絶望しました?
死んだ彼女と生きている彼女がいる。
——そうだ、
どうして忘れていたんだ。
俺は、智天使ケルビム様のため、FEAを操り、熾天使の涙を手に入れるために妖精獣を狩っていた。Dollなんてものは知らない。月から降りてくるのはあくまでも使徒の操るFEAで、地上にいるのは数百年前とはすっかり環境の変わってしまった地球に適応した生物、妖精獣だけだ。人間なんてものはすでに滅びている。人間というものは、あくまでも天使と妖精獣が進化する前の呼称で、使徒の姿のベースになっている生き物の名だ。それでも人間がいるとすれば、それは天使と妖精獣のことだ。
それなのに、ユウたちは人間を名乗っている。
FEAをDollと呼んで、ミライに仲間を殺させた。
「君は、君たちは一体何なんだ?」
単純な疑問が口をついて出た。
ユウは笑った。
「やだなあ。まだ全部思い出していないんですか? 私たちは仲間ですよ」
白々しい。怒りが湧いてきた。
「ふざけたことを言うな! 俺の仲間は、俺が殺してたやつらだ。圧縮言語が俺に届かなかったのもお前らが細工したんだろう。俺が、あいつらを仲間だと気づけないように」
いつの間にかノドカとマコトもいる。二人は嘲笑するようにこっちを見ている。
こいつらも俺を騙していた。
たまらず飛びかかろうとしたが、足がもつれて情けなくノドカとマコトの足元に転がった。見上げる。
ノドカの見下した視線が降ってくる。
「別に、俺は小細工なんていらねえと思ってたんだがなあ。でもまあ、ここまで死なずに生きてた甲斐があったってもんだ。やっとお前が絶望したところを拝める。なあ」
ノドカが隣のマコトに同意を求める。
マコトは笑いをこらえられなくなったという風に笑いをこぼした。今までの優し気な雰囲気は微塵も感じられなかった。
「そうだね。そのためだけに生きてきたんだ。こんな体になって、かつての仲間に命を狙われて、それでも生きてきた。すべてはこのためだ」
「こんな体って、なにを言っているんだ」
「ああ。圧縮言語を届かなくしたことや、FEAをDollと偽ったこと、細工はそれ以外にもあったってことさ。君の目に映る僕たちの姿を、別のものに映るようにしたりね」
「別のものだと」
にやにやとした表情のまま、マコトはユウに話を振った。
「そうさ。ちゃんと君の口からちゃんと言ってあげなよ。ユウ、だっけ。今思えば名前なんてものも馬鹿馬鹿しいね」
ミライは立ち上がり、ユウの方に視線を向けた。
「使徒の記憶を取り戻せばこれ以上仲間ごっこは続けられない。わかっているだろう」
マコトがユウの背中を押すように言葉を紡いだ。
そして、ユウは一拍を置いて口を開いた。
「私たちは『ノーム』と呼ばれる妖精獣です。肉体は醜い肉の塊。ドロドロです」
視界がぐらつく。体に力が入らない。
こいつらは敵だった。
足に力を込めた。
今すぐにでもFEAの元に行こうとした。そして、
「そしてあなたは『バンシー』と呼ばれる妖精獣です」
理解するまでに恐ろしい時間を要した。
「な?」
口をついて出てきたのは何とも情けない声だった。
「だって、俺は、」
「使徒の記憶がある? それなら私にだってありますよ。だからね、私たちは後天的に妖精獣になったんですよ」
頭の中に響いたあの悲鳴は、その正体は——
「ね。ね。私たちは仲間でしょ。だって同じ妖精獣どうしなんですから」
ノドカとマコトが何とも楽しそうにミライを見ている。そして彼らはひとしきり満足したような表情になると、怒りのこもった悪鬼のような表情に一変した。
「お前だけがいつも、俺たちとは違った。俺たちの部隊がみんな化け物になっても、お前だけはその姿のままだった! コンシャスネスリボーンシステムは憶えてるか? 俺らの脊髄にあるメディカルナノマシンは感情抑制や痛覚鈍化だけじゃなく、一定の間隔で月に俺たちの情報を発信している。それが途切れると、そこまでの情報を俺たちと同じDNAを持った肉体に埋め込む。だから俺たちは死なない。——そう思ってた。だが、化け物になった俺たちは、肉の塊みてえな体になる過程で、メディカルナノマシンが破壊された。わかるか? 月には別の俺たちがいる。だがお前は姿が変わらず、メディカルナノマシンもそのままだった。どうしようもない絶望と、お前に対する怒りでどうにかなりそうだった。でも、この体になったからこそわかる。お前はすでに化け物だったんだよなあ。今まで使徒のふりをしていやがった。反吐がでるが、お前も俺たちと同じだったわけだ。だがまだ足りない。お前が妖精獣の片鱗を見せ、かつ使徒を殺せば、お前に居場所は無くなる。俺たちと同じ、死ぬしか選択肢が無くなるってわけだ。いい様だな。俺たちを守っているつもりの英雄気取りが、記憶を取り戻せば一気に反逆者に墜ちるってわけだ。はは。最高で最低だ。俺はこの時のために生きてきたんだ」
「君の未来が絶望で満ちていることを祈るよ。ばいばいミライ」
ノドカとマコトの姿が徐々に変わっていく。肌はヘドロのような濃緑色になり、内側からてらてらとした光沢を帯びたピンク色の肉が盛り上がる。彼らはそのまま輪郭を失っていき、形を崩し、その場で粘液を纏った肉の塊になった。
ミライはこれを知っている。
地下の一室にあったものと同じだ。つまり、前に見たことのある肉の塊は、ミライの前にめっきり姿を見せなかったキセキとノゾミ、そのどちらかだったのだろう。もしかしたら両方かもしれない。
これが、彼らの本来の姿なのだ。
視覚野をいじられたのだろう。ミライには、彼らが生きている間は使徒の姿に見え、彼らが死んだ時にはその真の姿を見ることができるようにされている。
ユウの姿に見えているだけの化け物が、ミライに向かって楽しそうに言った。
「絶望しました? 絶望しました?」