番外編 継子、お茶会に臨む【前編】コルネリア視点
少しだけ、コルネリア視点のお話です。
わたしは目を覚ます。朝の柔らかな日差しを受けながら起き上がると、そこには誰もいない。
でも、そのすぐ傍には、つい先ほどまで誰かが眠っていたような、シーツの皺と僅かな温もりが残されていた。
「リリー様……?」
ぽつりと溢した言葉は、広い部屋に消えていく。
昨晩、泣き疲れて眠ってしまったわたしを、寝かしつけてくれたのはリリー様だろう。それに、こうして間際まで傍にいてくれた。彼女は領主代行として忙しいはずなのに――。
そう思うと、胸に浮かぶのはじんわりとした温かさだった。
不意に瞬きをすると、瞼がひりつく。わたしは慌てて鏡台へ駆け寄った。
鏡に映る、わたしの顔。瞼は腫れて、目が真っ赤だ。
(こ、こんな顔でリリー様に会えない……!)
すると、コンコン、と気遣うようなノック音が部屋に響く。わたしの起床に気付いた侍女だろう。扉の向こうから声がする。
「コルネリア様、お目覚めですか?」
「え、えぇ……!」
わたしが慌てて返事をすると、早々に朝の支度が始まる。わたしの泣き腫らした顔を目にした侍女たちは一瞬、驚きながらも、腫れを冷やすために手早く処置をしてくれた。
わたしは侍女たちに、リリー様には言わないで欲しいとお願いする。戸惑う眼差しを向ける侍女はおずおずと声を上げた。
「しかし――」
「だって、心配を掛けてしまうから……」
沈痛な空気が部屋に流れる。
(でも、ずっと顔を合わせないようにするのは……難しいわよね)
そう思い至ると、足取り重く、朝食の席へ向かう。
できれば、リリー様と入れ違いになることを祈ったけれど、そうはいかない。
父が出立する前に、家族そろって食事をする約束をした。それを思い出す。それはどれだけ執務に追われていても、リリー様はわたしとの時間を取ってくれる、という約束でもあった。
ひょっこりと、扉の向こう側を覗き込む。すると、そこには既にリリー様がいた。
彼女はわたしを待つ間にも執事長と共に、執務に関する話をしているようだ。それは、一日二日では知り得ないような、会話の内容。
(わたしが知らないだけで、リリー様はお父さまと領地について、たくさんのお話をされていたのね)
思いがけずして知った、父とリリー様のこと。朝の訓練稽古、その後に開かれる朝食の時間。他にも、わたしが知らないだけで、たくさんの会話があったに違いない。それに思いを馳せると、不思議と寂しさが紛れた。
わたしは意を決して、声を上げる。
「リリー様……、その……おはようございます」
「コルネリア様、おはようございます」
ぎこちない、わたしの挨拶に笑顔で返してくれたリリー様。
泣き腫らしたわたしの顔を見ても、リリー様は何も言わず。いつも通り、接してくれた。ただ、ほんの少しだけ――抱き締められたときの力が強かったくらいだ。
* * *
そうして、少しだけ時が流れる。領主代行を務めるリリー様は多忙を極めながらも、わたしとの時間を大切にしてくれた。
わたしは廊下をゆく。考えるのはもちろん、リリー様のこと。
(このままじゃ、倒れてしまうかもしれない……。もし、ご病気になったりしたら――。リリー様、無理をされていないと、いいけど……。うーん……)
思いふけっていると、不意に声が掛けられた。
「あら、コルネリア様!」
「あ、その……」
その声はリリー様のもので、わたしは思わず口ごもってしまった。
(いまさら、リリー様とお話するのが恥ずかしいだなんて……!)
