてさ、あいつにはきっと自分以外の事は、みぃんな“まちがい”に思えちゃってるんだろうなあ。
まあ、猫としての立場からすれば、そりゃまあ、人間ってのは、あいつも含めて、おかしな事ばっかりしてるのはたしかだけど。
でも、僕みたいな本物の一流の魔法使いが他の動物に変化するのならともかく、あーいう、精神的にも修行が未熟なインチキ野郎がそーいう事をするのって……他の動物に変化した時、だんだんその動物の本能に人間としての精神も乗っ取られて、最悪の時は、もう自分が人間だった事さえわからなくなる時があるから、とっても危険な事なんだよね。
その事を考えると、あいつってば、すでに精神状態が乗っ取られ気味の、そこそこヤバい状態になってるみたいな……
あれ?
あいつだ、あいつ。噂をすれば何とやら、ってやつで。
何してんだろ?
庭のはずれの草むらの陰から、こっちの方をじっと見て……?
あれって、獲物を狙う時の目だよな。
てことは、うわぁ、大変だ、それって……
あれ?あれれ?
向こうに行っちゃった。
ただ通りかかっただけだったのかな?
うーん、やっぱりちがうよな、あれは。こっちの方を見てたよなあ。
わぁ、やだなぁ。気をつけなくっちゃ。ダグにも言っとこう。
今日の夕食はいつもの山羊の乳と、干し魚の切れ端と、それに生ハムの端っこがついてきた。
猫としてお碗に“エサ”をもらう事だって、今じゃあ、もう何とも思わないんだよな。これが。生ハムは嬉しかったなあ。
だからもっとちょうだいって言ったら、奥さんはにっこり笑って、気前よく、生ハムをもう一切れくれた。これだから奥さんは大好きなんだよな。
まあ他の人でも、自分の食事の中から何か一切れくれたり、頭を撫でてくれたりもするけど。……そうだなあ、ここの人たちはみんな好きかなあ。あのロッタでさえも。僕が遊んでやると嬉しそうにするから、可愛げはあるよな。
にしても……そういや今晩は満月だよな。
なんだかヤな予感がするなあ。昼間、あいつがここをうかがったりなんかしてたから。
満月や新月の夜は自然の中の魔の力が大きくなるから、あんな奴の呪文でも、成功する時があるんだよね。
今日は屋根の上で寝ようかな。屋根の上なら、家の周りがみんな見渡せるもん。
あいついったい何を狙ってたのかな。雌牛かな?それとも山羊?豚?鶏?雌牛や山羊だったら困るなあ。僕もあいつたちの乳を飲んでるんだから。
狩りだからって、人のものを横取りするのはよくないよな。
でも“世の中を浄化”するのに、どうして狩りをして獲物を八つ裂きにして食い散らかす事が必要なのかな。
ああいう奴が考える事はさっぱりわからないや。
にしても……人間は普通、獲物をあんなふうにめちゃくちゃに引き裂いてほったらかしになんか、しないのにな。猫としての僕にだって、あんなにひどく引き裂く事は出来ないのに。
一体あいつはどうやったんだろう?まるでボロ布みたいに、獲物をズタズタにするのって。ナイフ一本じゃあ、とてもあそこまでは無理だなあ。
あれ?
うわあ、あいっだ。
ホントに来ちゃったよ。おあつらえむきの満月の夜にさあ。
ウールユーバの森から、こっちに出て来ちゃったよ。暗い森の中をイタチみたいにこそこそ歩いて。
でも、人間にはわからないかもしれないけど、あれじゃ僕たちにはまるわかりだなあ。
あんなに周りの薮をガサガサ揺らせて、地面の枯れ草なんかを踏みしだいてさ。
ダグを起こしに行かなくっちゃ。
今日僕があいつの事を話したら、ダグは今晩からは家畜小屋で寝るって言ってたけど。
あいつはきっと家畜小屋に行くんだろうな。ダグと待ち伏せして、めいっぱいびっくりさせてやるんだから。
……ダグ、ダグ!
