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地には妖精、月には天使  作者: 仲島 鏡弥
第1章 居場所
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騎乗

 彼女の後ろをついていく。真っ白な部屋を出るところで振り返り、他の六人がまったく動く気のないことがわかった。

 部屋を出るまで、あの視線は変わらなかった。

 通路に出る。

 通路は鋼製だ。黒ずんだ錆がすべてを覆いつくすように浮いていて、花を咲かせた蔦が至るところに伸びている。足元の塗装も剥がれているし、砂利がそこらに落ちている。頭上に張り巡らされた太いパイプは経年劣化によりぼろぼろで、パイプの中のコードは見るも無残にちぎれており、コードから飛び出た導線が大きく火花を散らしている。

 火花が発生しているということは、まだ動力が生きているということに他ならない。

 およそ誰も住めないような場所ではあるが、ここには彼らが生きているのだからそれぐらいのことは当たり前である。だけどどうにも違和感がある。環境だって濃酸素という毒が蔓延している最悪なもので、生命が生きるにはどうにも適していない。さらには生命を脅かすDollという存在があるらしい。彼らはどうやってここで暮らしてきたのだろう。

 目の前には揺れる後ろ髪がある。首筋が覗いて0199という数字が見える。

 後ろ手に手を組んで、彼女はくるりとそのまま振り返った。


「移動の間にとりあえず、これから倒すべきDollのことをあなたに教えますね」


 後ろを向きながら、彼女はさっきとさして変わらない速度で歩く。

 さらにそのまま、目も向けずに右の通路を曲がった。

 器用だなと感心した。


「Dollとは、月に住んでいる天使という存在の命令に従う、機械人形です。そして、彼らの体型は私たちと同じような二脚二腕。それにでっかいです。私たちの二十倍以上はあります。そしてアンノウンボックスという反重力立方体を連れているんですけど、これが厄介で、アンノウンボックスはDollの意思によって姿かたちを自由に変えることができるのです。例えば、大きく広げて盾にしたり、長く鋭くして槍のようにしたり、色んな装備を拡張したりとやりたい放題です」


 説明するごとに、彼女の体が自由に動く。盾の例えの時は盾を構えて、槍の例えの時は槍を刺して、装備の拡張の説明の時には銃を撃つようなポーズをとる。


「装備っていうのは銃のこと?」


「それもあります。いわゆる標準装備というものがあるんですけど、これが三つあって、ブラックアーマーとクリエイティブマシンガンとヒートナイフと言います。簡単に言えば装甲と銃と剣ですね。変幻自在の装甲と、好きな弾を創り出す銃と、熱と振動で何でも斬れちゃう剣。そういう認識で間違いないです」


「はあ。そんなのを持ってる化け物を、俺に倒せっていうの?」


「ええ。やってもらわないと私たちは死にます。そのためのあなたです」


 後ろ歩きの彼女の背後、なにかに引っかかるようにして開く扉があった。

 緑の光が、扉の隙間から漏れている。

 光に飲み込まれるようにして彼女が扉の奥に入り込む。置いていかれないように慌てて追いかけると、みしり、という音が鳴った。鉄を編み込んだような足場だ。鉄パイプの枠組みによって、足場が支えられている。枠組みの下を見れば、迷路のような鉄パイプが、緑色の水の中に底が見えないほどに沈んでいる。緑色の水の中でいくつもの照明灯が機能していて、照明灯の光が、緑色の水を透過することで緑色の光が生まれていたことがわかる。

 そして光の向かう先には、おそろしくでっかい何かがいる。

 そいつは、上半身が底の見えない水から露出されていて、顔にあたる部分に真っ黒い覆面のようなものが覆われていて、各部位にはスラスターの噴射口のいくつかが見えている。体を覆う黒い装甲は彼女がさっき言っていたブラックアーマーに違いないし、腰元に覗いた水面に揺らめくグリップは彼女がさっき言っていたヒートナイフの柄だと思うし、背中に背負っているものはちらりと銃底が見えているからクリエイティブマシンガンとかいうやつに決まっていた。

