カフェ店長の日常編-1
水川泉美の朝は早い。まだ薄暗いうちに起きる。ワンルームアパートの部屋の窓は、小さめでカーテンを開けても、さほど明るくはない。
「はぁ。ミャー、おはよう。っていうかこの子はまだ寝てるわね」
飼い猫のミャーは、専用のベッドの上で寝ていた。黒いモフ毛がチャームポイントの可愛い子。飼い主からは美猫にしか見えないが、さすがにSNSのアイドル猫の境地には辿り着いてはいないが。
「まあ、そんなSNSで人気者になれなくてもいいよね。私は世界で一番可愛いと思う」
泉美はベッドから起き上がると、着替え、スキンケアやヘアケアを。三十六のアラフォー女でもある泉美は、美容も徹底的にしていた。職業もカフェ店長という事もあり、メイクは派手にはできないが、髪も明るい茶色に染め、必死にアンチエイジングケアをやっていた為か、容姿は三十代前半ぐらいをキープしていた。休日はバッチリとメイクをし、婚活に明け暮れる時もある。婚活は全く実を結んでいなかったが、仕方ない。今の充実した生活を捨ててまで結婚したいかといえば、別にそうでもなかったから。
身支度が終えると、白湯をぴちぴち飲みながら、軽くストレッチ。仕事は体力勝負なので、出かける前に準備体操といったところか。
そうこうしているうちに飼い猫のミャーも起きてきて、水や餌やりも。泉美も昨日の残り物の野菜スープとご飯を温め、朝食をとった。
その間、SNSやトークアプリもチェックする。特に店のSNSでは、常連客の北村麗奈の飼い猫が迷子になり、手がかりを呼びかけていた。
「うーん、何の情報も来てないわね」
麗奈の猫はベラちゃんという。シュッとした三毛ネコ。こちらも美ネコだ。ベラちゃんの写真や動画もSNSにアップしていたが、そもそもあまり閲覧もされていない。
逆に変なコメントがついていた。
「アクリル板をちゃんと置け!」
「アルコール消毒もしろ!」
「液病のウィルスを撒いてる!」
などと、いまだに疫病を怖がっているようなコメントが。
「勘弁してよ。もうマスクも外していいのに、何でこんなん?」
泉美は頭を抱える。送り主は匿名。しかもアカウントも何回も作り直しているようで、一体どんな属性の人が送ってきているのか不明。男か、女かも、年代もわからない。確かに疫病が一番騒がれた時も色々とカフェ運営について言われていたが、最近は落ち着いていたはずだったが。店のSNSだけでなく、飲食店の口コミサイトや掲示板でも悪い噂をか書かれているらしい。町の小さなカフェになぜアンチがいるか不明。
「そんなアンチ行為するぐらいだったら、素直にうちのプリンやケーキでも食べにきてくれればいいのにね。ねえ、ミャー?」
思わず愚痴る。が、ミャーはネコだ。いくら可愛いネコといっても会話などできるはずがない。黙々と餌を食べているだけだった。
「そうよね。飼いネコと会話なんてしてたら、私、バカじゃん」
そう言いつつ、朝食のカップや皿を洗っていく。このまま放置すると、汚れはこびりついて洗いにくくなる。早めに洗った方がお得だ。泉美はこんな風に損得勘定で物事を判断するのが好きだった。
こうして一応ペット可のアパートで一人暮らしをしているが、実家までは徒歩三分の距離で着く。時々母にミャーの面倒を見て貰ったり、店の手伝いも頼む事があった。両親はとっくに引退していたが、完璧には自立できていない。半分ぐらいは、いわゆる子供部屋おばさんという存在かもしれないが、諸々、頭の中で計算すると、この暮らしがコスパが良いんじゃないかと思ったりする。
本当は親から完璧に自立し、結婚もタイムリミットがあるうちに早く済ませるのが、一番良いと計算はしていたが、こればっかりは泉美の希望通りいくわけでもない。電卓通りに人生が運んだら、こんなコスパの良い事はないが。
「ま、そろそろカフェに行く支度するかー」
ミャーはご飯を食べ終え、ベッドの上でゴロゴロ。
「お前はいいね。こんなニート生活ができるなんて」
「ミャー!」
なぜかミャーが怒ったような声を出す。人間の言葉がわかったのだろうか?
「ミャー、どうしたの? なんか私に怒ってる?」
ソファに寝転んでいるミャーは、無視。ふぃっと外の方を向いてしまう。
「何なん?」
少し疑問に思ったが、時計を見たら、もうすぐカフェに行く時間だ。これからカフェの掃除や仕込みなど力仕事もある。本当はバイトでも雇いたい所だが、求人を出してもなかなか人が来ない。大学生ぐらいの若者からしたら、飲食店のバイトなど、わざわざしたく無いのかもしれないが。
「まあ、ミャー。行ってくるからね。ママがこっちに来るかもしれないけど、よろしくね!」
そう言い残すと、カバンを持ってカフェに向かう。母は時々勝手にこの部屋にやってきては、お菓子やお茶を楽しんでいる事を知っていた。母は全くバレていないと思っているようだが、泉美は全部知っていた。それにミャーの様子を見ていると、なんとなく母が勝手に部屋に来ている日がわかる。
「そういえば、うちのミャーって何か人間っぽいんだよな。気のせいかな?」
独り言を言いながら、アパートの部屋を出る。もうこんな一人暮らしも十年以上。一人暮らしも玄人の域にきているのかもしれない。