閑話 学園にて
――ヴェンガルデン領立魔術学校 ウェルリオ学園
執務机の上には、三枚の紙が並べられている。これは先日の入学試験の総評だ。
実技試験は通常上からA、B、C、Dの四段階で評価される。五回の実技試験それぞれに評価がつけられ、それを基に合格者のクラス分けが行われる。
Aは上位クラス相当、Bは中位相当、Cは下位、Dは不合格だ。だが、例外として評価Aの更に上――Sがつけられることが稀にある。
Sを一つでも取った生徒は上位クラスへ入ることになる。例え他がDであったとしても、だ。一つでも他より軍を抜いていることがあるとしたら、それを極めれば良いのだから。
私はその中の一枚を手に取ると同時に、記載された名前に目を通した。
シュリ・クレール
私は頭を抱えた。今手に取っている紙に記載されているのは、SSの文字。こんな評価は過去存在しない。――否、過去に一度だけあった。その生徒は一つだけ、この学園始まって以来のSS評価を得たのだ。もう10年近く経つだろうか。その魔術師の入学は、我が校に多大な影響を与えた。
私はその卒業生の顔を追い払うように頭を振った。今は他の事を考えている余裕はない。存在しない評価をつけた試験官には憤りを感じるが、それほどの実力であったのだろう。全ての試験でSSという評価を得るような、そんな優秀な生徒が我が校に入学を希望しているのは喜ばしいことであるが――果たして、この生徒を王都がみすみす見逃すだろうか。
溜息を吐き、二枚目の紙に目を通す。
アリス・クレール
この生徒は五回の実技試験のうち二つがSS、三つがSとなっている。名前と出身地からしても、血縁であることは間違いないだろう。
「ホーヴィッツのクレール、か……」
思わず溜息交じりの声が漏れる。その地名にも名にも聞き覚えがありすぎた。この子らは、おそらく奴の娘だろう。
魔術学校を首席で卒業したにも関わらず、あっさりとその称号を捨てて、武術高等学校へと進学したかつての戦友。風の噂では、先日、近衛騎士団――ラピスラズリへと入団したそうじゃないか。
私は奴と我がウェルリオ学園の級友だった。私と一、二を争う実力で、自他ともに認めるライバルであった。卒業試験で敗北し、最終的には一位の座を奪われたのも、今となっては良い思い出だ。
私は奴も魔術高等学校へ進学するものだと思っていた。現に、複数の教師からの推薦も得ていたのだ。私はそれを密かに楽しみにしていたというのに……
いつの間にか思考が飛んでいたようだ。いかんいかん、と再び頭を振る。さて、二人の娘はその血筋から優秀なのは当然であるとして――
私は三枚目の紙に目を遣った。
エリック・ラドフスキー
彼は何故、ここまでの実力を持っているのだろうか。五つのうち、Aが二つ、Sが二つ、そしてSSが一つ。彼も出身はホーヴィッツと記載されている。あの街からは、近年合格者は出ていなかったはずだ。奴の娘の影響でも受けたというのか。
ふぅ、っと一つ溜息を吐く。教師陣には、この三人は要注意人物として周知させねばなるまい。それほどの実力者であるということは、我々の手に負えない可能性もある。何せ――
私は三枚の紙に共通して書かれている言葉を見つめた。
『無詠唱魔術を習得している可能性あり』
このエリックと言う少年は片鱗を見せている程度、とのことであるが、二人の少女たちは……
直後、扉をノックする音が聞こえた。
「学園長、お客様がお見えです」
「……要件は?」
「先日の入学試験の件で話がしたい、と」
自分の子が不合格だったことに対して、抗議でもしに来たのだろうか。この手の面倒な親はいくらでも居る。そんな者たちの相手をする余裕などあるはずもない。
「帰ってもらえ」
「ですが、クレールと言えば分かる、と……」
「クレールだと!?」
ガタリ、と音を立てて引かれた椅子の音が、静かな部屋に響いた。その名は、今しがた私の脳内に浮かんでいた――…
「……連れてこい」
「かしこまりました」
私は執務机から来客用のソファへと移動した。じきに現れるであろう、彼の顔を思い浮かべながら――
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――ヴェンガルデン領立魔術学校 ウェルリオ学園
俺は門に記されたその名を見上げた。久しぶりに来るこの場所はとても懐かしく、また、時の流れを感じさせた。
「この門って、こんなに小さかったっけな」
ホーヴィッツを出て丸一日、俺は馬に乗ってこの街までやってきた。娘二人の合格を見届けることができて、俺は心底満足していた。アンナに関しては残念だったが、今後の成長は大いに期待できるだろう。俺も帰省した際には稽古をつけてやろう、と密かに意気込んでいた。
今日ここに来たのは他でもない、俺の娘たちの件だ。あいつらは、俺が居ない間に無詠唱魔術を習得してやがった。その成長は喜ばしいことではあるが――
よし、と一度気合いを入れる。久しぶりに戦友に会うのだ。情けない顔は見せられない。ここは父親らしく、びしっと決めさせてもらうぞ。
俺は、敷地内へと足を踏み入れた。
「えーっと、学園長を呼んでもらえるかな?」
近くに居た職員と思しき女性に声をかけると、突然のことに気を悪くしたのか、彼女は眉をひそめた。
「はぁ、お約束はされていますか?」
「いいや」
「でしたらお約束を取り付けて、後日また――」
「お姉さん、このマント、わかる?」
俺はにっこり微笑み、畳んだマントを袋から取り出した。馬に乗っている時はともかく、一人で歩いている時にこのマントを着用すると目立ちすぎるのだ。平民出身の俺には、その看板は少々重すぎた。だがこれも、使えるところでは使わせてもらうさ。
彼女の顔が急速に青ざめたのが分かった。恐らく貴族だと思われたのだろう。ここでそれを訂正するのも面倒に感じて、そのまま押し通すことにした。
「学園長に会わせてもらえるかい?」
更に笑みを深めたはずなのだが、彼女は真っ青な顔で「少々お待ちください」と言うと慌てて去ってしまった。
この学校に貴族が来ることはほぼないのだろう。彼女の態度は貴族相手ならば失格である。せめて来客用の部屋で待たせるのが常識だ。俺は平民だから何の問題もないが。
そんなことを考えていると、彼女が一人の男性を伴って現れた。
「お初にお目に掛かります。わたくしは学園長の秘書、ルーメンと申します。以後、お見知りおきを」
「ああ。それで、学園長には会わせてもらえるかな?」
「ご要件をお伺いしても宜しいでしょうか」
「先日の入学試験の件でね。クレール、と言えば分かるはずだ。頼めるかな?」
「かしこまりました」
その秘書は、俺を来客用の部屋へと案内した。パタン、と扉が閉められる。旧友に会うだけだというのに、なんとも面倒な。だが、互いの立場を考えるとそれも当然か。
ノック音の後、扉が開かれた。
「学園長室へご案内いたします」
俺は久しぶりに会うそいつの顔を思い浮かべ、口角を上げた。
16話でガヴェインがホーヴィッツを出た後の出来事。
前半は学園長視点、後半はガヴェイン視点でした。