30話 女神の意のままに
「お待ちになって!」
厳かだったはずの儀式で、突如として甲高い声が響いた。皆が声の主へと視線を注ぐ。
(ハーヴェイ伯爵令嬢……。今回は静かだと思っていたのだけれど……)
振り返れば、声を上げたのはハーヴェイ伯爵令嬢だったのだと気付く。彼女は皆が長椅子に座っている中、ただひとり立ち上がっていた。それに、ハーヴェイ伯爵令嬢が纏うドレスは厳かな儀式にはほど遠いもので、さらに周囲の注目を集めている。
注がれる視線に満足したのか、ハーヴェイ伯爵令嬢は大きく声を上げる。
「儀式で扱う剣は大会優勝者の栄光を象徴し、神聖なものでなければいけませんわ!」
それは皆が知る慣例だろう。しかし、彼女は大きく首を傾げて、言葉を続けた。
「大会の順位、どこかおかしいと思っていましたわ。あの短期間で巻き返すなんて。まさか――、不正をなさっていたのでは? だとしたら、汚れた儀式となってしまいますわ! それに、お持ちになっている剣はなんて貧相なのかしら!」
ハーヴェイ伯爵令嬢は芝居じみた所作で、次々と言葉を並べる。
「まさか、リリー様。今、お持ちの剣に毒を仕込んでおいて大会に臨まれたのでは……。ここでも、その毒を塗った剣を振りかざして……」
恐れおののいたような語り口調と、か弱くよろけてみせる彼女は演者に向いているのではないかと思う。それと同時に、私の中に沸き上がる感情は、怒りを通り越して「呆れ」だった。
私は小さく溜め息をつくと、目を伏せる。胸元に剣を抱き寄せた。
(私の剣が折れたことをご存知ないのね。それに……、優勝者を告げる場ではなく、儀式の最中を見計らうなんて……。まるで私を悪役に仕立て上げるかのようだわ)
その実、私の折れた剣を目にしたのはノーマン様やコルネリア、身近な人たちだけ。それに加えて、腰に折れた剣を下げていても鞘にしまっていたため、誰も気に留めなかっただろう。
しばしの沈黙。礼拝堂の雰囲気が一気に冷えたものに変わった。すると、慌てて声を上げたのは、なんとハーヴェイ伯爵だった。
「も、申し訳ない! 娘は兄が優勝すると信じて疑わなかったものですから……!」
「お父様もちゃんと抗議して下さいな!」
彼の謝罪に、ハーヴェイ伯爵令嬢は憤慨したように頬を膨らませている。なんと、夜会の時は傲慢な態度を隠しもしなかったハーヴェイ伯爵が立ち上がり、娘の非礼を詫びたのだ。
私は驚いて顔を上げ、呆気に取られる。
(あら、意外な展開だわ)
てっきりハーヴェイ伯爵が娘を焚き付けて、儀式の場をかき乱すよう仕向けたのだと考えていた。だが、その推測は違ったようだ。
私は視線を落として剣を見つめる。装飾に移り込む私の表情は心情に反して――、怒っていた。理由は明白。
(ノーマン様から頂いた剣に疑いを掛けられるのは――、許せない)
どう反論したものか、と考えあぐねていると――。
「ハーヴェイ伯爵令嬢。ひとつ、よろしいか?」
低く落ち着いた声が礼拝堂に反響した。ノーマン様だ。彼は最前列の長椅子に座り、儀式を共にしていた。その隣にはコルネリアが座っている。彼女は中断された儀式と、私にかけられた疑いに困惑しているようだ。
ノーマン様の介入で周囲はより一層、緊張感に包まれる。ノーマン様はゆっくりと立ち上がると、ハーヴェイ伯爵たちを振り返った。
「今、リリーが手にしている剣は、私が彼女のために贈ったものだ」
その言葉が放たれた途端、ざわつく礼拝堂。――やけに「彼女のために」を強調された気がするけれど、触れないでおこう。
ひそひそと、話し声が聞こえて来る。
「辺境伯が贈られたものに、あのような疑いの言葉をかけるとは……」
「重罪もあり得るぞ……」
途端、ハーヴェイ伯爵令嬢の顔色が悪くなる。それを見逃さず、まるで畳み掛けるかのように、ノーマン様は言葉を続けた。
「次に、彼女の愛剣は大鹿の襲来時、フローレンツ子爵令嬢を守り抜き、折れている。……剣を持つ者ならば、剣が折れるという意味を理解できるだろう。それでも、彼女は人命を優先した」
彼の言葉は私を称えるものだった。――ノーマン様の言葉に胸が熱くなる。こうした疑いを掛けられ、ハーヴェイ伯爵との摩擦が大きくなることをいとわず、私を守って下さったのだ。
