4 魔術を使おう
「なるほど。この布に火属性魔術で穴をあければ良いのですね? では、いきます」
――天界にも魔術があるって言ってたし、天使見習いの実力見せてもらおうじゃない!
私はわくわくしながら彼女を見守っていた。
先程準備した場所に、シュリが立つ。こちらを向いて一つ頷くと、彼女は布に向けて右手をかざした。その手を握りしめ、人差し指を伸ばす。彼女がスゥッと息を吸うと、その指先に金色の粒子が集まり始めた。
思わず、綺麗、と呟いた。その瞬間。
「こんな感じで、どうでしょう?」
「……え?」
布の中心には、いつの間にか指先ほどの穴があいていた。それを見ても、何が起きたのか全く理解できなかった。驚きすぎて息をするのも忘れていた。
何も見えなかったから、どのように穴があいたのか分からない。ただ、穴の周囲が焦げていたことから、火属性魔術によってあいた穴だということだけは分かった。しかし、私が真に驚いたのはそこではない。
「……む、無詠唱……?」
ようやく言葉を発したものの、自分の発言に確信が持てなかった。
――天界では、子供でも無詠唱魔術を使えるっていうの?
この国では、お母様のような上位の魔術師でないと無詠唱で魔術を使うことはできない。お母様は15歳で習得したと言っていた。それでもとても早い方だ。魔術学校に入学する前の年齢で使える者がいたなんて話は、聞いたことがない。
彼女は、目を見開き固まっている私に目もくれず、顎に手をあて、穴のあいた布をじっと見つめていた。
「やはり天界同様、というわけにはいかないようですね。魔力も半分以下に減っていますし、コントロールの精度も落ちています。人間の姿だからでしょうか……それとも魔力の質が違うのか……これは調査する必要がありそうです」
ポツリと呟かれた言葉に、耳を疑った。
――元の魔力の半分以下!?
天界恐るべし、である。
魔術の発動方法は、魔法陣、詠唱、略式詠唱、簡易詠唱、無詠唱の5つ。
略式詠唱は、詠唱呪文を省略したもの。簡易詠唱は、呪文の詠唱を省略し術名のみを唱えるものだ。先に挙げた5つは消費魔力の少ない順であり、使える人数の多い順でもある。つまり、無詠唱魔術は多くの魔力を必要とし、使える者は少ないということだ。
しかしながら、無詠唱魔術の講義はとても人気が高いと聞く。魔力の消費量が多いのに、なぜ無詠唱魔術を習得したがるのか。それは、発動時間の速さと敵に魔術を気付かせないという利点による。そして、一番の理由……それは――
『格好良いから』
それもそのはず、魔術師を目指す理由、不動のナンバーワンは"魔術師はカッコイイ"というもの。皆、カッコイイ魔術師になりたくて仕方がないのだ。全魔術師の憧れ――それが、無詠唱魔術。
そんな凄くて格好いい憧れの魔術を目の前の少女が使ったのだから、驚かないわけがない。
「ちょ、ちょっと! 今のって、無詠唱魔術!?」
「そうですが……?」
シュリは、そんな当然のことを聞かれる理由が分からない、とでも言いたそうな顔で首を傾げた。確かに、魔術は得意だろうと思っていた。だが、まさか10歳前後の子供が使えるなんて……
初めて会ったときから、彼女は年の離れた少女という認識だった。今の私は"見た目は子供"だが、玲の記憶が戻ったことで"頭脳は大人"なのだ。今でもその認識は変わらない。
「なんでそんな高度な魔術が使えるのよ! 子供なのに!」
「子供……?」
シュリが目をぱちくりさせた。だが、質問の意図が分かったのか手をポンッと叩くと、にっこり笑った。
「天界では無詠唱が基本ですよ。高難度の魔術は詠唱しますけどね。常識ですよ」
――天界に行ったことない私が、そんなこと知ってるわけないじゃない!
「ず、ずるい……」
天使、ずるい。前世で読んでたラノベでは異世界転生者は魔力が多くてチートで強くて何でもできて楽しそうだったのに! 何で私は違うのよ!
