【短編】王女フィリアは勇猛だけど奥手な辺境伯を溺愛する
「フィ、フィリア様……穏便に、ゆっくり……ね」
「ね、じゃない。それに、フィリア様じゃない。フィリアと呼べって何度も言っただろ。何をそんなところでモジモジしている」
ちっこいフィリアが、大男のグレンをグイグイ壁際に追い詰める。
「いいかグレン、これが壁ドンだ」
ちんまいフィリアが、筋肉のかたまりグレンを壁に押しつける。フィリアのか細い腕がプルプル震える。
「ヒッ、そんなに近づかれると困ります……」
グレンは顔を真っ赤にして両腕で顔を隠す。赤獅子と呼ばれるグレンは、燃える夕陽のような髪をしているが、今は顔と髪の境が分からない。
「ヒッ、じゃないぞグレン。この前、近衛騎士たちを殲滅したときの勢いはどこにいった」
「魔物や人間はいくらでも屠れるのですが……。こんな美しい人に近寄られると、い、息ができない……ひいぃ」
「人じゃない、嫁だ。さあ、ウジウジしてないで、こっちこい」
妖精のように華奢なフィリアが、筋肉で覆われた鋼鉄のグレンの腕をグングン引っ張る。引っ張りすぎて、手がすっぽ抜けて、フィリアはコロコロと後ろに転がっていく。
「ああああ」
グレンは俊敏にフィリアの転がる方向に先回りすると、そっとフィリアを止めて優しく抱き上げた。
「ありがと。さっきの動き、カッコよかった」
フィリアがウットリとした目で言うと、グレンは上を向いてピキーンと固まる。フィリアは軽くため息をつくと、グレンの胸をツンツンつつく。
ギギギギッと顔をフィリアに向けたグレンに、フィリアは親指でクイクイッとベッドを示す。
グレンは覚悟を決めたのか、ギクシャクとしながらベッドまでフィリアを運び、宝物を置くようにふわっとフィリアをベッドに寝かせる。
そのまま、また固まってしまったグレンの手をフィリアが引っ張っると、虚をつかれたグレンがベッドに倒れこむ。あわやフィリアをペチャンコにという瀬戸際で、グレンの鍛え上げられた上腕二頭筋が仕事をした。
「いいぞグレン、これが床ドンだ。いや、ベッドドンか? まあ、なんでもいい」
フィリアはかわいらしく微笑むとグレンの首に腕を回し、柔らかい唇を押しつけた。
***
トリーゼンシュタイン王国の第九王女フィリアは妖精姫と呼ばれている。
さらさらの銀糸のような艶やかな髪に、夜明け前の空を思わせる深い紫色の瞳。針よりも重い物を持ったことがないような、ほっそりとした身体。騎士なら誰もがこの腕で守りたいと思う姫君だ。
そんな騎士たちの憧れの姫君が、よりにもよって赤獅子の異名をもつグレン・イェーミナス辺境伯に降嫁すると決まったとき、グレンは腰を抜かし、騎士たちは泣いた。
「なぜです、陛下。グレンなぞに姫様を与えるなど、血迷われましたか? 姫様はひと晩で粉々に砕けてしまいます」
密かにフィリアを賜りたいと願っていた近衛騎士たちは、陛下に直談判した。
「そうは言ってもなあ、フィリアがぜひにと望んだのでなあ。ワシ、フィリアの頼みは断れないし」
王は困りきった顔で近衛騎士たちを見回す。
「……っ! そ、そんなバカな……。陛下、お願いです。我らにも機会を与えていただけませんか。ぜひに!」
騎士たちは頭を垂れて必死に懇願する。あのようなムサい男が許されるなら、自分たちにも望みがあるのでは、そう思った。
「そういうことでしたら……」
涼やかな声が騎士たちに降り注がれる。
「グレンと闘って勝った者に、わたくしへの求婚の機会を与えましょう。……受け入れるとは限りませんが」
フィリアがおっとりと言う。
「ホホホホ、父上が大変だと侍従から聞きましたのよ。立ち寄ってよかったですわ」
「おお、フィリア、それはいい考えではないか。すぐに手配しようではないか」
王はデレデレと相好を崩す。
騎士たちは下を向いたまま心の中で快哉を叫んだ。あの田舎者をコテンパンに打ちのめし、妖精姫を我が手に、そう思うと武者震いが止まらない。
そんな騎士たちを、フィリアは静かに見つめる。
