黄昏の沼地、少女は月影を駆る
前からあっためてた作品です。何度か遂行を繰り返してプロットが組みあがったので投げます。
完結するといいですね。
泥が跳ねる。月が照らす。日中は汚泥に濁った水面も、闇の中ではかろうじて美しく鏡面に輝いている。騒々しい街の音楽も、眩暈がするような若い衆の怒号もない。ただ虫の鳴き声と木々の隙間を縫う風の音だけが響き、幻想的な雰囲気を保っている。
ここはショルド沼湖畔。周囲を森に囲われた大きな沼地で、私の出身の村、ひいては今滞在している町の周辺にもこういった湿地帯は少ない。また、そういった沼独自の生態系が生み出す希少な鉱石なども存在する。そのため、炭鉱夫や行商人などの、本業では無い者が、希少な鉱石を目的に度々この周辺に顔を出す。
その度に救助依頼が組合に張り出されるので、私たち本業はたまったもんじゃないが。
とは言っても、件の鉱石は市場価値が高く、収穫さえあれば救助依頼の報酬を払ってなお、釣りが出る。また、ベテランの彼らは事前に護衛の依頼を組合に出す。救助依頼よりも数段高価になるものの格段に安全だ。そして、護衛の依頼料を支払って尚、ここでしか採取できない素材は馬鹿にできない富を生む。
それ故に、この沼地がどれだけ危険か知り、それでもここに足を運ぶ者は多い。
まぁそれはそれとして、私のような本業がここに来る理由。正直言って、ここで採取できる鉱石は柔軟でよくほかの素材に馴染む。ただ、尖らせたりしてもいまいち強度が足りない。ある程度の資金があれば鉱石にはあまり魅力を感じないが、わざわざこんな場所に本業が足を運ぶ理由としては、小遣い稼ぎに初心者が3割、さっき言った救助依頼が5割である。そして──
水面が泡立つ。虫と風の声が遠のき、代わりにがなり声が腹の底を揺らす。忍び寄る殺気にすっと空気が冷え、否が応でも視線が水面に釘付けになる。
「グゥロロロ……!!!」
声……と呼ぶにはあまりにも下劣で人間離れしている。水面が急に膨れ上がり、裂けた。隙間から、艶めかしい厚皮が浮かぶ。月明かりに照る沼色の皮には鱗がなく、無数のイボが表面を覆っている。
「カロロロ……」
あまりにも大きく、そして殺人的な気配を放つそれは、カエルによく似た姿をしており、大きく口を開けて私の前に立ち塞がる。
スワンプフロッグ。
星2クラスの魔物で、このショルド沼湖畔に生息している、3メートルを優に超える巨体を持つ大型の両生類型魔物である。
残りの2割、私たちのような魔物狩りを本業とする冒険者は、こいつら魔物を狩るために、こんな僻地に訪れる。
「今日は、お前を殺しに来たよ」
「カロロッ……クォロロロ」
脂肪たっぷりの巨体を左右に揺らしながら、もっさりとした動きで私に歩み寄る怪物。短剣を構え、己を睨みつける少女を見て、スワンプフロッグは何を思うだろうか。己の死を間近に感じ戦慄している?久方ぶりの戦いの気配に武者震い?果たしてこんな低俗な怪物にものを思う知能があるかは分からないが、また身の程を弁えない冒険者がエサになりに来た、その程度にしか思っていないだろう。
「生意気な顔。本当に腹が立つ」
短剣を右手で逆手に持ち、カバンから取り出した小さなボール二つを、空いた親指、人差し指、中指の三本で挟み込む。
沈みかけていた脚を引き抜き、その勢いのまま滑るように泥濘を駆け出した。
「グァrrロァ!!」
私のその動きに反応し、スワンプフロッグは下顎を振るわせ、その巨体を加速させる。
それでも、あまりにも遅すぎる。人が3、4人押し込めそうなほどの大顎を湛えた巨体を、人よりもずっと短い手足で引きずっているのだ。とてもじゃないがスピードが出るはずがない。それでも、駆け出しの冒険者は自分に殺意を持って押し寄せる壁に恐れをなし、足が動かなくなってしまうのだろう。
大きく口を開けて、私を丸呑みにしようと飛び込んで来る。が、その速度でこれだけ距離が離れていれば対処も容易い。
速度は落とさず踵を軸に体制を変え、体がギリギリ触れない距離でスワンプフロッグの隣をすれ違う。ただ避けるだけではサービス精神に欠ける。自慢の短剣で腹を一凪ぎ。全力の振りではないが、それでも随分と手ごたえは浅い。
