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5話 リリーと侍女、朝の支度とお約束


 翌日のこと。開かれた窓から見える山々を遠目に眺める。視線を落とせば、朝露に濡れた木々の葉が陽の光を反射しているのだろう。清々しい朝を演出する。


 鏡台の前に腰かけ、朝の支度をナタリーに任せていた。彼女は私の髪を手に取りながら、鼻歌混じりに口を開く。


「リリー様、昨日も素敵でした」

「もう、ナタリーったら……」


 彼女は私に対して大袈裟なところがあると感じる。こうして、軽口を言い合える仲というのは嬉しいのだけれど――。

 ナタリーは優しく髪を梳く。その感覚が気持ちよくて、目を閉じた。――辺境の地に居着いてから、髪の支度だけは他の侍女に譲らなかったのだ。私としても、そちらの方が有難い。


 はたと髪を梳く手が止まり、私は瞼を上げる。すると、鏡に映るナタリーは準備を終え、髪を結わえるために気合を入れている。


「今日も張り切っていきますよ!」

「髪はいつも通りにお願いね」

「リリー様! 私は俗にいう、気合に満ちた支度が好きなんです~。もっとこう、凝ったものにしてみませんか?」

「ほら、訓練場に行くには、ちょっと支度が大変じゃない?」


 そう、私には朝の日課がある。訓練場で剣を振るうのだ。そのために、長い髪は不向き。

 ナタリーであれば、訓練後も崩れない髪の結い方を熟知している。それが、彼女が他の侍女に譲らない理由でもあり、私も彼女以外にお願いする理由がない。


 すると、私の言葉に唖然としたナタリー。しばらく時間を要し、その次には弾かれたように驚きの声を上げた。


「え……。辺境伯がご帰還されたのに、朝の稽古に行かれるのですか!?」

「剣を握った方が……お、落ち着くのよ」


 ナタリーの指摘に、思わず口ごもる。じっとりとした視線が鏡越しに向けられ、せめてもの弁解の言葉を口にした。


「夜会まで、時間がないのは分かっているわ。だから、こそ気合を――」

「気合を入れる方向性が違います!」


 わっ、と声を上げたナタリー。――ごもっとも。


「まぁ、ご要望にはお応えしますけれどっ!」

「ありがとう」

「お任せ下さい!!」


 感謝の言葉を伝えると、彼女はいつも以上に綺麗に結わえてくれた。


 ◇


 そうして、剣を手に軽く汗を流した。体が温まるのを感じながら、一息つく。すると、控えていたナタリーが汗を拭く物を手に駆け寄って来る。

  

「お疲れ様でございました」

「ありがとう、ナタリー」


 彼女から受け取り、汗を拭く。すると、ナタリーは物思いにふけるように口を開いた。


「それにしても――、王都にいた頃には想像もできませんでしたね」

「えぇ、そうよね。こうして、人目も(はばか)らずに剣を握れるだなんて」


 私は手にした稽古剣にそっと視線を落とす。思い浮かぶのは、もしもの人生――。


 もしかしたら、王都で婚約破棄されたまま。行き遅れた令嬢として、好奇の目に晒されながら生涯を送っていたかもしれない。


 万が一のこと、お相手が現れたとしても――。貴族のお役目として、愛のない結婚はもちろんのこと。心情寄り添うこともできない相手と婚姻を結んでいたかもしれない。――まぁ、それを父が許すとは思えないのだけれど。


「ケディック辺境伯へ感謝の気持ちでいっぱいだわ」


 ぽつりと溢した言葉。それはナタリーに聞こえていたようで、彼女は怪訝な表情を浮かべている。


「リリー様」

「何かしら?」

「ずっと思っていたのですが……」


 そこで言葉を切ると、ナタリーは真剣な眼差しを向け、その先を口にした。


「そろそろ、お名前を呼ばれてみては?」

「えっ……、あのっ」

「ご婚約中の仲ですし、それこそ親しみを込めて――。というより、昨日はコルネリア様の前で呼ばれてましたよね?」


 ――ぐうの音も出ない。

 実は勝手にノーマン卿とお呼びしていることは言えない。しかし、口に出すのと、胸の内で言葉にするのとは訳が違う。

 

 ナタリーに詰め寄られていると、そこへ思わぬ助け舟が現れる。


「どなたかと思ったら、リリー様でしたか! このような早朝から稽古とは!」

「マティアス騎士団長――」

「はっはっは! もっと気軽にお呼び下さい」


 豪快な笑い声を響かせたのは、マティアス騎士団長。青年ながら、その肩書きを持つほどの実力者。もちろん、ノーマン卿からの信頼も厚い。


 彼が視察、遠征で不在の場合。マティアス騎士団長がこの地を守る。――王都であればそうはいかない。これは稀有なこと。それ程までに、ノーマン卿の剣の腕と戦場での采配は群を抜いている、ということだろう。


