47 戦利品
気付いたら、頬をぺちぺちと叩かれていた。
「おーい、起きろー」
薄らと目を開けると、爆発した赤髪が目に入る。
「エリック……私……」
「大丈夫。気絶してたのは数分程度だ」
僅かに痛む頭を押さえて起き上がると、目の前には強烈な光景が広がっていた。再びふらりと倒れそうになったところを、エリックが支えてくれた。
「しっかりしてくれよ。この程度で倒れてたら、いくらアリスでもその隙に殺されるぞ」
「うぅ……」
エリックに叱られ、落ち込む。頭では理解しているが、どうしようもないのだ。慣れれば平気になるものだろうか。実際に目にすると、それすら自信が持てなかった。
視界に入らないように目を逸らし、セシルに声をかける。
「これ、なんなの?」
「ハイオークです!」
――やっぱりいぃぃぃぃ‥…
気を失う直前に頭をよぎったものの、まさか本当にそうだったとは……ちらりとしか見ていないが、あの特徴的な鼻、二つの牙、大きな身体、そして全身を毛に覆われた姿は、紛れもなくオークだった。実物を始めて目にした私にはハイオークとオークとの違いは分からないが、【鑑定】を持つセシルが言うのだから間違いないだろう。
「まさかこの辺りに出現するとは。いやぁ、願ってみるもんですね」
シュリの弾んだ声が聞こえた。目を向けたらハイオークも視界に入ってしまうため見ることはできないが、きっとにへらと笑っている事だろう。なかなかお目に掛かれない、レアな表情である。
そんなシュリの言葉に反応したのは、エリックだった。
「願って……?」
「シュリは一人で討伐に行こうとしたけど、遠くて諦めたでしょ? だから、この辺で出てきたらいいのにって言ってたんだよ。まさか、そうなるとはね……」
私は遠くを見つめた。視線の先には壁しかないのだが。
「シュリ、召喚でもしたのか!?」
「やめて下さいよ、偶然です。それに、召喚体を討伐するわけないでしょう」
「そうなんだけどさ……」
私もほんの少しだけ頭によぎったことを、エリックが代弁してくれた。召喚の知識がない私は詳しいことは知らないが、召喚体は自身が使役するためのものであるため、わざわざそれを討伐するなんて、普通はしない。……普通は。
シュリは「失礼ですね」と言っていたが、シュリならやりかねないと思ってしまうのは仕方なかった。
「これ、何処にいたんだ?」
「えーと……?」
「屋外練習場だよ!」
セシルの言葉にシュリが「そうでした」と頷いた。その場所には心当たりがある。エリックを見ると、彼もまた私を見ていた。
「もしかして、さっきの……」
「……あぁ、そうだろうな」
私はてっきり、先生たちの仕業だろうと思っていた。シュリとセシルが魔物を討伐しに行っていたなんて、微塵も思っていなかったのだから当然だ。
エリックの視線が、私からシュリへと移る。
「どうやって討伐したんだ?」
「茹でました」
「えっ」
「茹でました」
私は思わずそこに横たわるハイオークに目を向けた。それには目立った外傷も血が出ている様子もなく、見た目は割と綺麗だった。……じっくり見ると火傷の跡なんかが見えてくるのかもしれないが、そこまでの勇気はない。
「どうすれば討伐を証明できるのか分からなかったので、丸ごと持ち帰ることにしたのです。セシルが血濡れの死体は入れたくない、と言うのでそうならないように考えました。我ながら、良い発想だったと思います」
つまり、私たちが見たのは煙ではなく湯気だったということだ。一体どれだけの熱湯を使えばあれほどの湯気が発生するというのか。死因はショック死なのか火傷なのか……私にはさっぱりだが、とてつもない苦痛を味わうであろうことは分かる。私は鳥肌が立つ腕をさすった。エリックも顔を引き攣らせていた。
「そ、そうか……そもそも、どうしてそこにハイオークがいると分かったんだ?」
「それは――……っと、そろそろ準備しないと、遅刻しますよ?」
窓の外はいつの間にか明るくなっていた。私も知りたかったことであるし、話を逸らすなと言いたいところだが、本当に時間がないようだ。いくら校舎に近いとはいえ、急がないと間に合わない。
「先生は戻ってきたのか? ここから出るな、って言われてるけど」
「そうだよね……」
「ここから出るな? どういう事です?」
私たちの会話に、シュリが眉をひそめた。
「朝早く、クライヴ先生がここに来たんだよ。学園内に魔物が出現したから、ここから出るなって」
シュリは驚いたように目を見開いた。この様子だと、クライヴが来たときには既に家を出ていたのだろう。
「先生たちが討伐に行ってたみたいだけど、2人は見なかったの?」
「このハイオーク以外は、何も」
4人でうーん、と頭を捻ったが、答えなんて出るはずもなかった。外からは何の音も聞こえない。シュリが討伐した際にも何も聞こえなかったため、あまり当てにはできないが……
討伐が終了したことを私たちに伝え忘れている可能性もある。ひとまず急いで準備をすることにした。急いで出て行ったからなのか、シュリとセシルも寝間着のままだ。あんなに早起きしたというのに朝食すら摂れないのは残念だが、仕方ないと諦めた。
エリックの寝癖は少し残っているし、私も髪を結んでいないが、最低限の準備は終えた。急いだ甲斐あって、どうにか遅刻は免れそうだ。扉を開けると、太陽が私たちを照らした。
「こらっ! 外に出るなと言っただろ!」
「ぎゃっ!」
声の方に目を向けると、そこには肩で息をするクライヴの姿があった。
「ええと……遅刻しそうだったので……」
「緊急事態にそんなことを気にするな! 魔物がいるのがこの辺りだったらどうするんだ!?」
クライヴの口調は強かったが、生徒を思う教師というのが滲み出ていた。きっと、こういう先生を熱血教師というのだろう。
「それは……」
――きっと、シュリが討伐してくれます!