すると、もうひとり長椅子から立ち上がった。
「僭越ながら、発言をお許し下さい! フローレンツ子爵でございます。リリー様には、娘ソフィアを救って頂いたこと。感謝してもしきれません……!」
彼の言葉を追うようにして、隣にいた夫人とフローレンツ子爵令嬢が立ち上がる。そうして、彼は言葉を続けた。
「このような場で、発言する立場でないのは理解しております。ですが――家族一同、感謝を伝えたい」
彼らは胸に手を当てて、謝意を示す。
その光景を目にしたとき、私は得も言われぬ感情を抱く。
(こんなに感謝……、されたことなんて……)
なかった。何も、なかった。お役目として剣を振るってきた過去。――ただ、幼いあの方だけは私を姉のように慕ってくれたけど、周囲から感謝を示されたことはなかった。事件が起こった時点で、汚点なのだから。
私は驚いて、言葉を失っていた。
すると、ノーマン様はハーヴェイ伯爵たちに冷ややかな視線を向ける。息を吸うと、語気を強めて言い放った。
「私の妻となるひとだ。これ以上、愚弄することは許さない」
「ノーマン様……」
ぽつり、と呟いた私の声は少しだけ震えていた。
彼はそのまま言葉を続ける。
「ハーヴェイ伯爵。これまでケディック領は貴殿らに礼節をもって接してきたが……。それを仇で返すとはいかがなものか」
「そ、れは……!」
「今回は上手く立ち回ったつもりだろうが、ボロが出たな。親子共々、野心に足をすくわれるとは――」
ハーヴェイ伯爵の反論を許さず、ノーマン様は事実を突きつける。
「二度と辺境の地を踏むことは許さん。マティアス、彼らを出口まで案内して差し上げろ」
「かしこまりました」
彼のひと言で、控えていたマティアス騎士団長が騎士たちに指示を出す。瞬く間に、ハーヴェイ伯爵たちを取り囲む。そうして、礼拝堂の外へ連れ出した。
ハーヴェイ伯爵たちの背を見送った後、ふと思い至ること。
(本来であれば、ノーマン様のひと言で彼らを処罰できたはず。でも、それをしないのは……泳がせるおつもりなのね)
垣間見えたノーマン様の策に感心しながら、収束した騒動に胸を撫で下ろす。
すると、聞こえてきた会話があった。
「ちょっと、スッキリしました」
「こら、コルネリア。……分からんでもないが」
「だって、私のお母さまはリリー様だけなんですもの。辺境伯の妻、という立場だけ欲しい人はご遠慮願いたいの」
「ふっ……珍しく正直だな」
そんな親子の会話に、私は自分がとても愛されていると自覚する。緩む口元を必死に正しながら、女神像へ向き直る。
そうして、神聖な儀式は再開された――。
* * *
つつがなく儀式を終えた後、祝宴が開かれる前の僅かな時間。
儀式の衣装から着替えた私たちは、控室にいた。マティアス騎士団長とハンスも同席、祝宴に備えている。
ノーマン様はソファーに腰かけ、大きな溜め息をついた。そうして、語るのは儀式でのこと。
「ハーヴェイ伯爵。むしろ、あそこで問題を起こしてくれて助かったと言ってしまったら、俺は酷い男だな。君が傷つくことを容認したことになる……」
「いいえ。私、それほど脆弱ではございませんもの」
私はきっぱりと否定する。
今回の狩猟大会で狙われたのはコルネリアだ。今後も彼女に危険が及ぶことを危惧すれば、ハーヴェイ伯爵と交流を絶つと宣言したことは最善とも呼べる対処だった。
それを目配せをしてノーマン様に伝える。どうやら、ノーマン様も同じ考えだったようで、彼は力強く頷いた。
すると、ハンスは仕切り直すかのように声を上げる。
「それではリリー様。これより先は結婚式が控えております。準備期間に入りますと、これまた忙しくなります。今日だけは祝宴をごゆっくりお楽しみください」
「あっ……」
驚きの声を上げた私。ノーマン様がくすりと笑う。私は頬が熱くなるのを誤魔化すために、そっぽを向いた。
すると、マティアス騎士団長は少し呆れたように微笑みながら、軽快に口を開く。
「すっかりそれどころじゃなかった、って顔ですね。まぁ、確かにそうなんですけど」
「お父さまとお母さまの結婚式、楽しみにしていますね!」
そして、コルネリアの元気な声が、私とノーマン様を笑顔にしたのだった。




