7 どす黒いもの 2
……神様、怖すぎぃぃぃぃ!!!
思い返してみると、初めてシュリに会ったときに「神に叱られるから勝手なことは許可できない」とか言ってたような気がする。
……こんなに怖かったら、そりゃ許可しないわ……あれ? 昨夜も神に叱られたって言ってたような……
神様のお叱りは暫く続いた。表情の抜け落ちた顔と冷たさの増した声で紡がれる言葉は、聞いているだけで胃が痛くなる程のものだった。どうやら、精神的な症状にも【健康体】は働かないらしい。勉強になった。
その厳しい言葉から分かったのは、神様は私を危険視しておらず、私を消すなんてことは考えてもいないということだ。神様のお叱りを一身に受けているシュリには悪いが、それが私に向かないことが分かって心底ホッとした。
……だって、神様だよ? いち人間に過ぎない私が神様に叱られるなんて、最悪でしょ。
神様の真顔と冷たい声に少しだけ慣れてきた頃、私の中に新たな感情が芽生え始めたことに気付いた。
……なんか、シュリ、かわいそうかも……
先程までの怒りや恐怖心、嫌悪感はどこへやら。真っ青な顔で小動物のように震える彼女を見ていると、同情に似た気持ちが湧いてきた。
縋るような眼でちらちらと私を見てくるのは止めて欲しいところだが……神様の目を盗んでるつもりなのだろうが、多分バレていると思う。
そんな彼女を見ていると、大きな雷が落ちる前に助け舟を出してあげてもいいかな、と思えた。とはいえ、相手は神様だ。少し慣れたとはいえ、お叱りの対象になるのは避けたい。神様の怒りを逆撫でしないよう、慎重に言葉を選ばなくては。
「あのぅ…」
『何だい、玲』
「もう、その辺で……あの、頑張ってくれていると思うので……多分……」
気の利いた言葉が浮かばなかったため、歯切れが悪くなってしまった。それでもシュリにとっては助け舟となったようだ。微かに目を輝かせたのが見て取れた。
私としては、他の天使見習いに交代されようがそのままシュリに監視されようが、最早どっちでも良かった。シュリは可哀想だし、私もこの空気は正直しんどい。神様の怒りが治まって、早くこの場から解放されたい……
そんな邪な気持ちを知らない神様は、感心したように私を見た。
『君は優しいね。では、小言は終わりにしようか』
最早お小言の域ではなかった気がするが……一先ず、地獄のような時間が終わりを告げたことにほっと安堵の息を吐く。
『さて、シュリエル。君は今後どうしたい?』
「わたし、は……」
そう言うと、シュリは一筋の涙を流した。薄いピンク色の瞳から流れる涙がとても綺麗に見えた。
「私は、まだまだ玲様のお側にいたいです。この役目をいただいてから、ずっと楽しみにしていたのです。これから玲様と楽しい日々を過ごしたいのです……」
涙が堰を切ったかのように溢れだす。青ざめていた顔が徐々に赤みを取り戻していった。……そうだ、彼女は何度も言っていた。私の記憶が戻るのをずっと待っていたと。楽しみすぎて、暇さえあれば私を見ていたのだと。これからの生活に思いを馳せていたのかもしれない。
何より、人間の姿をした彼女はとても楽しそうだった。初めての食べ物に目を輝かせていた。初めての湯浴みは気持ちよかったと顔を綻ばせていた。初めて着る服、初めての髪型を、何度も鏡で眺めていた。その全てを『ずっと憧れていた』と言っていた。
その姿はまるで普通の少女のようだった。死後の世界で天使見習いとして私の前に現れた彼女とは、まるで別人のような――
私に対して「まるで別人」と言った彼女は、自分も同様に変わったことに、きっと気付いていないのだろう。
――人は変わる。その要因は、決して記憶だけじゃない。
私は、記憶に囚われていただけだった――?