あいつ、一体どこに行くんだろう?
あいつ――
あれ?あれれ?
家畜小屋はあっちなのに……。
あれ?こっちの方に……母屋の方に来る?みんなが寝静まっちゃった暗い窓の奥をのぞいて……何してんだろ?
そんなとこに牛や山羊がいるわけないの、わかりきってるのに。ってことは……あいつは他のものを泥棒に来たのかな?でもあいつの目ってば……なんだか物凄い目つきだよな。特上の獲物を狙う時の目だよ、あれって。
あいつ、一体何を狙ってるんだろう?
ダグ!
ねえダグってば!
……あーあ。何だろなあ、この寝顔。ヨダレまでたらしちゃってさあ。まったくもう。
ダーグッッ!!
おーきーろっ!
起きないとこうだぞっ!
鼻の先に咬みついたらダグはやっと起きた。
あ、でもちょっとやりすぎたかな。血が出てきちゃった。
ごめん。ああ、でもほら、そんな大きな声で悲鳴あげないでよ。
あいつに気付かれちゃうよ。そうだよ、あいつ、あいつがホントに来ちゃったんだよっ、今、ここに。
昼間言ってただろ?うん、そう、前から言ってるあいつ。あんたの友達の、僕にも愛想がよかった、犬にしてはいい奴だったソッズを殺した奴。
あいつ、家畜小屋じゃなくってさ、母屋の方に来てるんだよ。狩りの時のすごーい顔してさあ。
あの様子じゃあ、ロクでもない事するよ、きっと。
待ち伏せしてあいつを追っ払おうよ。僕たちが騒いだら、みんなも気付いて起きるし。
奥さんに何かあったら、僕たち、明日っから誰に食事をもらうのさっ!
あんたも今日は生ハムもらってたろ?ほらぁ、まーだそんな寝ぼけ顔してさあ。
シャキッとしてよ、シャキッと!
いつも言ってるじゃないのさ、この家の人たちに悪さする様な奴は、ワシが絶対に許さないって。
ほら、母屋の方だよ、母屋!さっさと行くんだってばっ!
わあ、またそんな大きな声出さないでよ。尻尾にちょっと咬みついただけだろ?
これで目が覚めた?あ、ちょっと、ちがうよっ、庭先の方じゃないよ、母屋の方だってばっ!
ほら、こっちこっち!もう、まだ寝ぼけてんの?
……わあ、大変だ、ダグ!
見てよ、あいつってば、窓開けて、中に入って行っちゃったよ!
わぁ、あれってば、奥さんたちの部屋じゃないか?!
わあわあ、ダグってば早くっ!奥さん!……あれ?
あいつってば、部屋の中で何してんだろ?奥さんのべッド……じゃないよな、あれは。
その隣の小さいべッドは――ロッタだ。
わあ、あいつ、ロッタを食べちゃう……あれ?
あいつ、ロッタに食いつくんじゃなくって……ロッタをベッドから抱き上げたよ?
『さあ、精霊に代わって迎えにきたぞ、我が生贄よ』
……だって??イ、イケニエ?
わぁ、ちょっと、それって……!
あ、ロッタを抱いて、そのまま……こっちに来るよっ!
ダグッ!ほら、めいっぱい吠えてみんなに知らせるんだよっ!なに咳き込んでるのさっ!
え?この頃喉も弱っちゃって?吠えようとするとむせちゃう??
ああっ、もうっ!何やってんだよ!今吠えなくてどうするのさっ!
いいかい、僕もわめくからねっ、あんたもめいっぱい騒ぐんだよっ!
猫はホントは大声を上げるなんてみっともない事、あんまりやらないんだからねっ。
そうそう、やればちゃんと吠えられるじゃないのさ。
あ、ちょっと!何やってるのさ!あいつ窓から出て行っちゃったじゃないか!お尻に咬みつくぐらいしなきゃ駄目だろ!
ロッタ!あいつ、ロッタを連れて行っちゃったよ!
