20話 告げる想い
雪洞の先から姿を現したのは待ち望んだ姿。そっと呟いた声は掠れていた。
「……ノーマン様」
「リリー……? 何故、君がここに……!?」
ノーマン様は驚愕に満ちた声と表情をさらけ出し、それとは逆に、私は驚きよりも安堵感で胸がいっぱいになった。涙でにじむ視界を誤魔化して、唇をきつく結ぶ。
(よかった……。ご無事だった……本当によかった……!)
私は護身用の短刀をしまい込むと、ノーマン様に駆け寄った。そうして、問いかけに答える。
「ガルドがここまで導いてくれました」
「そうか……あいつが……。無事でよかった……。馬は皆、流されたとばかり……」
「もうすぐ、捜索隊が追いつくでしょう」
私がそう告げると、ノーマン様は安堵を噛み締めるように、額に手を当てた。しかし、今度は弾かれたように声を荒げ始める。
「だが、君はっ……! どうして、ここまで来た!? それに剣も持たず……あまりに無鉄砲だ! マティアスは何をして……!」
「お叱りは後で受けます。早く、ここを脱して――」
私は言葉を遮った。ノーマン様の言うことはもっともだけれど、優先すべきは帰還。しかし、彼は首を横に振る。荒げた感情を落ち着かせるように、目を伏せて長く息を吐き出す。そうして、理由を語った。
「孤立し、負傷した者を捨て置いて帰還できない。彼らにも――、待つ家族がいる」
それは予測していた答え。一見すれば、ノーマン様は傷ひとつ負っていない。彼は負傷した騎士の手当や、皆で生きて帰るために最善を尽くしていたのだろう。
しかし、私の中に湧いた感情は――、怒りだった。私は諭すように語り掛ける。
「ええ、ここにもいます。コルネリアも、私も」
その言葉に、ノーマン様は弾かれたように視線を上げる。
私は視線を交えて、悪戯に笑ってみせた。
「これで、おあいこですわね」
「……それは」
もの言いたげなノーマン様は言葉を見つけられなかったようだ。肩を落として、項垂れている。
――かわいそうなことをしてしまった気持ちになったけれど、ここで私が折れる訳にはいかない。ノーマン様も大切な家族のひとりなのだと、理解してもらわなければ。
私がそう意気込んでいると、突然、雪洞内に響く声。さらに複数の足音。それは捜索隊のものだとすぐに理解した。
「リリー様! お待たせいたしました!」
「あなたたち! よく来てくれました」
「はっ! ……ノーマン様! よくぞ、ご無事で……!」
こうして、捜索隊と無事に合流。捜索隊はガルドを目印として、この雪洞を発見したと語る。
負傷した騎士の救護、中間地点部隊とも連携し、帰還の準備が整った。――ノーマン様は最後まで、彼らを気に掛けていた。こうした彼の思慮深さが、私の胸を打つ。
私はそっと、ノーマン様に声を掛ける。
「さぁ、帰りましょう。コルネリアが待っています。もちろん、屋敷の皆さんも」
「――あぁ」
相槌を打った彼の声音は、ようやく安堵に満ちていた。彼は隣に佇むガルドを労うように撫でている。
私が足を進めようとした矢先。ノーマン様は、はたと何かに気付いたようで、私を呼び止める。
「ところで、君の馬は……?」
「はっ……!?」
驚きのあまり、素っ頓狂な声を上げてしまった。――そう、私はガルドに乗せてもらってここまで来たのだ。他の馬も、負傷した騎士を運ぶために出払っている。
ノーマン様はふっと、目元を綻ばせるとガルドの手綱を握った。
「一緒に、ガルドに乗せてもらおうか」
「ひゅっ――」
彼はそう言い終えると、私を抱き上げた。突然の浮遊感。私は恥ずかしさのあまり、言葉にならない悲鳴をあげることしかできなかった。それからガルドの背に乗せられて、私は瞬きを繰り返す。
すると、ノーマン様もガルドの背に同乗する。要は、横座りの姿勢の私と手綱を握るノーマン様。互いに密着しているような状況。
(ちょ、ちょっとお待ちになって――!)