抑えられなかったはずの黒い感情は、もう既に小さくなっていた。
『……そうか。では、玲。君は?』
拳を握り、前を見据える。私はもう、恐れない。
「監視役はシュリのままでお願いします」
ふぅっと一息吐いた後、ちらりとシュリを一瞥すると、彼女は心底驚いたように目を丸くして私を見ていた。おまけに口もあんぐりと開けている。――アホ面。その言葉が非常に似合う表情をしていた。
……見習いとはいえ、天使がそんな顔しちゃだめよ、シュリさんや。
『二人がそう言うのなら、もう一度チャンスをあげよう』
神様の声が、少しだけ弾んでいるように聞こえた。シュリの目から涙が溢れる。
「あ…ありがどうごじゃいまずうぅぅ…」
彼女はそう言うとへなへなと座り込み、声を上げて泣いた。わんわん泣き叫ぶ、人間の姿をした天使見習いの少女。
私はシュリと一緒にこの世界で生きていこう、と素直に思えた。
「ありがとうございます」
神様が優しく微笑んでくれた。それは、慈愛に満ちたものだった。
『チャンスはあげるけれど、条件があるよ』
ようやくシュリが落ち着いた頃、神様が再び話し始めた。
今、私たちは丸テーブルを挟んで向かい合わせに座っている。これらは神様が用意したものだ。いや、取り出した、という方が近いかもしれない。少なくとも私にはそう見えた。
なぜ、思念体であるはずの神が用意した椅子に座れているのか?……そんなことは、考えるだけ無駄である。だって神だもの。
神が用意したカップに、いつの間にか現れていた幼女(思念体)が紅茶を淹れていようが、私もそれを美味しくいただけていようが……考えるだけ、無駄なのである。
「……条件?」
『そう。それはね、お互いに何でも言い合うこと』
「はあ……」
条件なんて言うから身構えてしまったのだが、なんだか拍子抜けだ。そんな簡単なこと……と思ったが、確かにそれは私ができなかったことであり、今回の暴走を引き起こした原因でもあった。
思い返すと、前世でもできていなかったように思う。我慢しては爆発して八つ当たりし、また我慢しては爆発して……その繰り返しだった。私にはそれが染みついている。私にとって、何でも言い合う、というのは実のところなかなかに難しい。
答えあぐねていると、神様は、やれやれ、と大袈裟にため息を吐いた。
『……できるね?』
「はい」
「……はい」
また同じことを繰り返す可能性もあるのだ。できない、なんて言わせてもらえないだろう。有無を言わせぬ神様の口調から、そう感じた。
神様は、即答するシュリと躊躇いがちに答える私を見比べ、微かに笑みを浮かべた。そして鋭いけれど優しさのこもった瞳でシュリを見つめた。
『最後に。シュリエル……君は、どうして玲の暴走を止めようとしなかったんだい?』
「それは……」
シュリが俯く。暫しの無言の後、意を決したように顔をあげると、恥ずかしそうな、それでいてやるせないような複雑な表情で答えた。
「玲様が急に大声を出されたのであっけに取られていたら、いつの間にかあんなことになっていたという感じでして……止めようとしなかったのではなく、止められなかったのです……」
……はい? なに、このポンコツ。
私の言葉も気持ちも、何もかも伝わってなかった。気付いてすらいなかった。唖然として、何も言えなくなった。神様も『本当に君は……』と頭を抱えている。
『今後もそのようだと困るんだけどね……まぁ、そんな君だから玲の監視役に任命したんだけど。監視役なんて言うと物騒に聞こえるけど、その実、友達のようなものだからね』
「……友達?」
私が首を傾げると、神様の鋭い眼がシュリを射抜いた。
『もしかして、監視役の仕事についても話していなかったのかい?』
「ひぃっ! 申し訳ありません!」
唖然とする私。頭を抱える神。油断していたらしく、焦っているシュリ――正しく、カオス。幼女はというと……真顔でシュリを見ていた。なんか怖い。
『監視役というのは、前世の知識を悪用しないように見守ることは勿論だけど、記憶が戻ったことによって起こり得る物事から、君を守る役割のことなんだ。できるだけ現世を全うできるようにね』
「はぁ……」
なんだか拍子抜けだ。私の行動を逐一チェックし、全て報告され、場合によっては処分を受けることもあるんじゃないか…そんな風に思っていた。