ダグ!ほら、追いかけるんだよ、何ぼけっとしてるんだよっ!
ロッタ!
ロッタ!!
デル·デ·ダイノ·シュタン!
やった、あいつの頭に石ころが当たった。
あ、でもあいつ、たいして痛がりもしないで、そのまま行っちゃう!
もっと大きな石が命中すればよかったのに。
ダグ!早く来なよ、こっちだよこっち!おいてっちゃうよ!
あいつ、ロッタを一体どうするつもりなんだろ。
どこかへ持って行って、そこでロッタを食べちゃうつもりなのかな。
そりゃあロッタはよく太ったネズミみたいにころころしてるから、食べたらそれなりにおいしいかもしれないけど、でもロッタは奥さんの大事な赤ん坊だから、食べちゃ駄目なのに!
でもあいつは奥さんの家族じゃないから、そんな事関係ないんだろうな。
駄目だよ!ロッタを食べないでよ!ロッタだって一緒に遊ぶと、面白いんだからっ!
あいつ、どこまで行くんだろう?
これじゃあ、森の僕の家じゃなくて――森のはずれの、丘の方に行っちゃうよ?
この前の満月の夜、ウッデルさんが月に向かって狼男が吠えてるのを見たとか言う、あの丘の方にさぁ。
ウッデルさんが見たの、やっぱりあいつだったんだ。
あいつ、丘の上でロッタを……ああ、遅いなあ、ダグってば。
ぜいぜい言いながら僕の後を追っかけてるんだから。
僕だけじゃあ、あいつを止められないのに。
やっぱり身体の大きなダグに体当たりでもしてもらわないと。
あ。家に明かりが点いた。誰かが追っかけて来るよ。
よかったあ。僕たちの騒ぎでみんな目を覚ましたんだ。
こっちだよこっち!
この暗がりの中で、人間の目にあいつの姿がわかるかな。
ダグ!ほら、もういちど吠えなよ!みんなに場所を知らせるんだよ!
丘のてっぺんの地面に、何か……何かがいっぱい描いてある?
あいつは……あ、あいつ、丘を登りきったよ。そこで……
あれれ?なんだろ、あれ?
あれってば……大きな魔法陣??
わあ、あいつ、いつの間にあんなの……でもやっぱり呪文が間違いだらけだけど。
あいつ、魔法陣の真ん中に立って、ロッタを足元に置いて――呪文を唱えだしてら。
一体何を……
ダグ!ほら、こんなインチキ野郎の描いた魔法陣なんて無視してさ、あいつに喰いついてロッタを連れ戻してよ。ソッズの分まで思いっきり咬みついてやりなよ。
人間も早く来ないかな。わあ、来た来た。あれってば……鉄砲持ってる?
そりゃいいや。それで一発ぶっぱなしたら、あいつもたまげるよな。
あいつは魔法陣の中で
『おお、大地の精霊よ、野性の力の源よ。我が生贄を元に、今こそその力を我に……』
何だかまたわけのわからないでたらめな呪文唱えてるよ。
やい、ロッタを返せよっ!ああ、駄目だ、やっぱりこの僕じゃあ、あいつを突き飛ばせないや。ちょっとよろめくくらいで。
えーい今度は……あ、やったあ。今度は飛び上がったぞ。顔を引っ搔いてやったもんな。思いっ切りさ。あれはそうとうに効くと思うんだけど。
わあ、でもあいつ、顔を血だらけにしながら、こっちに来るよ。
ダグッ!今度はあんたが後ろから咬みついてやりなよっ!早くっ!
わあ、あいつ、凄い顔してこっちに……あ、あれ?あれれれ?
あいつの顔……何か変だな??あいつの顔に、何だかどんどん黒い毛が生えてきて……
う、うわあぁ?!
な、何だよあいつ?!
あいつの顔、見る間に毛むくじゃらになっちゃって、耳まで大きく伸びだして……
ほ、ほ、ほんとの狼男だっっっ!?
