カフェ店長の日常編-5
書店・ブックタウン糸原は、カフェから五分ほどの距離にあった。ここもカフェと同様、住宅街に埋もれるようにある小さな個人経営の書店だった。
近くに女子校がある為か、店頭は参考書や文房具が多い。書店経営がなかなか難しい時代だが、近所に女子校があるお陰で何とか続いているようだ。受験の参考書、文房具類の売り上げが良いらしい。地元の作家や漫画家からも評判が良く、店主の糸原も好人物なので、泉美もネットは使わず、ここで好きな本を買うようにしていた。
「げ、藤河の教会、何やってるんだか」
そんな地元密型の書店だったが、一つ欠点がある。隣に藤河七道の教会がある事だった。
教会といっても公民館のような地味な施設。しかも元々民家を改造した教会だ。二階建てで一応十字架のオブはあったが、完璧に住宅街の空気に馴染んでいた。讃美歌などが演奏できるよう、防音もバッチリだと聞いた事があるが、教会の前にある掲示板を見ると、泉美の眉間に皺がよる。
聖書の言葉や礼拝の案内を知らせるポスターはいいが、ハロウィンは悪魔崇拝だとか、ワクチンは遺伝子を組み換える生物兵器という香ばしいチラシも貼ってあった。牧師の藤河は昔から陰謀論や都市伝説が大好きだった。見た目は人畜無害な教会だったが、どうしても藤河の変人キャラが透けて見える。
母は藤河との結婚を推して来たが、冗談ではない。こんな変わり者と一緒になるとか罰ゲームが過ぎる。それに牧師の平均年収は300万ぐらいだと聞いた事がある。この教会もクリスチャンが少ない日本では全くお金も無いだろう。藤河は駅前のショッピングモールでバイトをしているのも見た事がある。確か清掃やカート回収をやっていた。「今流行ってるスキマバイトアプリ助かるわー」などと言っていた記憶も。
「ナイナイ、藤河はないー。陰謀論好きの牧師とかって何よー」
独り言を呟きつつ、ブックタウン糸原へ。
店に入ると、さっそく「私達の幸せない結婚式」の新刊を買おうと思ったが。
「げ、何で藤河がいるのよ」
本日、三回も「げ」と言ってしまった。書店に糸原だけでなく、藤河がいるとは。
他の客は見当たらいが、何故か糸原の表情は重い。エプロンにシャツとチノパンといういつも姿だったが、背筋が曲がり、目線も下。明らか肩を落としていた。
藤河は無視でいい。まずは糸原に話しかけた。
「糸原さん、こんばんは。何かあったんですか? 落ち込んでます?」
そう尋ねると、糸原は力なく、ため息をつく。華やかな新刊や可愛い文房具が多い店内だったが、このせいで空気が重い。
「店長、何引き被害にあったんだ。俺が牧師として話を聞いていたのさ」
「へー」
糸原の代わりに藤河が答える。
泉美の藤河を見る目は冷たい。身長も泉美より少し高いぐらい。痩せ型だが、決して高身長ではなく、顔立ちも塩系。前髪が長めで、服装もパーカーにジーンズ。藤河もいい歳だったが、ちょっと子供っぽいサブカル風の服装が嫌に板についていた。決してイケメンではなく、サブカル系の男。しかも今も両手にオカルト雑誌を何冊も抱えているし、全く趣味が合わない。元々親しい人物ではないが、泉美の藤河を見る視線は冷ややかだった。
「可哀想に、糸原店長。もう何十冊も盗まれているんだぜ。しかもキラキラ系の少女漫画とかが。犯人は女子高の生徒だろ? 警察に訴えた方がいいだろ?」
そんな変な男だったが、人並みに正義感はあるらしかった。頬や目頭を熱くさせながら、万引き被害を訴える。確かに人の良い糸原が落ち込んでいるにのは見てられない。
「さっき、私人とぶつかったんだけど、あれも万引き犯だったかしら。そういえば異様に慌てていたかも?」
「なんだと、水川。さっさと捕まえろよ、鈍いな」
カチンときた。藤河は変わり者だが、口は毒舌。中学の時も、泉美はジャニーズアイドルやビジュアル系バンドにキャーキャー騒いでいたら「芸能人なんて全員悪魔崇拝者だろ、趣味が悪いな」と言われた事も思い出す。他にも数々藤河には毒舌を吐かれた記憶があり、思わず彼をきつく睨んでしまう。
「まあまあ、二人とも。喧嘩しないでよ」
