46 二人の行方
「……はい?」
エリックは寝ぼけているのだろうか。森ならともかく、何故こんな所に魔物が出現するというのか。
魔術学園の敷地は、高い柵で囲まれている。出入口は門を含めた数か所しかなく、開いている時間も限られている。時間外は基本的には出入りすることができない。……というのも、職員寮に住む者は例外なのだ。マエリアは日中に買い物に出かけるし、私たちだって休日は外出する。きっと、学生寮に住む生徒も何かしら外に出る手段は持っているだろう。
要するに、この柵は部外者の侵入を防ぐためのものなのだ。それにも関わらず魔物が出現したということは――もしかして、超大型の魔物が門を蹴破ったのか? そして私たちは食べられてしまうのか? それを目にしたシュリが「駆逐してやる!」なんて言い出すのか?
「先生たちが討伐に向かってるんだってさ。危険だから外には出るなって」
「そ、そっか……」
……あまりの衝撃に、思考が飛んでた。危ない危ない。
「ここに居て、大丈夫なのかなぁ?」
「大丈夫だろ。先生なんだから、強いに決まってるさ」
「そうかなぁ……」
教師なのだからそれなりに実力者揃いだろうとは思うが、魔物の数も種類も分からない状態では、不安になるのも仕方なかった。とはいえ、近くには魔術師団ウェルリオ支部もある。いざとなったら応援要請をすれば来てくれるだろうし、心配する必要はないかもしれない。
「そういえば、シュリとセシルは?」
「まだ寝てるんじゃないか?」
ふと、同じ部屋で眠る二人が起きてこない事に違和感を抱いた。セシルは私たちの部屋を日替わりで移動している。今日はシュリの部屋にいるようだ。あれだけチャイムが鳴っていたのだから、どちらかが起きてきてもいいはずだ。
「念のため、いつでも出れるように準備しておこう。2人も起こした方がいいかもな」
エリックの言葉に頷き、シュリの部屋へと向かう。
扉をノックしたが、返事はなかった。あのチャイムで起きないのだから、ノック程度では起きるはずもないか、と呆れつつ「開けるよ」と声をかけた。どうせ聞こえていないだろうとは思うが、黙って開けるのはさすがに気が引ける。
ドアノブを捻り、扉を奥へ押す。キィッと音を立て、視界に入ったそこには――
「えっ!? ウソでしょ!?」
開いたままの窓と、風に吹かれて揺れるカーテン、そして、もぬけの殻となっているベッドがあった。
慌ててシュリに念話をしたが、応答はない。無視されているだけなのか、またしても使えない状況に居るのか……
私は慌ててエリックの部屋へと向かった。彼の名を呼び扉をドンドン叩くと、上半身だけ制服に着替えたエリックが扉を開けた。
「シュリとセシルが居ない!」
「なんだって!?」
エリックが目を見開いた。見てもらった方が早いと、彼の手を引いてシュリの部屋へと走る。
開けたままの扉の先には、先程と同じ光景が広がっていた。
「……まじかよ」
どうやって出て行ったのか、というのは一目瞭然だ。ここは2階だが、シュリであれば飛び降りても怪我はしないだろう。【健康体】を持っているだけで、身体能力は並程度の私とは違う。問題は、いつ、何のために出て行ったのか。エリックも瞬時に状況を察したようで、「なんでこんなときに…」と顔を歪めていた。
「私、ここから探してみる」
以前お母様とシュリを探した時のように、私には視力強化を使って探すことしかできない。何の目途もついていない状態で探すのは難しいが、他の方法は思いつかなかった。
「魔力を使いすぎないようにしとけよ。何かあったときのためにも」
「大丈夫、分かってるよ」
いざという時に魔力が不足して動けない、なんてみっともないことは避けなければならない。
エリックは「魔物のことも気になるし、俺も他の部屋から外を見てみる」と言うと部屋から出て行った。私は彼が出て行ったことを確認すると、再びシュリに念話した。
『シュリ! どこに居るの!?』
やはり返事はない。私は下唇を噛んだ。
シュリは何でも一人で抱え込もうとする。せめて隣の部屋の私には、一言くらい声をかけてくれたっていいじゃないか。日中には一人で討伐に行こうとした事も思い出し、もう少し頼ってくれたっていいのに、と歯がゆく感じた。