 マティアス騎士団長はゆったりとした足取りで、こちらまでやって来た。彼もまた、朝の稽古に出向いていたのだ。碧眼を細めながら、軽快に話を進める。

 

「私としましても、婚約式を楽しみにおります」

「それは――」

「晴れ姿とやらですからね! ようやくか、と言ったら怒られそうですが」


 マティアス騎士団長は豪快に笑った。彼の言葉に違和感を抱く前に、私の思考は彼らの交友関係で埋め尽くされる。


(ノーマン卿とマティアス騎士団長は旧知の仲……。幼い頃から共に過ごし、剣の腕を研鑽し合ってきたと)


 ノーマン卿が辺境伯という立場にいながら、戦場を駆け抜けることができるのは。こうして、領地である背を守る友がいるから――。


(ちょっと、羨ましい)


 心に浮かび上がった本音。でも、それを口にするのは憚られる。気を取り直してと言わんばかりに、私は会話を再開させようと、何気なくノーマン卿の名を口にした。


「騎士団長、ケディック辺境伯は――」

「え」


 途端、素っ頓狂な声が上がった。マティアス騎士団長は怪訝な表情を浮かべている。その理由が分からず、私は彼に尋ねる。

 

「いかがしました?」

「リリー様。まさか、あいつのことをそう呼ばれて?」

「ええ……」

「もっと気楽に呼んでやって下さいよ。ノーマン、だとか。きっと喜びます」


 マティアス騎士団長の言葉に、ふと思い浮かんだのは――。


(気楽に……。ノーマン様とお呼びして……、親しく呼び合う仲に!?)


 心の内に自問自答している私の様子は、マティアス騎士団長とナタリーの目にどう映ったのだろう。


「ありゃりゃ……」

「ふふっ、リリー様ったら」


 微笑ましいと言わんばかりの二人の反応。それは私の羞恥心を煽るだけ。耐え切れず、熱い頬を誤魔化すかのように視線を逸らした。

 すると、マティアス騎士団長はしみじみとした様子で語り始める。


「それにしても、あいつがねぇ……。頑なに後妻を迎えようとしなかったんですよ。それに、周辺貴族から後妻候補にと名乗りを上げるのは皆、思惑があるんです。役目を果たしてくれれば、それ以上は望まない。こちらも善処する、と抜かしてた奴が――」

「やはり、他にもいらっしゃったのですね」


 思わず溢してしまった私の言葉に、棘を感じたのだろうか。マティアス騎士団長は弾かれたように、慌てた素振りを見せた。


「あぁっ、いえ! リリー様が気分を害されるようなことを――」

「はい?」

「え?」


 私とマティアス騎士団長の疑問に満ちた声音が木霊した。どうやらお互いに、思い違いをしていたようだ。


「いえ、辺境伯のお立場ともなると……。致し方のないことだと、重々承知していますわ。それでも尚、ああして真摯に言葉を下さったのですから。ただ――」


 思い出すのは、帰還のときの光景。それを思うと今でも胸が高鳴る。しかし、マティアス騎士団から聞き及んだ話から想像できることがあった。それは、コルネリア様のこと。


 一度、言葉を切った私をマティアス騎士団長はじっと見つめている。そうして、先を()くように同じ言葉を繰り返す。


「ただ?」

「コルネリア様が寂しい思いをしていなければ、よいなと……」

「……あんた」


 小さく呟くように漏れた言葉。吐息の余韻が、彼もまた、コルネリア様を大事に思っているのだと感じ取れた。

 しかし――、ナタリーは違うことが気に障ったようだ。


「失礼ですが、騎士団長殿?」

「あぁ、失礼……。ごほん!」


 ナタリーの()()に、マティアス騎士団長は大きく咳払いをする。すると、気を取り直してと言わんばかりに自身の胸を豪快に叩いてみせた。


「夜会の警備は、我々にお任せください」

「えぇ、頼みます」

「まぁ、うちの中堅をコテンパンにする実力をお持ちのリリー様ならば、()も安心ですよ!」


 軽快に言ってのけたマティアス騎士団長。彼の背後から、怒気を孕んだ声音でナタリーが声を掛ける。


「騎・士・団・長・殿?」

「失礼……。つい素が……」


 彼女の有無を言わせないような気迫に、マティアス騎士団長はばつが悪そうに頬を掻いた。

 ――意外と、マティアス騎士団長とナタリーは波長が合うのでは?と口が滑りそうになる。しかし、二人から怒られそうなのでやめておこうと、そっと視線を逸らしたのだった。


 そうして、夜会の準備は着々と進み――。いよいよ、その日を迎えようとしていた。



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