27話 輝ける栄光
瞬く間に、狩猟大会は幕を閉じようとしていた。大鹿という脅威は去り、参加者や来賓たちは安堵に満ちた表情で閉会を迎える。
ノーマン様は壇上に威厳ある姿で佇んでいた。そうして、大会優勝者は――。
「勝利の栄光は、リリー。君に」
わ、っと歓声が沸き起こる。観覧席にいるコルネリアをはじめとして、フローレンツ子爵令嬢。その両親が率先して拍手を送り、喝采が会場を包んだ。その喝采は大きくなり――。
思いがけない皆の歓声を受けて、私は呆気に取られる。すると、マティアス騎士団長が駆けつけ、壇上へ上がるようにと助言をしてくれた。優勝したという事実もさることながら、認められるとは思わず、戸惑いが胸を満たした。
私は壇上に上がり、ノーマン様のもとへ。彼は優しい笑みを浮かべて、優勝者の証であるチャームと月桂冠を手にしていた。
ノーマン様は沸き起こった歓声を受けて、満足げに語る。
「皆、君に羨望の眼差しを送っているな。リリーに、栄光と栄誉を」
「ありがたく頂戴いたしますわ」
私が身に纏っているのはドレスではないけれど、彼への敬意を込めて優雅にカーテシーを披露した。そうして、私の頭上を彩るのは宝飾品で作られた月桂冠。チャームを飾るべき剣は――、折れている。
それを目にしたノーマン様は一瞬、痛々しい表情を浮かべた。だが、すぐさま声高らかに宣言する。
「大鹿の襲来という予期せぬ事態。だが、彼女は果敢に駆けつけ、来賓を守り抜いた。この行いは称賛に値する!」
彼の言葉と共に、フローレンツ子爵夫妻が立ち上がり、深々と頭を下げたのだ。再び沸き上がる拍手。
私は歓声を一身に受けながら、思い至ることがひとつ。
(コルネリアとフローレンツ子爵令嬢が襲われたことは内密ね)
彼女たちの身の安全のためにも得策だろう、と人知れず頷いた。歓声の中、ハーヴェイ伯爵とご令嬢に視線を向けた。
(ハーヴェイ伯爵が一枚噛んでいると思ったけれど、反応が薄いわ……)
彼らが暗躍していたのは確実だろう。ノーマン様の言葉に少しでも反応するかと思ったが、流石にそのようなボロの出し方はしない。――夜会のときとは違い、貴族としての矜持は持ち合わせているようだ。
そんな思考に浸っていた私を現実に引き戻したのは、ノーマン様が私の手を取ったとき。予期せぬ行動に目をぱちくりさせていると――、ノーマン様は手の甲にキスを落とした。私は驚いて目を見開く。
「なっ……!?」
「はは、これくらいは許してもらおう」
軽快な笑い声と共に、周囲の歓声は最高潮を迎えた。ご令嬢たちの黄色い悲鳴のようなものが聞こえたような――。気にしてはいけない、と大きく首を横に振った。そうでもしなければ、恥ずかしさに目眩を覚えてしまいそうだ。
ノーマン様は私の反応に笑みをこぼすと、一変。場の空気を変えるかのように、大きく声を上げた。
「さて。一日早い狩猟大会の幕引きとなってしまったが、皆には十分な休息をとってもらいたい。そして、自然の恵みを得た。よって、祝宴を早めようと思う」
祝宴、その言葉にさらに歓声が会場を包み込む。討ち取った大鹿は自然の恵みとして形を変えて、皆に振る舞われるそうだ。
興奮冷めやらぬ中、ノーマン様はそっと私に耳打ちをする。
「リリーはこちらへ」
「はいっ……!?」
返事をした声は上擦っていた。
(これからお叱りを受けるのね……。覚悟はしていたもの……!)
ぐっと、手を胸元で握り締めて、ノーマン様の後に続いた。
◇
ノーマン様に連れられ、主催陣営の天幕へ足を運んだ。撤収作業の喧騒の中、彼は落ち着いた様子で椅子に腰を下ろす。私にも座るよう合図をすると、そっと口を開いた。
「随分と心配した」
「申し訳……ございません」
私は佇んだまま、答えた声は掠れていた。ノーマン様の哀しそうな表情に胸が締め付けられる。きつく唇を結び、俯いた。
すると、そっと手を引かれる。彼の隣に座るように促されているようだ。私はおずおずと彼の隣に腰を下ろした。
ノーマン様は体をこちらに向けて、静かに語り始める。
「君は、コルネリアとフローレンツ子爵令嬢を守り抜いたんだ。本来であれば狩猟大会という枠組みを超えて、皆から称賛されるべき人だ」
告げられた言葉に、私は目を見開く。彼は言葉を続けた。
「公にできないこと、申し訳なく思う」
そう口にしたノーマン様は頭を下げたのだ。私はぎょっとして、慌てて彼の肩に手を触れた。どうにか顔を上げてもらおうと、あたふたしてしまう。――辺境伯ともあろう人にそこまで言われ、想われて。私は胸がいっぱいになる。
私は首を横に振りながら、わっと声を上げた。
「それは……、違います!」
「私が、不甲斐なく思うんだ。許してくれ」
「ノーマン様……」
彼の誠実さをこうして目にする度、心から惹かれていく。じんわりとした胸の温かさを感じていると、ノーマン様は顔を上げて、じっと私を見つめた。アメジストのような瞳が、少しだけ不安で揺れたように思えた。
ノーマン様は少しだけ、ばつが悪そうに言葉を続ける。
「王都で君の身に起きたことを知っている。王女護衛の件……、婚約破棄の件も含めて。だから、リリー。この地では君が君らしくいられるように、最善を尽くしたい」
「どうして、そこまで……」
「まぁ、好いていた女性とようやく思いを通わせたんだ。まぁ、その……言うのは恥ずかしいな。……ごほん!」
気恥ずかしさを誤魔化すように大きく咳払いをしたノーマン様。そんな彼の言葉は、珍しく直情的で。――ぼっ、と私の顔から火が出そうだ。思わず両手で頬を覆った。
(な、なんてこと……!)