***
フィリアは見た目は乙女だが、本当の姿は冒険好きのおてんば娘だ。乳母の娘マールの影響で、幼い頃から平民向けのあまり上品ではない冒険小説を読んで育った。フィリアとマールは冒険ごっこをしては、服をビリビリに破ったり、部屋を破壊しては乳母にコッテリと絞られた。
フィリアとマールが下町のべらんめえ口調でごっこ遊びをしているとき、たまたま通りかかった母である王妃に聞かれ、王妃は卒倒してしまった。
あわや、乳母とマールが解雇される瀬戸際までおいこまれ、フィリアは王妃に号泣しながら嘆願した。
「二度と人前で下町言葉は使いません。全てわたくしが悪いのです。なにとぞ、なにとぞ彼女らにお慈悲を……」
それ以来、フィリアとマールは完璧な淑女の仮面を装備している。お互いのことが大好きなふたりは、引き離される危険を二度と犯すまいと心に誓っている。
大きな猫をかぶって気疲れが絶えないフィリアの楽しみは、騎士たちの訓練を見学することだ。
「つまらないわ……」
フィリアは微笑みを顔に貼りつけたままつぶやいた。
「動きがキレイすぎるから……でしょうか」
今は侍女となったマールが、これまた笑顔で答える。
「そうなのよ、試合ならこれでいいけれど、魔物との闘いでは型の美しさより、臨機応変さが必要だと思うのよね。そう思わない、マール?」
「ご慧眼にございます、さすがです姫様。お喜びください。今日は魔物との闘いで負けなしの猛将、赤獅子のグレン・イェーミナス辺境伯が訓練に参加されます」
「なんと!」
フィリアは思わず叫んでしまい、慌てて扇で顔を隠す。
赤獅子のグレン・イェーミナス辺境伯は、武の人として知られている。王国への魔物の侵入を阻止するため、日々苛烈な闘いを強いられている。勇猛にして武骨、口数が少なく女は一切近づけない。硬派一徹、男の中の男なのだ。
辺境を守るため、社交界には滅多に現れない。憧れの人と初めて会えるとあって、フィリアの興奮は右肩上がりだ。
「まさか、赤獅子のグレン辺境伯をこの目で見られるとは。神に祈りを捧げなければ」
跪いて祈りを捧げようとするフィリアを、マールがそっと止める。
「姫様、お祈りはあとにしてください。ほら、赤獅子の登場です」
ゆっくりと訓練場に足を踏み入れる大男に、騎士たちの動きが止まる。急に空気の密度が濃くなったように感じた。肌が泡立つような圧を感じ、ゴクリ、騎士は唾を飲み込む。
コクリ フィリアも唾を飲んだ。なんて鋭くて強い目なのかしら。
グレンは太く長い槍をドンッと地面に打ちつける。
「何人でもいい、かかってこい」
グレンは大楯を構えると、挑戦的にニヤリと笑った。
五人の騎士が一斉に切りかかるが、盾で簡単に弾き飛ばされる。
「これだけか? 陛下をお守りする近衛騎士がこの程度では、先が思いやられる」
「……クッ。舐めやがって」
今度は十人の騎士が襲いかかる。グレンは軽い身裁きで次々騎士をかわすと、騎士の首に槍を叩きつけていく。
「田舎の魔物処理人の分際で生意気な」
ひとりの騎士がキリキリと弓を引き絞って、グレンめがけて矢を放った。
「あぶないっ」
思わずフィリアは立ち上がって叫ぶ。
グレンは身を引いて矢を避けると、槍で矢を叩き切った。
「そこまで! フィリア殿下の御前である。そなたら見苦しい振る舞いは控えよ」
近衛隊長の言葉で、騎士たちはざっと跪いた。フィリアはマールにささやき、近くの近衛騎士から隊長に言伝をしてもらう。
騎士は隊長の元まで駆けていく。隊長は二階席にいるフィリアをチラリと見上げると小さくうなずいた。
「グレン・イェーミナス辺境伯、フィリア殿下からお褒めの言葉を賜った。顔を上げよ」
グレンがゆっくりと顔を上げ、フィリアを見上げる。
「直答を許す。近う寄れ」
フィリアの言葉に、グレンは一瞬体をこわばらせるが、素早い動きでフィリアの席の下まで近づき跪いた。
「素晴らしい動きでした。我が国を魔物から守るそなたの力、しかとこの目で見届けた。あっぱれである。褒美をつかわそう、なんなりと申してみよ」