とはいえ、それに反対したのは私だ。今回も話したところで反対されるだけだと、黙って出て行ったのかもしれない。セシルが居れば迷子になる心配もないだろう。
「アリス! 居間に来てくれ!」
少し離れた場所からエリックの声がした。視力強化を解除し、居間へと向かう。
「何か見つけた?」
「あっちの方、煙が見えないか?」
エリックが指し示す方に視線を向けると、強化せずとも分かるほど、もくもくと煙が立ち上っているのが見えた。視力を強化し、そこに視線を合わせる。
煙が立ち上っているのは、運動場のような何もない場所だった。あのような場所は、的を壊してしまった屋外練習場くらいしか思い浮かばない。
「あそこって、練習場かな?」
「方向的に、多分そうだと思う」
方向的に、なんて概念が理解できない私は、素直に感心した。視力を更に強化すると、濃い煙の奥が薄らと見え始めた。
突如、チャイムの音が響く。驚いて飛び上がった拍子に、視力強化も解除してしまった。
「あぁ! もう!」
行き場のない怒りが、またしてもチャイムの主に向く。もしかしたら、クライヴが戻ってきたのかもしれない。次こそは文句を言ってやろうと意気込み、扉を開けた。
「ちょっと! 朝から何回も――って、シュリ!? セシルも!?」
そこには、満面の笑みを浮かべたシュリと、同じくご機嫌な様子のセシルが立っていた。
「もう起きてたんですね。開けてもらえなかったらどうしようかと思いました」
「え? ちょっ――」
2人はそれ以上のことは何も言わず、私の横を過ぎて行った。呼び止めようと振り返ると、私の後を追ってきたエリックが顔を出した。
「2人とも、どうしてここに……」
エリックが目を丸くした。今まで血相を変えて探してきた人が自ら戻ってきたというのに、私たちは喜びよりも驚きの方が上回っていた。
「どうして、とは? ここに帰ってくるのは当然でしょう?」
さっぱり意味が分からない、とでも言うようにシュリとセシルが首を傾げた。
その言い分に何故か納得してしまった私と対照的に、エリックは腹の底から出したような、低い声で言った。
「こっちに座れ」
初めて聞く声に身体が震えた。そして、思った。
――普段温厚な人ほど、怒ったら怖い、と。
そういうわけで、早朝から家族会議が開かれた。誰一人として血の繋がりはないのだが……
脱走組と在宅組とでソファに向かい合って座る。空気を読んだのか、珍しいことにセシルもちょこんとシュリの隣に座った。
「何処に行ってたのか、何故出て行ったのか。洗いざらい話せ。」
初めて聞くエリックの声に、怒られる理由のない私まで身体が硬直した。エリックを怒らせるようなことはしないようにしようと、密かに心に誓った。
ご機嫌だったシュリとセシルの顔からは笑顔が消え、落ち込んだように俯いている。セシルはともかく、シュリは間違いなく演技だろう。それを見抜いたエリックが「そんな顔しても無駄だからな」と言うと、シュリが顔を上げた。
「私たちが出て行ったことに気付いていたのですね。静かに出て行ったつもりでしたが、起こしてしまいましたか?」
「話を逸らすな」
「うっ……」
シュリが僅かにたじろいだ。エリックから逃げきれるなんて思わない方がいい。洗いざらい吐かせることに関して、彼はプロフェッショナルなのだ。私たちが単純であるとも言えるが……
最初にこの空気に耐えきれなくなったのは、セシルだった。
「話すから、怒らないでよぅ……」
「怒ってない」
「顔が怖いよぅ……」
セシルがシュリに「いいよね?」と確認すると、シュリは「別に隠すつもりはなかったので……」と頷いた。セシルがソファから飛び立つ。
「ここなら良いかな? よいしょ……っと」
居間の一角で、シュリが空間から何かを取り出し始めた。どうやら、アイテムボックスに収納したものを取り出しているようだ。ここから取り出すときも、投げ入れるときも、どういうわけか重さは感じないらしい。彼女は自身の何十倍もありそうなものをずるずると引き出し――
「うぎゃあああぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」
私の意識は、そこで途切れた。