49 回復薬を作ろう
「通常であれば水を配るのですが、皆さんは上位クラスですから、魔術で準備してください」
グレンダの指示に従い、事前に机に準備されていたガラス容器に水を注いでいく。300ミリリットル程度の容器であるため、気を付けないと一瞬で溢れかねない。私は神経を集中させ、空気中から生成した水を少しずつゆっくり注いでいった。
エリックはそのあたりの調整は私よりも苦手なため、すぐに溢れさせて「わわっ」と声をあげていた。シュリに関しては言うまでもないが……彼女は一瞬で適量を注いでいた。
「皆さんは優秀ですね」
いつの間にか傍にいたグレンダに驚き、思わずひゃっ、と情けない声が漏れる。
グレンダは名簿に目を通すと、「ホーヴィッツのご出身ですか。珍しい」と呟いた。……声が小さすぎて聞き取りづらかったが、おそらくそう言った。
褒められたことに気を良くした私は、グレンダが次の指示を出すまでの間、生成した水を回収してはまた生成し、回収してはまた生成することを繰り返した。5回程度しか練習する時間はなかったが、それでも少しだけ上達したように感じた。
「間に合わなかった者は、練習しておいてください。では、次は――」
グレンダの授業は淡々と進んで行った。ある程度の時間を取り、その時間内にできない者は置いていく。彼女は何度も「上位クラスですから」と言っていた。幸いにして、私たち3人は授業について行けないということはなかったが、ここで行われる授業は、できるまでとことん付き合ってくれるような生温いものではないと悟った。
私は、今までだらだらと受けていた授業のことを思い出していた。教師は皆、集中していない様子の生徒を叱咤することも、「理解できているか?」なんて声をかけることもなかったように思う。
すっかり頭から抜け落ちていたが、本来、この学園に合格するのは難しい事なのだ。私はそのために毎日毎日練習を重ねてきた。苦にはならなかったが、それは紛れもない"努力"だった。入学してからというもの、私は"努力"をしてきただろうか。
ナタリアは理解できるまで何度も教えてくれたし、聞けば何でも教えてくれた。私は心のどこかで、彼女のように助けてくれる人が現れるだろうと、甘い考えを抱いているのではないか――?
ちらりとエリックに目を遣ると、彼はグレンダを食い入るように見つめていた。その姿からは、一字一句聞き漏らしたくない、といった気概が感じられた。手元のノートは、びっちりと文字で埋められている。この世界のノートは、日本ほど安価ではない。そのため、少しでも無駄にしないようにと考えているのだろう。続けて、私は自身の手元に目を遣った。そこには、粗末な文章が2、3程度綴られているだけだった。
時間内に回復薬が完成したのは、私たち3人とヴェレリア、そしてスティーヴという少年だけだった。グレンダは「完成しなかった者は、次回の授業までに私の元へ持って来て下さい」と言って授業を締めくくった。
エリックは初めての回復薬に感動しているようで、瓶に移された緑色の液体に目を輝かせていた。
「これが回復薬か……」
回復薬には体力のみを回復するもの、怪我のみを治すもの、魔力を回復するものなど様々だが、全てに共通するのは、薬の色が濃ければ濃い程効果が高くなる、ということだ。エリックのものはピーツ草を使っているため、私とシュリのものよりも濃い色をしていた。
「これがあれば、討伐依頼も受けられるぞ」
「そ、そうだね……」
あのハイオークが頭に浮かび、私は苦笑いで返す事しかできなかった。
「ほぅほぅ。では、次の休みは朝から依頼書を見に行きましょう」
「おっ、いいな! 新しいの出てるかなぁ」
シュリとエリックが2人で話を進めていく。エリックが今まで乗り気じゃなかったのは、回復薬の有無が大きかったようだ。だが、私には譲れないものがあった。
「ちょっと! 次回は薬草の採取をしようって言ったのに!」
「そんなことを言ってたら、いつまでたっても魔物に慣れませんよ?」
「うっ……でも……」
渋る私を見たシュリが、口角を上げた。
「薬草なんかより、魔物の素材の方がきっと高く売れますよ」
