調査開始編-5
「ごめんなさいね。取り乱してしまったわ」
泣いてミャーを抱きしめていた美緒子だったが、我に返り、ソファに座ると紅茶をすすっていた。
一旦、美緒子の腕から離れたミャーだったが、空気を読んだらしい。ピョコンと美緒子の膝の上に乗り、甘えるように首を傾げていた。
泉美はあざといミャーの行動にイラっともした。こんな可愛い仕草は泉美の前では滅多にしない。しかもミャーは上目遣いしながら、美緒子を見つめ、見事にあざとい。パパ活女子も引くレベルだったが、藤河はニヤニヤ。同じくミャーにあざとい攻撃に負けた藤河は、笑えてくるのだろう。
「クロ次郎ちゃんって? 美緒子さん、こいつはミャーだぜ?」
「ええ。昔、殺した野良ネコちゃんとそっくりでね……」
「は?」
この場所はほのぼのムードだった。優しそうな老女の美緒子。まさかその口から「殺した野良ネコ」という言葉が出るとは?
泉美は目が点になっていたが、美緒子は淡々と話す。
昔、十五年前、美緒子も繁栄のミラクル聖母教の信者だったらしい。
「あの頃は夫にも放置されてたからね。きっと寂しかったのよ」
美緒子はミャーのもふもふとした背中の毛を撫でる。どうやらミャーのおかげで話せているようだ。アニマルセラピー効果だろう。
「うん、わかるよ、美緒子さん。カルトに騙されるのも、孤独で寂しかっただからだよな。我々、牧師達もカルト被害者を出さぬよう、日々その特徴などを訴えているが、一番の特効薬は孤独な人を作らない事だと思ってるよ。全ての人が隣人を大事にできたら、本当はカルトなんて生まれないんだ。俺も美緒子さんを決して独りにはしないからね」
いつになく藤河も優しい態度だ。泉美はここで何も口を挟めない。紅茶を飲みつつ、美緒子の話を聞く事にした。
「ええ。そうなの。心の隙間があったから、すっかり騙されてね。クロ次郎は、当時、教団で飼ってた猫。私はその世話係だったの。うん、本当にこの子、黒次郎にそっくり」
また美緒子は泣きそうになっていた。
「教団で猫飼ってた?」
藤河はそこが引っかかったようだ。つかさず美緒気に質問。
「ええ、生贄儀式用にね……」
藤河も泉美も声が出ない。ミャーだけは相変わらず可愛い猫を演じていたが。
「マジで? やっぱり教団内部でネコ殺してたんか?」
何テンポか遅れて藤河が言う。
「ええ。生贄儀式用に。満月の夜に生贄儀式をすると、本当に願いが叶うらしいって。ふふ、この子本当にクロ次郎にそっくりね。ごめんね……」
美緒子に目は赤くなっていた。謝罪の言葉は、ミャーではなく、クロ次郎に向けたものだろうが……。
これで繁栄のミラクル聖母教がネコを殺していた事は確定。証言も得られた。
「あの、本当にそんなんで願いが叶いますか?」
泉美はどうも納得いかず、質問したが。
「お金回りが良くなったりはするみたい。でも、ね、そんなのわからない。当時の信者たちは一生懸命、ネコの生贄儀式やってたけどね」
「美緒子さん、旧約聖書のユダヤ人達の動物の生贄にような意味合いはなかったかい?」
「それはないわ。完全に悪魔崇拝的な儀式だった。よく犯罪者が日常的に動物殺してたりするでしょう。あれも無意識で生贄儀式やってるんでしょうね。こうして動物を殺しながら魂売って、悪霊を憑依させ、殺人まで行き着く感じでしょう」
「そうだな。動物殺すことによって殺人の悪霊を呼び込んでいる感じか」
藤河と美緒子の宗教的な話題は全くついていけず、泉美はまた口をつぐむが。
さらに美緒子は、信者たちは教義を忠実に守っているだけで、何の罪悪感もない事。組織だってやっている事。警察にも信者が多くいる事なども教えてくれた。
「あのベラちゃんの事件もきっと教団が噛んでいるでしょう。でも、特定の犯人を捕まえるのは、難しいかも? 現に私もこうして捕まっていないのだから」
それを聞き、藤河も肩を落とす。
「ただ、生贄は毒を飲ませて殺したから、さほど暴力的ではなかったけど……。もっとも私は罪悪感いっぱい」
「美緒さん、大丈夫だ。その罪もイエス様が背負ってくれたから」
「ええ」
また泣きそうになっていた美緒に藤河の声は優しい。優しすぎるぐらいで、泉美は思わず咳払いをしてしまう。
「そうね。私のこんな罪も主が代わりに背負ってくれたのね」
また美緒子は泣いていたが、さっきの涙とは全く違うものだ。自分を責めるような、自己憐憫的な涙では全くなかった。
「ええ、そうね……。クロ次郎そっくりな子にで会わせてくれたのも、主の意図でしょうね……」
美緒子はまたミャーの背中を撫でていた。優しい手つきで、ミャーは眠そうにあくびもしているぐらい。
結局、犯人を見つけるほどの手がかりは得られそうになかった。それでも、美緒子の表情は穏やかで、 まるで過去の傷や罪悪感から解放されたみたい。
「そうだ。イエス様のおかげさ」
「ええ、牧師さんの言う通りかも」
最後には、号泣していた美緒子も笑顔を見せてくるほどだった。
泉美は一般的な日本人だ。宗教とか神とか、全く興味がない。むしろカルト教団が猫を殺していたと知り、嫌悪感でいっぱいになった所だったが、その全てが悪いとも言い切れなくなった。
特に美緒子のように心に傷がある場合は。
泉美だっていい大人だ。人生経験がある。人の努力や頑張りだけはでは、心の傷は癒し難い事ぐらいは知っていた。
「美緒子さん、またミャーと遊んでくださいね。いつでもお貸ししますから」
「泉美さんもありがとうね」
美緒子の笑顔を見ながら、泉美も頷いた。宗教の全ては否定できないと感じながら。
「で、水川。次はどうする?」
美緒子の家を出た藤河、ミャー、泉美はしばし考える。
ふと、一週間ぐらい前に見た刑事ドラマの内容を思い出す。確か主人公の刑事は現場に戻った後、手がかりを見つけていた。
「そうね。ベラちゃんの現場に行ってみましょう」
『賛成!』
ミャーも藤河の腕の中で声を出す。今はあざとい猫モードを解除し、少々生意気ないつものミャーに戻っていた。やはり、こっちのミャーの方がしっくりくる。
「俺も賛成だな! そうだ、現場に行こうぜ!」
こうして三人(匹)は、あの現場まで足を進めていた。