24話 危機は転機
そうして、狩猟大会は二日目に差し掛かり――。中間発表がなされ、私たちのチーム順位は上々。周囲には各々の順位を確認する参加者で埋め尽くされていた。
私は掲示された中間発表を眺めながら呟く。
「順調ね」
確信に満ちた眼差しをアルフレッドと交わし、互いに力強く頷いた。
しかし、そこでふと疑念が浮かぶ。上位にいるのはハーヴェイ伯爵のご子息が率いるチーム。確か、彼らは騎士や狩人を何人も連れた大所帯だったはず。それは権力を誇示したような出で立ちでもあった。
私は顎に手をあてて、考え込む。
(少数精鋭で動き、迅速に移動。なるべく広範囲を探索できるよう、策を打ってはみたものの……)
それは私たちチームの戦略。私はそっと口を開く。
「大所帯で移動すれば、人が出す音は大きくなる。その分、野生動物に気付かれやすいと思ったのだけれど……」
「左様にございます」
「アルフレッドも、そう思うわよね?」
小声で交わされる会話。どうやら、アルフレッドも同じ考えだったようだ。
私は小さく頷き、言葉を続ける。
「それに――、狩猟対象があの区画に集まり過ぎていた……ような気がするの」
優勝するには、大きな体躯を持つ狩猟対象を討つ。もしくは、どのチームよりも討伐数を稼ぎ、どれだけ駆除に貢献したのか。この二点が考慮される。それらを踏まえると、広大な狩猟区画の中でも、狩猟対象が多く存在するであろう区画を探索した方が手っ取り早い。
しかし、それは参加者に知らされない情報のはず。
(別の区画にいた狩猟対象を、この区画へ連れて来るのは――不可能ね。マティアス騎士団長たちが目を光らせているもの)
違和感に答えを見いだせないまま。二日目の狩猟開始を告げる角笛が音を奏でた。
私は腰に手を当てて、短い溜め息をつく。
「ふぅ……。今は考えても仕方がないわ。大会に集中しましょう」
「かしこまりました」
アルフレッドはそう告げると、出立の用意を始めた。
◇
しかし、事態は早々に転機を迎える。マティアス騎士団長率いる陣営から、参加者にもたらされた情報。
私は歩きながら、ぽつりと呟いた。
「この区画にいるはずのない野生動物……。それに、ほら……。この子は辺境よりも向こうの渓谷に生息する鳥よ? いくら何でも生息域が違いすぎるわ」
そう言って、私は馬の背中で羽を休めている鳥を指さした。
アルフレッドは考える仕草をした後、口を開く。
「何らかの要因で、移動してきたのかもしれませんな。天敵となるようなものがいれば、自ずと逃れてきますから」
「えぇ……」
アルフレッドは馬の手綱を持ち、一歩後ろを歩く。彼は知らされた情報から、予測できることを述べた。私はそれに力なく答えるだけ。さらに後ろに控える騎士を振り返れば、彼も同意だと言うように、首を縦に振った。
(それに何かしら、この香り……)
ふと、鼻を掠めた香りがあった。近くに実がなる木でもあるのか、と周囲を見回す。しかし、見当たるものは何もなく。私はただ首を傾げるだけだった。
◇
ゆったりとした足取りで森の中を進む。もうすぐ、茂みを抜けようとしたとき――。茂みの向こうに不自然な人影が目に入った。咄嗟に足を止め、アルフレッドに目配せする。
アルフレッドはすぐさま、私の意図に気付いたようだ。私が足を止めるのと同時、後ろの騎士に止まるよう合図を送ったのだ。
彼はそっと小さな声で、私を呼ぶ。
「お嬢様」
「えぇ」
小さな声で囁く。私はアルフレッドが言いたいことを理解していた。
目の前の人影は二人。そのどちらも、見覚えがある。
(あれは……。ハーヴェイ伯爵のご子息――と、尻もち子爵)
先日、出会った子爵を心の中でそう呼んだ。――我ながら、いい名前だ。そちらの方が覚えやすいもの。
気を取り直して、目の前の光景を観察する。
互いに同じ狩猟区画を探索していれば、偶然出会っても何らおかしなことではない。しかし、目の前の光景は一目瞭然に不自然だ。二人とも、護衛を連れていない。野生動物に襲われる危険性がある状況下では有り得ないことだ。
――密会。そう結論付けるのは早かった。
(そうよね。裏で繋がっていても不思議ではないわ)
夜会での出来事から、簡単に想像できたことだった。夜会でハーヴェイ伯爵令嬢がノーマン様に執拗に近づいた、あの場面を思い出す。
ハーヴェイ伯爵令嬢はノーマン様を。尻もち子爵は私を懐柔すれば、私たちの中を引き裂けると考えたのだろう。
(ハーヴェイ伯爵……。彼らは尻もち子爵と手を組み、私たちを出し抜こうとしているのね)
隠された悪意に、きつく唇を結ぶ。
彼らは親しげ、という訳でもなく。どちらかと言えば、険悪な雰囲気の中で会話をしている様子だ。
(駄目だわ……。遠すぎて会話の内容が聞こえない。密会は一体、何のために?)