「いいなぁ、分厚い鎧」
その点私には何もない。薄いピンクのフリフリが付いたワンピース。今自分が振りぬいた短剣の一撃で、私は簡単に致命傷を負うだろう。本当に、本当に私には何もない。
王国騎士の連中が全身で抱える紋章付きの金属の装甲、ゴブリンの棍棒を弾き返せるウッドシールド、鉄剣を肌に通さない鎖帷子、せめてもの革鎧さえ、今の私は持っていない。
寝間着の冒険者。組合員、同業者、私を知る者はそう私を評する。
「キョロロ……?クゥルル」
傷が入った箇所が気になるのか、スワンプフロッグは不審な挙動をしてその場で足を止めた。緩慢な動きで振り返り、私をにらみつける。
「素直な反応だね。魔物のくせに生き物ぶってんなよ」
「グギュrrrrルァァァ‼」
私の言葉の意味を理解したのか、はたまた自分の体に傷が増えたことに怒りを覚えたのか、耳障りな叫び声を吐き出して身をよじりながらこちらに向かい詰めよってくる。
先ほどよりもずっと速い。だが、それはあくまで比較的なもので、まだまだ私の対応可能なスピードでしかない。
「ほら、これでも食ってな」
先ほどから右手の指に挟んでいたボール、そのうちの一つをその場に残して横っ飛びに噛みつきを回避する。それに、もう一回無防備なケツに短剣を突き立てて離脱する。深追いはせずにワンピースに泥を纏いながら体を転がし、なるべくスマートに体を立て直す。
顔を上げた時、視界の奥で動く巨体、スワンプフロッグは、ちょうどブレーキをかけ、ゆっくりと振り返るところだった。先の攻撃はあまり効いていないようだ。皮の表面には独特のぬめりがあり、斬撃のダメージを軽減している、んだと思う。まあいい、失敗も経験のうちということにしておこう、次から生ぬるいジャブはしなくてもいい。
「どう?私からのプレゼント。おいしい?」
アホみたいに首をかしげているスワンプフロッグ。これも効いていない、か。
まぁ、無駄に体が大きいのもあるかだろうけど、高い金掛けて買ったんだからなるべく早く暴れて欲しいものだね。あーやだやだ、ぜーんぶ空回り。
さて、気を取り直してもう一度。第二ラウンドということにしよう。
「じゃあ、今度は私がエスコートしてあげるね」
短剣を胸の前で構え、すっと息を吸う。一瞬の溜めを満喫し、大きく吐き出しながら沼地を駆ける。
「はぁっ!!」
眼前に迫るスワンプフロッグの顔面。目の前に飛び出した私を迎え入れるべく大口を開く。だが、そんな場所に飛び込んでやるつもりなど毛頭ない。胸の前から大きく奥に突き出した短剣を振りぬき、無防備な舌に一閃、もちろんさっきのように意味のない攻撃はしない。ざっくりと深く強くまで剣先を押し込み、そして上顎が閉じてしまう前に焦らずバック転で緊急離脱。このバック転とかいう回避手段、苦手だけど、こういう直進しか能のない雑魚には本当に役に立つ。
「グゥアギャyyyyyィィィttッ‼‼」
「さすがにベロは効いただろ。」
無様に泥の中でのたうち回るスワンプフロッグ。当然だが、粘膜部分にはねばついた粘液を纏っていない。あらゆる攻撃から身を守ることのできる装甲をもったこの魔物は、自分が攻撃するときに最も大きな隙を晒すことになる。
「まぁしかたないけど、やっぱり不公平だよねぇ」
ゴーレム、コカトリス、それにドラゴン。
魔物の中にも、上を見上げればその数は数えきれない。それらは皆、私たち人間の手によって勝手に星の数で階級分けされている。スワンプフロッグは、ご存知星2クラス。初心者が相手にするには強力だが、上級者、ひいては魔術師からしてしまえば魔物でない生き物とさえ大差ないのだろう。
「スワンプフロッグ、君みたいな雑魚魔物は、逆立ちしたってドラゴンにはなれないんだもんね」
顔をそらして無防備になった横っ腹、そこにはつい先ほど抉り抜いた傷口が開き、赤黒い汁を垂らしている。
「もう一回、今度はじっくり味わってみよっか」
例え硬い鱗があったって、斬撃を弱体化させる粘液を纏っていたって、一度剥がれてしまった箇所はやわらかい肉が顔を覗かせ、再生を待つまでの時間、明確な弱点となる。
