34 入学式
「いってきまーす!」
良く晴れた空に、一人の声が響いた。
アリス・クレール 9歳。
本日、私はヴェンガルデン領立魔術学校、ウェルリオ学園へと入学する。
私たちは二日前にウェルリオへと到着し、更にその二日前には家族や友人から見送られ、ホーヴィッツを後にした。
この領には入学式に親が参列するという風習はない。そのため、迎えに来た従者の馬車に乗り、子供だけで学園へと向かうのだ。私はシュリとエリックと共にこの街へとやって来た。
ホーヴィッツを出る際に最も悲しんでくれたのは、なんとナタリアだった。彼女は「できる事ならついて行きたい程です」と涙ながらに言ってくれた。それは何もできない私たちの身を案じてという側面もあったのだろうが――ともかく、お母様以上に同じ時間を過ごした彼女との別れは、私にとっても寂しいものだった。
アンナは私が以前あげた小さな魔石をネックレスに加工してくれたようで、それと先日の髪留めをつけて見送りに来てくれた。お母様とミレイユからは「どうせ近いうちに会うから」と言われたが、その意味は私には分からなかった。
私たちは何事もなくウェルリオへと到着し、何事もなく入寮を済ませた。寮は男子棟と女子棟に分かれており、エリックとは別の棟になる――はずだったのだが、どういうわけか彼も一緒に女子寮――ではなく、なんと職員寮へと入ることになったのだった。
何故か学園長直々に寮の部屋が足りないから、と簡単に説明されたが、そんなはずはない。私たちは部屋番号も事前に聞いていたのだから。せっかくナタリアが送ってくれていた荷物も運び直すこととなり、その決定に疑問と不満を抱いていたのだが……職員寮へ移動した直後、それらは一気に吹き飛んだ。
職員寮は学生寮よりも校舎に近い。そして学生寮よりも広く、何と言っても綺麗なのだ。私たちに与えられた部屋は4LDKといったところで、個人の部屋もある。対して学生寮は二人一部屋。しかも古い。単純な私は不満に思うどころか、学園長に深く感謝した。あまりにも深々と頭を下げる私に若干引いていたような気もするが、そんなことは気にしない。元日本人たるもの、礼節を重んじなければ。
学生寮には洗濯と食事の準備をしてくれる寮母がいるため、その代わりに専属のメイドをつけてくれるそうだ。メイドは今日から来るということで、エリックは二日間よく働いてくれた。…というのも、ナタリアに任せきりだった私たちにできることなど、何一つとしてなかったのだ。だって、魔術洗濯機や魔術掃除機なんて、日本にはなかったんだもの。勿論、下着だけはシュリに清浄で綺麗にしてもらった。だって、乙女だもの。
一通りの家事を難なくこなすエリックを見て、もうメイドは要らないんじゃ、と言ったところ、何故か「アリスは晩メシ抜き!」と言い渡されてしまった。彼は温厚だったはずなのに、何が彼を変えたというのか。
セシルは私たち以外誰も居ないということで、終始ご機嫌だった。誰かが居ると彼女と会話をするのも儘ならず、その度に寂しい思いをしているようだ。メイドが来ることを心待ちにするエリックと対照的に、昨夜の彼女は少しだけ元気がなかったように感じた。
そんなこんなで二日間、快適な職員寮での生活を満喫した。そして本日、意気揚々と寮を飛び出したのだった。それが冒頭のあの一言である。
部屋には誰も残っていないため、誰に対しての言葉なのかは不明だが、独身時代一人暮らしをしていた前世の姉は「誰も居ないのに行ってきます、とかただいま、とか言っちゃうのよね」と言っていたため、きっとそういうものなのだろう。
私の後ろには、緊張した面持ちのエリックと、眠そうにあくびをするシュリが続く。
背にはマルーンの証であるえんじ色のマントを翻し、新品の制服とブーツ、そして左手には大天使様の杖を持つこの姿は、何度鏡で見たことか。この姿で登校する日を今か今かと待ちわびていたのだ。気分が上がらないはずがなかった。
改めて大天使様の杖に目を遣る。ずっと布袋に入れていたため、外で見るのは初めてだ。太陽の光を反射して、魔石がキラキラと輝いている。はぁ、なんて綺麗な杖だこと……! 私は恍惚とした表情でそれを見ていた。――否、見てしまった。
直後、周囲の視線が一斉に私に向いた。
「アリス!」
「ふぇ?」
後ろから聞こえたシュリの声に反応し、振り返る。その瞬間、シュリが耳慣れない魔術を唱えた。周囲の者の頭上を大量のマナが舞う。直後、私に集中していた視線が散ったのが分かった。
「今、何を考えていましたか」
先程までトロンとしていたシュリの目が大きく見開かれ、じりじりとこちらに近寄って来る。
「杖を、綺麗だと思いませんでしたか?」
「お、思ってた……」
眼前まで顔を寄せられ、耐えきれずに仰け反った。無表情ながらも焦りと怒りが込められたシュリの目は、すごくすごく怖かった……
綺麗だと思うことの、何が問題だというのか――……あ。
私の脳裏に、いつかのお母様の言葉が浮かんだ。
――綺麗な杖だって言うのも思うのも駄目なの。
「もしかして……?」
シュリがふんっと鼻を鳴らした。
「他人に視認させる方法は、綺麗だと言うこと、そして、思うことです」
「そ、そんなあ!!!」
私は愕然とした。そんなに簡単に視認させることができていいのか? いや、駄目でしょう! 現に、シュリは周囲の者の記憶を消したはずだ。それは即ち、この杖の存在を容易に視認させてはいけないということ――。それなら、厳重にロックでもかけておいてよ!と謎の怒りが湧いた。
エリックは緊張からか、私たちには目もくれず、そのまま追い越して行った。セシルがそんな彼に続き「置いてくよー!」と手を振っている。私は睨むシュリに苦笑いし、二人の後を追った。
……楽しい学園生活の、幕開けであるっ!
