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地には妖精、月には天使  作者: 仲島 鏡弥
第2章 名前
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違和感

 名前は六人全員に割り振られた。が、少女以外は結局つけた名前を呼んでいない。名前を呼ぶ際の、気恥ずかしさのようなものがあったのだと思う。それに名前も、単語の意味から考えて少々呼び方が変わったり、変わらなかったりした。自分には「ミライ」、少女には「ユウ」、いつも微笑んでいるような男には「マコト」、目つきの悪い男には「ノドカ」、常に気だるげな男には「キセキ」で、前髪の長い女には「ノゾミ」といった具合だ。

 少女がもちろんすべてを決めた。

 Dollの襲撃もなく、平穏な三度の夜を超えても名前が定着しないことは、ちょっともったいないと思う。名前を呼ぶ機会はそれなりにあったはずだし、名前を決めた時みたいに全員で集まることもできたはずだ。にもかかわらず、名前を割り振ったあの日以来ミライはユウとマコト以外といっさい顔を合わせた記憶がない。

 六人にはそれぞれの部屋があって、ミライのように一人が一つの部屋にいる。ユウは頻繫にミライを訪ね、体の調子や記憶の戻り具合などミライに色々と話しかけてくれる。

 ふと、考えてしまう。

 もしも目覚めて、そこに誰もいなかったら。

 ミライは記憶を失ったまま、事情もわからぬままにDollに殺されていた。FEAに乗るという選択肢を与えられず、誰の声も聴くことなく、誰にも知られることなくひっそりと自分は命を失くしていた。死ぬということは自分が失われるということだ。考えるだけでも恐ろしい。恐ろしいと考える自分すらもいなくなる。なにかを感じることもなく、誰かを守りたいと思うこともできず、すべてが無に帰す。

 きっと誰もが忌避すべきものが死だ。

 なのに、どうして自ら命を絶つ者がいる。

 そして、どうして人が生き返るなどと考える自分がいる。ミライには記憶がないが、それでもいくつかの常識的なことは憶えている。死ぬということももちろん憶えている。それなのに口をついて出てきた言葉は違う。


 ——だけど、生き返るんだろ?


 わずかな違和感がある。二つの常識が混ざりあって、ちゃんとした形になっていないような、そんな感じ。

 違和感というのであれば少し気になることがある。

 部屋の中だが、床のタイルに触れば糸を引くような粘液のようなものがある。建物自体が地下にあり、海の傍で半分以上も浸水しているのなら、充満した湿気によって床のタイルが濡れることぐらいはあるだろう。しかしこの粘り気は解せない。部屋のすべてが粘液に覆われているというわけではなく、なにかを引きずったみたいに粘液が床の一部にこびりついている。そして粘液が乾いていないということは、これが比較的新しくついたものということになる。

 ミライは四つん這いの状態でどこまで粘液が続いているのかを辿っていく。

 地面すれすれに顔を近づけて、指の腹で粘液の痕跡を確認していく。部屋を出る。粘液の痕跡を辿っていく。

 粘液に導かれるように通路を進んで行く。粘液の痕跡がY字の分かれ道で二分されている。なんとなく右を選んで、そのまま寝そべった状態でさらに通路の奥に進んで行く。

 壁に突き当たった。腹這いの状態のまま顔を上げ、そこには一つの扉があった。

 その扉が開いた。その扉からユウが姿を見せた。

 彼女は視線を下げることでやっとミライがいることに気づいた。


「そんな格好でなにをしているんですか。新しい遊び?」


「別に遊んでいるわけじゃない。妙な粘液を辿っていたらここにたどり着いたんだ」


「粘液? そういえば通路のあちこちがそんな感じですね。私もここのことはよく知らないのでなんでかあるのかは知らないですけど」


 初めてFEAに乗った時に彼女の後ろをついていった時も、たしかに歩く度に水音のようなものがしていた気がする。


「それよりも立ったらどうですか?」


 ミライは立った。

 彼女が知らないことを知ることはとても難しいだろう。わからないことが次第に減っていくことは単純に嬉しいが、彼女に質問してみたところで彼女がそのすべてを知っているわけではないだろう。だけど知りたいことはもっと簡単なことでもいい。