自分の実力不足を棚に上げ、シュリの能力を羨んだ。どこが"頭脳は大人"なのやら……
「玲様も無詠唱で魔術が使えるはずですよ。記憶持ちの転生者ですから」
「……へ?」
私は初級魔術であれば簡易詠唱が使える。中級魔術は略式詠唱の練習中だ。どちらも無詠唱なんて夢のまた夢である。
「いや、今まで使えなかったんだけど……」
「記憶が戻ってから魔術を使われましたか?」
「使ってない」
「でしたら、使ってみてくださいよ」
シュリが呆れたように言った。記憶が戻った途端、無詠唱魔術が使えるようになる? そんな都合の良いことあるわけない。そうは思いつつ、私もチート魔術師に……なんて考えが頭を過った。
シュリが穴をあけた布を、別の布と取り換える。この穴を無詠唱で……と思うと、何とも言えない気持ちになった。
ふぅっと一息吐くと、手のひらを布に向けた。心の中でつぶやく。
――ファイヤー・ボール
……結論を言おう。
何も、おきなかった。
恥ずかしいやら、情けないやら……顔がみるみる熱を持っていくのが分かった。
「ちょっと! やっぱりできないじゃない!」
恥ずかしさから、思わず声を荒らげる。完全なる、八つ当たりである。ちょっとでも、チート魔術師に…なんて考えた自分を心底恥じた。
「おかしいですね……」
「おかしくなんかない! 今までできなかったんだから! 記憶が戻った途端、一気に魔力が上がるなんてありえないでしょ!」
シュリが眉をひそめた。
「魔力が、上がる?」
「無詠唱魔術が使えるってことは、そういうことでしょ?」
「いえ、違います」
「……え? ど、どういうことよ!」
無詠唱魔術は多くの魔力を必要とする。それがこの世界の常識だ。
今まで使えなかったということは、魔力が足りないということに他ならない。故に、私が無詠唱魔術を使うためには魔力を上げなければならないのだ。……それが、違う?
「この世界で無詠唱魔術を使えるってことが、どういうことなのか知らないの?この世界のこと散々覗き見していたんでしょ?」
「覗き見なんて人聞きの悪い――」
「そこはどうでもいいっ!」
知りたいことが直ぐに知れないもどかしさに、語気が荒くなる。
「……確かに、皆さん要領が悪いなとは思っていました」
「要領?」
「ええ。詠唱をすることが目的となっているように感じました。だから、詠唱しなければ魔術が使えない者ばかりなのです。詠唱なんて、イメージを補足するためのものにしかすぎないというのに……」
はぁ、とため息が聞こえたかと思うと、続けて「揃いも揃って詠唱文を暗記するのに夢中で、要領悪いったらありゃしないですよ」というお小言が聞こえた。それは、齢10歳の少女の言葉とは到底思えないものだった……。天使見習い、恐るべし。
彼女は「ここでそれが通用するとは限りませんが」と前置きした上で、天界の魔術について話してくれた。
呪文を詠唱すれば、魔力がある者なら誰でも魔術を使うことができる。そのため、子供が初めての魔術を使うときや見たことのないものを出すときに、その感覚を掴むために詠唱を行う。それに慣れたら、そのときの感覚やイメージを元に無詠唱で使えるように練習するらしい。
……天使も魔術の練習ってするんだね。なんか親近感湧いちゃうよ。
「高い技術力を有する世界で生まれ育った玲様は、色々とイメージがしやすいはずです。そのイメージ力が無詠唱魔術には必要なのです。魔力量は関係ありません。もちろん魔力が多くなければ、いくらイメージが鮮明でも、大規模な魔術や高難度の魔術は使えませんが。」
「なるほど……」
イメージ、か。それは確かにここで生まれ育った者には難しいかもしれない。
この街では、火も水も詠唱すれば出てくるもの、という認識が根付いている。それらがどんなもので、どんな原理で発生しているかなんて、知ってる者も考えたことがある者もほとんど居ないだろう。かくいう私も知らないのだが……
気を取り直し、もう一度手のひらを布に向けた。ここから飛び出す瞬間をイメージする。メラメラと燃え盛る、火の玉……
――えーい! ファイヤー・ボール!