……先に言っておこう。私は決して、銭ゲバなどではない。欲しいものがあるわけでもなく、貯金に夢中なわけでもない。この前の報酬は皆で山分けして、この世界で初めて自分のお金を持てたのは嬉しかったが、そういうことではないのだ。ただ、『自力でお金を稼いだ』という事実がこの上なく嬉しかった。成人してもまともに働けなかった前世とは違う自分に、喜びを感じていた。その喜びは、報酬に左右されるようなものではないのだが――
「そ、そうよね! 素材の方が高く売れるよね!」
私の口からするりと飛び出したのは、こんな言葉だった。
「じゃ、決定な! 次の休みは朝から役所! 楽しみだなー!」
エリックは今日からさっそく回復薬をいっぱい作る、と張り切っているようだ。シュリは魔術を思い切り使いたいだけのように見えるが……セシルも笑顔で「色んな魔物を見て見たいなー!」なんて言っている。我に返った私は、『どうか良い依頼書がありませんように』と願うのだった……
『アリス。聞こえてますよ』
「ひゃうっ!?」
=====
授業を終えて帰宅した私たちは、居間に集まっていた。私の隣にはシュリが座り、目の前にはエリックとマエリアが座っている。皆を招集したのは、私だ。いざ皆を前にすると、家族のようなものとはいえ、なかなかに緊張する。
私は拳に力を込め、目の前に座るエリックを真っすぐ見つめた。
「私、勉強も本気で頑張る」
授業が終わってから、ずっと考えていた。せっかく病弱ではなくなったのに、根本的なところは前世と何も変わっていない。できない事、したくない事はしなくていいやと、無意識の内に思ってしまっていた。
今では当然のように使える初級魔術だって、習得したのは記憶が戻る前だ。"アリス"の私は、もっと何事にも意欲的だったはず。私は、その自分を取り戻したい。
……スン、グスン
一瞬の沈黙の後、鼻をすする音が響いた。音の主は、エリックではない。いつかのナタリアのように、マエリアが涙を――流してはいなかった。とすれば、残るは1人だ。
隣に座るシュリに目を向けると、彼女は私を見て大粒の涙を流していた。久しぶりに見るシュリの涙に驚くと同時に、戸惑った。私の決意に感動したとでもいうのか?……いや、そんな性格じゃないはずだ。エリックに視線を戻すと、彼はシュリの涙を気にする素振りもなく、満面の笑みを浮かべていた。
「そっか! ようやくやる気を出したか! こういうのは誰に言われるでもなく、自分から頑張ろうと思うのが大事だよな!」
「う、うん……」
「オレ、アリスんちで勉強してたときみたいに教えるからさ! 一緒に頑張ろうぜ!」
「ありがとう……」
エリックが立ち上がり、私の手を握った。彼の言葉は嬉しかったが、私は隣で泣き続けるシュリが気になって仕方なかった。
「ええと……シュリは、どうして泣いて……」
「あぁ。仲間が減るのが悲しいだけだろ」
「仲間?」
意味が分からず首を傾げると、上半身に衝撃が襲った。見ると、シュリが抱き着いている。
「ちょっ、シュリ、やめ――」
「ありじゅぅぅぅ、置いでいがないでぐだざいぃぃぃぃ」
「……はぁ?」
彼女は赤子のようにやだやだと駄々をこねたが、見かねたエリックが頭をスパァンとはたくと、途端に大人しくなった。……なんだ、このコンビは。
「私、まだ実技以外のやる気が出ないのです。ですから、私のやる気が出てから、一緒に頑張りましょう」
「なんで合わせなきゃなんないのよ」
「うぅっ……」
シュリは入学試験のために勉強した座学で、地獄を味わったそうだ。その割にはよく寝ていた気もするが……ともかく、入学後は、魔術以外の勉強はもうしなくて良いのだろう、と勝手に思い込んでいたらしい。
それなのに、授業は毎日毎日机に座って受けるものばかり。幸い、アリスもやる気はでていないようだからと、自身のやる気のなさを正当化していたようだ。
そんなしょうもないことを涙ながらに話す彼女に対し、これが天使の現実か、と冷めた目を向けてしまうのは仕方のないことである。この母娘のせいで、天使に対する清廉潔白なイメージなど、とうの昔に失ってしまった。
「だって、勉強って大変じゃないですか……っ」
「そうだね。だから、がんばろ」
私がシュリの両肩を掴むと、彼女は再び目に涙を浮かべた。どれだけ勉強が嫌いなんだと呆れると同時に、だめだめなシュリに安心感を抱いた。
その後、「さっそく今日の復習から始めよう」とエリックに誘われたのだが……私たちのノートを見て、エリックが固まってしまったのは言うまでもない……