……なんてことは言わない方がいいだろう、と察して苦笑いした。
「先生がここにいるということは、魔物は討伐したのか?」
「いや、それがだな……」
クライヴは今回の事を話してくれた。
この学園には、侵入者を感知する魔法陣が至るところに組み込まれているらしい。正規の入口以外から侵入した者や、魔物なんかはこれにより即座に位置と数が特定され、確保・討伐される。日頃から、こうして教師が学園の平和を守っていたようだ。戦隊モノみたいでカッコイイと思ってしまったのは、私だけの秘密である。
ところが、今日は普段と違った。普段受ける出動要請は位置と数が伝えられるが、今回伝えれられたのは『魔物が1体、どこかに出現した』ということのみ。普段とは違う連絡に戸惑いながらも、クライヴも魔物を探しに向かうことにした。その道中で、私たちに教えてくれたのだろう。彼が他の教師と魔術通信機で連絡を取りつつ探していると、一つの情報が届いた。
――屋外練習場から何者かの気配がする、と。
そんな不確かな情報にすがるしかない彼は、急いでそこへと向かうべく進路を変更した。その瞬間――突如、周囲を熱気が覆った。即座に魔術で熱風を払ったことにより怪我も火傷もしなかったが、あまりの熱気に近付くことすらできなかった。
そうして集まってきた数人の教師と様子を伺いつつ、迎撃に備えて準備を整えていたのだが……
「そこには何もいなかったんだ。ついでに、いつの間にか魔物の反応も消えていた。だから討伐はできなかったんだが……ひとまず、大丈夫だろう、ということだ」
「そ、そうなん、ですか……」
私とエリックの顔は、盛大に引き攣っていたのだろう。クライヴが「今は反応もないから、心配すんな」と頭を撫でてくれた。彼はその後も念のため、周囲の捜索を続けていたらしい。
「俺たちも準備なんてできてないからな。一限目は自習だ。通いの生徒は来てる奴もいるだろうが、学生寮には連絡がいってるはずだから、お前たちもそう急がなくて大丈夫だ」
「は、はい……」
じゃっ、と右手を挙げて去っていくクライヴの背中が見えなくなったところで、私とエリックは大きな溜息を吐いた。
「ここに犯人がいるなんて、言えねぇよな……」
「ほんとだよ……」
鈍いことに定評のある私でも、さすがに気付いた。魔物を消し去った犯人は、私の目の前にいる。
「犯人って! 私は討伐したんですよ? 悪いことなんかしてません」
「そうだけどさ……」
危害を加える事はないとはいえ、教師を翻弄したという点に於いては、魔物よりもたちが悪いかもしれない。魔物がいたはずの場所からシュリが出てきたところを誰かに目撃されていたら、今頃どうなっていたのだろうか……面倒なことになっていたのは間違いない。そうならずに済んだのは、運が良かったとしか言いようがなかった。さすがは天使見習い、と言ったところか……
シュリにも色々と聞きたかったが、急がなくて良いことが分かって気が抜けたのか、問い詰める気にはなれなかった。
「……中に入ろうか」
「そうですね。お腹が空きました」
シュリが自身の腹部を押さえた。朝から魔術を使ったのだから、それも当然だろう。こんなに大勢を巻き込んだというのに、全く気にしたそぶりはない。そんな姿が、妙に癇に障った。
「シュリは――……」
「シュリとセシルは朝飯抜きだ!」
どうやらエリックも同じ気持ちのようだ。シュリだけに課そうとした私よりも厳しい言葉に「ええーーっ!?!?」と頭を抱える2人を見たら、少しだけ溜飲が下がった。