 だったらこいつは、さっきの話に出てきた敵のDollとかいうやつではないのか。


「こいつを倒すのか?」


 こんなやつをどうやって倒せというのだ。

 建物に浸水したかなりの深さの水底に、下半身しか沈まない化け物のようなやつだ。殴っても蹴ってもビクともしないだろう。銃で撃ってもナイフで切っても、それは結果としてなにも変わらないに決まっている。


「いいえ、これはDollを模ったFEAという疑似生体兵器です。あなたの味方で、あなた自身ですよ」


「あなた自身?」


「あなたがこれに乗って戦うんです。——あれと」


 ——あれ、と言いながら少女は頭上を指さす。

 顔を上に向ける。

 天井が崩壊している。直接空を見ることができる。穴がぽっかりと空いているような闇空に、嘘みたいに巨大な月が接着剤でへばりついているように見える。一瞬見惚れ、しかしまさか月と戦えというわけではあるまい。

 そんな馬鹿な、という顔が如実に表れていたのだろう。

 少女は、


「敵は、月から降りてくるんですよ。乗れば見えます」


「どうやってこいつに乗ればいいんだ?」


「触れたらいんですよ。そうすれば、FEAがあなたに反応しますから」


 ——触れる。


 この足場からでは到底FEAとかいうやつに触れることはできない。円筒形の空間にぐるりと枠組足場は設置されているけど、どこに行ったところで空間の中心にいるFEAに触れることはできない。だけど触れる方法はある。あの緑色の水に飛び込み、泳いでしまえば簡単にFEAに触れることができる。

 しかし単純に、水面までの距離が遠い。

 あそこに飛び込む危険を犯してまで、自分があれに乗る価値が果たしてあるのだろうか。

 少女を見る。

 自分があれに乗らなければ、彼女は死んでしまう。

 なにもなかった自分の、本当にたった一つの繋がりだ。

 彼女を失いたくない。それは純粋な自分の気持ちだと思う。

 だから、飛び込んだ。

 落下する速度は思ったよりも速くて、水面に叩きつけられる衝撃はまるで岩がぶつかってきたのかと錯覚するほどで、水中で目を開けることも忘れて手と足がどこにも引っかからない恐怖に我を忘れる。もがく手足はその激しさをより一層増し、自分を包み込むほどに大量の気泡を生じさせながら上か下か前か後ろかいったいどこに進んでいるのかもわからない。しかし、呼吸補助機は水中での呼吸さえも可能にするらしく、肺に空気が巡ることで、いくらかの冷静さをその頭に取り戻す。

 目を開ける。

 自分の手がなにかに触れていた。

 それは、FEAのブラックアーマーの一部だった。

 水が震えているのがわかる。自分の体がなにかに包まれた。体に強い衝撃を覚える。

 上に引っ張られる力を感じ、そして自分を包み込んでいるものの正体を理解する。

 FEAの手だ。

 FEAの手が、自分を握りしめるように掴んでいる。

 もう水中にはいない。だけどまだ水中にいたほうが安全だったかもしれない。

 FEAの顔にあたる部分がばっくりと割れていた。その割れた部分にどうしようもない力で近づいていく。

 そして、体が空中に投げ出され、FEAの顔の割れている部分に突っ込んでいった。

 FEAの顔が元に戻った。

 ——飲み込まれた。

 そう自覚した瞬間に、呼吸補助機を通して固体と液体の中間、どちらかといえば液体に近い物質が口内に流れ込んで肺の中どころか胃の中まで隙間なく侵してくる。さっきまで水中での呼吸を助けてくれていたはずなのに、呼吸補助機は水のような完全な液体か濃酸素のような完全な気体の侵入しか、どうやら拒んではくれないらしい。喉を抑えて必死に侵入物の流れを止めようとした。肺の中から、もがけばもがくほどに空気が逃げる。