ノーマン様は王都にいた頃の私を知っていたのだ。それも「好いていた」と語った。ただ、武勲を上げた貴族の家門だから――という合理的な理由で、婚約破棄を受けた「行き遅れた令嬢」の私を選んだのではなかったのだ。
思わず知った事実に理解が追い付かず、私が言葉を失っていると、ノーマン様はくすりと笑みを漏らした。
「さて、お喋りはこの辺りで。左手首を捻っているだろう?」
突然の彼の言葉。ぴくり、と私は肩を震わせて、頬を覆っていた手をそっと下ろす。ノーマン様をじっと見つめながら、眉を下げた。
「…………どうして、お分かりに?」
私の言葉に、彼は大きく鼻を鳴らす。すると、椅子の向こう側に置かれていた木箱を持ち出し、包帯と塗り薬を取り出す。
「これでも武人の端くれだ。僅かな動きでも、多少なりとも分かる」
「端くれ……、ではないと思いますが……」
「冗談」
私の指摘に、今度はノーマン様が肩をすくませた。そっと私の左手を取り薬を塗って、丁寧に包帯を巻いていく。――しばらくの間、互いに言葉を発しなかった。
包帯を巻き終えると、ノーマン様は顔を上げて目配せをする。私はきょとんとした表情で、首を傾げるだけ。すると、彼はまたもや箱を取り出す。その箱はとても綺麗な装飾が施されていた。
ノーマン様は少しだけ嬉しそうに口を開く。
「包帯が気になるだろうから、これを」
「レースの手袋……」
差し出されたのはレースの手袋。私の物ではない。それに――、デザインが特殊だ。私の手に残る肉刺や擦り傷をまるで勲章のように彩るようなデザイン。それでいて、手首に続くレースは綿密で繊細な模様をしていた。
私はパチパチと瞬きを繰り返す。
(これはもしや、特注品……!?)
そう思い至り、勢いよく顔を上げると、ノーマン様は気恥ずかしそうに頬をかいた。視線を泳がせながらも、そっと口を開く。
「その……。本来なら、祝いの席で渡そうかと思っていたのだが……。出番が早まっただけだ」
「……ありがとうございます!」
告げたお礼の言葉に、彼は目尻を下げて小さく頷いた。
「リリー、手を」
そう促されて、言われるがままに差し出した手。
ノーマン様の大きな手が、何かを確かめるかのように私の手を取る。ゆっくりとレースの手袋が私の手を包み込んだ。
(とても、ドキドキする……)
手首の包帯のことをすっかり忘れるほどに、私の視線は彼によって着けられた手袋に釘付けだ。あっという間に、もう片方の手もレースの手袋に彩られる。
ノーマン様は満足したように笑みを溢すと、咳払いをひとつ。緩んだ頬を引き締めて、真剣な眼差しを向けた。
「これからは私にも相談して欲しい。……お願いだ」
それは彼の心情を表すには十分で。声音に乗せられた感情は私の心を揺さぶった。
(初めて、聞きましたわ……。ノーマン様からの……お願い)
ノーマン様の隣に立つ、と決意してからというもの。私の存在価値を周辺貴族へ示そうとした行動が、結果として彼を悲しませることになるなんて――。私は自責の念に苛まれる。
じっと、見つめ合う中。私はようやく答えを口にした。
「分かりました」
「そうか、良かった」
ノーマン様の安堵したような声音に、つられて私も眉を下げる。
そうして、彼はそっと手を離すと、おもむろに立ち上がった。二人して左右を見渡すと、撤収作業はそろそろ終わりを迎えるようだ。
「さて、リリー。これから、もう少し忙しい」
「えぇ、参りましょう」
彼の呼びかけに、私は力強く頷いたのだった。
(おまけ)
リリーとノーマンが仲睦まじく、蜜月な雰囲気を醸し出している最中。天幕をこっそり覗く、ふたつの影。
「リリー様の手当……! くっ、お二人を応援したい! でも、私の特権が……!」
「あの、ナタリー殿。今は邪魔しないほうが……。あっ、救急箱が当たって痛いっ!」
「マティアス様はお黙りになって下さい!」
「はい……。……辛辣ぅ」
ノーマンは困った様子でそっと呟く。
「外が……、賑やかだな」
「えぇ、まぁ……」
リリーは頷く他なかった。
(聞こえています! 二人とも……!)
という、おまけを考えるのも楽しいものです。
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