綺麗だと"言わない"のはともかく、"思わない"というのはなかなかに難しく、会場である競技場に着くまでの間、三度もシュリのお世話になった。
「仏の顔もぉ~?」
「三度まで……」
彼女は何処でこの言葉を覚えたのだろうか。最後の「もぉ~?」のところなんて、ヤンキーの「あぁん?」に似たものを感じた。
一瞬とはいえ、複数の者の記憶を消すのは結構魔力を消費するらしい。シュリに「いい加減にしてください」と凄まれて恐怖を抱いたことで、私はようやく杖から気を逸らすことができたのだった。
入学式と始業式は同時に行われるため、全校生徒がこの競技場へ集った。
学園長の挨拶に始まり、前世の記憶にある始業式とさほど変わらない形態で式典が進んでいく。一人一人の話が長く、そろそろ飽き始めていた頃――進行係の口から紡がれた言葉に、私は耳を疑った。
「では最後に。魔術師団長代理、魔術師団本部長エルフリーデ」
……え? エルフリーデ!?!?!?
壇上へと向かう女性は、間違いなく先日お世話になったエルフリーデだった。視力強化をして確かめたのだから間違いない。彼女は先日の黒いワンピース姿とは違う、魔術師団の正装――白いローブを身に纏っていた。否、驚くのはそこではない。彼女が本部に属しているのは知っていたのだから。まさか、彼女が――…
「魔術師団ほんぶっ――」
思わず声を上げた私の口を、シュリが後ろから塞いだ。彼女に睨まれるのは今日だけで何度目だろうか。周囲からクスクスと笑いが漏れる中、私は口を塞がれたまま真っ赤な顔で俯いた。
「今年の新入生は元気が良いようね。今年は優秀な生徒が多く入学したと聞いているわ。皆の成長を期待しています」
エルフリーデは優雅に頭を下げ、優雅に元の場所へと戻って行った。その姿を目で追う。まさか入学式に魔術師団の関係者、しかもエルフリーデが来ているなん――て!?
大きく開いた瞳に映るのは、エルフリーデと談笑する二人の女性の姿だった。
「(お母様!? それと、ミレイユ!?)」
シュリに口を塞がれたままで良かった。おかげでもごもごとしか言えず、周囲の視線を浴びることはなかった。
近いうちに会う、とはこの事だったのか。教えてくれたらよかったのに、と頬を膨らませたが、晴れの舞台を見てもらえたのは純粋に嬉しかった。そのせいか、小学校の入学式は貧血で倒れたっけ、なんて昔のことを思い出した。
魔術師団員は一足早く退場したため、三人と話すことは出来なかった。何度も目が合ったのだから、おそらく気付いてくれているだろう。アイドルのコンサートなんかでよく耳にする「目が合った!」という現象ではないことを祈る……
「まさかエルフリーデさんが本部長だったなんてなー」
「お母様とミレイユが居たのもびっくりしたよ」
「だよなー、事前に教えてくれたって良いのに」
式典が終わり教室へと移動する最中、私とエリックは興奮気味に話していた。そんな私たちの隣で、エルフリーデに会ったこともなく、そもそもこの程度ではしゃぐようなタイプではないシュリは、我関せずといった様子だった。
クラスは事前に知らされている。私たちは予想通り、上位クラスへと決まっていた。エルフリーデが今年は優秀な生徒が多い、と言った通り、例年上位クラスは10名前後であるが、今年は15名居るらしい。
席は決められていないようで、真ん中より少し後ろの方に三人で固まって座った。教室を見回して数えてみると、女の子10人、男の子5人のクラスであると判明した。男の子は武術学校を志望する者が多いため、この男女比は納得だ。
暫くすると、一人の男性が入室した。体育教師のような短髪の男性は、教壇に立つなり私たちを見回し、ニヤリと笑った。
「俺はこの上位クラスの担任、クライヴだ。担当教科は攻撃魔術。よろしくな!」
クライヴはそう言うと「お前から順に自己紹介な」と手前の席を指さした。そうして席順に自己紹介をすることとなったのだが……人前で話すのが苦手な私は、その瞬間から緊張して周囲の声が入ってこなくなった。
以前はここまでの苦手意識はなかった気がするのだが、日に日に"玲"の性格が濃くなっている気がする。
――昔の天真爛漫なアリス、カムバック!
直前のエリックの声だけは耳に届いたため、私は彼の真似をした。
「アリスです。ホーヴィッツから来ました」
起立した瞬間の、あの視線に耐えた自分をこっそり褒めた。ふと、今朝から注目を浴びまくりだったことを思い出し、眩暈がした。