制止の声を上げるよりも前に、動き出す景色。ガルドは颯爽と駆け出したのだった。
◇
「ノーマン・ケディック辺境伯、ご帰還であるっ!」
涙声で声高らかに宣言する騎士。彼もまた、ノーマン様の帰りを待ち望んでいたひとりなのだろう。
しかし、皆の目の前に、こんな私の姿を晒すことになるなんて。恥ずかしさで顔を上げられない。その証拠に、ノーマン様の帰還を喜ぶ声と、私たちが仲睦まじく帰還する姿を見て感嘆する声が入り混じっている。
不意にガルドが足を止めた。ノーマン様の息を呑む音が聞こえて、私ははっと顔を上げる。視線の先にいたのはコルネリア。誰よりも、ノーマン様の帰還を待ち望んでいたのは彼女だ。
私たちは下馬すると、コルネリアを出迎えた。彼女は一目散に駆け寄って、大きく声を上げる。
「お父さま……!」
「コルネリア……。慌てては――」
「うっ、ぐずっ……」
泣きじゃくるコルネリア。ノーマン様には見せてこなかった姿なのだろう。ノーマン様はどう受け止めてやればいいのか、戸惑っている様子だった。
私はそっと助け舟を出す。
「抱き締めてあげて下さい」
「あ、あぁ……」
ノーマン様はぎこちなく頷き、コルネリアを抱き上げる。すると、コルネリアはノーマン様にぎゅっ、と抱き着いた。まるでノーマン様がそこにいるのを確かめるかのように。
コルネリアはひとしきり泣いた後、ぱっと顔を上げて私を見やった。
「お母さま……! 約束を守ってくれて、ありがとう」
「えぇ、もちろん」
私は微笑みながら、コルネリアの頬を伝った涙の跡を拭ってやる。彼女のひと言で、どれだけ不安だったのか推し量れるというもの。
ノーマン様とコルネリアを見上げて、視線を交える。決意の眼差しと共に、口を開く。
「ノーマン様。お伝えしたいことがあります。あの日、お返事出来なかったこと。それを今ここで口にするのは、ずるいこと……かもしれません」
「あの日……」
「私に白百合の花束を下さった日です」
そう告げると、ノーマン様はすぐに思い至ったのだろう。気恥ずかしそうに眉を下げて、ほんのり耳を赤くした。だが、すぐに真剣な眼差しを送ってくれた。
一呼吸。彼と交えた視線を逸らさずに、ずっと胸に秘めていた思いを口にする。
「私はノーマン様をお慕いしています」
それから、その先の言葉を続ける。
「辺境の地を守り、いくつもの重責を背負い、愛娘をその地に残す不安を隠して……。それでもなお、戦場に立ち続けるあなたの隣に立ちたい」
これは私の本心。
「コルネリアの継母として、ノーマン様の妻として。共にありたいのです」
「それは――」
「私は愛するあなたと、コルネリア。そして、辺境の地に剣を捧げます」
それは誓い。騎士の誓いは特別なもの。――私はとっくに騎士ではないけれど。心にある誇りを忘れていない。
私はそっと、ノーマン様の腕に手を添えて。もう片方の手はコルネリアの背にやった。力強く、彼女とも視線を交える。それは二人の帰るべき場所にも誓ったのだと、示すために。
(ついに、思いの丈をぶつけてしまったわ……!)
言い終えた後から、緊張が襲ってきた。心臓の鼓動が耳まで聞こえてきそう。
私の盛大な告白を受けた二人は、瞬きを忘れたかのように微動だにしない。そうして、ようやく口を開いたのはノーマン様だった。
「リリー。君は、本当に……」
「お母さま……」
感嘆するように呟いた二人。ノーマン様はぐっと唇をきつく結んだかと思うと、再び口を開く。
「私は君を想っている。ひとりの女性として、コルネリアの良き理解者として。だから――」
「守られるだけが、私ではございませんもの。それに言ったでしょう?」
愛されている、大切にされていると真摯に伝わっていた彼の思い。けれど、私もまたノーマン様に寄り添い、お守りしたいと願ったのだ。それを今一度、言葉にする。彼がつくっていた、壁を超えるために。
私の言葉を聞いたノーマン様は肩の力を抜いた。そうして、表情が一気に柔らかくなる。
「そんな君が、とても好ましい。……あの頃からずっと」
「あの頃……と、言いますと?」
いくら記憶を辿っても、彼が語る「あの頃」を思い出すことはできなかった。
(王都へお越しになったとき、お会いしたのかしら……? いいえ、それはないわ。私はただの護衛騎士でしたし、辺境伯であるノーマン様とまみえる機会もなく……。退任後は王城へ赴くこともなかったですもの。王都で彼の英雄譚を耳にすることはあったけれど――)
辺境伯という立場から凱旋も兼ねて、ノーマン様が王都へ赴くことは何もおかしなことではない。しかし、私は思い当たることがなく、ただ首を傾げるだけだった。
すると、コルネリアはくしゃりと顔をゆがませた。
「へっくちん!」
「ふふっ、あらあら」
「うぅ、ごめんなさい……。せっかく、いい雰囲気だったのに……」
大きなくしゃみを謝る彼女。その後の意味深な言葉は、微笑ましくコルネリアを見つめていた私を慌てさせるには十分だった。
私は顔に集まる熱を誤魔化しながら、口早に言葉を並べる。
「そこはっ……き、気にしなくていいのです! お伝えしたいことは言い終えましたからっ!」
「お母さま、お顔が真っ赤です」
コルネリアのにんまりとした表情が、さらに私の羞恥心をあおった。
すると、そんな私と彼女のやり取りを眺めていたノーマン様。どうやら彼は、私とコルネリアの距離が縮まったことを感じ取ったようだ。微笑ましそうに目尻を下げながら、そっと口を開く。
「これは……コルネリアに先を越されてしまったな」
「えっへん!」
コルネリアは誇らしげに頷いてみせた。
(あぁ、また恥ずかしいことに……!)
私は心の内に悲鳴を上げる他なく、ノーマン様から視線を逸らしてしまう。すると、そっと指先に触れた体温。それは彼の指先のもので。――自然と、互いに手を繋ぐ。
ノーマン様は宝物を抱えて、私と手を繋いで。それはまるで家族の繋がりを確かめているかのように思えた。
私は視線を彼へ向けると、ずっと口にしたかった言葉を告げる。
「ノーマン様。お帰りなさいませ」
「あぁ。ただ今、戻った」
顔に刻まれた大きな傷が、くしゃりと歪む。そう告げたノーマン様の表情は、今まで見たこともないほど朗らかだった。
やっと手を握りました(ピュア~)
これにて第二章閉幕です! お読みいただき、ありがとうございました。
次回より、いよいよ狩猟大会編です! お楽しみに!
ご覧頂き、ありがとうございました。
最後にブクマ・評価・感想・レビューなどを頂けましたら今後の励みになります!
そうして、第三章に突入しますので予告していた通り、更新ペースを週2回へと変更させて頂きます。
次回更新は9/6(土曜日)となりますので、何卒よろしくお願いします。