やったあ、魔法が成功……じゃないよっ!
冗談じゃないよ!
ダグッ!こいつホントの狼男だよっ!
こんな奴、早く何とかしてよっ!昔は羊をさらった狼をやっつけてたんだろっっ?!
どうやってでもいいから――
エレル・ワァイ・ファイ・ハイ・イ!!
わあ、やったあ!火の玉が、まともにあいつの顔に当たった!
あいつ、たまらず転んだ!わっ、うおーって、吠えたよ、あいつ。
あのインチキ魔法をとなえながら吠えてたのとはまたえらいちがいの、物凄い声。
うっわーっ、あれじゃあもう本物の狼とかわらないよ。わあ、凄い声。ダグ、あいつ僕たちまで……
もうっ、そんな驚いたまんまでつっ立ってる場合じゃないだろっ!突撃!あいつに喰いつくんだよっ!
そら行けっっっ!
僕がダグの背中に飛び乗って、思いっきり首根っこに咬みついたら、さすがにダグは大きな悲鳴あげて、あいつに向かって飛びかかった。
あいつはすでにおっそろしい狼男になりはてていたけど、ダグに飛びつかれて、地面に尻餅をついた。
で、そのままあいつとダグはしばらく地面に転がり回ってたけど――
『うちの子に何しやがる!』
そこにやっと人間たちが追いついて来て言った。
『おい、見ろよ、何だ?あいつ……?!』
『え?うわっ……!』
『お、狼に……?』
人間たちは、ダグに喉元をがっぷりと喰いつかれ、もがきながら吠えわめいているあいつの姿にたまげて、
『ダグ!そいつから離れろ!……う、撃て、撃てっ!』
みんなそろって鉄砲を撃った。一発、二発、三発……
その大きなおっそろしい音に、僕は自分が撃たれてるみたいに縮み上がった。
いくら狼男だって、鉄砲で撃たれて平気なわけない。あいつは何発も撃たれて――そしてついには動かなくなった。
『も、もういいぞ。いくらなんでも、これだけ喰らったら……』
まるで大きなボロ布みたいになっちゃったあいつを見て、誰かが言った。
『あの話が本当だったなんてな』
僕もびっくりだったなあ。あいつってばただのイカサマ魔法使いだと思ってたから。
でもやっぱり、あいつはそんなにたいした魔法を使える奴じゃなかったと思うけど。
狼男になれる魔法を身につける事が出来たのは、ただのまぐれだったのかも。
あ、そうそう、そんな事より、ロッタは……ああ、いたいた。あはは、魔法陣の真ん中で、寝ぼけ眼で座ってら。どこも怪我は……ないみたいだな。あー、よかった。
『よくやったぞ、ダグ』
その僕たちのそばで、また誰かが言った。
ああっ、ちがうよぉ。
あいつを見つけて、魔法で攻撃して、ダグをけしかけたのは、この僕なんだからね。
ホントに人間ってば、肝心なところを見ててくれないんだから。
でも、まあ仕方ないか。人間ってば、僕たちほどには出来のいい動物じゃないから。
『あれ、お前もいたのか、マノ』
ロッタの隣にいる僕を見て、誰か……奥さんのご亭主、は言った。
あーあ、随分な言葉だなあ。“お前も”だって。ヤになっちゃう。
僕のほうがダグよりもずーっと活躍したんだからね。
ダグ以上に褒めてもらいたいもんだよな。
さ、帰ろうよ、ロッタ。
ああっ、また尻尾をひっぱるんだから。やめてよね。僕は君の命の大恩人なんだぜ。
ついさっきまでとんでもない出来事に巻き込まれてたってのに、君はまるでわかってないんだから。まだまだ、君は僕がしっかりお守りをしてあげなくちゃね。
僕がお守りをしているかぎり、君は安全だよ。
なんたって、元一流魔法使いのこの僕がそばについてるんだから。
やっぱり子守は大変だよな。
時には狼男からも守ってあげなくちゃいけないんだから。