羊のような優しいルックスの糸原に止められ、なんとか二人とも冷静さを保っていたが。
「実は警察に行ったんだよ。交番で巡査長の南辺って人に相談したんだが、取り合ってくれなかった。店の防犯しかっかりとしか言われなくて」
糸原はさらに肩の力を落としていた。
「最近、この近くで闇バイトの強盗が多発しているらしく、警察も人員不足らしい。ああ、まいったね。どうしようね。本を一冊万引きされると、何倍も売らないといけないんだよ……」
声を震わせる系原に、泉美も藤河も言葉が出ない。いくら気が合わない幼馴染にでも、ここで喧嘩をするのはやめておこう。
「そうだ、だったらいいアイデアがある!」
しかも藤河は何か思いついたようで、一旦教会に戻ると、何か持って戻ってきた。
「ジャジャーン! キリスト看板風のポスターだ。これで万引き犯も減るだろう」
藤河が持っていたのは、おどろおどろしいホラー風のポスターだった。
黒地に白抜き文字で「私生活も神が見ている」と書いてあったが……。
このホラー風デザインに泉美の表情もヒクヒクと強張った。
確か田舎に多く貼ってあるキリスト看板というやつ。ホラー風で不気味でネットで話題になっているのを見たことも。確かネットでおもちゃにされ、「ネコと和解せよ」とか「私生活もネコが見ている」とパロディまで生まれていた記憶。ただ、サブカル系の藤河がキリスト看板風のポスターを掲げていると、ガチ過ぎる。あまり笑えないのだが、何故か糸原は大笑い。
「これだったら、万引き犯も怖がるかもな」
「そうだろ、糸原店長。俺のアイデアいいだろ?」
「ははは、貼らせて貰うよ」
二人ともノリノリでキリスト看板風のポスターを店内に貼っていた。華やかな新刊本や可愛い文房具が溢れる書店で、このキリスト看板は明らかに浮いているのだが。側にオカルト雑誌やホラー小説、怪しい宗教本となら相性が良いかもしれない。残念ながら、この書店は参考書や雑誌、漫画類が主力商品だった。
「ちょ、二人とも悪ノリし過ぎでは?」
「いいじゃないか。水川は頭硬いねぇ」
「なんですって!?」
「まあまあ、泉美さん。予約していた『私達の幸せな結婚式』の新刊入って来てるから」
「水川、いい歳して頭お花畑かい?」
「サブカル陰謀論系牧師に言われたくないから!」
「あはは、泉美さんも七道君も面白いね」
何故か糸原は大笑い。うっすら目元に涙を浮かべつつ笑っていた。
こうして無事に目的の本も買えた。藤河にさんざん揶揄われた事や万引きがあっ事は不本意だったが。
「糸原店長、他に何か変わった事ないかい?」
藤河もオカルト雑誌を買いながら、糸原に質問していた。よっぽどオカルト雑誌が買えた事が嬉しいのか、藤河に目はらんらんと輝いていた。
「そうだな。何かカルトの本が信者に大量購入されたな。万引きに関係あるか知らんけど」
糸原は店の奥からその本を持ってきて見せてくれた。タイトルは「聖母ミラクル☆ハッピーライフ」という本で、女性教祖のイラストが表紙に。少女漫画風に美化されたイラストで、泉美は笑いそうになり、口の中を噛む。
「繁栄のミラクル聖母教の本だな。キリスト教異端の派閥だ。実に不快な本だ。教祖は神の声が聞けるリーダーらしいが、神様以上に崇められてるっておかしいよな」
一方、藤河はイライラを隠せない。らんらんと輝いていた目も、黒く濁っていた。
「何それ、問題なんです? 私は注文されたから入荷しただけですが」
糸原もこの藤河に戸惑っていた。
「そうよ、単なるカルトでしょ?」
「水川も糸原店長も甘く見ない方がいいぜ。ま、色々と悪い噂もあるから。あ、もうすぐ夜の祈祷会の時間だよ」
藤河はそう言い残すと、帰って行ったが。
「でもカルトの本はお客さんが大量に買ってくれるしなー」
「そうね。商売ですもん」
泉美は安易に糸原を責められない。カフェにカルトに客が来ても、それだけの理由では追い出せない。店はどんな人にも平等にサービスを受ける権利がある。もちろん、客もマナーを守った上での話だが。
ふと、あのキリスト看板風のポスターと目が合ったような気がした。
「私生活も神が見ている」
本当?