ボンッ………パチッ……パチッ…
「……なっ!」
私の手のひらから飛び出した火の玉は予想より二回りほど大きく、布に着火した瞬間に全体へと燃え広がった。小さくパチパチと音を立てて燃えている。
私はしばらくそこから目が離せなかった。最後には、石に押さえられた四隅だけが残った。
「も、燃えた……無詠唱で……」
あまりの出来事に、体が震える。唖然としていると、隣から大きなため息が聞こえた。
「そんなに大きなものを出したら、燃え尽きるのは当然です。今日の課題は穴をあけることなのでしょう? 私は指先からファイヤーボールを出したから布に指先ほどの穴があいたのです。玲様は手のひらからファイヤーボールが出ていましたが……この違い、分かりますか?」
「ちょっと! 私の感動を邪魔しないで!」
無詠唱でファイヤーボールが出せたんだよ!? これってすごいことなんだよ!? なのに、そんな何でもないような顔で説教臭い事言わないで! せめて、あと少し感動に浸らせてぇ!!
涙目でシュリを睨むと「やれやれ」と再びため息を吐かれた。子供に呆れられたという事実に凹む。私も見た目は子供なのだが……
「要は、イメージです。指先に蝋燭の火が灯るようにイメージするとこんな感じ。手のひらに大きめの火が灯るようにイメージするとこんな感じです。このように、イメージによって大きさも簡単に変えることができます。魔術の調整に慣れるまでは、このようにイメージしやすい方法で練習するのが効果的です」
シュリが実演してくれた。指先に小さな火を出した後、手のひらに大きめの火を出す。同じ火でも大きさが全然違った。
「なるほど……」
ポシェットからもう一枚布を取り出す。今度は指先から出るように、ピストルを模して親指と人差し指を立ててみた。ここから勢いよく……
――ファイヤー・ボール
「おおっ、いい感じじゃないですか」
シュリが称賛の言葉をくれた。嬉しくて頬が緩むのを抑えられない。
私の指先から飛び出た火の玉は、彼女のように勢いよくとはいかないものの、狙った位置からさほど離れていない場所に着火し、一つの穴をあけた。魔力の密度が低いためシュリほど小さくなかったが、それは十分"穴"と呼べる大きさのもの。
「やった……やったよ……!」
いつもより発動までの時間も早かった。嬉しさのあまり、涙が溢れる。泣きながら笑う、そんな器用なことができるもんなんだな、と思った。
もしかして……やっぱり私も、チート魔術師になれるんじゃない!?
その後、浮かれた私は持ってきた10枚のうち8枚の布に大小様々な穴を開けた。残りの2枚はシュリに渡した。一緒にする、ってことだったし……
的は地面に布を置くのではなく、シュリが地属性魔術で生成してくれた私の背丈ほどの土壁に固定したため、真正面に向かって撃つ練習ができた。私はこの土壁を生成することはできても、維持することができないのでとても有難かった。
彼女も自分用の土壁を生成した後「コントロール力を高めなければ」と、先程ファイヤーボールであけた穴に更に小さなウォーターボールを通す練習をしている。……レベル高すぎ。
一日かけて終わらせる予定だったのだが、シュリのお陰でサクサク進んだため、太陽は未だ高い位置にある。次は何をしようかと考えていると「あっ」と素っ頓狂な声が聞こえた。声のする方に目線を向ける。……シュリが倒れていた。
「ちょっ、どうしたの!?」
――さっきまで元気に両手でウォーターボール撃ちまくっていたくせに!
「おらおらー!」と言いながら撃ちまくる姿は、以前の彼女とは似ても似つかない様相だった。天界でストレスが溜まるような事でもあったのかな……と、そっと目を逸らしていた間の出来事だったので、何が起こったのか分からない。
「魔力切れです……力が入りません……」
魔力が普段の半分以下になっていることは感じていたのだが、気分が乗ってきていつもの調子で魔術を使っていたため、思ったより早く魔力が切れたらしい。
――この天使見習い、本当に大丈夫?
これからの生活を想像し、頭を抱えた。