「ここは君の部屋?」


「君じゃないですよ。ユウって呼んでください」


「ああ、うん。じゃあここはユウの部屋?」


「そうですよ。部屋だけはいっぱいあるのでちゃんと一人に一部屋なんです」


「へえ」


 これ以上深堀りするようなこともなく、自分は会話というものがどうやら苦手らしいという結論に至った。ここに来てから質問しかしていないし、自分のことを話そうにも自分の記憶がないから会話のネタがない。

 妙な沈黙が生まれた。それを気遣ったようにユウが困ったように笑いながら口を開いた。


「あの、なにか思い出した事とかってありますか?」


「いや特には」


 またも会話をぶった切った。

 これではいけないと思った。


「でももっと色んなことを知れたら、なにかを思い出す……と思う」


 尻すぼみに小さくなっていく自分の声がなんとも情けない。

 相手に情報を話してもらって、自分はそれに頷くだけで済むような会話の流れに持っていこうとしている。相手になにかをしてもらおうという魂胆が彼女に浅ましく受け取られるかもしれない。


「どうぞどうぞ。いっぱい質問してくださいね」


 だけど彼女は特に嫌な顔もしなかった。

 それが、作られた表情であると思わせないとても自然な表情だった。単純に、自分が受け入れられたような気がする。

 なにを聞こうか。天使だの妖精獣だのが世界にいるということはわかったが、どうしてそんなやつらがいるのかがわからないし、自分に対してユウがミライという名前を選んでくれた意味も気になるし、だけどそもそも自分がいったいどんな人間であったのかをミライは知らない。

 優先順位としては自分のことを聞いてみるのが先かなと思う。

 そして訊ねてみれば、自分はとても勇敢な人物であったと彼女は言う。積極的に人と絡まない孤高の人間であり、いざ戦闘になればいの一番に戦果を上げる。自分の憧れであったとなんの臆面もなく彼女は言ってのけた。

 本当にそうだろうかと疑う一方で、本当にそうだったらいいなと思う自分がいる。これからも彼女の憧れの人物でいられたら、それは素晴らしいことだなと自分の未来を想像する。彼女が未来に冠する名前をつけてくれたのは案外そういった意味が込められているのかもしれない。


「どうです。なにか思い出しましたか?」


 彼女の言う人物像をベースにして、自分の記憶を探ってみる。それらしい記憶は見つからない。


「駄目だな」


 ユウは、頭を横にかしげてなにかを考えているような仕草を見せる。


「なにか、強い衝撃が必要なのかもしれませんね」


「衝撃って、殴られるとか?」


「それでもいいですけどなにかもっと別の衝撃が」


 言葉の途中で、ユウはこちらの目を上目がちに覗きこんでくる。白いまつ毛は上向きに伸びていて、桃色のくちびるをわずかに引き締めている。なにかを話そうとしているのか、なにかをしようとしているのか。蒸気した頬が桃色に染まっていたのはどうしてなのか。

 ユウは意を決したようにこちらに一歩を踏み込んできて、部屋の中に眉根に皺を寄せた表情のノドカと名づけられた男が入ってきて、ユウは進めた一歩を真剣な表情のまま元に戻した。


「ここにいたのか英雄さま。あいつらがまた降りてくるぞ。さっさと倒されてこい」


「Dollか。わかった。行ってくる」


 倒されてこいと言った部分に触れられず、ノドカが不機嫌そうに舌打ちをした。

 一方のユウは、ノドカに不満気な表情を向けている。むすっとした表情のままこちらに語りかけてくる。


「FEAの修理は、Dollの残骸からパーツを取り繕ってある程度終わらせています。しかし運搬はできなかったので、ミライが前にFEAから降りた場所にほぼ野ざらしの状態で置いています。また、最初の時のように、FEAの一部に触れて脳波接続してから乗り込んでくださいね」


「ああ」


「あの」


 部屋を出ようとしたところを彼女に止められて、


「なに?」


「絶対に戻ってきてくださいね」


 彼女の顔には、もう不満気な気配はなかった。

 そして、ミライは地上へと向かう。


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