41 ココの苦悩 1
翌朝、私はすこぶる機嫌が良かった。ココを守るのだという意識が働いているからだろうか。今なら上級魔術も使える気がした。……まぁ、使えないんだけど。
今日からは通常の授業が始まる。魔術学校で学ぶのは、魔術だけではないのだ。
ナタリア先生の座学講義により、色々と詰め込まれてはいるのだが……私の脳を甘く見てはいけない。覚えたことなど、1日もあれば綺麗さっぱり忘れることも可能なのだから。
まぁ、なんとかなるだろう、と変な所だけ楽観的な私は上機嫌で教室へと向かったのだが――その機嫌も、長くは続かなかった。なんと、ココは休みだった。体調不良だと寮から連絡が入ったそうだ。
普通の住宅と同じ扱いである職員寮とは違い、学生寮には住んでいる者以外入れないことになっている。故に、私たちはココの見舞いに行くことすらできないらしい。ココ親衛隊、幸先がすこぶる悪かった……
そんなわけで、分かりやすく落ち込んだ私とシュリは、当然の如く授業にも集中できなかった。私たちはただでさえ座学が苦手なのだ。他のことなど考える気にもなれず、ココが座るはずの私の後ろに何故かヴェレリアが座っていようとも、全く気にならなかった。
「アリスぅ、あたしが見てこよーか?」
今日は胸ポケットに入っているセシルが私の顔を見上げた。私はお決まりのように左手に右手をポンッと打ち付けた。なるほど、確かにその手があった。私の心は少しだけ晴れていった。セシルに「道は覚えてる?」と聞くと、彼女は「もっちろん!」とぺたんこの胸を張った。
今すぐ送り出したいのは山々だが、何と言っても私は目立つのが苦手だ。「お花摘みに行ってきます」なんて言って席を立ちたくなかった。そもそも、この世界で"お花摘み"が通じるのかは不明だが……
休み時間になると、すぐさま小走りで廊下に出て、窓を開けた。
「じゃあ、よろしくね」
「まかせてー!」
私はセシルが見えなくなるまで見ていた。視力を強化してまで見ていた。このままセシルを目で追えば、ココの姿も見えるかも、なんて思っていたのだが、校舎に阻まれてすぐに見えなくなった。
とぼとぼと教室に戻ると、エリックに「ちゃんと聞いておかないと、ココに教えることもできないぞ」と言われてしまった。……が、それでようやく目が覚めた。彼は私の扱いが上手い。ココに勉強を教えるのも親衛隊長の大事な役割だ、と気合を入れたのも束の間、次は眠気が襲ってきてそれどころではなくなったのは、私だけの秘密である……
セシルが戻ってきたのは、午前中の授業が終わり、昼休みに入ったときだった。
「たっだいまー!」
「セシル! 遅かったね」
「それがさー! 大変だったんだから!」
セシルの話を聞こうにも、教室では話しづらい。私たちは場所を移動することにした。昨日、片付けを終えて教室へと戻る途中、セシルが良い感じの場所を見つけたのだ。そこは研究棟の隣の薬草畑の奥。人目に付きづらく、こっそり話すにはうってつけの場所だった。
行こうか、と席を立つと、後ろから服を引っ張られた。その弾みでお尻を椅子に打ち付け、思わず怪訝な顔で振り返ると、僅かに耳を赤くしたヴェレリアが私の服を掴んでいた。朝から後ろに居るような気はしていたのだが、すっかり忘れていた。
「なに?」
「アタシも行く」
「……え? 何で?」
ヴェレリアには悪いが、彼女が付いて来るとセシルの話を聞くことができないのだ。それでは教室を出る意味もない。気が急いていた私は、口を噤んだ彼女を置いて教室を出た。
「ヴェレリアは昨日の事を怒っているのでしょうか」
「あんな事を言われちゃねぇ……」
よくよく思い返してみると、彼女はずっと私たちの近くに居たような気もする。もしかすると、昨日の文句を言う機会を伺っていたのかもしれない。私たちが逃げようとしていると勘違いして、付いて行くと言い出したのだろうか。だが、そんなことは今はどうでも良かった。
「それで、セシル。何があったの?」
「学生寮ってどこも開いてなくてさ! 入るのに苦労したんだー!」
セシルは他者に見えないとはいえ、霊体ではない。壁をすり抜けることもできず、中に入るには窓や扉を通る必要があるのだ。
学校へ行っている間は、部屋の窓も開いてなければ、寮に出入りする者もおらず、それに紛れて扉をくぐることもできなかったのだろう。気は進まなかったが、仕方なく小さくなって鍵穴から入ったそうだ。その後、数ある中からココの部屋を探すのにも苦労したらしい。