 辺りが青く燐光する。

 自分の吐いた気泡が見える。

 壁に包まれた周囲には、とてもじゃないけど空気を求めて逃げられる隙間なんてなかった。

 だけどもう呼吸は必要なかった。

 頭ではなくて、体がそう理解している。

 ゼリー状の液体の中を、沈むでもなく浮くでもなくその場で留まるように漂っている。

 後ろを見れば、複数のコードの収束しているハーネスが伸びている。

 自分の首筋の機械をさすれば、ソケットがある。ハーネスの端子をはめ込むためにそれは存在している。誰かに教えられたわけでもなく、そう感じた。

 ハーネスを掴む。端子を首筋のソケットにはめ込んだ。

 自分の神経が、FEAの拡張神経系へと駆け巡る。

 今ならわかる。

 彼女が、FEAのことをあなた自身と言っていたその意味が。

 視覚系、聴覚系、触覚系の擬似感覚系をすべて呼び起こす。水の浸された下半身の冷たさを感じる。さっきまで自分の立っていた枠組足場が見える。あんなにも小さなところに自分は立っていたのかと思う。

 ——あれ、あの子がいない?

 喋ろうとしたけど、声帯もなければ軟口蓋だってくちびるだってない。喋ることのできない煩わしさよりも、しかし、それ以上の解放感があった。全能感といってもいい。

 なにが来ようと倒してみせる。なにがあろうと守ってみせる。

 これが本来の自分で、そして本来の自分の力だ。


『————』


 触覚系に備えられたセンサーが、なにかを捉えた。

 FEAに備えられた補助脳が、捉えた情報の開示許可を求めてくるのがわかった。

 許可した。

 圧縮された情報が直接頭の中に叩きこまれる。


『聞こえますか? まあ聞こえていても聞こえていなくてもこっちにはわからないんですけど。圧縮言語を送ることしかこっちからはできないので、とにかくFEAの機能とかその呼称を送ります。————————これを確認したらそこから出て、アイ・センスをテレスコープにして空を見上げてください。そこに、敵がいます』


 脳内にあらゆるFEAの機能情報を入れた。機能の名称や使い方は、とりあえず理解できた。

 それから天井の穴に両手を突っ込み、淵を掴み、FEAの体を引っぱり上げようとする。腰元に装着された格納器がわずかに足場に引っかかって勢いが減る。さらなる力を込めた。淵の部分がへこんだ。大層な水しぶきをあげながら、FEAは浸水していた施設を空高く舞い上がって脱出する。

 大地が見える。

 なだらかな平面は血液の染み込んだような赤色で、辺り一面には驚くほどになにもない。

 赤い大地に着地する。

 自分の出てきた穴は、FEAの足の裏をよりも低い位置にあり、つまり施設は地下にあったのかといまさらながらに思う。すぐ傍には地層の確認できるような切り立った断崖があり、さらにその奥には、葉緑体に満ちた地平線の彼方まで続く一面の海がある。

 施設が浸水していた理由は近くに緑海があったからに他ならない。海面に映る月は嘘みたいに大きかった。

 そして、月の中に小さな影を見つけた。

 なんだろう。

 やっと、上を見た。

 視界を拡大した。

 五つのでっかい卵が、こちらに向かって落ちてきている。

 圧縮言語を捉える。


『確認できましたか? あれは大気圏カプセルというDollが大気圏を超えるための装備です。大気圏を突破後、大気圏カプセルは燃え尽きます。それから彼らは覚醒して、この地上に降り立ってくるというわけです。しかし大気圏カプセルの守護を失ったその時こそが我々にとってのチャンスになります。大気圏カプセルの中では機能は抑制され、解き放たれた瞬間は機能が上手く作動できない無防備な時間になります。そこを狙って彼らの弱点を突きます。彼らの弱点は胴体部分。農酸素動力炉も中枢神経ガレージも電気信号パルス置換のメインも、そのすべてが心臓部に集中しています。あなたが、FEAの扱い方を思い出すまでは指示を出します。まずはアンノウンボックスの操作を』


 意識を集中し、施設内の水中から黒い立方体を呼び出す。黒い立方体が、FEAの周囲を漂うように浮遊した。その立方体が球形となり、棘を生やし、また先端の鋭利な棒状の武器に変化する。

 これこそがアンノウンボックスである。ただのイメージにさらなる具体的な指示を重ねて脳より発し、その性質と形を変化させる。


『さあ、Dollの迎撃を始めましょう』

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