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8 勉強をしよう

 カーテンの隙間から朝日が差し込む。

 昨日とは打って変わって目覚めが良い。どうやらよく眠れたようだ。


 食堂へと向かう途中、広間のソファに座るシュリの姿が目に入った。彼女は昨日と同じ場所に座り、昨日と同じくガラス板のようなものを、これまた昨日と同じく難しい顔で見ていた。


「おはよう、シュリ」

「あ、おはようございます。アリス」


 昨日とは違うさわやかな会話。そう、私は新生アリス・クレールなのだ!


「昨日から一体何を見てるの? 難しい顔して。」

「……母からの思念映像です」


 シュリが呆れたように言うと、私にもそれを見せてくれた。どうやら動画のようなものらしい。そこにはシュリによく似た女性が映っていた。

 彼女は仕事の愚痴や夫の愚痴をひとしきり喋り倒した後、最後に一言付け加えた。


『シュリエル。あなたも魔術学校に通いなさいね』


 プツリ、と映像が切れると同時にガラス板も消えた。シュリが重い溜息を吐く。


「こういったどうでも良いことを、毎日のように送ってくるのですよ」


 天界もこの世界や地球と同様に、仕事や家庭の事等色々と悩みがあるらしい。


「母の愚痴を聞くのは娘の役割、っていうのはどの世界も同じね」

「こんなに愚痴ばかりの母親はそういないと思いますが」


 シュリが「私も忙しいのに」と不機嫌そうに呟いた。そう言いつつも、ちゃんと映像に目を通す彼女を微笑ましく感じた。


「いいじゃない。元気な証拠よ」

「……そうですね」


 彼女は少しばつが悪そうな表情をした。地球に住む私の家族を思い出したのかもしれない。


「そんなことより、シュリも勿論魔術学校を目指すでしょ?」

「……そうなりますね」


 魔術・武術学校は各地に点在する総合学校と違い、各領に1校しかない。魔術学校は二つ隣の街にあり、毎日通うには遠いため学生寮に入ることになる。

 シュリは私の監視役。そして私は昨日シュリの監視役に任命された。…私は納得していないけど。ともかく、監視役の職務を全うするには同じ学校に通わなくてはならないのだ。


「じゃあ、そんな顔することないじゃない」


 魔術学校が話題に出た途端、シュリはものすごく嫌そうな顔をした。彼女ほどの実力があれば、合格はもちろん上位クラスも確実だろう。そんな表情をする理由が思い浮かばなかった。

 魔術学校では、試験結果をもとに上位・中位・下位のクラスに分けられる。私は上位クラスを目指しているが、まだその基準には達していない。……というのは以前までの話。シュリの指導により無詠唱魔術が使えるようになった私は、とうにその基準を満たしているのだった。


「同年代に私たちほど魔術が使える子はきっと居ないよ。心配しなくて大丈夫」


 ふふん、と得意気に言ったものの、彼女の表情は晴れない。何を言うでもなくはっきりしない彼女を見ていると、無性に苛々してきた。


「……もー! 何でも言う約束! ちゃんと言って!」


 痺れを切らして声を上げると、彼女は眉を八の字にして、か細い声で呟いた。


「私、座学が苦手なのです……」

「ざ、座学……?」


 私は、その存在を知らなかったのであった……





 この世界で9年間生活してきた私と、天界で育ったとはいえこの世界に精通しているシュリ。双方ともに、この世界の知識は人並み程度にはあるはず――


「……なにこれ、知らないことばかりなんだけど」

「私もです……」


 2人で1冊の本を広げ、並んで座る私とシュリ。そして目の前にはナタリアがいる。


 なぜ、こんなことをしているのかというと……シュリから衝撃のワード――『座学』が飛び出した後、朝食を摂ることも忘れてナタリアに話を聞きに行ったところ「本日より座学のお勉強を始めることになっております」という言葉が返ってきたのだ。なんとタイムリーな。……と、いうわけで、ナタリア先生の座学講義が始まったのだった。


「魔術の方は順調なようですから、座学も頑張りましょう」

「……はーい」

「……はーい」


 明らかに嫌そうな顔で、やる気の感じられない返事をする私たちを見て、ナタリアが苦笑する。


「試験に必要な知識は、基礎の部分だけだと聞いています。大丈夫ですよ」


 その言葉を聞いて、少し気持ちが楽になった。


 ……そうだよね、この世界の9歳の子が受ける試験なんだから、こんなに難しいはずないよね。今見てるこの部分はきっと試験の範囲外だ。安心した。……って、ここ1ページ目なんだけど!