結論から言うと、ココは体調を崩してはいなかった。元気に寮母らしきおばさんの手伝いをし、時には笑顔を見せていたそうだ。それを聞いて安心したものの、それなら何故登校してこないのか……セシルもさすがにそれは分からなかったようで、一先ず私たちの元へ戻ってきたそうだ。
クライヴはこのことを知っているのだろうか。もしかしたら、今朝は本当に体調が悪かったのかもしれない。そんな状態には覚えがあった。
学校に行かなきゃ、と思えば思うほど体調が悪くなっていく。虚弱だった私が体調を崩すことは珍しくも何ともないのだが、そういうときは、休んで良いと決まった途端に元気になるのだ。……それはもう、立派な登校拒否だった。
そろそろ午後の授業が始まる。私たちは慌てて教室へと戻った。ヴェレリアは変わらず同じ席に座っていた。
ふと、ヴェレリアの取り巻きトリオが気になった。私にウィンドカッターを放ったであろうアーニャを含めた、あの三人。ヴェレリア以上に彼女らのことは頭になかった。教室を見回すと、いつもの席に固まっているのを見つけた。
私たちもいつもの席に戻った。ヴェレリアが声を掛けてくるかと思ったが、彼女は何も言わなかった。
明くる日も、そのまた明くる日も、そのまた更に明くる日も、ココが教室に現れることはなかった。代わりに、私の後ろにはヴェレリアがいた。彼女は私たちに話しかけてくることもなく、ただただ同じ席に座り続けた。
「あー、もう! 我慢の限界!」
セシルには、ココの様子を見に行ってもらうのが日課となりつつあった。ココの様子は以前と変わらないそうだ。クライヴは毎朝「ココは今日も体調不良で休みだ」と言うだけ。私としてはよく耐えた方だと思うが、それももう限界だった。
私は放課後になるのを待ち、教室を出たクライヴに声をかけた。
「先生! お話があります!」
「お、どうした?」
クライヴはくるりと振り返ると、体育教師さながらの爽やかさと熱さの混じった笑みを浮かべた。要するに、"日本一熱い男"の異名を持つあの人のような笑顔だ。
「ココの件です」
私は彼の目を見据え、はっきりと言い切った。
「ん? ……あぁ、彼女は体調不良でだな……」
彼の表情は一変し、あからさまに目が泳ぎ始めた。コミュ力の低い私は表情から内心を察するのも苦手だが、これは非常に解り易かった。
「先生、何か隠してませんか?」
「おいおい、そんな人聞きの悪い事を言うなよ」
「言えないことでもあるんですね」
「お前は何を言ってるんだ?」
クライヴは誤魔化す気満々であるし、私のコミュ力ではここが限界だった。そこで、私は強力な助っ人を召喚することにした。闇属性の適性がなくとも使える召喚術、それは――
「エリック!」
教室を覗き、その名を呼ぶ。そこにはもうエリックとシュリしか残っていなかった。私に名を呼ばれたエリックは、パタパタと私の元へ駆けつけた。召喚は無事成功したようだ。
「どうした?」
「先生がココのことを吐こうとしないのよ」
ケッ、と言わんばかりの顔でエリックを見ると、「すげぇ顔」と言われてしまった。それは空気を読んで放っておいて欲しかった。エリックは「仕方ねぇなぁ」と呟くと、クライヴに向き直った。
「適性検査の日、ココを連れてどこか行っただろ? どんな話をしたんだ? あれ以来体調を崩してるから、ずっと気になってたんだ。もしかしたら適性のことで悩んでるのかなって」
「え? あ、あぁ……」
「そういうことであれば、アリスとシュリがサポートするってさ。オレも二人には世話になったから、ココも心配しなくていい、って伝えてくれよ」
「そ、そうか……」
エリックのコミュ力と、誘導尋問の上手さに感心した。これはもう、ココがその事に悩んでると言っているようなものではないか。エリック恐るべし、と思っていると、背後から声が聞こえた。
「私たち、協力しますよ」
そこには、口角をこれでもかと釣り上げたシュリが立っていた。あまりの恐ろしさに、ひぃっ、と声が漏れた。これは傍目に見ても怖いはずだ。彼女の笑顔の中からは、隠しきれない怒りが溢れ出ていた。
クライヴは私たち3人を見比べ、大きく溜息を吐いた。
「お前らなら、話しても大丈夫か……」
彼は「ついてこい」と言うと、どこかへ向かって歩き始めた。
「どこに行くんだろうね」
「うーん。職員室かな?」
エリックは何故そんなことまで覚えているのか。職員室なんて前世ぶりに聞いた私には、到底理解できなかった。彼の予想通り、連れられた先は職員室だった。
クライヴは私たちを廊下で待たせ、一人職員室へと入って行った。戻ってきた彼の手には、鍵のようなものが握られていた。