「セイッ‼」
バック転で離したごく短い距離をステップで詰め、横一文字についた傷をめがけ下から垂直に切り上げる。まだ手ごたえは浅いが、これは投資、追撃への布石だ。十字についた痛々しい斬痕、その中央に狙いを定める。
「グ、グギャッ」
ようやく私にターンを明け渡してしまっていることに気が付いたのか、あわててこちらに向き直ろうと体を持ち上げるが、何度でも言おう。遅すぎる。
「ハァーァッ‼」
素早く追撃をやめ、造作なく横にステップ。側面に張り付くように移動し、あとは体制を低く保ち着地の衝撃を反発力、推進力に変える。リポジショニング完了、再び狙い通り。十字の形についた浅い切り込み目がけ、迫真の突きを押し込む。先ほどの二撃三撃とは違う、確実な手ごたえ。短剣を斜めに捻り、一気に引き抜く。
「ギャガギャ…‼アギャrrグラァ‼」
こざかしい動きに怒り狂ったような雄たけびを上げ、力任せにこちらに振り向き、大口を開ける。もう一度横ステップで横にくっついてもいいのだが、スワンプフロッグ、魔物とて学習はする生き物だ。
「奮発大サービスだよ」
一度軽くかがむような姿勢を取り、跳ねっ返りにバック転。その時に二つ目のボールを下品な口に滑り込ませる。
「そっちは即効性、存分に堪能しな」
「カロロ……ッグォ⁉tttッングォアァァァァ‼」
パチッ、パチという何かがはじける音。
そこで思わず表情が緩む。天を仰いだスワンプフロッグはだらしなく舌を垂らして、痙攣している。それもそうだ、この周辺で採取できない毒キノコ、テツクズタケを乾かしたものの粉末だ。一概に毒キノコと言っても、ただの毒じゃない。テツクズタケ、その名前が指すように、このキノコの乾燥粉末は密閉状態から解放されたときに高熱を放ち、一瞬ではあるが激しく発火する。
ただ燃やすだけなら松明を投げ込めばいいのだが、口内に入れてしまえばその場で直ちに消火されてしまう。発火するテツクズも同様に火は消えるのだが、それを引き起こすほどの爆発的な発熱はよだれごときではどうにもできない。
「ほうら!さっさと死ねっ!」
まるで無防備な顎に飛び込み、アッパーカットの要領で下から短剣を擦り付ける。無防備とはいえ、粘液を纏っていることに変わりはない。だが、それでも顎は薄い。
粘液、皮膚、わずかに肉を挟んで薄皮、そして__
「貫通ッ‼」
確かな感覚。スコン、と短剣が抜け、奥深くに沈む。
「グッ…ttt……グアッ……」
「なーんにも言わせないよ」
すぐさま短剣を引き抜き、体を丸める。さっと再び逆手持ちに切り替える。
そして収縮の反動を利用し、増幅させてその勢いのまままるでダンスの披露のように、手を伸ばす。
「二発目ッだ‼」
白い滑らかな皮膚に強力な一撃、吸い込まれるように二つ目の赤いシミをつくる。
だけど、満足はしない。
「次ぃ‼」
グシャ、と刃を捻り、サイドスローの動きで横に引き裂く。途中で顎の骨に引っ掛かり、腕の動きが止まる。
「おっと、残念」
「ウギュuuu……rrrrァァ!」
半端な攻め口になってしまったのは残念だが、視線は逸らさず二度三度ステップして一度距離を取る。直後、私がいた場所はスワンプフロッグに腹で押し潰されていた。半端に攻めるのは精神衛生上よくない。だけど欲張るのはもっとよくない。
私は見ての通りソロの冒険者。パーティを組まずに一人で魔物と戦うのなら、敵の射程圏内での硬直=死だ。
自分自身の一挙手一投足には、必ず次の手を置いておく。どんな行動にもアフターケアを考えて、流れるように動かなければいけない。
「そろそろフィニッシュにしようか?」
「ウグッ……グオッガrrrr……」
すでに奴さん満身創痍、傷だらけになった沼色の皮膚は血で赤黒く染まっており、もう放っておいてもそのうち死んでしまうだろう。
「ハァァッッッ‼‼」
何度目かの疾走。ただ突っ込むようなことはせず、直前に足を止めて跳躍する。一瞬の視線の交錯、そして超える。
空中で体をねじり下を向くと、まるで二やついたようなスワンプフロッグの顔面。まぁ、そうだろうね。