茂みから踏み出すこともできず、耳をそばだてても聞こえるのは風に擦れる木々の音。
すると、とてつもなく小さな声を発したのはアルフレッドだった。
「お嬢様。一旦、離れましょう」
「えぇ」
些細な収穫としては十分だろう。私は短く返事をして、その場を後にした。
* * *
ハーヴェイ伯爵のご子息と子爵の密会を目撃し、その場を去った後。
私たちは急ぎ、マティアス騎士団長の陣営へ向かった。狩猟区画の異常と彼らの癒着を報告しなければ――。ノーマン様に直接伝えたいところだが、大会中は会うことができない。不正を疑われるからだ。
私は経緯を報告し、マティアス騎士団長に伝達を頼む。すると、報告を終えた途端。マティアス騎士団長は真剣な表情から一変、いつもの好青年の顔つきになる。私がどうしたのかと、首を傾げていると――。
マティアス騎士団長は頬をかきながら、ぽつりと言葉を溢す。
「あの……俺、板挟みなんですけど……」
「板挟み?」
どういうことなのか理解できず、同じ言葉を繰り返してしまった。すると、マティアス騎士団長は怒りを抑えたように戦慄きながら、口を開く。
「あのですね……。ノーマンからも、リリー様が今どこで何をしているのかを聞かれていまして……」
「あら」
「リリー様が心配なら、ノーマンもそう言えばいいのに。ことあるごとに聞かれる俺の身にもなって下さいよ!」
最後の言葉は、わっと声を上げていた。続けて、彼は辟易とした表情で語る。
「そんでもって、リリー様!」
「……はい」
「後で、たっぷりノーマンに怒られて下さいよ!」
「うぅ……、分かりました」
マティアス騎士団長のお叱りに、私は言い返す言葉もなく項垂れる。――でも、ノーマン様が私のことを心配してくれていると知って、少しだけ嬉しく感じてしまった。
私がひとり、胸にじんわりとした温かさを感じていると――。マティアス騎士団長は顔を青くし始めた。
「俺は逃げます……! リリー様の狩猟大会参加を黙っていた、侍女殿も共犯ですからね!」
「あっ!」
裏庭で交わした会話の立場が逆転したような光景だ。
(うぅ……。アルフレッドったら、巻き込まれないように気配を消しているわね)
後ろを少し振り返り、じとっとした視線を送る。私の背後に佇むアルフレッドは、引退したはずの隠密とは思えないほど。完璧なまでに気配を消していた。――彼も共犯なのだけれど。
私は気を取り直すために「ごほん!」と大きく咳払いをした。そうして、尋ねるのはもうひとつの気掛かりのこと。
「コルネリアはどうしていますか?」
「あぁ、フローレンツ子爵令嬢と仲良くしていますよ。皆、微笑ましく見守っています」
「よかった、一安心ね」
彼の報告を受け、私はほっと胸を撫で下ろした。
すると――、天幕を駆け抜ける大きな声。
「マティアス騎士団長! ご報告いたします……!」
「どうした?」
慌てた様子の騎士に、マティアス騎士団長は厳しい表情で尋ねる。突然の緊迫感。私も、アルフレッドも表情を険しいものに変えた。
「狩猟区画に、大鹿が目撃されました!」
騎士から告げられた言葉に、マティアス騎士団長はすぐさま声を張り上げる。
「ノーマン様に報告! すぐに本部と連携を取れ」
「はっ!」
天幕にいた騎士全員が声高らかに返事をしたその次には、彼の指示通りに動きをみせた。途端、慌ただしくなる陣営。
――それほどまでに、大鹿という存在は脅威なのだろうか。私は不安を押し殺し、口を開く。
「マティアス騎士団長、これは一体……」
「恐らく、狩猟大会は切り上げることになるでしょう。……それほどまでに、辺境の大鹿は凶暴です。大人を優に超える巨体は毛皮で覆われ、その下は固い皮膚で守らています。なので、剣で切りつけても効果が薄い。矢も大きな角で阻まれる」
彼は顔に影を落としながら語る。
「そもそも、近付こうとすれば、一頭だけでも数名の騎士が負傷します。それがもし、群れからはぐれた個体であれば……」
「群れ……」
「ええ。近くに群れがいれば、状況は最悪です」
私が尋ねようとした言葉を察したマティアス騎士団長は、口早にそう語った。――狩猟大会の中止。それは大鹿の脅威を物語るに十分だ。観覧客を守りながら、応戦するのは不可能に近いことなのだろう。
マティアス騎士団長は鋭い目付きで、同意を求めるかのように頷く。
「リリー様も戻るご用意を」
「分かりました」
私に残された答えは承諾だけだった。
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