思い返すと、シュリが私の行動をチェックしている素振りなんてなかった気もするが……監視役なんて紛らわしい名称、変えた方がいいんじゃなかろうか。
『シュリエル。君はもう200歳だろう?もう少し、しっかりしておくれ』
「にひゃくさいぃぃぃ!?」
「神! 何故それを言うのですか!」
……シュリさん、だいぶお年を召されていたようです。
『シュリエルがこんな風だから、少し心配でね。できれば玲にもこの子を見ていてもらおうと思って。それで、家族に入れてもらうことにしたんだよ』
私もシュリの監視役? そんな役割いらないから!……なんてことを神様に言えるはずもなく、私はただ呆然とすることしかできなかった。
『私はもう戻るとするよ。こう見えてなかなか忙しい身でね。……シュリエル、職務を全うするように』
「かしこまりました、神よ」
神様はシュリを見つめて安心したように微笑んだ。そしてヒラヒラと手を振った直後、金色の粒子を残して消えた。少し遅れて幼女も消えた。……あの子、まだ居たんだね。
神様がテーブルと椅子を片付けてしまったため、私たちはその場に向き合って座った。
「では、玲様……先程の条件ですが……」
「うん……シュリ、ごめんね」
私はすんなり謝罪の言葉を口にすることができた。こんなことになってしまったのも、元はと言えば全て私のせいなのだ。勝手に寝不足になり、不機嫌になり、勘違いし、更には八つ当たりまで……精神が不安定になったのは事実だが、自分の行いを思い返すと、すごく申し訳ない気持ちになった。それと同時に、穴があったら入りたくなった。
……今から自分で掘ろうかしら。
私がそんな妙な事を考えている事を知ってか知らずか、シュリは優しく微笑み「気にしないでください」と言ってくれた。さすが200歳。
それから私たちは、色んな話をした。泣いたり声を荒らげたり呆れたりしながら、不思議なほど素直に話すことができた。そしてそんな私の話を、泣いたり笑ったり丁寧に説明してくれたり、そしてたまに反論したりしつつ真剣に聞いてくれた。彼女は結構聞き上手だった。さすが200歳。
アリスの私を消さなくていい。玲の私を恥じなくていい。これから新しい"私"を築いていけばいいのだ、と彼女は言ってくれた。小さくなっていた黒い感情が、消滅した気がした。
ちなみに、その見た目で200歳?と聞いたところ、天界で生まれた者は寿命が長く、人間とは成長速度が違うのだと教えてくれた。
「精神年齢は、玲様とさほど変わりません」
真偽の程は定かではないが、彼女曰く、そういうことらしい。シュリは子供だからと遠慮していた部分もあったが、ようやく対等になれそうだ。双子としてもやっていける……かも。
皆の記憶を改ざんしたことについても聞いた。曰く、各々の今までの思い出はそのままとの事。
違和感のない程度にシュリの存在を認識させているが、詳しく思い出そうとしても思い出せない、そもそも思い出そうと考えることすらしないような存在、ということにしてあるらしい。そんなに細かい調整ができるのか、と驚いた。
ここに以前からいるようで、いない。そんな曖昧な存在――なんだかそれは、ひどく寂しいことのように感じた。
「私は平気ですよ。これからは、真実を知る玲様もいますから」
涼しい顔で笑う彼女はとても大人びて見えた。さすが200歳。
私は彼女から目を逸らし、正面を見据えた。
「あのさ、玲様とかお姉様とか……やめにしない?」
「なぜでしょう?」
「私は新しい私を築いていく。玲をひきずってはいられない。ここではアリスなんだから。…それに、双子っていう設定でしょ?お姉様なんて呼ぶ必要ないよ」
驚いたように目を丸くして、私を見ている彼女が視界の端に映った。
「では、何と……」
「アリス、って呼んでよ」
「……アリス様」
「アリス!」
「……はい。アリス」
気恥ずかしくて顔は見れないけど、きっと優しく微笑んでくれていると思う。……お姉様なんて呼ばれると甘えられない、という本音は心に仕舞って置こう。
その後、課題の存在をすっかり忘れていたことを思い出し、アンナが迎えにくる前に終わらせなくては、と慌てて取り掛かったのだが……シュリの指導によりさくっと終わらせることができた。その能力に再び嫉妬したのは秘密である……
――私もチート魔術師になるんだからぁ!!!!!