こざかしく地上を走り回っていた邪魔者が、身動きの取れない空中に飛び出してきてくれたのだから。
「グガッ、ゲゲrrr」
私を丸呑みにしようとでもしているのだろう、底なし沼のように開いた口の中から、ピンク色の長い舌が私に向かって射出される。
「おお、飛び道具」
この戦いの中で初めて見た、長い舌を使った遠距離攻撃。予想していなければこの長い舌に全身を絡めとられ、あの口の中にしまい込まれてしまう。予想していなければ、ね。
「そいっと」
「アギャtt__」
まだ伸びきらないうちのそれを左腕で鷲掴みにし、思いっきりピアッシング。
次の行動を起こさせる前に、短剣を握る手以外の全身から力を抜くと、私の体は真っ逆さまに落下を始める。
「そぉぉれっっ‼」
柱のように上に伸びる舌に沿って、突き立てられた短剣は傷を広げながら口の中に沈む。
「グフtt……グア」
傷だらけになりながらも、せめて、とうとう口の中に沈んでいった私を嚙み潰そうと、天然のトラバサミが口を閉じ__。
「るまーえにっ」
ギリギリ。舌の付け根を踏み、軽く力を籠め、ふわりと宙を舞う。泥と粘液に付着したワンピースは、残念ながらしっとりと肌に張り付いてはためかない。
だが、構わない。ワンピースは目も当てられない有様だが、私の体には傷一つついていない。
「ウギャ……ンガァァァァァァrrr」
何もかもが思い通りにならないことに痺れを切らしたのか、スワンプフロッグは最初と同じ、無防備で無策な突進を敢行してくる。もはやこの攻撃には何の意味も込められていない。もしこの一撃が当たって、死んでくれたらいいなぁー、ぐらいの、幼稚な攻撃。
「本当に、腹が立つ」
魔物。それらは人を食う。あるいは殺す。サメやトカゲの形をした肉食の魔物は人を食う。植物型やシカ、ウサギのような魔物はたとえ食わずとも進んで人を殺す。なぜそんな生態をしているのかわからないが、一説には、魔物は魔界に住まう魔族、その頂点たる魔王が生み出しているもので、魔王が人類を憎む限り、その大きな感情のエネルギーは魔物の端々にまで影響を与えている、という。
「グギッ……⁉」
体を蛇行させながら突進してきたスワンプフロッグは、途端びくりと体を震わせる。体を内側から蝕む気配にわずかに抵抗するようなそぶりを見せたが、既に死に体の抵抗力では不可能だったようだ。
そのまま、最期には耳障りな鳴き声すら上げることなく体を地面に擦り付ける。
突進の勢いが肉塊を押し出し、泥濘の中を私の足元へ滑る。
「聖水結晶Sサイズ。念のため教会で買ったけどぉ……まぁ、正直いらなかったね」
聖水をはじめとした教会産の消耗品。そっち分野は全く勉強してないけど、これがまぁ魔物にはよーく効くらしい。
スワンプフロッグの無様な亡骸を踏みしめ、腹を裂く。確かこの辺に心臓が……、と。
「ぁあった」
紫色に鈍く輝く、不揃いな宝石がゴロゴロ。今は夜更けなので見られないが、日の光を透かして見れば、赤く発光するのも特徴だ。
これは魔石。説明をしようにも、魔石のシステムを完全に理解している者はいない。私も、魔物の心臓周辺の体内で生成されるダークマターだということと、武器や鎧の鋳造に使えば強力な装備が造れて、魔術師に売ればそこそこの金になる、それぐらいの認識でしかない。
ほかに、頑丈だった顎の骨や、柔軟性に富んだ背中側の皮膚を、少し離れた場所に放置していた、私と同じぐらいのサイズのバックパックに押し込む。
「出費は大銅貨三枚だから……今回の収入は、差し引き銀貨2枚ってとこかな」
泥のついたバックパックを背負い、腰を曲げて歩き出す。太陽が昇ってしまってからの方が安全ではあるが、何分早く体を洗いたい。それに、バックパックを一旦背から降ろしてしまえば、この森に棲む魔物程度なら敵ではない。十分に警戒して進めば、魔物が原因の問題は発生しないだろう。
「さ、帰るか」
月明りの届かぬ、深い森の闇へと足を投げ出した。
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