 隣に目を向けると、シュリは白目を剥いていた。前途多難である。

 ナタリアはコホン、と一つ咳払いをした後、ゆっくりと話し始めた。



 私たちが住む国の名は、ストラティウム王国。王を頂点とする王政の国だ。大陸の南端に位置しており、東側はアイゼンルート王国、西側はダエス王国、北側はメルアド帝国に隣している。南側は海に面しているため、貿易や海産物による収益が多く、それらが大半を占めている。

 この国は、王の直轄地である王都を中心として、複数の領地により構成されている。それらの領地は貴族である領主により治められ、政治体制も領地ごとに異なる。領地は領主の直轄地である領都を中心とすることが多く、周囲には他貴族が治める複数の領地が置かれている。



 王都は首都、領都は県庁所在地みたいなものだと理解した。本に記載された図によると、先程の"中心"というのは、文字通り国の真ん中、領の真ん中ということのようだ。他国・他領に攻め込まれた際に手前の領地で食い止めることができるように、そうなっているそうだ。命を狙われることのある王族やお貴族様は大変だ。

 ナタリアの説明は続く。



 私たちが住む領の名はヴェンガルデン公爵領。その中の、ホーヴィッツという街に住んでいる。

 隣の街は武術学校のあるドリナス、更に隣は魔術学校のあるウェルリオ。この3つの街は同じ領内にある。

 ウェルリオの更に隣にはこの領の中心――領都がある。ここには領主をはじめ、多くの貴族が住んでいる。貴族の御子息・御令嬢の通う貴族学校もここにある。領内の政治の中心地であることから、平民の富裕層も多く、流行の発信地でもある。



「私たちがこうして生活できるのも、貴族のおかげなのですよ。魔術学校に入ってからはそれについても学ぶことになるでしょう」

「ふーん……」


 貴族に逆らってはいけない、というのは私たち平民にとって常識だ。それは私でも知っている。とはいえ貴族のおかげ、など言われてもいまいちピンとこない。何せ、見かけたことすらないのだから。


 ……お貴族様より先に神様に会ってるからねぇ。隣に居るのは、見習いとはいえ天使だし。


 この世界に転生し【健康体】を習得できたのは、ひとえに神様のおかげなのだ。貴族にお世話になった記憶はない。それなのに平民というだけで従わなければならないなんて、到底納得できなかった。


 その後もナタリアの座学講義は、休憩を挟みつつ一日中続いた。彼女はこの国の歴史や地理、政治や経済等、様々な事を教えてくれた。説明も本も非常に解りやすかった。

 途中で知ったのだが、この本はナタリアのお手製だった。私はこの本を参考書と呼ぶことにした。……理由は特にない。


「今日はここまでにしましょう」

「ありがとうございました」

「……ハッ! ありがとうございました」


 終わると同時に意識が戻るなんて、シュリは随分と器用なことをするものだ。ナタリアが何度声をかけても無反応だったくせに。シュリは結局、最後まで白目を剥いていた。

 シュリを一瞥した後、私は固まった体をほぐすように大きく伸びをした。この生活がこれからしばらく続くのかと思うと、げんなりしてしまう。

 講義の解りやすさと、私がその内容を覚えられるかどうかはどうやら別の話のようだ。……私は物覚えがすこぶる悪かった。

 そんな事を考えていると、ふと気付いた。


 ――この国の教育水準、高すぎない?


 思い返すと、読み・書き、そして簡単な算術は幼い頃から教えられ、6歳には全て習得している。今まで疑問を抱いたことはなかったが、あまりにも早すぎるのではなかろうか? 前世で読んだ作品では、それらができるというだけで尊敬され、優遇されていたというのに!


 『異世界転生者は、その豊富な知識で無双できるもの』――このよくわからない前世の知識は、この世界では通用しそうになかった……


 私は絶望した。何せ、前世の私は病弱だったが故に、まともに通ったのは小学校までである。中学校は相次ぐ入院であまり通えず、確実に合格できる高校を受験したために受験勉強もしていない。その高校も入院のせいで出席日数が足りずに留年、そして中退……つまり、私は勉強をほとんどしてこなかったのだ!勉強の仕方なんて分からない!前世で母が口を酸っぱくして「学校に通えなくても、勉強だけはしておきなさい」と言っていたのが、今になって身に染みる……


 シュリは講義が終わった安心感からか、いつの間にか机に突っ伏して寝ていた。

 疲れるほど勉強してないくせに! ……やばい、やばいよ私たち!


 ――その日の夜。私たちは二人揃って熱を出した。


「固有スキル【健康体】が仕事してくれないんだけど」

「精神に起因するものには作動しませんから」

「……そうだった」


 本当に、前途多難である……

 翌日は、ゆっくり過ごすことにした。座学の勉強をしなくていいということに、幸せすら感じた。まだ1日しか勉強していないというのに、このざまである。

 その更に翌日から、私は死に物狂いで勉強した。……と言うのは些か大袈裟だが、本当に、本当に頑張った。

 すぐに白目を剥くシュリを現実に引き戻し、ナタリアに積極的に質問し、またシュリを引き戻し……魔術の練習に充てるはずだった時間を返上してでも座学を勉強した。

 私どんだけアホなんだろう、と考える度に涙した。シュリはいつも泣いていた。彼女の「座学が苦手」という言葉は、紛れもない事実だった。シュリは私よりも遥かに物覚えが悪かった……

 頑張った甲斐あって、私たちの成績は徐々に上がっていった。それに比例するように、二人の仲も深まっていったように感じる。


「この国の名前は?」

「ストラティウム王国です」

「魔術学校があるのは?」

「えーと、ウェルリオです」

「よし!正解!いえーい!」

「いえーい!です」


 ……まだまだ先は長そうである。

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