グレンは目を見開き何度か瞬きすると、顔を少し赤らめてうつむく。
「遠慮はいらぬ。今心に浮かんだものを申してみよ」
フィリアがなおも言うと、グレンはオズオズと口を開いた。
「恐れ入りながら申し上げます。もし可能であれば、フィリア殿下の扇を賜りたい」
「ホホホホ、そんなものでよいのか。欲がないな。では、受けとれ」
フィリアは扇をハラリと二階席から落とした。扇はヒラリヒラリと落ちていき、グレンの大きな手に受け止められた。
「ありがたき幸せ」
グレンが扇を胸に押し抱いてかすかに微笑んだ。
「こ、これがギャップ萌え……」
「んんんっ」
マールがフィリアの本音をあうんの咳払いで打ち消す。
フィリアは外れかけた王女の仮面をつけ直すと、悠然と立ち去った。
後には妖精姫の扇を夢見心地で眺めるグレンと、妬ましげに睨みつける騎士たちが残った。
***
「あの日を思い出すわね、マール」
「さようでございますね、姫様。あの後すぐに陛下を脅し、いえ、陛下にかわいらしくおねだりをなされ、ついに赤獅子を手に入れられたこと、さすがでございます」
「フフフフ。ご覧なさい、有象無象が完膚なきまでに叩きのめされているわ」
いつぞやと同じ騎士団の訓練所ではグレンが騎士たちを、ちぎっては投げちぎっては投げ、累々と敗者を積み上げている。
グレンは最後の騎士を積み上げると、拳を突き上げた。静まり返る場内を、グレンは一歩一歩決意を固めるように歩いていく。
眼前に跪いたグレンを、フィリアは睥睨する。
「グレン、おもてをあげよ」
グレンのまぶしそうな目がフィリアを映す。
「グレン、よくやりました。褒美を取らせる。受けとれ」
フィリアは弾みをつけると、ヒラリと手すりを飛び越えた。
落ちてくるフィリアを、グレンはしっかりと受け止める。
「返品は許さぬ。しかと受けとれ」
「はっ、ありがたき幸せ」
グレンは真っ赤になりながら、フィリアを抱く手に力をこめた。
***
フィリアは父と母に泣き脅しをかけ、フィリアとグレンは異例の速さで結婚した。グレンは辺境を長く留守にできないし、フィリアは離れ離れになるのはイヤだったのだ。
王族にしては簡素な式を挙げ、王都をグルリと馬車で巡り民の声援を受けると、そのまま辺境にむけて発つという強行軍だ。
ちょっと旅行にいくぐらいの気軽さで、フィリアは王都を後にした。もはや誰もフィリアの勢いを止められなかった。
そして、数日の道程を経て、ついに領地に着いた。フィリアはにこやかに屋敷のものたちに挨拶を済ませると、マールの手により湯浴みを終え、グレンに壁ドンをしかけた。
お預けだった初夜にとりかかろうと、フィリアはギラギラしている。
「グレン、夫婦の間では隠し事はなしだ。わたしの本性は冒険に憧れる少年だ、いや少女か。非力だが、気はかなり強いぞ。どうだ、いやか? 幻滅したか?」
「いえ、どのようなフィリア様でも、俺にはもったいないです。お、俺は魔物ならうまく扱えるのですが、女性はからきしでして……その……」
グレンは熟れたトマトのような色になって、棒立ちだ。
「フィリアだ。フィ・リ・ア。わたしもどんなグレンでも愛せる自信がある。安心しろ。さあ、さあ、さあ」
フィリアはグイグイ行く。長年憧れた英雄がついに自分の手に入ったのだ、これがたぎらずにいられようか。
フィリアに押されまくって、ベッドに到着したグレンはついに覚悟を決めた。いまひとつ現実味がなかった白昼夢から、フィリアの柔らかな口づけで起こされたのだ。現実が夢より素晴らしいことがあるとは。
グレンは大きな武骨な手で慎重にフィリアを抱きしめる。
「フィ、フィリア。一生大事にする。一生愛する」
「グレン、わたしもだ。一生そばにいるし、一生愛すぞ」
中身が男前な妖精姫と、優しい英雄の愛の物語がここから始まる。
<完>
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