気恥ずかしさを誤魔化すように、俯いてしまった。
リリー様はそんなわたしの態度にも、目を細めて微笑んだ。そうして、わたしの目線に合わせて屈むとそっと口を開く。
「実は、アドラー伯爵夫人からお便りがありまして」
差し出されたのは綺麗な封書。よく見ればリリー様の反対の手にも同じような物が握られている。
受け取って、読み進めていくと興味深い内容が書かれていた。わたしは思わず、ぽつりと言葉を溢す。
「お茶会……」
「ええ、そうなのです。“次の豊穣期が巡ってきたとき。狩猟大会を主催するのはケディック領だと伺っています”」
そう告げられた言葉。それはお手紙の内容を復唱したものだった。
「“そのときにお友達と観覧すれば、きっと楽しいでしょう”――と」
アドラー伯爵夫人が考えなさることだ。きっと、それだけではないはず。わたしは考えを巡らせる。
この豊穣期で、十一歳を迎える私はデビュタントを早くて五年後に控えている。それまでに、お友達――つまりはデビュタントを果たしたときに、味方となってくれるような門家を見極めておく、ということなのかもしれない。もちろん、子どもを通じて親同士の結束を強めるような意味もあるだろう。
悩むのは、わたしらしくない。
「わたし、やります!」
「そう仰ると思っていました! まだ先ですが、デビュタントに向けて社交の練習にもなる、と。アドラー伯爵夫人から聞いておりますの」
リリー様は嬉しそうに声を上げた。それに言葉を続ける。
「子どもたちだけではなく、一緒に来て下さるご婦人たちも、楽しめるような茶会をと考えていて――」
しかし、彼女はそこで言葉を切ると、少しだけ眉を下げてしまった。
「その……、実は私、茶会を主催したことがなくて……。アドラー伯爵夫人にご教示願おうかと思っていましたの。私は剣の稽古に明け暮れる日々でしたし……。護衛や警備としてなら、その……幾度となく参加したのですが……」
徐々に小さくなっていくリリー様の声。それは茶会を開いたことがない、というのを負い目に感じているようだ。
わたしは胸の内に呟く。
(リリー様。何だか、可愛らしいわ……。でも、護衛の任なら騎士がいるはずなのに……どうして?)
例え、王族の身辺警護といっても、その任は多岐に渡るだろう。それは子どものわたしでも想像できること。しかし、その答えは分からなかった。そうして、二人でお茶会の計画を進めていった。
もちろん初めてのことで、四苦八苦。それでも、執事長の力やアドラー伯爵夫人との文通で知恵を借りながら、進めていく。リリー様と二人で乗り越える課題はとても楽しかった。
気付けば、父の出立を見送ったときの寂しさとは程遠く、満たされた時間を過ごした。
◇
お茶会が催される少し前には、アドラー伯爵夫人がいらしてくれた。
最終調整のため。それに、リリー様とわたしのお茶会の後ろ盾になって頂くためだ。夜会で示した、アドラー伯爵家との繋がりが本物だと周辺貴族にも示す意味合いもあるのだろう。
わたしとリリー様は彼女を出迎える。いつもながらに気品溢れるアドラー伯爵夫人。リリー様はにこやかに口を開く。
「ようこそ、お越しくださいました」
「あらあら、リリー様。少し見ない間にすっかり、領主の顔付きね。領主代行なのが、もったいないくらいよ。素晴らしいわ」
「とんでもございませんわ」
二人のやり取りを眺めてると、ばちりと目があった。わたしは挨拶をしようと、声を掛ける。
「アドラー伯爵夫人」
「あらあら、コルネリア様。以前のように、おばあちゃまとお呼びになって。夜会では、そう呼んで下さらなかったから……」
「わたし、そこまで子どもじゃありません!」
わたしは、わっと声を上げた。その光景を微笑ましそうに見やる二人。さらに、わたしが頬を膨らませたのは言うまでもない。
* * *
瞬く間に、お茶会当日。
ひとりでテーブルを見つめていた、あの頃とは比べものにならない程。温室は賑やかさを増していた。温室だけでなく、豊穣期ならではの自然の豊かさが茶会に花を添える。庭に繋がる道は花々が咲き誇り、招待客を出迎えた。
この日のために、リリー様と執事長とで、準備を重ねてきた。そこにアドラー伯爵夫人のアドバイスも加えて。
ご婦人たちが集う茶会の席から少し離れたところに、わたしの交流の場がある。そこには既に招待した子たちが顔を列ねていた。
(少し、緊張する……)
わたしは同年代の子たちと交流を持つ機会が少なった。父は遠征や国境視察で不在が多いため、周辺貴族との社交はさっぱり。リリー様がいなければ、こうしてお茶会の場を設けることもなかっただろう。
リリー様がお茶会の挨拶をする。彼女の領主代行としての佇まい、ケディック辺境伯の妻としての姿に、アドラー伯爵夫人は満足そうに頷いていた。
そうして、次にわたしの番。リリー様はわたしの緊張に気付いたようで、そっと目配せをした。それだけで、ふっと緊張が和らぐのだから不思議だ。
「ノーマン・ケディック辺境伯の娘、コルネリアでございます。本日のお茶会、楽しんで下さいませ」
わたしはお茶会の始まりを告げた。言い慣れない言葉に緊張してしまったけれど、微笑ましいと言わんばかりに、拍手が起こった。
始まったお茶会。俗にいう、お友達探し。子息息女たちとの交流は上手くいくのだろうか――。




